4、友達救出に向かうフリッツと現れた味方
フリッツは妖精の里のある森から街に戻ってきた。
セーラを攫っていった男たちの口にしていたゾンダー男爵、セーラはその人物の指示で連れていかれたのだ。
ゾンダー男爵は貴族の家が建ち並ぶ住宅街の一画に、大きな邸宅を構えている。セーラはそこに連れていかれたにちがいない。フリッツは一刻も早くゾンダー男爵邸に向かいたかった。しかし正面から尋ねても、門前払いされるのが落ちだ。フリッツには無理やり押し通すような力はないし、隠密してこっそり忍び込む技術もない。
一体どうしたものか、良い手段がないまま焦るフリッツは意外な人物に出会ったのだった。
「フリッツさん、こんにちは」
フリッツに声をかけたのは、道具屋の店員として働くマリアだった。
「こんにちは、マリアさん」
マリアは、店員の時の地味なシャツの姿とは違って、今日は品の良いブラウスにチェックのスカートという私服姿だった。彼女は、いつものように慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。
上品で優しいマリアと話せるのはとても楽しいことであったはずだが、その時のフリッツはセーラのことで頭が一杯だった。いかにも余裕のなさそうなフリッツを見て、マリアは、
「お急ぎですか?」と尋ねた。
「ええ。急いでどうにかなることでもないのですが、急がなくてはいけなくて」
そう言ってフリッツを先を急ごうとしたが、
「あの、何かお困りじゃないですか?」
とマリアに呼び止められるように声をかけられた。
「え?」
「すごく悩んでいらっしゃるようなお顔をされてましたので」
フリッツは余裕がなくて、表情にすべて出ていたらしい。
「はい、まあ。困っています」とフリッツは正直に言った。
「差し支えなければ、私に話していただけないでしょうか。何かお力になれるかもしれません」
「お気持ちはありがたいですが、でも……」
話したところで道具屋の店員にどうにかできることではない。全く関係のない他人を巻き込みたくないという思いもフリッツにはあった。
「いつも言ってますよね。私、何かフリッツさんのお力になりたいと思っているんです。とても困っている様子の今こそ」
確かに、いつも困ったことがあったら言ってください、とマリアはフリッツに言うが、それは社交辞令のようなものだと思っていた。ところが、今のマリアの表情は真剣そのもので、本当にフリッツを助けたいのだと思っているように見える。
その表情を見て、フリッツは今の状況をマリアに話してみようかという気になった。
こんなところでマリアと話をしている場合でないと思いながらも、今の自分に他にできることがあるわけでもない。ということで彼女に話すことにした。
フリッツはマリアに自分の置かれている状況を話した。
最近仲良くなった妖精が、ゾンダー男爵という貴族の手先に連れて行かれていってしまったこと。救出に向かいたいが自分にはどうしようもないこと。
それを聞くとマリアはフリッツと一緒に胸を痛め、怒ってくれたのだった。
「フリッツさんのお友達がそんな目に遭っているなんて、許せません」
「そうなんです。それなのに俺にはどうすることもなくて悔しいです」とフリッツは話すと、悔しい気持ちがさらに強くなって下を向いたのだった。
「そうですね。それならお力になれるかもしれません」
フリッツは顔を上げて、マリアの言葉に、よく理解できないという表情をした。
「え? それはどういう」
「私に任せてください」
「ついてきてください」と言うマリアの言葉にフリッツは従うことにした。いや正確には、フリッツが返事をする前にもうマリアは歩き出していたので、従わざるをえなかった。
しかし、マリアはどこに行くのだろう。街の有力者の下だろうか。ギルド長と知り合いとか? あるいは行政を司る市長につてがあるとか。あんなに自信を持って「任せて」と言うのだから、相当の力をもった人物を頼りにできるのだろう。単なる道具屋の店員だと思ってたが、一体何者なのだろう、とフリッツは疑問に思った。
二人がやってきたのはある邸宅の門の前だった。
「ここは確か……」
「ゾンダー男爵のお家ですね」とマリアが言った。
門の両脇に立つ鎧姿の門番達が、二人のことをじっと見てきて、フリッツは居心地悪く感じた。
「いきなり本丸ですか。それでどうするんですか?」
「もちろん、正面突破です」とマリアは、いつも通りの天使のような笑顔で言った。
「え? いや、そんな無茶な」とフリッツは首を振ったが、マリアは平然としている。
「ちょっと待っていてください」
マリアはそう言うと、一人で門番の方に向かって歩いていった。
「何者だ?」と片方の門番が警戒した構えをした。
