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村娘と喪失の棺3

(関わるな、って最初にいわれたのに、けっきょくおしかけちゃったし……仕事ほっぽっちゃったし……なにしてんだろう、私)


ベネトナシュに偶然に出会い、本をしまう作業の手伝いを終えて家に戻ったナンシーは、休憩に行ってしばらく戻ってこなかった理由を叔母にたずねられた。なにかあったのかと。どこへいっていたのと。

叔母はナンシーを心配していただけで、責めるような言葉はなかったが、正直にいうことができず、居眠りをずっとしていたとか適当な嘘をついてしまった。

その日の農作業の手伝いの残りをして夕食が終わり、粗末な布団にくるまり、寝返りをうちながらなんで自分はそんな嘘をついてしまったんだろうと思った時。

これから眠りにつかなければいけないのに胸が痛み、、痛みでナンシーはそれまでのフワフワした夢から現実に引き戻された。


村の人たちがベネトナシュを異物として扱い、避けるのは彼の歯に衣着せぬ物言いのせいばかりではない。

王都からの仕事を引き受けて生活の糧としているベネトと、農作業に従事して生きているナンシーや村人たちでは、生き方がすでに違う。

違う世界というのは、みたこともないものたちでキラキラしていて夢のようだ。ナンシーもすっかり夢中になってしまった。

でも、ナンシーは現実の世界で生きている。夢の世界でのことは、嘘だから、現実に持ち込めない。

嘘と表現するのが言い過ぎだとしても、ベネトの現実はナンシーの生きる現実ではない。


だから、「午後はずっとベネトと居た」なんて、いえない。

楽しかったけど、それは夢だから。

現実にもどれば、流行り病で両親をなくした忌み子同士がなぜ一緒に居るのか、一緒に居てどうするのか、いろんなことを聞かれる。説明しなければならない。

そして、ナンシーはそれにうまく答えられない。

ナンシーをとりまく現実は、「楽しいから」では納得しない。

それは、とても面倒で苦しいこと。

たぶん、ベネトは頭が良いから、最初から全部そうなることがわかっていて、ナンシーに「関わるな」といった。

ナンシーは基本的に自分がひとより賢くないことをわかっているので、いつもひとにいわれたようにしてきた。

なのに、彼を追いかけてしまった。


どうして?


伏せた身体を仰向けにすれば開け放たれた窓からは夜の星が見える。

冬の澄んだ大気の中で輝く星たちと違い、温められた空気によって生じた雲により、春の終わりの星たちは、霞ががかっている。

胸が締め付けられれば、雲に動きはなくとも、星の輪郭はにじんだ。



※ ※ ※


同じころ。ベネトナシュは祖父から渡された本の内容を書き写す作業をしていた。

書かれている内容はすべて頭に入っているのに、腕の動く速度は読むのに比べて格段に遅く、汗や脂をつけないようにしたりインクの量に気を付けなければならないのがもどかしい。

そもそも、「知識や文字は魔力と同じく聖別されたもので万人が扱うべきではない」「だから写本は限られた人間だけが行うべきもの」という思想がおかしいとベネトは感じる。

読みたいと思う者には読ませればいいのだ。それで薄れる価値や神秘性など、はなからその程度だっただけのもの。

ナンシーは、本に興味を持っていたようだった。彼女に字を教えてやれば、すぐに覚えるのではないだろうか。そうすれば、手伝ってもらうことも。

そこまで考えたとき、ペン先が嫌な音を立てて、インクが滲んだ。


「関わるなよ、って言ったのになにしてんだろな……」


それは、自分に向けた言葉。

文字を扱うものが増えればいいとは思っていたが、だれかに自分の傍で手伝ってほしいと思ったことはなかったし、自分の仕事を手伝わせたこともなかった。


ウィヤルのことにしても、日ごろから気に入らないとは常に思っていたが、あの日、あの時やつに絡もうとは思っていなかった。

ただ、ナンシーをあの広場で見かけたとき。

数か月ほど前に、ウィヤルがナンシーにちょっかいをかけ、ナンシーがそれを遠慮がちながらも拒絶したとき、ウィヤルが口汚く罵ったこと。

それと自分がただ見ていたことを思い出して、気が付いたらウィヤルの方へ向かっていた。


ウィヤルがどういう反応をしてきてもベネトは自分の身を守る算段はあったが、どう考えてもあの日あのとき攻撃することが相手にとって一番効果的とはいえなかったのでそうした理由はわからない。

むしろ、計算外とはいえナンシーが関わってきたので、かなりよくない方に転がったと感じた。

ベネトだけなら対処できるが、ナンシーはウィヤルに恨まれたら自分の身を守れるかどうかあやうい。

だから、これ以上関わるな、といったのに。

自分で、台無しにしている。


(落ち着けよ、俺)


