第八章 きみの名を呼ぶために
主配管を断つだけでは足りない。
露出した制御盤に、古い文字が浮かぶ。
旧風路起動には認証歌唱が必要。
ミオの喉が固まる。
歌。
それは、失ったまま触れなかった場所だ。
エミルは制御盤を確認し、静かに言った。
「昔の風路機関は、石の共鳴周波数を人の歌で合わせていたらしい。だから鍵は旋律だ」
ミオは首を振る。無理だ。喋るだけで喉が裂ける。歌なんて。
エミルは彼女の前に膝をついた。
地下の青い灯が、彼の睫毛の影を長くする。
「完璧に歌う必要はない」
ミオは目を逸らす。
「必要なのは、“君の声”だ」
その言葉が痛いくらいまっすぐで、逃げ場がない。
「あの日から、君はずっと失った声の前で立ち止まってた。でも声って、綺麗な音を出すためだけにあるんじゃない。呼ぶためだ。拒むためだ。泣くためだ。好きだと言うためだ」
最後の一言だけ、彼は少しだけ不器用だった。
ミオは喉に手を当てる。
そこには傷跡がある。消えない線。でもいまは、呪いじゃなく“通ってきた道”みたいにも感じる。
ユラの歌を思い出す。
崖の上で、朝の風に向かって二人でよく歌った短い旋律。歌詞なんて大したものじゃない。風よ運べ、光を運べ、帰る道を教えて、そんな子どもの歌だ。
ミオは息を吸う。
最初の音は、ひどかった。
擦れて、割れて、喉の奥で砕けるみたいだった。自分でも笑ってしまいそうなくらい不格好な声。
けれど制御盤の光が、微かに反応する。
ミオはもう一度歌う。今度は少し長く。息が震えても止まらない。
エミルが低いハミングを重ねてくる。彼の声は温かく、地面をつくるみたいに安定していた。その上にミオのかすれた旋律が乗る。
二人の声が重なった瞬間、古い風路図が青く走った。
《旧認証照合……例外承認》
石の奥で、何かが目を覚ます。
「いける!」とエミルが叫ぶ。
ミオは地図糸を掴み、補助柱の輪へ一気に走らせる。反響の速さで風路のつながりを読む。ここを開けば向こうが閉じ、あそこを落とせば旧塔が生きる。頭の中に都市全体の断面が立ち上がる。
杭を打つ。糸を引く。石が応える。
眠っていた道が、何百年ぶりかに、風のために開き始めた。




