過去の因縁
ソナタたちと治警隊たちの追いかけっこは未だに続いていた。ソナタが言うには、この辺りは入り組んでいて、下手に道に入ると行き止まりにあってしまうらしい。できるだけ細く
広い通りに出られる場所を選んで走るものの、なかなか治警隊を撒くことはできなかった。
「どこまで逃げるの?」
「さぁ、彼らに聞いてみてくれ」
システィーユは、後ろの治警隊を見るとなんだか怖くなって、さっきよりもいっそう
ソナタに掴まる手に力が入った。システィーユを背負っているため、得意の屋根越えは
できないようだった。初めに比べると、いくらか相手との差も縮まっているのを
見るからに感じていた。早いところ撒かないと、捕まるのも時間の問題だ。
またさっきと似たような角を曲がる時、金属の何かが落ちるような音がした。
システィーユが振り向くと、石タイルの道に大切にしていた月のブローチが光っている。
「ソナタ、降ろして!」
半ば強引にシスティーユはソナタの肩から降りると、体を引きずらせてそのブローチを
拾い上げた。とりあえず手にのせて確かめてみた。傷ついた様子はどこにもない。
その時、今置かれている状況がシスティーユの頭の中に一気に流れ込んだ。
とっさにソナタの方を振り向くと、戸惑うようにシスティーユの方を見てたたずんでいた。
「逃げて!」
システィーユは叫んだ。それでも何かに取り憑かれたようにソナタは動かない。
すぐさま追いついた治警隊はシスティーユの側へ駆け寄り、しっかりと腕を掴んだ。
そして乾いた銃声が鳴った。システィーユがもう一度ソナタの方を振り向いた時には、
バランスを失ったかのように、ソナタは倒れた。今がチャンスと言わんばかりに治警隊は
ソナタの周りに群がる。システィーユは固まったまま動くことが出来なかった。
あの乾いた銃声が何度も耳の中でこだましていた。
「システィーユ!良かった無事だったんだな。怪我してないかい?」
部屋に戻ってきたシスティーユに駆け寄ると、父セルハイムは質問攻めにした。
システィーユにとってはその声も右から左に流れてしまい、あの時の乾いた銃声が
耳鳴りのように耳から離れなかった。
「お父様、ソナタは?ソナタは無事なの?」
父はシスティーユの前にしゃがむと、いつものような優しい顔でソッと肩に手を置いた。
「心配するでない。近いうちに見せしめにして弓打ちの刑にする。怖がる必要はないよ」
その言葉にシスティーユは全身に鳥肌が立つのを感じた。
弓打ちの刑。はりつけにされて、体の至る所に矢を撃たれる死刑術の一つだった。
体中矢が刺さっても死なない時は、心臓に突き刺しその苦痛にとどめを刺す最低極まり
ないものだ。
その罪悪感からか、胸が熱いような奇妙な感覚を感じるシスティーユだった。
気づいた時には父はすでにいなかった。一刻も早くソナタに向かわなければ
いけないと感じたシスティーユは、車椅子をこいで部屋の外へ出た。
しかし肝心なことに気がついた。ソナタの居場所が分からない。それが分からないことにはどうしようもない。自分の頼りなさにシスティーユは涙が出そうになった。
「お嬢さま?」
後ろから聞きなれた声が聞こえた。チラリと振り向くと、そこにはリリスが立っている。
システィーユは急いで目をこすると、向き直った。
「リリス、私をソナタのとこまで連れてって!」
突然のことにビックリしたのか、リリスは目を大きく見開いた。確かにいきなり怪盗の
いるところまで連れてってと頼んでいるのだから、驚かない方がおかしい。
「お願い、リリス。お願い…」
システィーユの気持ちを悟ったのか、リリスは普段の穏やかな顔付きに戻った。
「お嬢さまの頼みじゃ、断るわけにはいけませんね」
小さな笑みを浮かべて車椅子を押してくれた。
「ありがとう…」
リリスはシスティーユが普段来たことのない道を、右へ行ったり左へ行ったりと繰り返した。こうしている間にもソナタに危険な目にあっているのではないか、と考えるたびに
胸の高鳴りはいっそう大きく鳴り響いた。
リリスが車椅子を止めたのは暗い地下へと続く階段の前だった。
車椅子に乗っていたシスティーユをリリスがおぶさると、1歩1歩確実に暗い闇に続く
階段を降りて行った。下に行くにつれて、階段の両脇に灯してある火のおかげで、だいぶ辺りをうかがえるようになった。レンガ造りの細い階段をリリスは歩調を変えることなく、
ゆっくりと確実に歩いて行く。
石段が終わると、そこには牢獄ともいえる小分けにされた鉄格子の檻がいくつも
並んでいた。屋敷の中とは違う冷たい空気に、システィーユは恐怖すら感じた。
すると治警隊たちのいる奥の鉄格子に、ぼろ雑巾のようにみるからに痛々しいソナタが
転がっていた。思わず声をあげそうになったが、システィーユはどうにかそれを
押さえて小さな声で言った。
「リリス、少しだけでいいの。ソナタと喋りたい」
突然の申し出にリリスは困ったような表情を浮かべた。システィーユも彼女を困らせていることを十分に理解していた。それでもどうしてももう一度ソナタと話がしたかった。
「分かったわ。でもあまり時間はとれませんからね」
「分かってる」
