第19話 歌の記憶
石の腕が落ちる音が、通路の奥まで追いかけてきた。
ドォン!!
振動が背中を叩く。
ミオは走っていた。
暗い通路の中を、エミルの手に引かれるようにして走っている。
息が切れる。
肺が焼ける。
だが止まれない。
後ろでは、あの巨大な共鳴の獣が階段を登っている。
ドン。
ドン。
その振動は、もう通路の奥まで届いていた。
都市全体が鳴っている。
ミオの耳は、その音を嫌というほど拾っていた。
「ミオ!」
エミルが振り返る。
「まだ走れるか!」
ミオは頷く。
声は出ない。
喉が締め付けられている。
恐怖ではない。
別のものだった。
エミルが言った。
「分かってる」
彼はミオの腕を強く握った。
「お前の声は効く」
ミオは首を振る。
声を出すのが怖い。
ずっと怖かった。
あの日から。
ユラが死んだ日から。
歌が、
声が、
すべて壊れてしまった日から。
通路の奥で、石が崩れる音がした。
守り手が通路に入ってきたのだ。
石の巨体が狭い空間に押し込まれ、壁が軋む。
エミルの顔が険しくなる。
「くそ」
彼は通路の分岐を見た。
左。
暗い坑道。
右。
崩れた通路。
そして正面。
行き止まり。
エミルが小さく呟く。
「……まずい」
ミオの耳に、守り手の振動が届く。
もう近い。
数十メートル。
エミルはミオの肩を掴んだ。
「聞け」
その声は静かだった。
だが真剣だった。
「止められるのはお前だけだ」
ミオの視線が揺れる。
「……むり」
エミルは首を振る。
「違う」
彼はゆっくり言った。
「怖いだけだ」
ミオの胸が締め付けられる。
守り手の足音が近づく。
ドン。
石が砕ける音。
ミオの喉が震える。
怖い。
声を出すのが。
歌うのが。
あの日から。
エミルは静かに言った。
「ミオ」
その声は優しかった。
「お前の声は壊れてない」
ミオの視界が滲む。
守り手が通路の入口に現れた。
巨大な影。
石の腕。
胸の共鳴石が低く鳴る。
少女の声が小さく言う。
「もう時間ないよ」
ミオの足が動かない。
そのときだった。
記憶が浮かぶ。
柔らかい風。
夕焼け。
小さな丘。
ユラが隣で笑っている。
「ねえミオ」
幼い声。
「もう一回歌って」
ミオは困った顔をしていた。
「下手だよ」
ユラは笑う。
「大丈夫」
「ミオの歌好き」
ミオは空を見上げた。
少し恥ずかしかった。
でも――
歌った。
小さな声で。
風に消えそうな声で。
ユラは笑っていた。
「やっぱり好き」
記憶が途切れる。
ミオの頬を涙が伝う。
守り手が腕を持ち上げた。
石の影が二人を覆う。
エミルがミオの前に立つ。
「下がれ」
ミオは首を振る。
胸が痛い。
喉が痛い。
それでも。
ミオは一歩前に出た。
エミルが驚く。
「ミオ?」
ミオは目を閉じた。
恐怖は消えない。
ユラの記憶も消えない。
だけど。
その記憶の中で。
ユラは笑っていた。
ミオの声を聞いて。
ミオは息を吸う。
そして。
歌った。
最初は、かすれた声だった。
震える声。
壊れた声。
それでも。
歌だった。
その瞬間。
都市が鳴った。
柱が共鳴する。
壁が震える。
床が歌う。
守り手の腕が止まる。
完全に。
石の巨体が、その場で固まった。
エミルの目が見開く。
「……止まった」
ミオの歌が続く。
涙が流れている。
でも声は止まらない。
都市が共鳴する。
巨大な楽器のように。
少女の声が、静かに言った。
「やっと」
ミオの歌が広間を満たす。
少女は言った。
優しく。
少し嬉しそうに。
「やっと本当の声が出たね」
ミオの胸が震える。
少女は続けた。
「その歌」
ほんの少しだけ間が空く。
「都市がずっと待ってた」




