『聖女である』と、神託されたのに
天界の最上階。
その魂を回収した新人天使たちは、怪訝そうに眉をひそめ、何度も自分の目をこすっている。
とてもじゃないがそれは『聖女』の魂の色ではなかったからだ。
聖女の魂といえば、一点の曇りもない真白、あるいはまばゆい黄金の輝きを放っているはずである。
しかし、一人の天使の手の中にあるその魂は……どす黒くドロリと濁り、歪んだ瘴気そのものの色をしていた。
「おかしい……おかしいですよこれ! 聖水がジャンル違いの聖水だったどころの騒ぎじゃありません!」
新人天使たちがパニックを起こして、天界の記録をひっくり返す。
「聖女って、清らかな心をもって、信仰も厚くて、人々を救う存在のはずですよね!?
でもこの魂は真っ黒で濁りきってるじゃないですか!
他者を慈しむ心なんてまったくなく、心を占めているのは人に対する憎しみや恨み……あっ!!
神様に対する恨みまであるじゃないですか!」
ジタバタと真っ白な翼をバタつかせながら、天使たちは記録を隅々まで読み返した。そこである驚くべき事実に突き当たってしまい、さらに口をあんぐりと開けた。
この聖女の魂には、そもそも奇跡を起こす聖なる力が、まったく与えられていなかったのだ。
「えええーっ!?
聖女様なのに聖なる力が初期装備されてないんですか!?
パワーアップパーツの付け忘れですか!?」
天使たちはすっかり混乱し、頭の上にハテナマークを浮かべながら首を傾げた。
「聖なる力もないのに、なぜ神様は『この子は聖女だよ』なんて神託しちゃったのでしょうか?
何の能力もない女の子を聖女だなんて、それじゃあ神様はただの嘘つきになってしまうのでは……?
二千年以上も生きていて、ついにボケ始めちゃったんですかね?」
「おや、ずいぶんと失礼なことを言ってくれるじゃないか」
背後から響いた楽しげな声に、天使たちは「ひゃいっ!?」と短い悲鳴を上げて飛び上がった。いつの間にか神がすぐ後ろで腕を組み、天使たちのドタバタをニヤニヤと眺めていたのだ。
「神様! いつからそこに!?」
「最初から見ていたよ。お前たちがその真っ黒な魂を囲んで、私のことを嘘つき扱いし始めたあたりからね」
神は悪戯っぽく笑うと、天界の床に光の魔術で大きな円を書いた。
「良い機会だ。本日はお前たちに『聖女』の役割と、神である私の真の目的を講義してあげよう。さあ、集まっておいで」
神は一歩、雲の絨毯を歩み、天使たちの間をゆっくりと巡りながら語り始めた。
「まず、お前たちの最大の疑問。なぜ私は、何の力もない女の子を『聖女』と指名して地上に放り込んだのか?
