鏡開きの日なので鏡さんの心を開いてみた
『お父さん!お父さん!うわああああああああん!』
今はもう色褪せた記憶。
絶対に忘れまいと思っていたのに、いつの間にか細部が曖昧になっていた。
『鏡さんのお宅のお子さん、お父さんを亡くしてからずっとふさぎ込んでるんですってね。可哀想』
太陽のような笑顔が封印され、悲しみを湛えた無表情さに、子供ですらどう接して良いか分からなかった。
『いいか、布由樹。お前が玲緒奈ちゃんの心を開いてあげるんだ』
『心を開く?』
『昔みたいに元気になってもらうってことさ』
『分かった!』
父さんに言われなくても、そうしたいと思っていた。
玲緒奈が苦しんでいる姿なんて見ていられなかったから。
『か~がみ~、これ見てこれ見て。ほらほんなの関係ねぇ!ほらほんなの関係ねぇ!はい、もっぱっぴぃ!』
『安心してくれ!穿いてますよ!』
『宗岡先生の真似。おまえら~、じゅぎょ~はじめ~るお~』
芸人のネタや身近な人のモノマネ。
それ以外にも様々な楽しそうなことで笑わせようとしたけれど、成功しなかった。
中学生になり、高校生になり、それでも彼女は笑顔を取り戻さない。
悲しみは見えなくなったけれど、無表情で覇気が感じられない。
そうこうしているうちに、高校三年生。
しかも年が変わり一月。
受験、そして卒業の日がすぐそこまで迫っていた。
「お、今日は来たんだ」
この時期は自由登校になっているので、学校に行かなくても良い。ただ学校では受験対策の選択授業が沢山行われているので、大半の学生は登校している。
「昨日は受けたい授業無かったからな。今日は数学の試験対策受けておきたいのと、他にやることあるから」
「他にやること?」
「ああ、色々とな」
「ふ~ん」
クラスメイトが特に追及してこなかったので助かった。
あまり言いたいような内容では無かったから。
「試験勉強の進捗はどうよ」
「ぼちぼちかな。でもやっぱり数学が不安で……」
適当に雑談しながら朝の時間を過ごし、授業を受ける。
そしてお昼前、俺はあるクラスへと向かった。
「お、いるいる」
目的の人物は登校して、自習をしていた。問題はどうやって声をかけるかだが、恐らくそれは大丈夫。いつも午後まで残らず、午前終わりに帰宅するはずだから。
なんでそんなことを知っているのか。本人に聞いたからだ。
「よお、玲緒奈。帰ろうぜ」
教室から出て来た彼女に声をかけると、彼女は何も言わずに歩き出す。
その隣を俺が歩くが、文句を言われることは無い。
長年かけて培ってきた俺のポジション。
この状態で話しかけてもスルーされるが、最近では時々返事をしてくれる。それで彼女の予定を知ったのだ。
そのまま玲緒奈と並んで学校を出て、歩きながら家へと向かう。
俺達の家は同じ方向にあるため、しばらくはこのまま。
やがてとある小さな公園に差し掛かった。
住宅街にあるその公園には運よく誰もいなかった。
「玲緒奈、ちょっとだけ良いか?」
玲緒奈を連れて公園の隅へと移動し、そこで玲緒奈と向かい合う。
「玲緒奈、好きだ。付き合ってくれ」
突然の愛の告白。
果たして玲緒奈の反応は。
「…………」
「…………」
「…………」
「だめかぁ」
これなら彼女の心を開いてやれるのではと思い、大博打を仕掛けたのだがあえなく撃沈。
高校を卒業したら俺達は別々の大学に進むことになり、こうして傍にいてやれることが出来なくなる。だから多少無茶でも心が大きく動きそうなことを試したかったのだ。
消沈する俺だが、玲緒奈は無反応なまま終わることは無かった。
「どうして……」
「え?」
「どうして、なの?」
それは俺が玲緒奈の心を開こうと必死になっている理由のことだろうか。改めてそう問われると、どう答えるのが正解なのか難しいな。様々な感情や考えが複雑に絡み合ってこうなってしまっているから。
「どうして毎年、今日になると変なことするの?」
「あ、そっち?」
俺の行動理由じゃなくて、今日のことだったのか。
俺は毎日玲緒奈に付きっ切りという訳ではない。
小学生の頃は頻繁に話しかけようと頑張っていたが、中学になってからはその頻度は減り、それでも今日という日だけは必ず頑張った。
「だって今日は一月十一日だろ」
「?」
「鏡開きの日だからさ、鏡の心を開けるかなって」
鏡 玲緒奈。
その心を開くために、これほど相応しい日は無いだろ。
答えを聞いた玲緒奈が少し俯いた。
「…………ぷっ」
「え?」
「ふっ、ふふっ」
「れ、玲緒奈?」
「あははははははは! なにそれ!くっだらな~い!」
「!?」
玲緒奈が……笑った!?
