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村娘と喪失の棺24

ナンシーと別れたベネトナシュは、モリスに襲われた話をしながらこの街で過去に起きた事件を聞き出していた。

過去の新聞記事が保管してある施設があれば早かったが、せいぜい一か月前の記事を保管して売っている店があるだけで、此処にはそのような施設は無かった。

そうなると人づてに聞いて回るしか手段がない。

事件の内容が悲惨すぎたせいで皆最初は口が重かったが、ベネトナシュがある程度知っている風なそぶりをみせると、それならと一様に語り出した。


(やっぱり相当恨まれてるな……だとすると……別な檻に入ってる可能性が高いな)


法では罪を犯した犯罪者は人間世界の檻に入ることになっているが、恨みを買い過ぎている場合、いまでは魔物が徘徊する外の檻に入れられそのままにされることがある。

ちいさな町や村では犯罪者を収容しておく施設に余裕などないのと魔物の相手で人間の監視まで人手が確保できないのもそういうことが起きる理由だ。

ベネトナシュはその線でふたたび話を聞いて回り、下町に住むある人物を探し当てた。

疥癬病みの肌のように無数の錆が斑になった扉をノックすると、熊も素手で殺せそうな大男が現れる。


「なんだよ、顔色の悪い小僧だな」


そういう男も顔色も人相も悪い。人々の話では、昔は陽気で人好きのする顔立ちをしていたそうだが、娘をモリスに殺されてから変わったという。


「モリスを熊でも逃げられない檻にぶち込んで、魔物の出る野に置いてきたのはあんたか?」

「……それを聞いてどうすんだよ」

「さあ?魔物に殺される前に、槍でつくか石を当てるか……」


底意地悪そうに笑って見せると、相手も同じような顔をした。そうして、モリスを入れた檻がどこにあるかを教えてくれた。

教えられた目印を頼りに街の北西へと進む。旧街道沿いに植えられた樹木の中で、一本だけ枯れている木がある。そこに置いてきたと。


教えられた情報を頼りにベネトナシュが檻を発見したとき、空は血のように赤い夕焼けに染まろうとしていた。慎重に檻に近づいていくと、檻の上部に禁呪の札が貼り付けられているのがみえた。モリスが使うのは姿が透明になる魔法だと聞いていたが、それ以外を警戒したのか。おそらく、外側下部にも貼られているのだろう。


「なんで襲って来たんだ」

「はあ?お前、さっきの……金貰ったんだよ」

「誰から」

「知るか。襲う相手だけ指定されて、成功したら倍出すと言われたからやったんだ」


さも当たり前のような口ぶりだが普通は金を貰って見ず知らずの人間を襲ったりしない。


「なあ、おい、出してくれよ!俺は、何一つ悪いことなんてしてねえんだ!」



――犯された後――顔を焼かれていて――

――あの子はまだ十にもなってなかった。頭の上で結った髪が、とても可愛かったのに――木の枝には、結った髪の毛の束とそれにくっついた頭の皮だけが木に吊るされていて――


街の人間がそれぞれに、途切れ途切れに語った事件の詳細。彼らの断片的な言葉をすべてつなぎ合わせても、矛盾はなかったし、その所業をなぜ許さなければならないのかという怒り。それが嘘だとはとても思えない。だが、一応言い分をきく。


「指名手配の罪状は嘘だと?」

「それはやったよ!でもそこらへんの女捕まえたり、ガキの髪の毛つかんで振り回しただけだぜ?頭の皮が剥がれて泣き喚いたときは笑えたけどな!」


モリスの哄笑は眉間に当たったちいさな小石によって遮られた。


「……ああ?何すんだよ!痛てぇじゃねえか!お前や他の連中が怒っても意味ねえし、似たような事はみんなやってんだよ」


流れ出した血を拭いながら、モリスは忌々しそうに石を投げてきたベネトナシュを睨みつける。


「俺よりヤバい奴なんてたくさんいるし、お前だって条件が揃えばヤるだろ?俺だけが運が悪くて捕まったんだ!魔物が出てきたおかげで犯すも殺すもみんなあれのせいにデキたのに!」


