夫婦喧嘩は異世界を揺らす
どこにでもあるような、地方都市某所の川べり。ゆったりと流れる川の脇には遊歩道が整備されていて、桜の木が等間隔に植っている。
「ちょっとぉ快叶、休憩休憩!」
「しょうがないなあ」
私と夫の快叶は気持ちよく風が抜ける緑地帯のベンチに座り、小さな水筒からお茶を飲んだ。
「すっかり春だねえ。ほら、あの桜のつぼみの先がほんのりピンク」
「うん。咲いたら花見に来るか」
早朝のジョギング途中、まだ少しひんやりした空気を楽しむ。……花粉症じゃなくてよかった。
「あのね、快叶」
「うん?」
「そろそろ、赤ちゃんを、ね」
快叶がわずかに目を見開く。そして柔らかく微笑んだ。
「そうだな、沙奈に似た可愛い子がいいな」
「私は快叶に似たカッコいい子がいいな!」
自他ともに認める「バカ夫婦」の私たちは、学生時代から五年付き合って結婚二年。いつまで経っても新鮮な気持ちで、うひゃうひゃと幸せな日々を過ごしている。
このままこの生活がずっと続くと思っていた。平凡で穏やかな生活が……。
贅沢は言わない。二人で一緒に年をとっていければなにも文句はない。
しばらく川面を見ながらおしゃべりして、さてそろそろ行こうかと腰を上げた時だった。目も開けられないほどの強い真っ白な光が私たちを包んだのだ。
「なんだ!? 沙奈、大丈夫か!?」
「快叶!! どこ……!?」
***
気がつくと、私は白くてつるつるとした大理石の床に座り込んでいた。
途端に、周囲から歓声が上がる。
「成功しました! 聖女降臨です!」
「うむ。黒い髪に黒い瞳。聖女に間違いないようだ」
顔を上げると壇上のやたらと豪華でやたらと大きな椅子に、これまたやたらと豪華な、背中まで波打つ金髪の男が頬杖をついて私を見下ろしていた。ゆったりとした、古代ギリシャの神さまのような衣装に細かな装飾が施された長い上着を羽織っている。
「な、な、な……なにこれー!! どこここー!!」
映画の撮影に紛れ込んだのか!? とパニックになっている私をよそに、ゴージャスな金髪男が立ち上がり、ゆったりと階段を降りてくる。
「まあ落ち着け聖女よ。ここはガリアン帝国皇宮の大広間だ。聖女は我らの呼びかけに応えてこの地に降り立ったのだ」
「応えてない! はっ、快叶はどこ!?」
「? 我らが召喚したのは聖女だけだが?」
「うそぉ……」
ぼろぼろと泣き出した私に周囲が慌てているのがわかる。
「……帰ります」
「は?」
「夫が待っているので帰りますー!!」
叫ぶ私にざわつきが大きくなる。知らない。帰る。
『夫だと?』『聖女なのに既婚者なのか?』『まさか。まだ少女だろ』
うるさい。私は二十六才だ。……ああ、西洋人の目には日本人は幼く見えるんだっけ。て、どうでもいい。何語かわからないけど言っていることはわかる。そして話せてる。これが異世界チートというものか。
て、これも今はどうでもいい。
「夫……? ああ、政略結婚で白い結婚か」
『なるほど』『ならばわかる』『まだ子どもだしな』
二十六だっつうの! それに『白い結婚』てなにさっ?
「つきあって五年、結婚して二年の恋愛結婚だぁ!」
体育館ほどの広さの大広間にどよめきが広がった。
***
あれからひとしきり泣いた後、豪華な部屋に連れてこられた。某大人気テーマパーク併設ホテルのスイートをさらにキンキラキンにしたような部屋なのだが、私は天蓋付きベッドのカーテンを閉め切って引きこもった。
これ以上は脱水症状で死ぬと思った二日後、『このまま引きこもっていても帰れない』と悟った私が恐る恐るカーテンを開けた。すると待ち構えていた女の人たちがぱあぁっと喜び、たくさんの食事を準備し、食べ終わったら風呂に連れて行かれた。
「一人で入れます!」
美容院で洗髪するぐらいしかしたことがないのに、他人に身体中洗われるのは無理。
ぐったりしたところで、あの金髪ゴージャス男が現れた。
ユージィン・ケリアス・ガリアン。この国の皇太子らしい。なんかもう、まぶしいほどのイケメン。すれ違う観光客ぐらいしか外国人に免疫がない私は思わずこわばってしまう。
でもそれも無理ないと思う。だって私をこの世界に引き込んだ張本人だし。
あの日、私が既婚者だと知ってざわついた理由は、元来召喚された聖女は皇太子と結婚することが慣例になっていたかららしい。
ナニソレ。
「心配するな。そちらの世界の婚姻など、ここではなんの意味もないからな」
なんの心配よ。
「私はなにをすればいいんですか。それをやり遂げたら帰っていいんですか」
「魔王が復活する予兆がある。その前に封じてほしい」
まおー。封じる……。
「帰るのは無理だな。帰し方がわからない」
はい?
