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村娘と喪失の棺7

――神は、我らをいとし子として愛しておられるのです。いとし子がおそろしい魔物どもにむごたらしい目に遭わされないように、神は柵をおつくりになりました――


――神は魔を招くものの残骸を、聖なる棺に閉じ込めました。それは天空の海に沈められ、真珠の糸で戒められました――



春がすぎて、雪解け水が村の麓にまで流れ着くころになると、村には外からの人が増える。

避暑地にひと足早くやってきた貴族。教会の教えや伝説をふれて回る巡回牧師。

真上に上った太陽がちょうどくだりはじめ、巡回牧師は昼食を終えた子供たちを集めて

教えをひろめているようだった。

伝えるのを生業にしているだけあって牧師の声はよく通り、遠く離れたベネトナシュの家にも

その説教の内容は聞こえてくる。



――青い海の中に沈む地戒の棺。七色に輝く虹の鎖で戒められ宝石で作られた天戒の扉。その扉は触れてもならず開けてはならず――


――ひとに棺の中を確かめる知恵は無く。扉の向こうを覗く資格は無く。戒めが破られたとき、大地だけではなく天空すらも切り裂かれ、その裂け目からは赤い血が噴き出すだろう――



巡回牧師の張り上げた声を聞き流しながら、ベネトはナンシーを迎えるために摘みたてのペパーミントの茶を淹れていた。

いつかと同じように、屋外のテーブルにはクロスが張られている。

ベネトはイノシシや熊でもてなすのも吝かではないのだが、どうも労力のわりにナンシーが喜ぶ様子がないので今に至っている。


柵を作った神は、柵を超えた者や棺を探す者のことは同じようにいとし子として愛することができない。

ベネトは別にそれ自体は悪いことだとは思わないが、神の分際で人間と大して変わらないのが妙に現実的で夢が無いなとは思う。

煮だされたペパーミントの葉は湯を透き通る緑に染め、あたりには爽やかな香りが立ち上る。


匂いにつられてナンシーがすぐにひょっこり出てきたら面白いんだが、とベネトは思ったが、ナンシーがくるまでは時間がありそうだった。

茶を淹れ終わったベネトは読みかけの本を手にした。


夕べから読んでいたそれは、百年ほど前にありえない妄想を書き綴ったと弾劾され、表からは姿を消している本だ。

禁止された本というのは過剰に下品だったり性的だったりとくだらない内容のものも多くあるが、何が偉いがたの逆鱗に触れたのかとか、禁書とされた理由や過程には興味があった。


いまベネトが読んでいる本は内容もそれなりに興味深く、「人間は魔術など使わなくとも太古の昔は誰もが空を飛んだり遠く離れた人間と会話していた」というものだった。

そしてそれを書いた人間は大真面目に「これは発掘調査と古文書を照らし合わせて判明した事実である」

と主張し歴史書として発表していた。

ベネト程度の人間でもこれを正当な歴史と主張したら怒りを買う理由はわかる。

いったい何に駆られてその主張をしたのかも気になるところだが、ベネトが特に興味をひかれたのはそんな高度な技術をたくさんの人間が持っていたのに文明が滅びた原因だ。


ある程度の技術と知識をすべての人間がもっていたとしても、やがてそれらは政治的な権力や金といった人びとの欲望と密接に結びつき、そのどちらとも関係ないと判断されたものが無価値の烙印を押されて廃れていった結果、すべてが無になりその文明も消え失せたという終わりだった。


