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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ヴァルプルギスの恋

作者: 櫻木 いづる

 魔女の谷――。

 それは、最終的に魔女が行き着き住まう楽園の名だ。

 集落ごとに区切られた魔女の村から出た者。

 人間界から追いやられた者。

 泣く泣くその谷へ来ざる得なかった者。

 自ら望んで谷へと赴いた者。

 魔女ごとに理由は様々で――けれど、その谷に辿り着いた魔女は皆口々にこう言葉を紡ぐ。


『此処に来て幸せ』だ、と……。


 その言葉の真偽は定かではない。

 何故なら誰も、その谷から出てこようとしないのだから。


 ❤


 規則的な音をたてて、カチリコチリと時計の針が時を刻む。

 あと数秒で朝を知らせるベルが空気を振るわせようとした刹那、小さな掌が時計をペシリと叩き、その報せを止めた。

「い、痛い! 乱暴はやめてください!」

 そんなに強く叩いた覚えはない。

 けれど、時計は――否、時計に宿った精霊は抗議の声を上げた。

「大袈裟ね。いつもより優しく叩いたつもりだけど」

「だから、叩かないで下さいって、いつも言っているじゃないですか」

「だって、時計は叩くものでしょう?」

 なにか間違っている? と時計の精霊に問いかけながらも小さく欠伸を漏らす。

「……では、次はもう少し優しい止め方を希望します。それにしてもフロレンシア。今日はいつにも増して早起きですね……」

「そうね。だって今日は〝特別な日〟だから」

 家の主、フロレンシアは寝台から身を起こすと大きく両腕を上げて伸びをした。

 そして長い黒髪を緩く巻いていた紙紐を解き、寝間着からいつもの服へと身を通す。

 昼の光さえ吸い込んでしまうような漆黒のドレス。銀糸の装飾が施されたそれは伝統的な魔女としての正装だ。

 以前はこの正装が嫌いだった。でも、今は昔ほど嫌いではない。

 この姿のフロレンシアを、素敵だと言ってくれた人がいるから。

「さて、準備を始めないと」

 フロレンシアはパタパタと軽い足音を響かせながら、階下のキッチンへと向かう。

 そしてそのままポットを火にかけ、水が沸騰するまでの間、慣れた手つきで茶器を戸棚から取り出していく。

「おはよう、フロレンシア。今日は一段とご機嫌だね」

 火の精霊――サラマンダーが暖炉の隅っこで丸まりながらこちらに話しかけてきた。

「おはよう、サラマンダー。ええ、だって今日は〝特別な日〟だもの」

「だから茶器も真新しい物なのねぇ。あらーん? でもついこの間も新調していなかったかしらん?」

 水の精霊――ウンディーネが問うた。

「この前の日はこの前で特別。今日はまた〝別もの〟よ」

「そういうものなのん?」

「ええ、そういうものなの」

 精霊達との朝の会話も、昔よりかは慣れた。

 この魔女の谷に来たばかりの頃は、やたらと社交的な精霊達に四苦八苦したものだが、今はこうした会話すら楽しいと感じる。

「フロレンシアも変わったわよねん」

「そうだね。前は少しだけ怖かったけど、今はこうして話もしてくれる」

「それもこれも〝彼女〟のお陰かしらん」

「だろうね。少しばかり変わってはいるけれど」

「こら、サラマンダー。彼女の悪口は許さないよ?」

 変わり者と称するサラマンダーの言葉に、ジロリと睨め付ける。

 その視線に尻込みしたのか、サラマンダーはポットの水をあっという間に沸騰させると、そそくさと暖炉の奥へと姿を隠してしまった。

「まったく……」

 彼女の悪口などとんでもない。

 そんなことを思いながら、チラリと時計を一瞥する。

 約束の時間はまだ先だ。

 けれど時間を気にしない彼女のことだ。予定の時間よりも、早く来てしまうかもしれない。