「召喚できるのに返還できないんですか?」
「聖女は皆、皇妃になったからな」
ドヤ顔でなにを言っている。
「今回は残念ですね。私、人妻ですので」
「それは心配しなくてよいと言っただろう? さて」
さて、て。
「魔王を封じるために隣国の封殺隊と協力することになっている。明日は顔合わせだ。準備を怠るな」
こ、この男……っ。
***
翌日、再びあの大広間。体育館のように広いと思っていたけど、改めてその美しさに圧倒される。パルテノン神殿のような柱の間に教会のような窓が並び、あの日私が座り込んでいた白くてつるつるとした大理石の床には金で縁取りされた赤い絨毯が大きな扉まで敷かれている。
私は壇上の皇太子の横に置かれた椅子に座っていた。
これではまるで皇太子の奥さんみたいじゃないかっ!
抵抗しようにも斜め後方と両脇に赤い羽飾りがついた甲冑を身につけ、槍を持った騎士が微動だにせず立っている。怖い。
ラッパの音が鳴り響き、隣国からの魔王封殺隊が入ってくる。
赤い絨毯の上、先頭を歩くのは……。
「快叶!」
「沙奈!?」
私たちは衝動的に駆け寄った!
「快叶〜! 会いたかった!」
「沙奈、無事だったか!?」
「カイト!?」
「サナ!」
気がつくと、快叶の背中にオレンジ色の髪の毛の美少女がすがりついていた。
「ちょっと快叶! 浮気してたの!?(日本語)」
「んなわけあるか! 沙奈こそその男はなんだ!?(日本語)」
ユージィン皇太子が私のお腹に腕を回し、快叶から引き離そうとしている。
周囲は大騒ぎとなり、甲冑を着た騎士たちはどうしたものやら右往左往している。
「さっきその男の横に座ってただろう!(日本語)」
「座ってないと槍で突かれそうだったんだもん!(日本語)」
「ハリウッドスターみたいな男の横で浮かれてたんじゃないのか!(日本語)」
「あんなの観賞用で横にいるもんじゃないのよ!(日本語)」
五日ぶりの再会だというのにぎゃいぎゃいと言い争いをしていたら、知らない間に静寂に包まれていた。
「カイト、なにを言っているの? その女と知り合い?」
「聖女だ、リアーネ王女。不敬なのはこの男だ」
「勇者よ!」
「……快叶、魔王を封じろって言われたの? それでもしかして王女と?(日本語)」
「ああ、勇者だってさ。笑える。勇者は王女と結婚するものだって言われた。もしかして沙奈も?(日本語)」
「聖女だってよ。聖女は皇妃になるんだってよ(日本語)」
ああ、むかつく。
「魔王を封じたら逃げようか(日本語)」
「えー、いいんじゃないかな、封じなくても……チャンスがあったら逃げようよ(日本語)」
「でも日本に帰れなかったら困るじゃん(日本語)」
「けど帰し方がわからないって(日本語)」
「なんだそれ(日本語)」
「そもそも魔王ってどんな奴よ?(日本語)」
そんなことを言っている間も、オレンジ色の美少女と金色の美丈夫は、私たち二人を引き離そうとしている。
「とりあえずは(日本語)」
「そうだな(日本語)」
見せつけよう。
私と快叶は結婚式以来の、衆人環視の中で熱いキスをしたのだった。
***
その後、魔王封殺の旅に出た私たちは常に手を繋ぎ、同じ天幕を使い、周囲が引くほどイチャイチャした。
ユージィン皇太子やリアーネ王女は不満そうな顔をしていたが「二人でいないと魔王を封じられなぁい」と言っていたら渋々認めてくれた。
楽しい。旅は移動式グランピングみたいでとっても快適。
もしかすると日本では大騒ぎになっていたり職を失っていたりするかもしれないけど、そんなことは考えちゃいけない。
「で、どうやって封じるの?」
「わからん」
魔王がいるという岩山を見上げる。両国の封殺隊の人数が多すぎて逃げる隙がなく、結局来てしまったのだった。
「波ーっ! みたいな?」
「ははっ、やってみようか」
二人で並んで「はーっ」と気合を入れると……。
目が眩むような白い光が周囲を包む。デジャヴ!
今度は離れまいと、快叶に抱きつくと、快叶も私の頭を抱え込むように抱き込んだ。
そして。
***
気がつくとあの川べりだった。
桜のつぼみはまだ先の方がほんのりピンク色でほころんでいない。
でも。
「コスプレ……」
「恥ず……」
私たちは魔王封殺隊の服を着ていた。夢じゃなかったんだ。
はっ。
まだ夜明け前。とっとと帰ろう。すぐ帰ろう。
それからゆっくり、考えよう。
【終わり】
最初は、異世界召喚によって引き裂かれた夫婦が苦難を乗り越えて再び一緒になる話にしようと思っていましたが、なんかしんどくなったので真逆に振り切ってみました。
⭐︎魔王は封じられたのか?
⭐︎ユージィンとリアーネはどうなったのか?
それは神のみぞ知る……
楽しんでいただけたら幸いです。