それを確かめると、リリスは急いで屋敷に戻る階段を上り始めた。システィーユはソナタの様子を伺おうと、近くにあった樽の脇から覗き見た。すると治警隊の中から、見慣れた
父の姿を見つけた。
「フン、見ればあの時のフロンド家の者ではないか。もしや月のブローチを
取り戻しに来たのかね?」
そう言って、父はソナタの腹を思いっきり蹴り飛ばした。その反動でソナタは寝返りを
打つ。システィーユは目の前で起こっている出来事が、夢か何かを見ているような気が
してならなかった。そんな甘い考えを思いながらも、低い言葉で父は続けた。
「所詮、あの宝はお前らにはもったいない代物よ。安心しろ、ワシが大事に使ってやる」
「黙れ。金の亡者め…」
かすれるような声でソナタはシスティーユの父、セルハイムを睨んだ。
「お前も素直に従っておれば、痛い目に会わずに済んだものを」
父はそういってソナタの頭を靴で煙草の火を揉み消すかのように踏みつけた。
ソナタが動かなくなると、満足したのか父は牢屋から出て鍵を閉めさせた。
「しっかり見張っておけよ」
そういうと父は階段に向かって歩き出した。見つからないようにシスティーユは精一杯
身を縮ませて、父が通り過ぎるのを待った。次第に足音が聞こえなくなると、やっとの
思いで、顔をあげた。
急いで奥の鉄格子の方を覗くと、ソナタはまだ横たわったまま動かなかった。
今すぐにでも飛び出して行きたかった。しかし車椅子もない今、システィーユにできることはリリスが早く戻ってくるのを祈ることだけだ。
少しだけ遅いような気がした。リリスは今まで一度もシスティーユを裏切ったことはない。
どんな無茶を言っても、リリスだけは真剣にいつもその無茶を叶えてくれた。でももしかしたら、父にソナタを助けようとしているのがばれて、動けなくなったのかもしれない。
考えると沈む行くため、システィーユはなるべく考えないようにした。
すると間もなく、足音が響いてきた。聞き取れるか、取れないかぐらいの小さな足音。
システィーユは、どこかリリスだという確信があったものの、とりあえず樽の近くで
身をひそめた。
「お嬢さま…?お嬢さまどこです?」
やはりリリスだった。システィーユが樽の間から小さく顔を覗かせると、リリスは駆け寄って車椅子に彼女を乗せた。
「待たせてごめんなさいね、でも準備できたわよ」
「どうするの」
自信満々といったようなリリスに、システィーユは小さな声で尋ねた。
「まぁ見てらっしゃい」
そういうなりリリスはシスティーユの側を離れて、奥の鉄格子へ大胆にも走り出した。
治警隊たちの視線が一気にリリスに向けられた。
「屋敷に誰かが入りましたの。皆さん急いできて下さい」
リリスの演技混じりの叫びには妙な迫力があった。リリスに向けられていた治警隊たちの
視線は、隊長らしい勲章を沢山つけた赤い制服の男に向けられた。
「セルハイム殿は無事なのか?」
一歩前に出て、赤い制服の男は尋ねた。リリスと並ぶとその男がいかに頑丈で、大きいのかがよく分かる。リリスは考えているかのように唇に手をあてた。
「いえ、旦那様の部屋には行ってみましたが、いらっしゃらなかったので…。まだ中に
外部者がうろついているかもしれませんし、手を貸して下さい」
男はチラリと横たわったまま動かないソナタの方を見た。動くことはできないだろうと
判断したのか、階段の方を指差しながら言った。
「セルハイム殿を探し出せ。まずは安否を確認する」
その号令と共に、隊員は一列に階段に向かって走り出した。最後の隊員が階段に向かって走り出すと、隊長はもう一度ソナタの方を振り返った。それでも動く様子もなかったからか、隊長も地下の牢獄を後にした。
それを確認してシスティーユはリリスのいる奥の鉄格子まで車をこいだ。
「こんなことして大丈夫なの?」
「多分ね。私も行かなきゃいけないけど、一人で大丈夫ね?」
小さな子供にやるみたいにリリスはしゃがんで優しく頭をなでた。普段なら子供扱い
されるのが嫌いなシスティーユも、この暗くて冷たい牢獄の中ではちょっとした
安心感すら覚えた。そしてシスティーユは小さく頷く。
「いいですね、あまり時間は取れませんから。それだけは覚えておいて下さい」
そういってリリスも地下を後にした。冷たい牢獄の中で、システィーユはソナタと
二人になることができた。
「ソナタ?」
返事はない。システィーユは行ける限り鉄格子に近づいた。そしてもう一度呼びかける。
「ソナタ。ねぇ、ソナタってば!」
鉄格子に手を掛けてシスティーユは叫んだ。それもむなしくソナタは少しも動こうとは
しなかった。押し寄せる悲しみと恐怖の波がシスティーユの中で荒れ狂った。
涙のせいで急に視界がぼやけて見えた。それを必死に拭うと、もう一度震える声で呼んだ。
「死んじゃヤダよ。ソナタ」
最後の方はほとんどかすれて、声が出なかった。鉄格子にかけられていた薄白い手は力なく降ろされた。放心状態でシスティーユはソナタを見る。
するとソナタが重い体を動かし彼女の方に向き直った。微かながらに目も開けている。
ソナタはゆっくり口を開けた。
「まじ、アンタのオヤジ最悪…」
そう言いながら、頬を引き攣らせて彼は笑った。