そして、どんな環境になっても人間はそのサイクルを繰り返すのだという。


なかなか希望の無い話だ。

読み終える前までは、事実ではなく小説として発表すればあるいはと思ったものの、こいつは小説を書いても売れないだろうなと読み終えてベネトは判断した。

誰だって、人より優れた力――技術や情報を持っていれば異なる世界に飛び込んでもうまくやっていけると思いたいものだ。


「ねえ」


耳に馴染みつつある、くすぐるような響きに、浮かびかけた皮肉な笑みはかき消される。

確認しなくても声の主は誰か分かるが、すぐに顔が見たくて、ベネトは読んでいた本から顔をあげた。

ナンシーはここまで走ってきたのか、青い瞳と対照的に頬が上気し、汗をかいていた。

風にのって香ってくる、ペパーミントとも、クランフラウとも違うどこか甘い香り。


「来てたのか」


ベネトは我知らず微笑んでいたが、ナンシーはすこし怒ったような顔をする。


「来てたのか、じゃないよ。ベネトのこと呼んだのに、ぜんぜん気づかないんだもん」

「ああ。悪かった」

「今度は何の本を読んでるの?そんなに面白いの?」

「……出版禁止になった本」

「…………」


ナンシーの沈黙と表情から、自分の名誉が疑われていることをベネトは察した。


「……どういう内容を想像したかしらねーけど、いまの世界じゃ反社会的とみなされる思想に基づいて書かれた架空の歴史書だぞ」

「……わかんない」


視線が痛い。他人からどう思われようとほぼ気にしたことなど無かったが、今は痛い。

どうせナンシーに見られるなら、もっとマシな目でみられたいと思う。


「ハーブの茶が入ってるけど、飲むか?」

「ごまかした」

「飲まないのか?」

「飲む」


黙ってお茶を飲むナンシーを頬杖をついてみつめながら、ベネトは前々から思っていたことを切り出した。


「なあ、本に興味あるんだよな?」

「……?」

「何読んでるのかいつも聞いてくる、ってことは、そうなんだろ」

「読みたい本はあるけど、その本はべつに読みたくない」


妙にハッキリとした物言いだったので、ベネトは笑った。


「……別にいかがわしい内容じゃないってさっきもいったろ。まあいいや。ほかの本なら読みたいんだな?やる気あるなら、字を教えてやる」

「……え?いいの……?」


ナンシーの瞳が輝く。その青い瞳に、ベネトが映っている。


「別にいいさ」


必要な資料や道具をとるために家に向かっていったベネトを、ナンシーが追う。



――ひとは、人である分を超えてはならない――


――際限の無い智に肥え太ってはならない――悪魔は、砂糖を詰め込むようにあなたを肥え太らせ、禁忌の扉を開かせようとしてくる――



説教の声は、まだ続いている。

けれども風にのってめぐるその声は、いまこの瞬間、ふたりには響いていなかった。





※ ※ ※






ナンシーの読み書きの覚えるスピードは、ベネトが想像したとおり、とても速かった。

もともと興味を持っているせいもあるが、彼女は音と文字をつなげるのがとても上手いせいもあった。

歌や音楽が好きなのかもしれない。


読み書きを教えるようになってから数か月後。夏も半ばになってきたころ。

ベネトナシュは彼女が毎日みるようになったという夢の話を聞くようになった。


夢の中で彼女はいつも、青い水晶の部屋に閉じ込められていて、そこには硝子の棺がいくつも置かれているのだという。

透き通った棺の向こうにみえる中身は宝石や花々でみっしりと埋められていて、ナンシーは何者かに蓋を開けるように強要される。

声は空から降ってきていたので、ナンシーが顔を上げると、部屋に天井は存在しておらず、、満点の星がゆっくりと軌道を描いて廻っているのがみえたのだという。

中でもひときわ印象的だったのは、真珠の糸のように連なった星。



――そこで、目が覚める。



そんな夢をナンシーは、何度もみているという。

普段のベネトなら、他人に夢の話を聞かされたのだとしても、聞き流してその内容もすぐに忘れる。

自分の名前と関係のある逸話を誰かが夢にみたと聞かされても、神話や伝説といった人間の共通無意識に訴えるものに出てくるアイテムや言語はある程度決まっているので、それは誰の夢に出てきたとしても不思議ではないとしか思えないので興味も持てない。


けれど、ベネトに話しながら「ただの夢で、意味なんてないって、わかってるんだけど」と言いながらも、ナンシーが夢につよく――どこか病的とさえとれる様子でひかれているのをみてとれば、無意味だと思っても調べたくなる。


(星のさだめ。星のつながり。棺を縫いとめる真珠の糸。……わかんね)


関係ありそうな言葉を書き出して確認し、蔵書目録を眺めながらベネトは頭を抱えていた。

詩人や魔術師なら数学を扱う者が因数を分解するように謎めいた言葉から何かを引き出すのだだろうが、

詩人や魔術師の素養のないベネトにとってそれらの言葉は数学に興味のない者の目に映る数式にひとしい。

それでも、何度も考え、書き直して、答えは出ず。

何日かを費やし、ようやく、ベネトは気づいた。



(……夢解きと神話に詳しいやつに頼んで調べてもらえばいいんじゃ?)



夏の暑さのせいなのか、頭がまわっていない。

自分がひとり「だけ」で解決することに固執しすぎていた。

結果を出すことを重視するなら得意な人間に依頼するべきだ。


祖父のノアを介して知り合った図書館員に、夢解きと神話に強い奴が確かいた。

そいつに頼もう。



※ ※ ※




星が動かないように、みずからも変化することはないと、そう思っていた時間が長すぎた為か、ベネトは変化に慣れていなかった。

蝉の声が遠く、夏が過ぎようとしていることも、いつもと同じだと思っていた。

まして、自分が何をしたのかも、そのときはまだ、知ることもなかった。

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