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村娘と喪失の棺25

強い風に巻き上げられて赤や黄色に色づいた葉がバルコニーに落ちてくるのが、やけにゆっくりに感じるとナンシーは思った。それだけ、緊張していると気づかずに。


「ああ、ナンシー。顔色が悪いね。風が出て寒くなってきたし、部屋に移ろうか」


声をかけたシーラより早く、ベネトナシュがナンシーの背を庇って部屋へと招く。

肩がふるえていたのは寒さのせいだけではない。シーラが、本物ではない。その意味が理解できない。なら、自分と一緒に居たひとは?優しい態度の意味は?かけてくれた言葉は?それらがすべて塗りつぶされていくようで、今まで見ていた景色すらうそ寒い。

窓を閉めると、先にテーブルについていた二人の向かい側に座りシーラは語り出す。


「ベネトナシュ。キミは私の家についてどこまで調べられたのかな」

「ファン・アール・ド・シェイ・ストリークヴィダル家。今の王朝が成立する数百年前から文書管理を担っている一族。表向きはそういう肩書になってる。だが」


ベネトナシュの瞳が険しくなる。


「一般的な文書による記録だけでなく、別な方法・媒体で情報を保存しているというのが専らの噂だ。今の時代、法の範囲を超えた口伝を行っているとも」

「『法の範囲を超えた口伝』……?どういうこと?木や羊皮紙、紙が無いから、言葉だけで情報を伝えて保存するだけだよね?それは法に触れてるの?」


ナンシーの問いに、ベネトナシュは首を振る。


「普通は口伝というその行為だけなら触れない。というか、そもそも帝政成立前にはそれを禁ずる法律自体が無く、文字を持たない文化の記録はすべて口伝だ。だから文字が発明される以前の人々は後世に記録を伝えるため、記憶力が特別優れた者を今でいう本の代わりにしていた。その役目を持った者は伝えられる情報の内容の改竄はもちろん、一字一句たがえることも許されない。

けれどそんな才能を持った者は稀だし、その行為自体も負担がかかる。だから常人ではなく心身に障害はあるがある特定の分野の記憶だけはとびぬけた者を選び、すべて記憶させて伝えていた」

「……普通の人は負担だけど、それを負担に思わない人にすべてを記憶する役目を負わせてた、ってこと?」

「綺麗な言い方をすれば。ただ、この役目は基本的に身分の高い者には絶対に回ってこない」

「え……どうして?」

「生きている文書だからだ。征服者たちは自分たちにとって都合の悪い記憶が残らないように、伝承者を常に殺していた。浄化をして回っているとき、そうやって殺された者を供養する……塚をナンシーもいくつか見てるはず」


記憶を、みていると口に出すのを、ベネトナシュは躊躇った。シーラは頷く。


「そう。わが家はね、文書によって書き記すことは一切禁じられているが、それでも伝えなくてはならない歴史的出来事を口伝によって伝えるという役目を負っていた。民衆に知られては非常に困るが、為政者は知っていなければならないことなどだね。だから、賎民と蔑まれる身でも首切りを免れた。

だがベネトナシュの言うように唱謡の才を持つものは限られる。負担も甚大だ。文字という文化が一般化してからは人格を阻害するおそれがあるほどの情報量を個人に詰め込む行為は非難の対象になるようになった。……富国強兵の名のもとの教育を除いては。

さて、そんな中、その限られた才能を持つ娘のひとり・シーラが事故で夭逝してしまったので、私は彼女の代わりに迎え入れられた。別におかしい話じゃないだろう。亡くなったシーラ嬢の墓はちゃんとあって、私も定期的にお参りをしているよ」

「養子を迎えること自体は別に珍しくもない。だが家に迎え入れられるまでの記録が、どんなに調べても存在しないのはおかしい」

「まあ、私は、下水で拾われた子だからね。家に迎えられなければ死んでいただろう」


さらりとした言葉に、ナンシーは衝撃を受ける。彼女の顔色が変わったのをみて、シーラはその美しい顔を曇らせた。


「……ナンシー、私の出自が卑しい身分の者でがっかりしたかい?……そう、だよね……私は、それが怖かったのかもしれない」


ナンシーは激しく頭を振る。眦に浮かんだ雫を勢いよく払うように。


「違います。私、シーラさんのこと、本当に、なにも、何も知らなかった。何も知らないのに、勝手に……嫉妬してたり、憧れたり、気持ちを押し付けてた。自分勝手すぎて、そういうバカな自分がいやになったんです」


