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記憶を食む地下都市で、声なき地図師は恋をする 副題(カッパドキア4126、追放医師と奪われた歌の真実)  作者: 百花繚乱


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第三章 空喪い病棟の秘密

中央塔下層は、いつ来ても息苦しい。


都市の中枢に近いせいか、空気が乾いているのに重い。壁に埋め込まれた灯りは青白く、夜の海みたいに人の顔色を奪う。ミオはエミルの後ろを歩きながら、壁の反響を探った。見張りは三人。奥の扉の先に、妙な脈動音。


病棟のカーテンの向こうでは、空喪い患者たちが静かに眠っていた。静かすぎる眠りだった。息はあるのに、夢の気配がない。


一人の若い母親が、ベッドのそばで泣いている。

「この子、わたしのことを“知らない女の人”って……」


その声を聞いて、ミオの胸がぎゅっと縮んだ。


エミルが短く目を伏せる。

「先へ」


奥の扉は旧認証式だった。彼が手慣れた動きで封を外し、二人は中へ入る。


そこは病棟ではなかった。


透明管。記録筒。揺れる青い液体。患者の頭部へ接続された細い端子。感情波形の一覧。名前。年齢。抽出率。

人の記憶が、鉱物のように並べられている。


ミオは息をのんだ。


エミルの声が低くなる。

「空喪いは病気じゃない。収奪だ」


彼がひとつの端末を起動すると、抽出記録が表示された。患者名の列。その中に、見覚えのある名前がある。


YURA ASAGIRI


世界が止まった。


ミオはふらつき、冷たい台に手をついた。妹の名。事故のあとに消えたはずの妹の名が、ここにある。しかも日時は事故後三か月ぶん残っている。死んでいない。あるいは、死んだあとも利用された。


喉から何かがせり上がる。叫びたいのに音にならない。


「落ち着け」とエミルが腕を支える。


その瞬間、背後で扉が閉まった。


「感心しないな」


総督セリムだった。整えられた髭、穏やかな目。祭礼で希望を語る顔のまま、彼は青い装置群を見渡した。


「ここは医療管理区画だ。見学は申請してくれたまえ」


エミルが前へ出る。「人の記憶を抜き取るのが医療か」


「都市維持のための補助処置だ」


セリムは少しも揺らがない。

「地上はすでに死んだ。地下都市は限界で、風路機関は老朽化している。オルフェの補助演算を止めれば、換気も循環水も数日で落ちる」


「だから人を燃料にするのか」


「数万人が生きるために、数百人の一部を借りる」


ミオの指が震える。

借りる。なんて綺麗な言い方だろう。


セリムの視線が彼女へ向く。

「君の妹は勇敢だった。都市のために協力した」


違う、とミオは首を振る。涙がにじむ。


「彼女は選んだのだよ。君を生かすことを」


その一言はあまりにも残酷で、真実かもしれないからこそ、余計に残酷だった。


エミルの目が冷える。

「選ばされたんだろう。代わりに誰かが死ぬ状況での選択を、自由とは呼ばない」


セリムの声もわずかに硬くなった。

「理想論だ。統治とは不自由の配分だよ、エミル」


その瞬間、エミルは配線を引きちぎった。警報が轟く。青い液体が飛び散り、床に甘い金属臭が広がった。


「走れ!」


ミオは反射でユラの記録筒を掴む。二人は警報の赤い灯に照らされながら通路を駆けた。背後でセリムの声が追う。


「君たちが真実を暴けば、都市はパニックで先に死ぬぞ!」


ミオは振り返らない。

石の中で、無数の声がざわめき始めていた。



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