010話
しかしレーレは大食らいである。
この分だと私の食べる物がなくなってしまうのではないかという危機感さえある。少なくともこのままでは職労は一週間もしないうちになくなることは明白だ。レーレはアリス等の精霊と同じように食べたものをどんどん魔力素として吸収しているようだ。できれば魔物の魔力素の豊富なものを食べさせてあげたいとは思うのだが、なかなか難しい。なんせ私では倒すのが困難であるからだ。先日の猪を思い出してもあんな思いはもうしたくないというのが本音だ。楽して肉を手に入れたい。そして食べさせてあげたい。それだけだ。
がうがうと吠えられて下を見ると、遊んで遊んでとそのつぶらな瞳で見上げてくる。そんな目で見上げないで欲しい。そんな目で見られると、
「よしよしよしよしー」
撫で回したくなるではないか。この両腕は私の意識下から離れて勝手に行動しているとしか思えない運動をしている。うむ、なんというか、触り心地は良い。サラサラしていて、羽毛を撫でたとしてもこれほどの軽やかさが得られるとは思えない。
私が満足するまで撫で回し、視線を感じて目線を上げるとアリスがなんだこいつ、という目で見ていた。
「どうした」
「いいえ」
ふいっと横を見る。
ふむ。
「さて先を急ぐか」
下ではもっともっとと甘えている。
耐え難い魅惑を振り切って歩き始める。
足の周りでせがんでくるもふもふ。と、急に走り始めて木々の間に消えていった。こういうのも何度かあった。自分で餌をとってくる分には問題ないんだよな。
かなり離れたところにいる動物の気配も感知できるようで夜間なんかも重宝している。妖精もいるが念には念をいれて。なんせかかっているのは自分たちの命なのだ。慎重になりすぎて悪いことはないだろう。
ひょこりと戻ってくれば野兎を狩ってきていた。捌くのはもっぱら私の仕事である。捌く練習にもなるし、アリスやレーレにやらせるわけにもいかない。内蔵は取り出すとすぐにレーレの胃袋に収まる。柔らかい部分だからいつも率先して食べてしまう。私としても、臓腑は綺麗な水等で洗わなければ食べることができないので別にいいのだけど。
動物は基本的に私が内蔵、皮、頭、その他で捌く。内蔵は言うまでもなく、皮は付着した肉などを分解して売るために。頭は全て分解。胴体部は骨を分解して肉を得る。その肉は焼いたり火を通してみんなで分け合う。
五日目にして大きな道に出た。魔物らしい魔物に合わずにすんだのは運がよかったからであろう。グランさんの言からあのような凶暴な魔物は早々に現れないのではないかと思ったのだが、そのようだった。また、変わったことといえば森の景色は一変し、紅葉を示していた。つまり秋なわけだ。四季があるかは定かではないが、アリスによれば地域によるとのこと。また、エルフの住む森は妖精などによって一種の結界となっているために環境がいいそうだ。木の妖精とかそのへんが頑張っているのだろうと推測する。
道とは言うが舗装はされていない。ただ、明らかに人の手が入っていると思わせる整備された道そういうだけだ。砂利があったり轍があるが、森の中を歩くよりは随分と楽なのは事実。
レーレが倒木に顔を突っ込んだかと思ったらでかい幼虫を持ってきて驚愕した。食えということか? 食えるわけないので、アリスにやってみたけど首を振って後退していた。改めてレーレに向き直り頭を撫でて幼虫を差し出す。食べていいの、という顔をしているので、食べていいよと言った。ご想像の通り、手は涎と幼虫の体液まみれた。レーレが口に含んで弾けたのには驚愕した。腸詰めが弾けたような音だった。美味しそうに食べているが、私は食べない。
レーレが吠えたので広報を見たが何もいなかった。暫く歩いていると後ろからがたごとと音を立てて近づいてくるものがあった。どうやら馬車のようだ。遠く離れていても馬車の音が聞こえるというのは流石というかなんというか。ともあれ、いつまでこの景色が続くのかわからないので聞くべきだろう。馬車の周りには二人ほど一般人ではなさそうな人達がいた。
近づいてきて相手を見たが、ギョッとした。向こうも驚いた顔をしていた。立派な獣耳ですよ! 獣耳!
