村娘と喪失の棺6
春の風は乾いていて、土埃とともに通りすがりの人たちの噂話も運んでくる。
「あの家、気味が悪いのよね。人を焼いたときみたいな血の混じったなまぐさい煙があがってたり。
動物の皮や骨が飾ってあったこともあったし。死体でも焼いているのかしら?」
「研究のためとかいって、死体をどうこうしてるってウワサもあるわよ」
「そうでなくとも、魔術師と忌子が住んでる家でしょ。呪われててもおかしくないわ」
「王都との関わりがなければ、村に住むことも許されてないだろうに、偉そうなのよね」
巻き起こった強風によって破壊された納屋の屋根を修繕することになった叔父に代わって、
村の外へ出荷されるカボシュを刈り取る作業をしていたナンシーは土手の上から降ってくる噂話に、ついその主の姿を思い浮かべてしまう。
以前は、他人の噂話を聞いても、聞き流して、忘れるようにしていた。
誰かの悪口や噂をすれば、自分もそうされる。
加わらなければ、絶対にそうされないというわけではないが、他人の会話に入って
上手く立ち回るような話術や頭が自分にないことはわかっていたので
ナンシーは何を聞いても何も言わない、思わないようにしていた。
けれど。
ベネトは悪い人ではない、と咄嗟に割って入りそうになった。
血なまぐさい煙はおそらく動物の死体を処理しているためだ。
噂をしていた人たちは知らなかったようだが、村のはずれにそういう仕事をしている家があって、
ナンシーは仕事でその家にハーブや果実を何度か届けたことがあった。
動物の皮を剥いで処理したり、肉を加工する技術を持つ人間がこの村にはあまり居ないのと、王都とつながりがあることに村の住人の嫉妬を覚えているのがわかったが、それで相手を悪くいうのはおかしいのではないかと思った。
ただ、それを口に出す勇気はない。
そしてそんな人間は、ベネトにふさわしくないのではと思ってしまう。
――たぶん、彼に相応しいのは、同じように頭の回転が早くて、
正しい人や行いを弁護するのに熱心で、ハキハキしていて、自分とは正反対で明るい――
「あ」
いやなことを考えてしまったせいで、カボシュを刈るはずだった刃を手に当ててしまい、
痛みとともにひとすじの傷がはしる。
「痛っ……」
あわててスカートのポケットからハンカチを取り出し、それで流れる血を止めてナンシーは作業を続けた。
大きな葉が緑の花びらのように中心を取り巻いているカボシュを、同じ動作を繰り返して刈り取っているうちに、荷車はカボシュがいっぱいになっていた。
近くの木につないでいるアシニアス(小型の馬)が、ナンシーを見ると耳をピンと立てる。
ナンシーはアシニアスを撫でてやると紐をといて荷車につなぎ直す。
そうして一緒に、商品を街の外まで運んでいく受取人のところへ向かう。
仕事を終えて荷車を戻すために納屋に戻ったときには陽が空の高いところからだいぶ落ちていた。
納屋では叔父であるブロルが修理道具を片付けているところだった。
「ああ、ナンシー。お疲れさま」
「おじさんも、お疲れさま。屋根、直ったんだね。良かった」
「ああ。戻ってきたばかりで悪いんだが、川で水を汲んできてくれないか。井戸の調子が悪いんだ。ククビタスの蔓用の柵も風でやられちまってたから、俺はそっちを見に行かなきゃいけない」
共用で使っている井戸はこのごろたまに水の出が悪くなる。
「私はいいけど、アシニアスを休ませてあげてもいい?」
「もちろん。これやるから、一緒に食っとけ」
差し出された小さな木の器に入ったリベスの実を受け取ると、甘酸っぱい香りが顔にかかる。
ナンシーはアニシアスと並んでそれを分け合った。
すこし休んで、ふたたび荷車を木桶を積むと川へ向かって出発する。
川のほとりには同じように水を汲みにきていた人たちがいて、その数は多くはなかったが
井戸の不調があったはナンシーのところだけではなさそうなのが見て取れた。
ナンシーはまわりの人たちに軽くあいさつをして水を汲みはじめる。
それに対して人々はちらりと目を向けただけで、あいさつは返ってこなかったが、いつものことだった。
「……森に……貴族が……」
「村長さんとこに挨拶もそこそこにあそこの忌み子の家に行っちまったもんだから……」
「犬の吠え声がうるさくて……」
汲んでいる間も、誰かしら何かをささやき交わしている。
みんな、ひとのことをよく見ている。
そんなことをナンシーは思いながら川で水を汲み終わり、アニシアスとともに家へ向かう。
雲ひとつない青空には、橙色が混じりだしていた。
「今日はいっぱい働いたね……」
「ワン!」
ヒュオ、というアニシアスの鳴き声に重なるようにして、元気のよい犬の鳴き声が響く。
驚いた思わずナンシーはつい足をとめて、声のした方をみた。
この村では、むかし村長が犬を飼っていたが、いまは居ないはずだ。
川の上流のあたり、覆い茂った木々の向こうには、犬を連れた男性の姿がみえる。
おさまりの悪い黒い髪。傾いた日差しを反射する、印象的な橄欖の瞳――犬を連れているのは、ベネトナシュだった。
その姿を目にしてナンシーは反射的に逃げようとするが、
荷車をひかせているのでそういうわけにもいかない。
向こうは、気づかないだろう。そのまま遠ざかれば。
気持ちを落ち着かせようとしていたが、ナンシーの動揺が伝わってしまったのか、