――そう、それほどまでに彼女が来るのが待ち遠しい。

「愛しい愛しい、ツェツィーリア」

 フッと言葉がひとりでに零れ落ちる。

「貴女が宿した〝色〟は罪深い。なにせ、私の〝色〟すら染めてしまう」

 フロレンシア――ソレはかつて、黒衣の魔女として恐れられていた。

 呪いをかけたわけでもない。

 人間をさらったわけでもない。

 ただ〝魔女〟というだけで、恐れ疎まれ、虐げられてきた。

 魔女の谷に来るそれまでは悲惨だった。

 他人の一切を信じず、自分自身にすら欺瞞の瞳を向けた。

 暖かい居場所など、何一つなく。

 暗く湿った場所で、関わりあうことなく孤独に暮らしていた。なのに――、

「魔女の心をさらう魔女――ツェツィーリア」

 ある日、突然一人の魔女がやって来て誘ったのだ。

〝魔女の谷〟に来ないか、と。

「人の心を変えるほど、貴女は眩しく美しい」


 それはまるで砂糖菓子のように。

 ほろりと崩れる、甘いもの。

 長い時を生きるが故の宿命なのか。

 私は、無垢な彼女に恋をした。

 そう、これは永遠の時を生きる魔女の恋物語。


「だから私は恋をした。――そんな貴女に恋をした」

 詩とも唄とも分からない。

 想ったそのままの感情を、気ままな旋律に乗せて囁く。

 恋文とは違う、唄の文。

「~~~~♪」

 低く通ったアルトの声が、空気を静かに震わせる。

 唄を口ずさむことなど、今までの人生でなかった。

 なのに即興で唄を歌いたくなるほど、彼女のことを想うと心が躍る。

「ホント、変わったわねぇ。フロレンシア」

 窓際に腰掛け、家主の様子を遠目から見ていたウンディーネは小さく呟く。

 ふと何かに気づくも、家主には言わずフワリと茶器の置かれたテーブルへと移動する。

 真新しい茶器に、今回はフルーツティーでも作るつもりなのだろう。

 綺麗にカットされた桃や苺、柑橘系の果物の盛り合わせが添えられている。

「贅沢ねぇん。果物を丸ごと使うなんて勿体ないわぁん。そのまま食べても美味しいのにぃん」

 そう言いながら、瑞々しいオレンジを一房取ると、口へと運ぶ。そして、

「――貴女もそう思うでしょう? ツェツィーリア?」

 窓に向けて声を掛けるや否や、家主の唄が止まった。


「そうね、ウンディーネ。でも、わたしはどちらも好みかしら」


 ウンディーネの問いかけに、別の声が応えた。

 鈴が転がるような、優しく軽やかな声の持ち主――ツェツィーリアが箒に腰掛ける形で、庭先に浮かんでいた。


「ご機嫌よう、フロレンシア。素敵な唄ね」


 フロレンシアとは異なる〝色〟。純白の衣装を身に纏った魔女、ツェツィーリア。

 銀糸のような長い髪を風に躍らせながら、フワリと箒から降り立った。

 その姿は同じ魔女でも一線を画すほど優雅で、見惚れてしまう。

 それほど、彼女は魅力的な存在だった。

「ツェツィーリア……! いつの間に来て……いえ、そ、それよりどこから聴いてたの?」

「フフッ、初めからかしら。ご機嫌そうな貴女の唄が聴こえてきたから、つい聴き耳をたててしまったわ」

 そう言って、ツェツィーリアは窓際に手にしていたバスケットを置いた。

「今日も色々作りすぎてしまったの。食べてくれるかしら?」

「勿論。貴女の作ったものはどれも美味しいから」

「嬉しいわ。サンドイッチに、スコーン。ああ、あとマドレーヌにカヌレも焼いてきたの。貴女が色々選べるようにね」

 ツェツィーリアはそう言って、まるで宝物でも見せるかのようにバスケットの蓋を開いてみせる。中にはぎっしりとアフタヌーンティーまで楽しめそうな品々が詰まっていた。

「今日のお茶会も楽しみだけれど……その前に、フロレンシア。もう少し此方に来てくれるかしら?」

「え? な、なに……?」

 ツェツィーリアに名前を呼ばれ、怖ず怖ずと彼女の傍へと歩み寄る。

 何か嫌いな物でもあっただろうか。そんな心配をしていると、優しい手つきで髪に触れられた。