インクが滲んだ箇所を確認して、修正の処置ができるか確かめる。

その作業をしている合間も、思考はとりとめもなく浮かんでくる。


矛盾しているもの、はっきりしていないもの、理由がないものというのがベネトは好きではない。


関わるなといったら、それでその相手とは終わりなはずなのに。

そもそも、ナンシーに関わるなと言ったとき、喉が押し潰されたような声になってしまった理由もわからない。

たくさんの相手に言ってきた、当たり前の言葉。なのに、なぜあのときだけ痛かったのか。

はっきりしない。わからない。

だから、明瞭な答えを出したいのに、思考はとりとめもなく、まるで計算途中で投げ出された整理されていない汚い数式の並びをみているような気分になる。

こういう状態は初めてで、我知らず、ベネトはため息をついていた。


「どうした。柄にもなくため息なんぞついて」

「う、わ!」


いつのまにか祖父であるノアが背後に立っていて、いきなり声をかけられたベネトは驚いてとびあがり椅子からずり落ちそうになった。


「勝手に入ってくんなジジイ」

「ノックはしたぞ。棚にしまっておいた茶葉がないんだが?」

「どうせ飲まねえだろ。それに菓子類には手を付けてねえぞ」


祖父のノアはベネトの言葉遣いが多少荒くても度を越さない限りはあまり注意をしないが、生活態度にはうるさい。そのうえ、ノアは甘いものが好物なのでそれに関する事柄にたいしては更に厳しくなる。

昔、ベネトがノアがしまっておいた菓子をうっかりたいらげてしまったときは家庭内大戦争が勃発した。ベネトに《魔法》が使えなかったら応戦すらできず祖父の繰り出す《魔法》に一方的にボコられていただろう。


「誰かきて、その相手に出したのか?」

「そうだよ。ジジイが寝てるとき仕事を手伝ってもらったんだよ」


ベネトが応えると、ノアはいやな笑い方をする。


「そういえばおなごの声がしたな……ほうほう。儂が寝てるときに連れ込んだのか」

「なにくだらねーこと言ってるんだ。どっかの誰かが寝てるせいで仕事の人手が足りなかったと言った方がわかりやすかったか?」

「お前が他人に茶を淹れてやるとはな」

「だから、何ニヤついてんだ。前に蔵を増築したとき作業員のおっさんたちにも茶をだしてやってたのは俺だろうがよ。ボケて忘れたのか?」

「まだボケてはおらんわ。しっかり覚えているぞ。今日みたいにお前がニヤニヤしていなかったこともな」

「ニヤついてんのはそっちだろ。つーか、半裸のおっさんどもに囲まれてニヤニヤする孫を望んでたのかよ。ヒくわ」

「むかしは可愛かったのにのう。口のへらんことだ」

「むかしはそうだったとしてもあんたの孫なんだから可愛く成長するわけないだろう。何しにきたんだよ」


顔立ちも性格も若いときの祖父にそっくりだと、むかし、王都で暮らしていたころ両親によく言われた。

その頃は、イリューサットの山奥に住んでいる祖父がこんな性格だとは思いもしなかった。


「気分転換にイジりにきただけだ」

「帰れ。寝ろ」

「というのは冗談で、お前、星の並びをみて気づいたことはないか?」


ノアの言葉に、ベネトも真顔になる。

ここ数年は《揺るがない星》首座の位置が入れ替わりつつある時期だ。

インチキ予言者がこの世の終わりだとか定期的に言い出す時期でもあるが、過去自然環境が急激に変化していた記録は実際にあった。地殻変動や農作物の不作などは可能性として十分にあり得る。

だから、王都の天文学者のようにベナトも毎夜観察していた。

ぼやけた春の夜はしまらないなとか、霧が鬱陶しいなと思いながら。


「計算で出た数字で見ると動いてるのはわかるけど、見た感じではやっぱそんなに動きってのは感じられないもんだな」

「やはり肉眼ではとらえられんか……」

「いや普通に望遠鏡を使ってんだけど?っていうかそれで計算しだんだけど?」

「そっちの意味ではない。これでみたとき、星のつながりに異常があった」


ノアは懐から金属製の手筒を出してみせた。一見、ただの万華鏡にもみえるそれは、レンズの部分が特殊な魔法石でできている≪魔導具≫だった。不必要にもみえる装飾や散りばめられた宝石は、みんな魔力を増幅させるための仕組みの一部だ。


「……そっちかよ。正直、そっちは苦手なんだけどな……つーかジジイも俺に魔力や魔法の才能は無いって知ってるだろ。なんで俺に聞くんだよ?」

「お前の運命に関係のある話だからだ」

「運命?真顔で気持ち悪いこといわれても困る」

「お前はバカにして茶化すが、星が軌道を描くのと同じようにひとにはさだめというものが確かにある」

「俺の知らないあいだに詩人のサロンにでも入り浸って来たのか?」

「そこまでわかりやすく話題にしたがらないあたり、自分で気になることがあるんじゃな」

「…………」


実は、ここのところ何種類かの同じ夢を繰り返しみる。

ひとつは、ばら撒かれた夜空の中心に居座る巨大な女郎蜘蛛の夢だ。

蜘蛛の腹の模様は目や鼻や口から血を流した人びとの苦悶に満ちた顔で埋め尽くされており、うめき声が星のきらめきにのって届いてくる。

糸をつむいでいる蜘蛛が、一瞬だけ、こちらをみたような気がした。

ひとつは、薄暗い洞窟のような場所で、棺の蓋に手をかける夢。

最後は、自分が殺される夢。


「わかんねぇよ……同じ夢をみるけど、俺が読んだ本の内容を眠ってる間に頭が繰り返してる、それだけかもしれねえし……。魔力でしか確認できなかったっていう、星のつながりの異常ってなんだよ」

「星が、蜘蛛の巣に絡めとられているようにみえる」

「…………まじかよ」


ベネトナシュ。その名前は、「棺の蓋に手をかけるもの」という意味。

真珠の糸を紡ぐ娘たちのなかのひとりだ。




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