聞いたことすら間違いだった。石で眼球を狙いたくなる前に、さっさと用件を済ませてしまおうと、ベネトナシュは檻に近寄る。


「お前が無実だとしても俺は檻の鍵は持ってない」


モリスが檻の隙間から腕をだしてくるのを警戒しながら、少しずつ距離をつめる。間違って服の裾でも掴まれたら、そのまま首を絞められるだろう。


「この檻を壊せる道具くらい持ってるだろ?持って来いよ!」

「そこまでしてやる義理も無い。でも、これを持ってれば魔物に襲われても助かる」


ベネトナシュの二本の指にかけられた紐の先で、夕闇のなか、蝶々が揺れている。


「ハア?バカにしやがって……」

「無理に押し付けたりはしない。お前が選べ」


モリスの瞳に迷いが浮かんでいる。ベネトナシュは指にかけた蝶を中空に放った。

檻が音を立てて揺れる。

モリスは貪欲に鉄格子の間から手を伸ばし、紐で編まれた蝶を掴んでいた。



※ ※ ※



窓から差し込む朝日。けたたましく鳴いている渡り鳥。いつもの朝だったが、ナンシーは与えられた部屋でため息をついていた。

今日の朝か昼にでも行軍が開始されると思っていたが、早朝の連絡で、出立は明日になると告げられた。それはいい。

憂鬱の原因は昨日の出来事もありナンシーは外に出ることを禁止されていることだた。当然いつものように働くこともできない。

昨日の夜から護衛がしやすい客室棟に移され、ひとりそわそわと落ち着かなかった。

気持ちが乱れているせいなのか、紐細工をつくることにも集中できない。


(どうしよう……前は、嫌なことがあっても何か作ってれば忘れられたのに)


気分を変えたい。そして、部屋からでて移動することまでは禁止されていなかったことを思い出す。扉を開けて、ナンシーは部屋を出た。


けれど上下の階段は警備閉鎖中で上下には移動できない状態だった。階段近くの応接室は使用中で入り口には警備が立っている。ただ、廊下の突き当りにあった書斎は扉が開いていた。

扉の横には「解放中」の看板があり、来客用に設えられたもののようだった。ナンシーは中に入る。

棚に入っている蔵書の種類は偏っていて、法令の記録と自然科学関係の書物が多かった。


(うーん、数学でも計算理論とか記号論とかの本が多い……ちょっと……せめて解析か図形……でも、過去の事件が分かるからいっそ法律の方が……?)


真剣に悩んでいたのでナンシーはドアの開く音に気が付かなかった。


「おや!先客とは!」


ルニアークに声をかけられ、飛び跳ねそうになるくらいナンシーは驚く。


「いいよね!論理学!僕はこの分野が割と好きなんだ。……と、そうだ、また、言うのを忘れる所だった。蔵書を管理する人手が欲しいから、事が終わったら僕の所にきて司書になってくれ」


物言いが突拍子無いのはいつもだが何故そんなことを言われるのか本当にわからない。


「あの、何故ですか……?」


しかも、ルニアークの方が首をフクロウのようにかしげる。


「自分の蔵書を信用できない奴に管理させる愚か者のことなんて知らないよ。そいつらは見ず知らずの者に自分の心臓や眼球を貸してやるんだろう」

「伯爵さま、私とは出会ったばかりですですよね?身元が知れないのは同じでは……それに、お仕事には資格がいるのでは」


首をかしげた際にズレた眼鏡の位置をルニアークは人差し指と中指を添えて直す。


「司書の資格をぶら下げて突進してくるようなのは何人か居たよ。そいつらは僕の懐に入り込んで金銀象嵌が施されている本を物色し解体して売り捌くのが目当て。

そうでなければこのルニアーク伯爵家の図書館に勤めていることだけに価値があると勘違いしている愚か者の群れだった。僕は蔵書の内容に価値を認めその保全に真摯に向き合うことができる心根と能力がある者を探している」

「真摯……心根と能力……具体的にはどのような人でしょうか」

「普通の人間は盗みに入ってきた輩が刃物を出したら本を捨てて逃げだすか分厚い蔵書を盾にして刃を防ごうとする。代わりに本を庇ってくれる素質のある人間を探している」


そんな人はいない。

ナンシーは言いかけたが、言い換えた。


「私に、その素質や能力があると思えません」


「え?ちゃんと僕の頼んだ蔵書を探してきてくれるし本の扱いもちゃんとしてるし管理方法だってわきまえてるし盗賊が蔵書を狙って襲ってきたとしても戦えるよね?」


価値のあるものをたくさん持ちすぎるとそれを狙って恐ろしい人が押し寄せてくるようだ。持ち主のルニアークがおかしいのもそれが理由なのかもしれない。

ナンシーは盗みはしないが、ルニアーク伯の元で働けば、ただ紛失や損壊に気を付けて蔵書を管理するだけでなく蔵書を狙って犯罪も辞さない輩の対策も立てなければならないのだろうし、その場合は太刀打ちできないとナンシーは思う。


「いえ、戦えないです」

「言い方が違ってたかな。捕らえることができるよね?魔力で作った網で」

「なぜ、それをご存じなのですか」


何度かルニアークと調査をしたことはあるが、魔力の網はまだ見せたことがない。


「驚くようなことかな。噂になってるじゃないか。別に僕だけじゃない。クリストフだって知ってる。というか、奴から聞いた」


どんな噂になっているのか、どういう理由でそうなったのかわからない。


「でも、図書館が盗賊に襲われるような事態になったら混乱して何もできないと思います。噂の内容は私にはわかりませんし、現実とまったく関係ないおそれもあります。いざ雇われたら蔵書を傷つけてしまうかもしれません」