しかも腹を抱えてあんなに楽しそうにしている。
ずっとずっと待ち望んでいた光景がそこにあった。
でも嬉しいと思うよりも、突然のことでの驚きの方が強かった。
「もう、ほんっと、だめ、おかしくて、お腹が……」
そこまで笑う必要は無いんじゃないか。
そう抗議しようとしたけれど出来なかった。
彼女の目尻が濡れていたから。
「毎年、毎年、何やってるんだろうって思ったら、そんな理由だったなんて。ふっふふっ、面白すぎるでしょ……」
だったらどうしてそんなに泣いているんだ。
涙が出る程におかしかったのか。
なんて問いかける程、俺は無粋じゃない。
「ありがとう。ずっと私を助けようとしてくれて、本当にありがとう」
反射的に玲緒奈から目を逸らす。
だって俺も泣きそうになってしまったから。
ありがとうの言葉に、心の奥底から様々な感情が爆発しそうになってしまったから。
「そしてごめんなさい。このままじゃダメだってずっと分かってた。布由樹の気持ちも嬉しかった。でも、今更どうして良いか分からなかったの」
ああ、そうか。
きっと玲緒奈はとっくに立ち直れていたのだ。
でもあまりにも長く塞ぎこんでしまったから、どうやって元に戻れば良いか分からなかった。そういうことだったんだ。
「あ、でも一つだけ文句言わせて。今年のは酷いよ。いくら私のためって言っても、嘘告なんて絶対にダメ」
「嘘じゃないぞ」
「え?」
「ダメだろうとは思ってたけど、嘘じゃない」
「ええええええええ!?」
これまでの無表情はなんだったのかと思えるくらい、玲緒奈の表情は豊かだ。
顔を真っ赤にしながら思いっきり驚いていた。
「だ、だだ、だって私だよ!? 無表情でつまらなくて、好きになる要素ある!?」
「かわいい」
「は!?」
「気付いてなかったのか。玲緒奈って可愛いって男子に人気だったんだぜ」
「嘘ぉ……」
人は真剣な表情だったり感情が薄かったりすると、怖い表情になるものだ。だがそれでも玲緒奈の顔は可愛いと感じられた。そんな玲緒奈がこうして感情豊かに話をしていると、とてつもなく可愛くてドキドキしてしまう。
「でも残念だな。せっかく玲緒奈が元に戻っても付き合えないなんて」
「わ、私はまだ返事して無いよ?」
「それって……いや、そうじゃなくて、どっちにしろ俺達もう卒業だろ。遠距離恋愛とか上手く行く気がしないし、俺達の関係はもうすぐ終わっちゃうのかなって」
「諦めないでよ!」
「え?」
「あ、いや、その、私がそんなに布由樹と付き合いたいって思ってる訳じゃなく……もないんだけど、うう、その、そういうわけじゃなくて!」
何この可愛い生き物。
すっげぇ好きなんだが。
「遠距離恋愛くらいできるし!というか、そもそも遠距離なの?」
「玲緒奈は関西の大学に行くんだろ」
「…………私、関東だよ」
「え!? だ、だってこの前、関西大学を受験するって言ってただろ!?」
「そうだっけ?」
「そうだよ!」
さてはこいつ、俺の話をちゃんと聞かずに返事しやがったな。
「じゃあ俺達って……」
「これからも会おうと思えばいつでも会えるね」
「…………」
「…………」
本当に玲緒奈と付き合うことになるかもしれない。
そのことを自覚すると、途端に顔が熱くなる。玲緒奈が恥ずかしそうにしているのもまたむず痒く、そわそわドキドキが止まらない。
「そ、それで、返事は?」
玲緒奈はまだ返事をしていないと言った。
答えなどこれまでの会話で分かりきっていることだが、確認は俺達の間で必要な儀式だと思う。
「末永くよろしくお願いします。大好き!」
これで受験に失敗したなんてことになったら目も当てられない。
めっちゃイチャイチャしたいけど頑張るぞ!