もう一人の門番は、マリアの全身を品定めするような嫌な目で見たのだった。
「お嬢ちゃん。ここは君みたいな庶民が来るところじゃないんだよ。でもなかなかの美人みたいだから、この家の働き口を紹介してやってもいいぞ。今度食事でもしながらゆっくり相談……」
「はあ。勘違いもはなはだしいですね。あなたと食事をするつもりはありませんし、私には道具屋の店員という立派な仕事があります。それより、これを見てください」
そう言うと、マリアはポケットから一枚のハンカチをとり出した。白い上等の絹で出来ており、金色の刺繍で双頭の竜の模様が施されていた。
「こ、これはヴァルトシュタイン公爵家の紋章!?」と門番は驚いたように声をあげた。
マリアはハンカチを掲げ、毅然とした表情で言った。
「ゾンダー男爵家には違法に妖精を略取した疑いがかかっています。公爵家の特権で、立ち入り調査をさせていただきます。門を開けてください」
「いや待て。ハンカチだけじゃな。どこかで拾ったのかも知れないし、よく似た偽物という可能性もある」と先ほどマリアに軽口を叩いた門番が言った。
「でも、もし本当に彼女が公爵家の人間だったらまずいことになるんじゃ」ともう一人の門番が不安そうに言った。
「いや、可能性だけで通すわけにはいかないな。嬢ちゃん、あらかじめ手紙で要件を伝えてから訪れるというのが貴族のやり方なんだ。わかるかな。そういうきちんとした手順を踏んでから来てくれ。もしできるならの話だがな」と言って門番は鼻で笑った。
「そうだな昼間っから公爵令嬢が一人で訪ねて来るわけないよな」と不安そうだった門番も調子を取り戻し、「という訳だ。わかったら帰りな」と言ったのだった。
すると、マリアは、
「まったく物分かりが悪い人たちですね。ええい、まどろっこしい」と豹変したように荒々しい態度になり、服の内側のどこからか小さな短剣をとり出した。その短剣の鞘にも、ハンカチと同じような双頭の竜の図柄が、金色で眩いばかりに輝いていた。
「それは公爵家の宝刀。紛れもない本物……」と門番が震える声で言った。
門番たちはその場にひれ伏し、「失礼いたしました」とマリアに謝ったのだった。
「私は、マリア・フォン・ヴァルトシュタイン。ヴァルトシュタイン公爵家の娘です。さあ、門を開けなさい」
マリアがそう言うと、門が開かれたのだった。
マリアは少し後ろで様子を見ていたフリッツの方を振り向くと、「お待たせしました」とほほ笑んだ。
「いきましょう」とマリアが言い、二人は門の向こう、ゾンダー男爵家の玄関に通じる庭の小道に歩みを進めたのだった。
フリッツは先ほどの門番に対するマリアの姿を思い出して、
「先ほどマリアさん、堂々として……」とフリッツが言いかけると、マリアがそれを遮るように、
「なんでしょう」と丁寧ながら無言の圧を感じる返答をしたのでフリッツは何も言えなかった。
マリアはフリッツに聞こえない小さな声で、
「せっかくフリッツさんの前ではお淑やかにしていたのに、台無しだ。あの門番ども許さない」とぼそっと呟いたのだった。
「マリアさんって凄いんですね。公爵家の令嬢だなんて。俺、道具屋の店員に何ができるんだろうって思ってしまいました。すみません」
「いえいえ、当然ですわ。私、自分の本当の身分を言っていなかったのですもの。それで、お願いがあるのですが」とマリアはフリッツに言った。
「はい、なんでしょう」
「私が公爵家の人間だと知られてしまいましたけど、できれば道具屋の店員のときと同じような、今までと変わらない距離感で接していただけると嬉しいです」
「自分なんかがいいんでしょうか」
「もちろんです。というかどうかお願いします」とマリアはフリッツに懇願するような表情で頼んだ。
「わかりました。公爵令嬢さまのお願いであれば断れませんね」
「もう。意地悪な言い方ですわね。私は単なる道具屋の店員ですよ」とマリアは頬を膨らませた。
そこで、二人はゾンダー男爵家の玄関についたのだった。
「さて着きました」とマリアが言った。
玄関の扉には、一面に巨大な獅子の絵が描かれていた。フリッツはその絵に圧倒されて、これから臨む相手に対する恐れの気持ちが湧いた。しかし、マリアはそれを見て、
「悪趣味な絵ですわね。格が知れるというもの」と呟いたのだった。
フリッツはそれを聞くと、「悪趣味か」と笑いがこぼれ、恐れの気持ちが消えるのを感じた。格下に通じる脅しも、公爵家には通用するはずがないのだ。
扉の横にはゾンダー男爵家の召使いが立っていて、公爵家令嬢を招き入れるために、至極丁寧な態度でその扉を開けたのだった。
「さあ、これからが本番ですよ」とマリアはフリッツの顔を見ていった。
フリッツは頷き、気を引き締めた。
そして二人はゾンダー男爵の邸宅の中に足を踏み入れたのだった。