アニシアスが先ほどの犬よりも大きな声で鳴いた。
その声に気づいたベネトナシュがこちらをみて、目が合う。こちらへ、向かってくる。
瞬間、ナンシーは荷車のこともアニシアスのことも忘れて逃げ出していた。
「おい、待っ……!危ない!」
ベネトの声。なぜあわてたようなのかナンシーにはわからない。獰猛さを含んで響く犬の吠え声。近づいてくる四つ足の音。
何かが、覆いかぶさる。
「急に走んな。犬は駆け出したものを追っかけるんだよ」
気づけば、ナンシーと犬との間にベネトが入っていた。
「どうして……」
犬がナンシーに襲い掛かるところだったのを、ベネトが止めてくれたようだった。
お礼を言わなければいけない。けれど、いろんなことが怖くて顔をみられない。出たのはかすれた声だけだった。
「犬連れてるのかって?俺の犬じゃねえよ。貴族が水鳥猟の下見に来てて、ジジイが連中の相手してる間、俺は、猟犬みるように任されてたの」
「そうじゃなくて、なんで……なんで追っかけてきたのかわかんないよ」
「さっきも言っただろ。犬がお前を追いかけたのはお前が走って逃げたからだ」
「犬じゃなくて、ベネトが……」
「俺も、俺に茶を振る舞われた奴が、なんで俺をみるなり逃げたかわかんねえよ」
半笑いの茶化すような物言いに、わずかに傷ついたような響きが混じる。
その響きに、ナンシーは顔を上げた。たしかめたくて、じっと見てしまう。
「……たぶん、ベネトが、一番最初に『関わるな』っていったのと同じ理由」
それまでと違い、返ってくる言葉はない。
ベネトの橄欖の瞳が、夕陽を浴びて金色に揺れている。戸惑っているのか。怒りなのか。
ナンシーは胸が苦しくなり、ふたたび瞳を伏せる。
「……悪かったな」
うなだれた頭に、ぽつりと、降り注いだ言葉。
「どうして」
「わかんねえよ。忘れられて、それがムカついてたのかも」
ベネトの顔が――耳も、赤く染まって見える。ただ、それが夕焼けのせいなのかもしれない。
「忘れる……?」
「むかし、ちょっとだけ、会ったことがある」
「え……?」
「ちょっとだからな。覚えてなくてもムリねえんだよ」
「なら、思い出したいよ!教えて!」
ベネトは一瞬、なにかイタズラを考えているような顔つきになったが、結局真顔になって、言った。
「親の墓のところで、会った」
「ほんとうに……」
「ウソつくならもっと俺に得になるようなウソにするわ。つーか、やっぱり思い出せないんだな」
「ごめん」
「謝らせたいわけじゃねえし、覚えてななくてもムリねえっていったじゃん。……手。どうしたの」
ベネトに言われて、ナンシーは手をケガしていたことを思い出す。
「昼前に、ケガをして……でも、もう大丈夫だと思う。血も止まってるし」
「処理が間違ってたら、最悪やばいことになる。見せて」
ケガをしたところから病気になっていった人の話はナンシーも聞いたことがあるので、素直に従った。
ベネトはナンシーのハンカチをほどく。血はおさまっていたが、皮膚の裂け目はひらいたままで、
指が圧迫されればまた血がでてきそうだった。
ベネトは腰に下げた袋から酒によく似た匂いのするビンを取り出し、傷口を洗った。そして、布をあてる。
「しみるか?消毒液だ。あとこれは煮沸してある布な」
「その袋、ケガしたときに使う道具が入ってるの?」
あたらしい布をまかれている間、黙っているのが気恥ずかしくて、ナンシーは口を開く。
「そう。訓練終わって、こいつ返しにいくところだったから」
「ただ預かったんじゃなくて訓練してたの?」
「そう。鳥に矢が当たってもたいていは即死じゃなくて矢傷受けたまま湖に逃げていくから、それを追いかける訓練してたんだよ。……もしかして俺、一日中犬と遊んでたと思われてたの?俺をなんだと思ってんの?」
「……貴族?」
「全然違うどころかかすりもしねーと思うけどそう思ってたんだな」
心底おかしそうに笑うベネトを、ナンシーはじっとみつめる。
神経質そうな長い指ときれいな形をしているせいで目立たないが、
ところどころ荒れて関節が節くれだっているのはナンシーと同じように重労働をしている証拠だ。
「一日中、本に囲まれて過ごしてるのかと思ってた」
「そういう日もあるけど霞食って生きてる仙人じゃねーから普通に畑耕して山に入って鳥とったりイノシシとったりしてるぞ」
「イノシシ?危なくないの?」
畑を襲っているイノシシを追い払おうとして何人か亡くなったことがあるときいた。
矢が、なかなか貫通しないとも。
「矢で射るのは危ないからもっぱら罠だな。イノシシ以外でも罠なら自信ある」
「自分で全部やってたんだね。毛皮とかの処理も……」
「それこそ貴族連中が毛皮を欲しがるから高く売れるからな。
ただなめすのに手間がかかるからあんまりしょっちゅうはやらねーけど」
ナンシーは狩猟をしたことはない。話をじっと聞いていると。
「ヒュオォォォ」
「ワオーン」
アニシアスとベネトが連れていた犬がしびれを切らしたようにほぼ同時に鳴いた。
気づけば、だいぶ陽が傾いている。
「あの、」
アニシアスに駆け寄るあいだもナンシーの心はゆれていた。
けれど、振り返ってベネトをみたとき、口に出していた。
「明日も、会えるのかな」
「今度、イノシシさばいた料理食べさせてやろうか?うまいぞ」
ベネトナシュが笑っていったので、ナンシーも笑った。