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記憶を食む地下都市で、声なき地図師は恋をする 副題(カッパドキア4126、追放医師と奪われた歌の真実)  作者: 百花繚乱


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第四章 青い湖の底

逃げ込んだ先は、古い水没坑道だった。


カッパドキアの地下は迷宮だ。居住区、貯蔵庫、礼拝室、風路、旧水路。何千年も増改築を繰り返し、人の都合と地形の癖が重なって、最後には“都市そのものが生き物の巣穴”みたいになる。


この旧坑道は、その中でも捨てられた場所だ。


水は膝下まであり、冷たかった。光藻が青く揺れ、天井から落ちる滴が輪を作る。湿った石灰の匂いに、遠くで追手の灯りが混ざる。


エミルが言う。

「右へ」


ミオは首を振った。壁へ手を当て、反響を探る。右は浅くて死んでいる。左のほうが音が生きている。彼女は帳面に書く。


“左。向こうに空洞”


エミルは数秒だけ迷い、それから頷いた。

「わかった。君を信じる」


その一言が、妙に深く落ちてきた。


二人は左へ折れる。狭い通路を抜けると、行き止まりのように見える青い壁に出た。だがミオにはわかった。石の向こう側で音が一度だけやわらかく返る。薄い。ここだ。


彼女は小槌で壁を叩く。ひびが入り、石板が外れた。隠し部屋。


中央に古い録音晶板があった。風化した文字。

ASAGIRI YURA


ミオの膝が抜けそうになる。


エミルがそっと起動する。ざらついた雑音のあと、少女の声が流れた。


『お姉ちゃんへ。これが残ってたら、わたしの勝ちね』


ミオの胸が潰れそうになる。

ユラだ。明るく笑うとき、語尾が少し跳ねる声。


『いま、お姉ちゃん絶対泣きそうな顔してるでしょ。だめ。最後まで聞いて』


ミオは口元を押さえた。


『あの日の崩落、事故じゃなかった。中央塔の暴走を隠すために、上から壁を落としたの。お姉ちゃんは悪くない。地図も間違ってなかった』


言葉がひとつひとつ、胸の深いところへ刺さっていく。

三年間、自分を責めて積み上げた石が、内側から崩れ始める。


『わたし、残るって言った。だってお姉ちゃんが生きてるほうが、いっぱい人を助けられるから』


違う。そんな選び方、妹にさせていいわけがない。ミオは首を振り続ける。けれど録音の中のユラは、まるで見えているみたいに笑った。


『あーあ、また否定してる。お姉ちゃんってほんとそういうとこ面倒くさい。でも好き』


隣でエミルが目を伏せた。彼も、きっとこの姉妹の時間に踏み込みすぎないようにしている。


『たぶん、わたしの記憶はオルフェに食べられる。でも全部は食べられないよ。だって歌は、石の中に残るから。風の塔は歌でひらく。真ん中の塔を止めて、新しい風路を通して。お姉ちゃんの耳ならわかる』


一拍の沈黙。


『それとね。ちゃんと誰かを好きになって。お姉ちゃん、自分のこと後回しにしすぎるから』


ミオが涙の向こうでエミルを見てしまって、すぐに視線を逸らした。


『じゃあね。先に朝を見つけてる』


録音はそこで途切れた。


小部屋に、水音だけが残る。


ミオはその場に膝をつき、声のない嗚咽を零した。肩が大きく震える。三年ぶんの後悔が、熱を持って外へ出ようとしていた。


エミルは何も慰めの言葉を言わなかった。代わりに隣へ座り、ただ手の届く距離にいてくれた。


しばらくしてから、彼は低く言う。

「君は誰も殺していない」


ミオは目を閉じる。

その言葉を信じるには、まだ少し時間が要った。でも、初めて“信じてみたい”と思った。


そのとき、追手の足音が近づく。現実は、悲しむ時間を長くはくれない。

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