安堵のようなため息がナンシーの耳元でした。顔をあげると、いつのまに椅子から立ち上がったのかすぐそばでシーラは笑っていた。


「何だ。そんなことか。人間ってわからないものほど憧れるものだし、別に恥じたり厭うようなことじゃない。虹になりたいとか星に憧れるのはその現象や成り立ちがよくわからないからだし、自分にとって身近過ぎるもの、そうだな、自分の胃とか爪なんかは憧れの対象にはなりえない。とりあえず、幻滅されたんじゃないなら安心したよ」


シーラがそのままナンシーを抱こうとすると、ベネトナシュが立ち上がる。


「離れろ。俺はまだ疑ってる」

「おや失礼。その青い瞳が私のへ慈悲の為に揺れてくれたのだと思うと、嬉しくて、ついね」


「というか、本人が隠してたどころか普通の人間は表の顔しか知りえない国家機密に関わるんだから知りようがない。そんなのナンシーが気に病むようなことじゃない」


本当は「それが怖かった」なんて白々しい、という言葉が胸まで出かかったがベネトナシュは必至で抑えた。代わりに、重ねて訊ねる。


「ストリークヴィダル家の口伝の中に、蜘蛛に関するものもあるんだろう。ナンシーの身を案じるなら、何故、黙ってた」

「だって、それを知りたいのはキミの方だろう。ナンシー、知りたい?」


悪戯っぽい輝きを含んだ瞳でみられて、ナンシーはドキッとする。軽く訊ねられるが、それは――禁忌なのでは。


「でも、文字で記録してはいけないし、本当は話してもいけないから、今まで黙ってたんじゃないんですか?」

「そうだね。蜘蛛に関わる伝承をすべて吐き出していたら数週間はかかるし、聞いたらキミとナンシーの命がないという内容もある。あの蜘蛛……というかお二方は、耳や目ににすれば脳と眼球に蛆が沸き、口にすれば臓腑が腐れ堕ちると言われた匿命神だ。だから書き記せないし、本来ならたやすく口にもできない」


ベネトナシュとシーラ。しばし二人は睨み合う。先に口を開いたのは、ベネトナシュだった。


「……蜘蛛に関わる伝承の内容は、魔術を使えない者が使えるようになる方法や魔術の根源的な仕組みと、その補足である紐で出来た言語についてだな」

「そうだよ。口伝以外の内容は、紐の長さと縄目の種類、そして位置で表される……だがね、ベネトナシュ。私が話せる範囲のことで、キミが知り得た以上の目新しい情報はないと思うよ。キミは蜘蛛の形をした経絡図を既に何処かで見ているのだろう?そこからファン・アール・ド・シェイ・ストリークヴィダル家の裏の顔に辿り着いた」


ナンシーにはふたりのやりとりが何のことか、どうしてそうなったのかさっぱりわからない。


「ねえ、蜘蛛の図……って、何?」

「……むかし……その当時は何が何だか分からなかったが、蜘蛛女神を崇めてた連中のたまり場に行ったことがある。共通無意識。身体に穴を開ける。縄で輪を作って、そこに頭を入れる。狂人の所業だが、奴らなりに全部意味があったのか……いや、とにかく、俺はそこでいろいろ見ていて、それを思い出したから」


ベネトナシュにしては物言いが曖昧でひどく歯切れが悪い。彼が「むかしのこと」を訊かれるのは好きではないと、ナンシーは知っている。その理屈と気持ちはわかる。だって、もう起きてしまった事は変えられないし、どうしようもできないからだ。けれど。それを、「見ない」ようにするのは――

