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記憶を食む地下都市で、声なき地図師は恋をする 副題(カッパドキア4126、追放医師と奪われた歌の真実)  作者: 百花繚乱


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第九章 風の塔は歌でひらく

最初に鳴ったのは、遠くの一本だった。


高く細い、笛みたいな音。


次に二本、三本。やがて都市のあちこちで、風の塔が一斉に歌い出す。古代の技師たちは、換気と同時に“異常を音で知らせる”ため、塔を楽器みたいに作っていたのだ。人の記憶を燃やさなくても、この都市は本来、自分の肺で呼吸できた。


上層からセリムの声が落ちてくる。

「止めろ! 流量が安定するまで市民が保たない!」


彼の焦りは本物だ。そこに嘘はない。だが、だからといって正しいわけでもない。


エミルが制御盤を叩き、補助ログを走らせる。

「移行時間を稼げば足りる!」


だがオルフェは最後の抵抗として吸い上げを強めた。広場では人々が次々倒れ、名前を失いかけている。ここで止めなければ、旧風路が完全に回る前に多くが空っぽになる。


制御盤に最後の選択肢が浮かぶ。


残存記憶核を全解放しますか。


ミオは凍りつく。


記憶核には、市民から奪われた声が蓄えられている。解放すれば皆に返る。

でもそこには、ユラの残響もある。石に残った最後の声さえ、風へほどけて消える。


エミルは何も言わない。

彼の沈黙は、選べと言っていた。逃げるなと。


ミオは涙で滲んだ制御盤を見る。

ユラならどうするかなんて、もうわかっている。あの子は最初から、自分だけ残る未来なんて望まなかった。


「……っ」


声が出る。かすれて、痛くて、それでも。


「……みんなに、返す」


エミルの目が柔らかく揺れた。


ミオは解放を実行する。


青い光が、制御核から爆ぜた。


管を走り、塔へ昇り、石壁へ滲み、都市中へ広がる。閉じ込められていた声たちが、一斉に持ち主を探し始める。広場で倒れていた母親が、突然わが子の名を叫ぶ。老人が忘れていた妻の愛称を泣きながら口にする。恋人たちが互いの名前を抱きしめるように呼ぶ。


誰かの歌いさしが、別の誰かの胸で続きを見つける。


その光景は、都市全体が長い息を吐く瞬間みたいだった。


そして最後に、ミオの耳元へ、たったひとつの声が届く。


――やっと、自分のことも助けられたね、お姉ちゃん。


ユラの声だった。


ミオは笑いながら泣いた。

今度はちゃんと、喉から音が出た。綺麗じゃない。ひどく掠れて、ところどころ嗚咽に潰れる。けれどそれは三年ぶりに彼女自身のものだった。


青い光は風にほどけるように消え、代わりに風の塔の歌が強くなる。旧風路が完全接続し、都市の循環表示が安定域へ入る。


セリムは上層で立ち尽くしていた。

彼が見ているのは敗北ではなく、おそらく、自分が守ろうとしたものの別の形だ。


サーヒルが静かに彼の剣を取り上げる。


誰も歓声を上げない。

泣き声と、名前を呼ぶ声と、塔の歌があるだけだった。


でも、それで十分だった。

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