初めて見たけど、なんだか気になる。本来耳のあるところに獣の耳であるわけだから。そんなことを考えていたら向こうから話しかけてきた。がっちりした体格のおじさんが。
「何者だ?」
右手に剣を構えて明らかに臨戦態勢だった。ここのやつらは会う人会う人に弓や剣を突きつけないと気が済まない質の方々なのだろうか。
「道を訪ねたいのです」
「道を尋ねるだと? 魔物使いが?」
新しい単語いただきました。魔物使い。レーレがいるからなんだろうけど。その嫌な目でレーレを見ないでいただきたい。言いたいが、言って自体が好転するわけでもない。
「いや、本当に道を訪ねたいだけなんですけど」
「ふん、どうだか。どうします?」
「聞くだけ聞いてもいいのではないでしょうか」
後方からおじさんよりは若そうな人が出てきた。
「ここから近い街に行きたいんですけど、どれくらいの距離がありますか?」
「だとよ。なめてんのか? 歩いて二日ほどでハーディだろ」
「まあまあ、どうやらそのあたりも知らないようです。私はスコットニ。こちらはフレッツです。相方が申し訳ありません。よろしければどちらからこられたのか伺っても?」
礼儀正しい人だった。隠す必要もないので私は指を指して森を五日ほど歩いてきたことを説明した。
「深くにはエルフが住むっていう噂だけどな。そんな成りで行けるわけがない。盗賊と言われた方がまだ信用できるぜ」
「わかりますが、少し待ってください。魔物使いだとしたらそれも納得できます。魔物を食べさせた方が魔物の成長は早いですからね。しかし、わざわざ私達の前に顔を出す必要がありません。彼の言葉は本当なのでしょう。嘘だとしても、先頭で私達に勝ると思いませんね。そこの魔物もまだ成体ではないようですし、なによりも体の動かし方がよくない。装備はいいようですが、それだけです。仮に不意打ちでも負けるとは思えません」
褒められているわけではないが、冷静に考えるといろいろと情報を話してくれている。あと、私の言っていることは一応、本当だと信じてもらえたのだろうか。
「私達もハーディに向かうところです。一緒に行きますか? と言いたいところですが、私達は護衛の仕事ですから。すみませんが、先に行かせてもらいます」
「ああ、俺こそ紛らわしくてすまなかった。俺はジロウ、こいつはレーレ」
「街についたら役所を探すといいでしょう。そこでいろいろと聞いたほうがいいと思いますよ」
「ありがとう」
では、と彼らは行ってしまった。私との距離を開けるかのように去っていった。
どう考えてもあんまり関わりになりたくないと言っているようなものだ。仕方のないことだろう。こんな状況じゃなければ、日本にいた頃であればこんなことでは傷ついたりもなにも考えなかっただろう。
「よしよし、レーレはいい子だねー」
それに比べて眠りこけているだろうアリスはなんなのだ。
でも、歩いていくしかないな。
不思議とあんまり疲れない体になっていた。走ればそれこそ疲れるけども、歩くだけならいつまでも歩いて行けそうだ。夜でさえも、道端の妖精たちが明るい。エルフのいた村や森ほどの密度はないけども、妖精がフラフラしている姿は愛らしい。
夕方前に一度休憩を挟んだ。理由としてはレーレが獲物を獲ってきたからだ。今回は狐。狐ってエキノコックスとかいう肝臓に巣喰う寄生虫がいたような気がするんだけど。あれって北海道のキタキツネのみだったか。あまり覚えていない。潜伏期間も結構あったきがするし、いざとなったら魔法でどうにかできるだろう。なんたって魔法だ。食べたら眠たくなってしまい、炉端の木下で寝た。
起きると夜だった。相も変わらず夜型のアリスは本を読んでいた。
「ん? そろそろ行くの?」
「ああ。レーレも」
私の胸元で丸くなっていたレーレが起き出す。賢い狼だ。魔物は賢いのだろうか。夜は少し冷えるようだが、毛皮のローブはまるで寒さを感じさせない。それにレーレを抱いて寝ればむしろ暑いくらいだ。
「さて、行くぞ」
明後日中に街につくなら食べ物も余裕だ。できれば明日の日が暮れる前までにつきたいところではあるが、難しいかもしれない。着かないなら着かないでも野宿でも大丈夫だろう。
食事を挟みながら歩いて、夜が明けそうな時間帯に先日見た馬車を発見した。
また何か言われるかとも思い、素通りしようと歩いていると、声をかけられた。
「おい! やっぱりお前!」
なんだか怒っているようなのだが、なんのことかわからない。
「おはようございます」
挨拶してみたが、あまり効果はないようだ。
「寝込みを襲う気だったのか? 無駄だったな!」
朝というにはまだ早い時間なのに元気な人である。
「何か言ったらどうなんだ!」
「先を急ぎますので、それでは」
なんかぷるぷる震えてこちらに走ってきているんですけど!