ナンシーが言葉を探しているうちに、ベネトナシュの視線は光を取り戻し、相手にそれを向ける。


「で、結局、シーラを名乗るお前は誰なんだ。普通の人間がストリークヴィダル家に迎え入れられるわけがない」

「……?シーラさんは、すごい記憶力を持ってるから、その才能を認められて養子になったんじゃないの?」

「本をいくつも暗記してそこに書かれた文章を逆さから読み上げる記憶力があったとしても、それだけで養子縁組をできるほどストリークヴィダル家は甘くない。他に、何かがあったはずだ」


ベネトナシュの疑惑もどこ吹く風のように、シーラはやや退屈そうに人差し指で、風によってかき乱されて垂れた銀色の髪をひと房もてあそぶだけだ。


「『何か』が……?」


ただ、ナンシーが見上げると、シーラは微笑む。


「私はね、他人の記憶を持っているんだよ。その特異性を認められたのさ」

「また誤魔化しみたいな物言いか。目をつけられたのは記憶を持てる能力じゃなくて、持っている記憶の内容だったんだろ」

「そうだよ。ご名答」


二人のやりとりが、何か変だ。会話というよりは、ナンシーは違和感をおぼえる。まるで、特定の形式を確認しているような。


「……その記憶に、あるんだろう。この世界では記憶されてない神にまつわることが。俺が訊いてるのはそれだ」


シーラは手を叩いた。珍しく、ベネトナシュに対して本当に笑っている。


「条件を理解してるようじゃないか。そう。私は、先ず訊かれなければ封じられた記憶にまつわることは話せない。キミが知識を私から引き出したければ、適切な質問をしない限りは答えは手に入らない。家に迎え入れていただいた時から、私はそういう風に、<為って>いる。そういう契約だ」

「それは……シーラさんが、そういうふうに作り変えらえてしまったということ?」

「ナンシー、心を痛めなくていい。さっきもいったけれど、貴族の家に拾われていなければ私はここでの生を終えていて、キミに会うこともなかったのだから」


長い話だからね、そういってシーラは立ち上がっているついでとお茶をつぎ足し、語り始めた。ベネトナシュもおとなしく座る。


「私の最も古い記憶は、ここではない世界に在る極寒の地で、中流貴族の息子として生まれた記憶だ。この家は本来貴族ではなかった。それどころか歴史を紐解けば正統派教会から異端視されている宗派だった。

この宗派は教会から異端視され分裂したのちは、教会を持たず祭壇を背負い教典を身に着けて流離っていたが、その生活を続けるうちに巨大な人脈が結成され、ある者はそれをもとに商才を発揮していた。私が生まれた家もそんな中のひとつで、その国――ルーシアを支えている織物工業の大きな一角となったことで貴族の位を金で買うことができるようにまでなった。

いままでは墓すら作ることも許されなかったが、同胞たちが経済で頭角を現してきたことにより首都郊外に共同墓地を作ることも許可されるようになった。墓地の管理・運営を経て異端と蔑まれていてた我々の結束はますます高まった。

だがそういった者どもが金脈とそれにまつわる独自の情報網を形成して力をつけてくるのを、政治中枢に食い込んでいる正統派教会の者は恐れた。自分たちの地位が脅かされるのではないか、とね。

だから小さな島国と戦争が始まったとき、戦争を口実に正統派以外の者を捕えて戦地に送り込み、わざと兵糧を送らずに飢え死にさせたり、満足な装備をもたせないで極寒の地に送り込んで大量に始末していた。

私も当時の革命思想にかぶれていてね。奴隷解放のために彼らに無償で農地を貸した罪と体制派に対する批判的内容を本にした罪で戦地に送られた。

戦う以前に味方によって用意された劣悪な環境によって同志たちは皆死んでいき、犬死にしても適切な埋葬すら許されない。そんな中、私は奇跡にあってしまったんだよ。それがナンシー、キミが目にした祈りの文を受け取るべきあのお方だ。

あの良く晴れた日、戦略的撤退の名のもとに負傷兵と共に置き去りにされた私は、砂煙を起こしながら追撃してくる敵兵の群れを目の当たりにして死を覚悟した。

耳を劈く轟音が鳴り響いて、最初は、砲撃があったのかと思った。つぎに、目を開けていられないほどの眩い光。それらにともなう激しい衝撃に私は目を閉じて身を伏せた。焼けた弾が着弾したのならそんな事をしたところで生き延びられないのに。だが私は生きていて、瞳をひらくと目の前には茶褐色の軍服の切れ端と銃剣、それをかつて身に着けていたものが破片と化して散乱していた。そして、虹を見たんだ。

