第五章 わたしが殺したと思っていた
地上区画へ戻る途中で、エミルは囮になった。
追手の灯りが坑道を埋める。ミオの地図糸が壁に張られていても、この人数ではすぐ追いつかれる。エミルはそれを一目で計算した。
「中央塔最下層へ行け」
彼はユラの記録筒をミオの胸へ押し返す。
ミオは激しく首を振る。嫌だ、と言いたいのに声がない。
「風路制御盤がある。真ん中の塔を止めるなら、あそこしかない」
彼は微笑んだ。その笑みが、いつもの皮肉よりずっと優しいから、ミオは余計に怖くなる。
「俺はしぶとい。覚えておけ」
そう言い残して、彼は追手のほうへ走った。青い外套が闇へ吸い込まれる直前、一度だけ振り返った気がした。ミオは爪が食い込むほど拳を握り、逆方向へ駆けた。
ナザル婆の茶屋に飛び込んだとき、呼吸はぼろぼろだった。記録筒を差し出す前に、ミオの膝が折れる。
ナザル婆は何も聞かず、ただ彼女を抱きしめた。乾いた薬草と甘い茶の匂い。母親の記憶がほとんどないミオにとって、それは泣いていい匂いだった。
震える手で帳面に書く。
“わたし、悪くなかった”
字が滲んでいる。
ナザル婆は頷く。
「そうだよ」
“でもユラは戻らない”
「戻らないね」
あまりにもあっさり認められて、ミオは顔を上げた。
「戻らないものを、戻るふりして生きると、いつまでもそこに縛られる。悲しいままでいい。悔しいままでいい。そのうえで、どう歩くかを決めるんだ」
ミオはユラの録音を思い出す。
先に朝を見つけてる。
そんなふうに笑われたら、立ち止まったままではいられない。
彼女は立ち上がる。
古い地図筒を開く。中央塔最下層――封鎖された旧風路区画。現行地図には存在しないが、古い技師の記録には確かにある。風の塔が本来どう鳴るのかも、そこに書かれていた。
ナザル婆が彼女の腰に新しい糸束を巻いた。
「行きな。道を結ぶのが地図師の仕事だろ」
ミオは深く頷いた。
今度は逃げるためじゃない。
選ぶために、潜る。




