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村娘と喪失の棺9

夏が過ぎて冬が訪れるまでの合間の季節。その境目の日には、死者と生者の境が曖昧になるのだという。

だから人々は祭りを催し、死者をいちど迎え入れてなぐさめる。



ずっと祭りの準備を手伝ってきて、祭りの日を今日に迎えても、<印持ち>のナンシーは祭りには参加できない。

開催中にできるのは、店に必要な道具や食材を補充したり、催し物が終わった際に清掃を行ったりゴミを捨てたりして、忙しく動き回ることだけだ。

だが食事をとるために休憩するくらいはさすがに許されている。


休む許可をもらったナンシーは昼食をたずさえ、段々になった畑や水田をのぼっていき、祭りを楽しむ人々を見ることができる一番いい場所をみつけて腰を下ろす。

自分で用意した食事がいつものように粗末なのは変わらなかったけれど、華やかな祭りの様子をみれば楽しくなった。

水でわずかな食事を流し込み終わると、疲れがどっとあふれてきた。そのせいですこしぼうっとなる。

まぶたが落ちそうになったとき、どこからか楽器の音が聞こえてきた。


祭りで使う楽器ではない。細く糸のように伸びる、弦楽器の音だ。

それは、下の方から聞こえてくる。

視線をめぐらすと、すぐ下にある農作業をする人々が休憩をするための広場に華奢な男性がひとりみえた。

彼が、竪琴をつま弾いている。

空の色を吸い取ったような目のさめる青の外套をまとっていた。

外套と同じ色をした8の字の帽子は、七色の鳥の羽で飾られている。

手にした竪琴からみるに吟遊詩人のようだが、目立つ格好をしているのに、周りに人がいない。

ナンシーがふしぎに思っていると、詩人はこちらに気づいたのか、見上げてくる。そうして、近づいてきた。


「きみは……その目」

「えっ?」


驚いたのは、突拍子のない言葉のせいだけではない。

詩人が近づく動作は見えたが、瞬きの間に彼はナンシーの目の前に現れた――そんなことあるはずがないのに、そう見えたからだ。

近くで見ると、帽子の下から黒髪がのぞいている。それは珍しくなかったが、肌が雪のように白かった。

それは夏を過ぎて力を失った陽光すら反射し、そのせいで顔の印象が近くで見てもぼやけてよくわからない。


「ああ、ごめん。珍しい瞳だったから」

「私の目が……?どうして……」


ただの青い目なのに。そうナンシーがいうよりも早く、詩人は竪琴の糸をつまびく。


「蜘蛛女神の八つの目のうち六つは赤い憎悪と瞋恚に染まり二つだけは憂いと慈悲をたたえて青い」


竪琴の音には詩人の美しい声が乗る。

ただ、その内容はでナンシーにとってはきらきらとした脈絡のない言葉で、理解できない。

音の余韻が消えたとき、顔を上げた詩人とナンシーの瞳が合う。

交わされる視線。青い瞳の中に、黒い瞳がうつる。ちがう。その無窮の暗闇の中に、虹色に輝く星々が渦を巻いている。


「ねえ。夢を盗み見ていたのはきみなの?何のために?」


渦巻く銀河のきらめきと同じ響きをもった言葉が流れてくる。


「核によって汚染された大地と海……半減周期を知ることのない人々と知っていて噤むひと。広がっていく砂漠と縮小していく森林。溶けた永久凍土によって沈む大陸。汚染された食物をはちきれそうなほど内蔵に詰め込む人々と農耕が不可能になり飢えて死ぬひとびと。

