「トロッコの走ってくる片方の線路には1人、もう片方の線路には5人、どちらか片方しか助けられないとしたらどっちを助ける?」「俺が飛びこむ」「は?」
「ねぇ文人、トロッコ問題って知ってる?」
昼休み、俺がボーッと窓の外を眺めていると真弥がそう話しかけてきた。
「なんそれ?」
「分かった、じゃあ今から問題出してあげる」
「おう」
「いった!? なにすんのよ!」
真弥が得意げに話し出すのにムカついた俺は真弥の額にデコピンしてから聞くことにした。
もう毎度の流れである。
「線路に1台のトロッコが走っていて、その先には2つの道があります。片方の道は1人の人間、もう片方の道には5人の人間が倒れています」
そこまで聞いて俺は手を挙げた。
「なんで人間が倒れているのかは突っ込んじゃダメ?」
「ダメ。そして文人はそのトロッコの進路をどちらかに変えられるスイッチの前に立っています。さて、文人はどうする?」
「……トロッコを止めるスイッチは?」
「そんなものはありません」
俺は唸る。
真弥が「どーする? どーする?」と、興味深そうにこちらを見ていた。
難しい問題だ。
要は1人の命と5人の命、それを天秤にかけろという事である。
「俺が飛びこむ」
俺は少し考えた後、そう口に出した。
「は?」
真弥が鳩が豆鉄砲を食らったような顔になっている。思わず吹き出しそうになった。
「いや文人、それじゃ問題にならないよ」
「だってその1人にも、5人にもきっと家族がいて悲しむのは変わらないだろ? なら両方助けるのが1番いいだろ」
「そりゃそうかもだけど」
「俺には家族いないからさ、誰も悲しまないよ」
「……」
そう、俺には家族がいない。
過去に起きた事故で俺を残して全員死んでしまった。
俺が死んでも誰も悲しまない。
だから、これが正解のはずだ。
……本当にそうか?
俺がそんなことを考えていると、真弥が急に立ち上がった。
「バカ!」
「ちょっ、真弥?!」
「文人なんて知らない! 死にたいなら勝手に死んだらいいでしょ!」
「いや、別に死にたいなんて言ってないだろ!」
教室から走り去った真弥の背中を見ながら、俺は頭をかいた。
「なんだアイツ……」
◆◇◆◇◆◇
私は文人が好きだった。
いつからかは分からない。
事故で家族が亡くなってから、いつも笑っているのにどこか寂しそうな彼を放ってはおけなかった。
「ねぇ文人、シュレディンガーの猫って知ってる?」
私は勇気がないので、告白は出来ずに何かと理由をつけて彼に話しかけていた。
いつかこの気持ちに気づいて欲しかった。
だからかもしれない。
私はある日、恋愛に関する駆け引きの事をネットで調べながら馬鹿なことを考えてしまう。
(私に好きな人が出来たって言ったら、文人は嫉妬してくれたりするかな?)
そして、私はすぐにそれを行動に移した。
告白は出来ないくせに、変な事だけ行動力がある自分に嫌気がさす。
「文人、私好きな人出来ちゃったみたい」
「……そうなん?」
「うん」
「……そっか、おめでとう」
「え、それだけ?」
文人の素っ気ない返答に私は無性にイライラした。
(何? 私はこんなに好きなのに文人の私への思いはそんなもんなの?)
それから私は何度も何度も彼に好きな人の話をした。
存在しない架空の好きな人。
イケメンで、お金持ちで、優しくて、素敵な男の子。
細かい特徴はバレてもおかしくない程度に文人のものを言った。
「応援してるぜ」
彼は話の最後、いつもそうやって笑う。
(……違う、そうじゃないの)
私の嘘は嘘で塗り固められ、もう後戻りは出来なくなっていた。
◆◇◆◇◆◇
「ねぇ文人、トロッコ問題の話覚えてる?」
私は文人に問いかける。
「……あぁ。あった、なぁ……そん、な……こと」
文人が閉じかけの瞳で宙を見ている。
私の事はもう見えていないようだ。
「その時、文人言ったよね? 俺が死んでも誰も悲しまないって」
「……言っ……た……かもな……」
「でもそれは大間違いだよ。文人が死んだら私が悲しいの! だって私にとっては文人が1番大事なんだもん! だから……! だから……!」
涙が溢れてくる。
先程に比べて文人の呼吸が少なくなってきた。
「だから死なないでよ文人ぉっ!」
少し前、私達は交通事故にあった。
渡っていた歩道にトラックが突っ込んできたのだ。
驚きと恐怖で固まった私の体を文人が突き飛ばし、私はギリギリ助かったのだが文人はもろにトラックに轢き飛ばされた。
頭は打っていないようだが体の関節が変な方向に曲がり、口やいろんなところから大量の出血をしている。
誰がどう見たって助かる見込みなんてなかった。
「……馬鹿だよ、本当に飛び出すなんて……」
「…………」
「……ねぇ、私の好きな人ってね。本当は……文人の事だったの……」
ようやく言えた。
今になってようやく。
何もかも遅すぎるというのに。
「………………そう、だ……った……か……」
彼のもう見えていないはずの瞳がこちらを見る。
「……俺……も……好……だった……」
文人の言葉はそれきり止まった。
もう彼が呆れながら私にデコピンをしてくることも、くだらない話に付き合ってくれることも二度と訪れない。
私は泣き崩れた。
◆◇◆◇◆◇
俺は意識が無くなるその瞬間、顔をグチャグチャにして泣いている少女を見て笑った。
真弥。
俺の事をいつも気にかけてくれる優しい少女。
俺はそんな彼女に惹かれていた。
視界が真っ暗になっていく。
最後の最後まで彼女の顔を見るために閉じそうになる目を開き続ける。
……俺、本当はトロッコ問題もシュレディンガーの猫も知ってた。お前が得意げに話しかけてくるのが嬉しくて知らないフリしてただけなんだ。
トロッコ問題の事も、お前の前じゃ両方助けるなんてカッコつけたけど正直知らない奴が死んだってどうでもいい。
"大事な人がいるほうを俺は助ける"。
……あの時、そう言えてればなぁ。
気持ちは伝えられる時に伝えましょうね。