お前たちは人間を、聖女を神の奇跡の代行者か何か、あるいは神の奇跡で人々を救うためのものだと思っているかもしれないが、それは間違いだ。
そもそも、私は無条件に人間を救うほどおめでたい神じゃないからね。
神だってタダで恵みを与えるわけじゃない。神としての力を維持するためには、人間たちからの『信仰』を集める必要があるのだよ。
それを理解している優秀な統治者はね、私が与えた『聖女』という看板を、実に見事に民の信仰と心を束ねる道具として利用し尽くすのさ。
具体例を二つ、見せてあげよう」
【東の島国の場合】
「遠い昔、遥か東の島国の例だ。当時のその国はね、数十年にもわたって男の王たちが戦争を繰り返し、国中が血と怨嗟でボロボロに乱れていた。
そこで私は、ある一人の少女に神託を下し、彼女を聖女(女王)として指名した。もちろん彼女にも特別な攻撃魔法なんてない。ただ、神の声を聴くという神託の権威だけがあったのさ。
すると賢い部族の長たちはね、彼女を『神の代理人』として徹底的に神聖化し、彼女の言葉を通して国中の信仰を一手に集め、争いをピタリと止めさせた。
彼らは見事に民の信仰心を結集させ、国を平和へと導いた。だから私はその国に大きな加護を与えたよ。
……ふふ、そのおかげでね、あの東の島国では今でもその統治者の血統が『世界最長』として途絶えずに続いているのさ」
【西の王国の場合】
「もう一つはこれ。百年にわたる戦争で士気が最悪に落ち込んでいた、ある王国だ。そこに『神の声を聞いた』という、ただの羊飼いの少女を用意してみた。
王や聖職者たちは『神が遣わした聖女だ!』と民や兵士を鼓舞し、団結させた。少女を甲冑で着飾り軍の先頭に立たせると、兵士たちは熱狂的な信仰心で戦意を爆発させ、見事に国を救ってしまった。
……まあ、その後、彼女は政治的な思惑に巻き込まれて敵国に引き渡され、最終的には火あぶりに処されて若くして非惨な死を遂げてしまうのだがね」
新米天使が「ひいっ! 可哀想すぎます!」と悲鳴を上げたが、神はどこ吹く風でニヤリと笑った。
「可哀想? ふふ、勘違いしてはいけないよ。聖女本人が幸せに生きたか、悲惨な死を遂げたか……そんなことは、魂の色とは一切関係がないのだ。
彼女は死ぬその瞬間まで、国中の民から絶大な熱狂と『信仰』を集め続けた。だから天界に還ってきた彼女の魂は、一点の曇りもない、神々しいほどまばゆい『白』に輝いていたよ」
神は手元で光を操り、新人天使が持ってきたドス黒い魂を浮かび上がらせた。
「さて、講義のまとめに入ろう。
では、なぜこの回収された聖女の魂は、ここまでドス黒く濁りきっているのか?
答えは簡単。民から『信仰を集められなかった』からさ。
信仰を集められないとね、聖女の魂は人々の不満や猜疑心を吸い上げて、だんだんと黒く染まっていくのだよ。
この国の愚かな無能どもは、せっかく私が遣わした聖女を『奇跡が起こせない』という理由で虐げ、蔑み、日陰に追いやった。
あろうことが『偽聖女』なんて烙印まで押すから、民の信仰を集めるどころか不満を溜め込ませ、結局、何の意味もなく潰してしまった。
聖女の魂は絶望と怨嗟で真っ黒に汚染され、国は乱れたまま。
……言っておくがね、民から信仰を集められない統治者や集団なんて、私にとってもはや不要なんだよ」
神は一瞬、冷ややかな、底冷えするような神威を漂わせた。
「地上のスペースにも限りがあるんだ。神に捧げる信仰という対価を支払えず、ただ土地を無駄遣いするだけの愚かな集団には、さっさと退場いてもらわなければ困る。
……知っているかい?
大昔、地上全体の信仰の集まりがあまりにも悪くなって、集計するのも面倒くさくなったから、一回世界を全部リセットしたことがあるんだ。
景気よくバァァ、って全部水で流しちゃったのさ」
「ひ、ひえぇぇぇ……っ! あれって神様が面倒くさくなったからだったんですか!?」
天使たちは顔を引きつらせ、抱き合ってガタガタと震え出した。
神はそんな天使たちを見て、再びいつものお茶目な笑顔に戻ると、手元で悪女の魂をポンと放り投げ、コミカルにウインクしてみせた。
「だからね、神意を理解せず、聖女をうまく使って信仰を集めることもできない国は、私が自然災害でも起こしてマップから綺麗に消去してあげるのが一番なのさ。
というわけで、この黒い魂の国は……はい、信仰集め失敗! 統治不合格!
お仕置きとして、次の季節までに天災で全滅させておこうかね。
そう、聖女とは、神の優しさの象徴などではない。
人々の『信仰』を測り、その国を生かすか殺すかを選別するための『リトマス試験紙』なのだよ。
……分かったかい?」