みな欲望に突き動かされながら破滅の夢をみている。蜘蛛の女神はその夢を愛している」


だが、そのいっさいがナンシーの知らないものだった。

音や単語のならびはナンシーの知っているものだが、その意味することがひとつもわからない。

星屑のような、硝子の破片のような言葉が弦にのって散らばり、自分を刺してくるのがわかるだけだ。


「何を……何をいっているのか、わからないです」


これ以上の言葉をそそぎこまれたらおかしくなってしまいそうだ。

ナンシーがたまらず拒絶の言葉を口にすると、詩人は、はっとしたように言葉を止め、瞳をふせた。

その瞳は――ただ黒い。


「ごめん。驚かせてしまったようだね……ほんとうに、きみは、何もわからないまま、《視て》いたのか」


失望したような言葉の響きとは裏腹に、彼は微笑む。いつくしむように。あわれむように。


「僕の名前は、鳴須原詩弦」

「ナリス……シゲン?」


彼が名乗った名前は、ナンシーが聞いたり本で読んで知っているどの人名とも単語の並びや音の響きが違う。


「こちらではシゲン・ナリシュヴァラ、といった方が自然なのがな……きみの名前は?」

「ナンシー、です」


ナンシーの名前はありふれていて、どこもおかしくないはずなのに、シゲンは驚いたように目を丸くする。

そして、みずからのほそい顎に繊細な指を添えてひとりごちる。


「ナンシー。そう……たしかに、リャ・ナン・シーのようなものかもね」

「リャナンシー?」

「そう。妖精の恋人、という意味だよ」


なぜか彼は、ナンシーの青い瞳を、もう一度覗き込むように近づき――


「おい、ナンシーから今すぐ離れろ」


めったに聞こえないベネトナシュの大声がしたのでナンシーは飛び跳ねそうになった。

走ってきたらしく彼の息は上がっている。


「おや……」


ベネトナシュの声はかなり険を含んでいたが、シゲンは気にした様子もなくベネトナシュの首のあたりをみる。

そうして納得したように頷く。ナンシーは何故かその表情に残酷な気配を感じた。


「ああ……どっちかというと、きみが妖精の恋人になるのかな。うらやましい」

「何言ってんだ」


ナンシーの横に立ったままのシゲンに対して、苛立ちを隠さずベネトナシュが近づくと、シゲンはするりとナンシーから離れる。


「忠告しても無駄だろうけど、破滅と苦痛を味わいたく無ければ物忌みでもしていたほうがいいよ。危険には近づかないことだ」

「吟遊詩人かと思ったら占い師だったのか?どっちにしろ頼んでねえよ」


ベネトナシュはナンシーを庇うように前に出る。


「そんなに、怒らなくとも。噛みついてきそうだ。そういうところが彼女に気に入られたのかな」

「……?ナンシー、こいつに、なにか占ってくれとでも言ったのか?」

「いってない!」


ナンシーが首をぶんぶんと横に振り、シゲンも優雅に手を翳す。


「ああ、ごめんよ。……そっちの彼女じゃない」

「は?」


ベネトナシュが睨みつけるとシゲンはその瞳をじっと見つめ返す。


「きみのほうは……橄欖の瞳か……僕のところでは破滅の福音が説かれた丘に生える木なんだ。無実の救世主が民衆に蔑まれ処刑された丘に生える木でもある」

「さっきからケンカ売ってんのか。お前はいったい何なんだよ」

「何、か」


シゲンは笑った。その表情はゆがめられ、自嘲が浮かんでいるようにみえた。


「僕は何者でもないし何もできない。ある意味では君とたちと同じかそれ以下だ。庭をつくり、整え、その状態を維持するだけ。雨上がりに蜘蛛の巣に掛かった美しい水滴。その中に生まれた宇宙をのぞきこむだけ。その水滴の中の宇宙の意志が、定められた秩序と安寧を毀そうとする因子を摘み取るために病を振りまいたとしても、僕はそれを止められない。ただ《視る》だけだ。その世界がはじけて拡散していくまでね」


シゲンの表情をみて、ベネトナシュは、怒りをおさめた。かわりに、シゲンの言葉に耳をかたむけている。シゲンは静かに続けた。


「走っている人間からみれば止まっている人間が愚かなように、魔術をおさめない者からすれば魔術をおさめる者は愚かだ。狂っている人間からみて正気の人間は恐ろしく、正気の人間からみれば狂っている人間は恐ろしい。……占い師という肩書で僕の言葉が受け入れやすかったら、そういうものだと思ってくれていい」


