第十章 朝はもう、地下に閉じこめない
数週間後。
デルインクユ・ノヴァは生きていた。傷だらけで、不安定で、それでもちゃんと生きていた。
旧風路への移行は完了し、記憶抽出装置は停止した。総督セリムは失脚し、統治委員会が設けられた。だが、問題がすべて解決したわけではない。足りない水、足りない薬、地上の高熱、奪われた年月への怒り。人々はこれから、何を犠牲としてきたのかを知ったうえで、生き方を選び直さなければならない。
それでも朝は来る。
ミオは断崖の上に立っていた。
喉に巻いた薄布を風が揺らす。手には新しい地図帳。都市の断面に、旧風路と新流路が細かく書き込まれている。その隣に、まだ名前のない微かな反響が一本、遠方地下へ伸びていた。
隣にはエミルがいる。青い外套は相変わらず少しくたびれていたが、もう“追放者”の顔ではなかった。忙しい医者の顔だ。
谷の向こうで熱気球が上がる。前より数が多い。朝の作業時間が伸びたせいで、人々の顔に少しだけ余裕がある。子どもたちはまた走り回っている。誰かが歌っている。
「新しい航路図、見せてくれ」
ミオは帳面を開く。エミルが覗き込み、眉を上げた。
「これは……都市外縁の地下反応か?」
ミオは頷く。
別の地下都市かもしれない。古い避難路かもしれない。あるいは、まだ誰も知らない生存圏。
エミルが笑う。
「平和になったと思ったら、すぐ厄介ごとか」
ミオも少し笑う。
以前よりはっきり、声が出るようになっていた。まだ長く喋ると痛むし、歌えばすぐ掠れる。でも、もう“失った声”ではない。“取り戻し途中の声”だ。
「……行く?」
たった二文字半なのに、エミルはなぜか少し黙った。
それから、心底嬉しそうに笑う。
「もちろん」
風が吹く。朝の冷たさと、すぐ来る熱の気配を一緒に運ぶ風だ。ミオはその風を吸い込む。胸が痛まないわけではない。ユラのいない朝は、これからもずっと少し欠けている。
でも欠けたまま、前へ進める。
ミオは空に向かって言った。
「ユラ。いってきます」
返事はない。
けれど遠くの風の塔が、やさしく、誇らしげに鳴った。
その音を背に、二人は新しい地図の先へ歩き出す。
地下に閉じこめられていた朝は、もう少しずつ、地上へひらいていた。