「貴女、寝癖がまだ残っているわよ。手櫛で直してあげる。……それにあとでネイルもしましょう? 貴女に似合いそうな色をいくつか見つけたのよ」

 嬉しそうに耳元で囁くその言葉に、次第に顔が熱くなる。

「なら、私も貴女にネイルをしたいわ。貴女ならどんな色も似合いそうだけど、私が選んだ色を身につけて欲しいの」

「勿論。楽しみだわ」

 ツェツィーリアの手で一通り髪を直して貰ってから、改めて紅茶をトレーに乗せ、庭先のテラスへと運ぶ。フルーツティーに合う茶葉と、真新しい茶器に、嬉しそうな反応を見せるツェツィーリアの姿に、つい顔が綻んだ。

 これは、小さな秘密のお茶会。

 フロレンシアはお茶。

 ツェツィーリアはお茶菓子。

 それぞれを好きに持ち寄って開かれる二人だけの秘め事なのだ。


 ❤


「そういえば、ツェツィーリア。貴女、以前私に協力して欲しいことがあるって言っていたでしょう?」

 ツェツィーリアが作ってきてくれたサンドイッチにスコーンを一通り食べ終え、デザートのマドレーヌに手を伸ばしながら、フロレンシアは思い出したことを問いかけた。

「それってどんなことなの? 簡単なこと?」

「ええ。わたしと貴女でなら、簡単なことよ。――フロレンシア。わたし、貴女が淹れるお茶はとっても美味しいと思ってるの」

「……? ええっと。そう言って貰えて嬉しいわ。だって貴女のためにたくさんお茶について勉強したから、昔よりも色々淹れられるようになったわ」

 不意に、お茶について言及するツェツィーリア。

 話の脈絡に着いていけず、小首を傾げながらもフロレンシアは自分の淹れた紅茶をゆっくりと口許へと運ぶ。

 茶葉の種類や温度管理。

 フルーツティーやハーブティー。

 そして彼女が持ってきてくれる菓子類に合わせて茶葉を調合することもできるようになった。だから改めてその手腕を褒められるというのは嬉しい限りだった。

「だから、ね。この魔女の谷唯一のカフェを開かない? わたしは軽食。貴女はお茶専門で」

「……! こほっ、けほ……! カフェ……?」

 思いも寄らない言葉に思わず咳き込みながら、彼女の提案を反芻する。

 いつもそうだ。

 この魔女の谷へと誘われた時と、似た感覚。

 ツェツィーリアの思いつきはとても大胆で、引きこもりのフロレンシアにとっては予想外のことばかりを提案してくる。

「む、無理よ。だって私……ツェツィーリアにしか振る舞ったことないもの。カフェってことはお客様でしょ? 口に合うか判らないし……」

「あら、そんなのわたしだって同じよ」

「……うぅっ」

(嬉しいけど、けど……!)

 ツェツィーリアに認められた腕だというのは、嬉しい。

 なのに、カフェと言われると一気にハードルが上がってしまう。

「ね? しましょ? そうしましょう?」

 まるで子どもがはしゃいでいるかのように、嬉しそうな反応。

 そんな彼女を悲しませることなんて、フロレンシアの選択肢の中にはなかった。


 ❤


 後日――。

「ねえ、クリオーラ。また彼処に行きましょうよ」

「ヴァルプルギスでしょ? いいわよ。セレスティは彼処が本当に好きなんだから」

 魔女の谷の一角で交わされる会話。

 そして花園を駆けていく二人の魔女の姿があった。

「だって、紅茶が絶品じゃない! 今日はフルーツティーを頼むんだから!」

「……クリオーラはどうしよう。まだ食べてない焼き菓子があるのよね。それにしようかな」

「やったぁ……! ほらほら、早く行きましょうよ!」

 今、谷の中では一つの店の話題で持ちきりだ。

 二人の魔女が経営しているカフェ――ヴァルプルギス。

 百合の花が咲き乱れるように、魔女の谷の恋人達の憩いの場になっているという。

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