「ふざけんなぁああ!」
「ええぇぇぇえええ!」
こんな攻撃的なのはあの魔物いらいだ。ってそんなこと考えている暇はない。結構な荷物を抱えているので動きが遅い。
「おらぁあ!」
走り出したら、後ろから衝撃がきて吹き飛ばされた。5 mくらい。転がって止まった。死ぬかと思った。死んでもおかしくなかった。全くの無傷だけども。衝撃があるということはアリスが何かしてくれたわけではないのだろう。
「アリス! 起きろ!」
「起きてるわよ! なんなの、今の衝撃」
今起きたところだった。
「何するんだ、死ぬかと思ったじゃないか」
「なんで死んでねーんだ!」
「勝手に殺そうとするな!」
「お前じゃ話にならない、スコットニを出せ」
「ああ? 気づいてねーのか」
甲高い音が横からした。何この大きな剣。普通の人間が持てるとは思えない大きさの剣が空中に止まっていた。スコットニの顔は見えない。
「ちょっと人の話を聞けって!」
「そうですよ、人の話を聞けない人ってダメな人だと思いますよ」
人でないアリスですらこう言っているのだ。
しかし、こいつら人の話は聞かないし、何なんだ。
「ジロウ、あそこの風の妖精を捕まえてください」
ジリジリと動いて漂っていた妖精をむんずと掴む。ばたばた暴れているんですけど。
「風の妖精さん、ちょっと力を貸してください。後でいいものあげますから」
アリスがそういうと妖精はおとなしくなった。何故か私の頭に乗っかる。
「今です、逃げましょう」
「おう! レーレも急げ」
一声してレーレも走ってくれた。
後ろでなにか騒いでいるが気にしない。気にしたらダメだ。いきなり切りつけてくるような輩である。さっさと逃げるのがいいだろう。
最初はかなりとばして、それからはちょっと急いでいたら風景が変わってきた。畑が広がり、遠くには街が見える。ここまでくれば大丈夫だろう。風の妖精のアシストは素晴らしい。軽く走っているだけなのに、いつもの全力疾走よりは速く走れているのだから。
入口といえる入口はないけども、道の脇に人が立っているのが見える。これなら問題ないだろ。
「妖精さんありがとうございました」
頭の上にいた風の妖精を下ろす。
「ところで、何をあげるんだ?」
「これです」
と出してきたのは乾燥トマト、ドライトマトと呼ばれるしなしなの赤い物体。風の妖精は受け取るとぺこりと頭を下げてふわりと浮かび上がった。風に流されるまま飛んでいってしまった。私のように妖精が見えるものは妖精がトマトを持っているというのがわかるが、そうでないものはトマトが飛んでいったように見えるのだろうか。
ぐるぐるとレーレがいうものだから、食事とした。中に入ったところですぐに食事にありつけるとは思えないからだ。
鈍色の鎧に身を包んだ人が二人立っていた。威圧の為か槍を持っている。
私が近づいたことでにわかに騒がしくなる。またレーレだろう。
「ようこそ、ハーディへ。身分証の確認をしてもよろしいですか?」
さらに一人出てきた。兜はかぶっていないが、蓄えた口髭は綺麗にそろえてある。
「すみません、身分証とか持っていないのですが」
「するとどちらからこられたのでしょうか」
「えっとヴォルケというエルフの村からです」
どよめく。エルフの存在は知られているのだろうが、あまりその村にはいかないのだろう。護衛と称した二人も半信半疑だった。
「わかりました。こちらの魔物は貴方ので間違いありませんね?」
「はい」
「わかりました。ヘロウトを呼んで来てくれ」
何とも言えない間がある。こちらを見て、そしてレーレを見る。私も彼らの耳が気になっている。だがあまりジロジロと見るのは好きではない。しかし、時折ピクピクと動くのが視界に入って好奇心を抑えるので多大な労力を使っている。
「この者に案内させましょう」
強制的にどこかへ行くことになってしまった。
「役所に行きたいのですけど」
「大丈夫です。役所まで案内させます。エルフが来た時はそうするようになっていますから」
では、エルフではない私はどうなるのだろう。目の前のお兄さん、正直に言って怖いです。
まだ暗いうちに人に出会うと怖いですよね