正確には、頭頂部に光輪のような虹を携え、背中から白い羽のような節足動物の脚を生やした青い人影を。

『追って来ただけのつもりだったのに、間違って、着地してしまったようだ』戦場に不自然なほど清浄な風が吹いた、と思った。『すまない。』それだけを残して、次の瞬間には消えてしまっていたよ。跡には、蝶の形をした巨大なクレーターだけが遺されていた。

あの方にしてみれば私は虫けらも同然だ。助けたつもりなど無かっただろう。だが私はあの方に助けられた。そのことが忘れられず、命が助かった後は私はあのお方を探し、それが叶わなず一生を終えた。

次に目が覚めた時、私はその世界で一番高い山の麓に暮らす貧しい一家の長男だった。東の方から鬼のような人々がやって来ていて、私たちの学びの地である寺院を破壊し、文化の蓄積である経文を次々に焼いたあと、大量に同族の鬼を送り込んで勝手に自分の土地にしてしまった。私たちの土地も奪われそうになり、激しく抵抗したが、私は捕まり、思想教育のための矯正所と名のついた収容所に入れられた。

そこで私たちはあまたの過酷な労働を課せられた。私は三年ほどアスファルトを敷き詰めた道路をひたすら作らされていた。その道は、私たちが使うものではない。戦車や砲台を積んだ車が通るための道で、そこからすべて鬼はやってくるのでその道路は地獄の鬼が通る道――アヴィチと呼ばれていた。

ろくな寝具も無く、寒さで眠れないでいると、夜の闇の中で経を唱えている者の声が聞こえた。そして、しきりに何かが擦れる音。収容所には何人か僧侶がいて、自らの伸びた爪が千切れると、その欠片を集めていた。僧侶は爪が百八つまで溜まるとそれでつないで数珠を作っていたんだ。夜ごと唱えられる経文とともに爪が摩擦で軋む音は不快で、おぞましかった。でも、それが彼らが収容所でできる数少ない支配への抵抗だった。チャチャルガンの種で作られた数珠を持っている者もいたが、その人はとても飢えていたのでその種をすべて食べてしまっていた。

明日目覚めたとして、またいつ終わるともしれない労働が始まるだけ。虐待された末に死に至った同胞たちの流した血や死体を模範囚として処理させられているうちに、いっそ目覚めなければ良いのにとすら願い始めたころ。いつもの真夜中に、突然に読経が途切れた。夜なのに真昼のように収容房が――いや施設全体が真昼のように明るくなり、一角が破壊されたのが鉄格子の向こうから見えた。蜂起した武装集団がやってきたのだと頭は判断した。心の底では、この光が別の存在だと願っていた。

混乱が起きて、私の房の鍵は開けられ、外に出た。足は暴徒と化した収容所民によって開かれた門の方ではなく、破壊が著しく広場と化していた場所に向かった。出口をもとめる囚人たちと押しとどめようとする看守たちとの戦闘がうそのように、そこには静寂があり、それを満たす月明りの下には、やはり、透き通る白い羽に似たものをいくつも背中から生じさせている青い影があった。

かの方は(ㇾプラ)を患ったために隔離病棟という名の掃き溜めに幽閉されていた老人のもとにひざまづき、語りかけていた。

『探しましたよ。僧宝御前(リンポチェ)。寺院が壊されてしまっていたので、貴方に壁画のことを教えてもらうしかないんです』

そうして老僧のひたいをおごそかに撫でると、宝物を扱うかのように抱き上げて、私が追いかける間もなくまたあの方は光に包まれて何処かへ消えてしまった。

自由になった私は以前と同じようにふたたびあの方を探したが、また、その生涯ではみつけることは叶わなかった。

その後に東の島国でもう一度、鳴須原詩弦と名乗るあの方に会ったのだが――これは私だけの大事な秘密だ。くわしく話す気はない。ただ、その時に私はあの方について行くことを願い、それを許されて、いま此処に在る」

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