橄欖の瞳は、混乱していない。見極めるかのように、シゲンをみている。彼はけして、狂人ではないと。


「お前が詩人か占い師か庭師なのかはもうどうでもいい。お前が言いたいことはいったい何なんだ?何の目的でここに居る?」


ベネトナシュに問われた瞬間、青い空の下、響き渡る破擦音。

シゲンが大爆笑したのでナンシーはびくりと身を縮めて、異様なものを見る目でみてしまう。

なにが可笑しかったのかナンシーにはさっぱりわからなかったが、シゲンはしばらくそのまま身を震わせて笑っていた。


「ありがとう。僕を笑わせてくれて。お礼は何もできないけど、君が幸せになれるように祈ってるよ……」


笑い過ぎたせいなのか目の端に浮いた涙を拭い、シゲンは帽子をとって一礼した。

一方的な物言いにベネトナシュは何かを言い返しかけたが、強い風が吹いてその喉はふさがれる。

微笑んだシゲンの露わになった黒髪が風をかたどって揺れていた。

その色彩は黒ではなく、光に透けて藍色に輝いている。

帽子を被りなおしたシゲンは背を向けると、木陰へと向かい歩いていく。

だが落ちた葉を踏む足音は聞こえず、木々の向こうをみてみればその姿は最初からなかったかのように消えていた。


「いったい何だったんだ……。ナンシー、大丈夫だったか?」

「うん。心配してくれて、ありがとう。でも、どうしてここに?」

「……時間が空いたんで、飯を食おうと思ってここに来たらあれがいた」

「同じ場所でごはん食べようとしてたんだね」

「……そうだな。まあ手近で見晴らしのいい場所なんて限られてるからな」

「あの人、お祭りで呼ばれた詩人さんなのかな」

「そんな話は聞いてない。……でも、長が個人で呼んだ客ならわからない。えらく気にするな?っていうか、何いわれてたんだよ」

「わからない。ベネトにしゃべってたのと同じような感じだったし」


シゲンが発した言葉の意味はわからなかったが、彼は世界を遠くから見ている者なのだと感じた。

其処に在りながら、けして世界と交わらないもの。

その感じは、ナンシーの感覚と同じなのだろうか。だが、彼は存在自体が神秘的で風格があり、ナンシーはありふれていて矮小だ。


「ふーん……ま、相手にしてないならそれでいい。まだ休憩できるんだろ?座れよ。俺は飯を食う」


ベネトナシュは自分の座った傍らの、腰かけるのにちょうど良さそうなすべすべした石を指さす。


「私はごはん食べちゃったんだけど」

「足りないから分けてくれって?」


香草に漬けた肉と果実のソースがからんだ野菜を挟んだパンを差し出され、一瞬うなずきかけるが首を振る。


「ちがう。ベネトが食べてる間、ずっと横に居ていいの?」

「いいけど。これ食うか?」


果実をひとつ渡されて、それはありがたく受け取る。

ベネトナシュの橄欖の瞳がみつめてきて、ふ、と逸らされる。


「まあひとりで休憩したいなら、それでもいいけど。俺は別のとこにいくし」


ナンシーは黙って傍に座った。ベネトナシュが、そんなナンシーを見て、嬉しそうに笑う。

ナンシーも嬉しいはずなのに、胸が痛む。シゲンと名乗った者と同じか、それ以上にいまの二人は村にとってよそ者だ。そして、これからも。

いろいろな悲しみや怒り、不安と混乱を、みないようにしている。現実とナンシーの感情はなんの関係もないから。その感情に意味は無いから。

本で読んだ殉教者のように、考えない、見ないようにするのではなくすべての理不尽を心から受け入れられたのなら、ナンシーの中で何かが変わるのだろうか。

そんなことをふと思い、ナンシーは、瞳をとじる。齧った果実が、甘い。

ただ、ベネトナシュだけが、どんな現実にも関われないナンシーの感情を汲み取ってくれる。それが、怖い。

祭りの終わりとともに何かが終わるのを漠然と感じながら、

しばらくの間、祭りの喧騒をふたりで聞いていた。


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