「それは困るな」

「なので、お話については畏れおおいので辞退します。警備のお仕事まではできません」


深々と頭をさげるナンシーをみて、ルニアークは神経質そうな指を頤にかける。


「うーん……強制はできないから仕方ない。でもやっぱり雇いたいな……普通の警備兵だと蔵書のことまで気にしてくれないからね……たとえば、火事があって人と本が燃えてたらあの人達真っ先に人の方を助けるだろう?」

「それが正しい姿では?」

「そういう人間はもちろん素晴らしいし必要だけど僕が欲しいのは本を優先してくれる人材なんだよね。蔵書はけして損なわれるべきでない財産だと叩きこまれていたとしても、教えられずとも心からそう思うのでは咄嗟の反応がまるで違う。金銀宝石の装飾がなされていない本のことはただの古い羊皮紙や紙の束としか思えない奴も多い」

「私も人命が優先だと思いますので……」


というか、同じことを言葉を変えて振られても困る。


「そう……?気が変わったら申し出てくれ。それで、これは別件なんだけどね」


お話はまだ続くようだ。仕事がありますからと退室したいがナンシーが行動を制限されていることはルニアークも知っている可能性がある。

どうしたものかと迷っていると、足音がこちらに向かってくるのが聞こえた。


「ロノウェ様。クリストフが探していましたよ」


やや乱暴に扉を開いでベネトナシュが入ってくるが、ルニアークは一瞥しただけだ。


「そうなんだ。まあでも僕、クリストフを困らせるのも仕事のうちだし。もうすこし話したい」

「寝言は寝て言え」

「何か言ったかい?ベネトナーーシュくん」


ルニアークは、ナのあとの部分を思い切りのばす。

ベネトナシュはものすごく嘘くさい笑顔で答えた。


「いいえ。何も。風が耳元でささやいたのでしょう」


そのあと本当にクリストフがやってきて、会合から逃げて来たらしいルニアークは連行されていった。


「あいつナンシーにまで……」

「ということはベネトも声をかけられたんだね」

「相変わらず人を選んでるんだか無節操だか良く分からないな……雇ってやるから貴重な蔵書を探し出してこいと言われたことはある」

「断ったんだね」

「金額が法外過ぎるから犯罪か冗談だと思ってた。あとあれが雇い主なのは嫌だ」

「ベネト……。でも、伯爵さま相手じゃなくてもベネトは雇われるの向いてない気がする」

「俺もそう思う」


ベネトナシュの声に、街の鐘楼の響きが重なった。

ふと表情が変わり、ベネトナシュはナンシーに背を向ける。


「出かけてくる」

「え、どこへ?ベネト、もうすぐお昼だよ」

「旧街道の方。用事が終わったら、すぐ戻る」


止める間もなかった。でも、どこか様子がおかしい。こっそりついて行ってしまおうか、そう思ったとき。


「ナンシー、ようやく解放されたよ。一緒にお昼をどうかな」


かなりやつれた様子のシーラがナンシーの元へ現れて、食堂に連れ出された。



※ ※ ※



一夜が過ぎて、檻の中の男は事切れようとしていた。

モリスはベネトナシュをみると血反吐を吐きながら恨めし気に見上げる。


「お、お前、持ってるんだろ……この魔法の護符みたいなのの他に、何か……」

「何か?」

「トボけてんじゃねえ!こいつ、一回だけ俺を守ったんだ!」


魔物の二度目以降の攻撃は両手を使って必死に凌いだのだろう、血塗れの指にはあの紐細工が握られていた。


「なあ!助けろよ!俺を!」

「お前はそうやって泣き叫ぶ子どもを助けたことがあったのか?」

「ハア?死んだガキのことを言ってんのか?それがどうし……」


モリスは言葉を続けることができなかった。背後から槍のように繰り出された枝が、後頭部を突き破り喉と眼球を突き刺したからだ。

ずるり、と枝が抜き出されると檻の中の身体はぐにゃりと崩れて萎み、そのまま蒸発した。

ベネトナシュはモリスを殺した相手を確認する。

背中から生やした九本の枝それぞれに生首が突き刺さっている木乃伊だ。

あちこちで徘徊していてクアカクアウマイトゥ(骸骨枝)と呼ばれているのを聞いたことがある。襲われた者の末路も。


(……街の奴ら、死体を埋めるのすら嫌だったんだな)


檻をつたい滴っていた血の臭いにつられてやってきたのだろう。木乃伊の背中から生えている、生首の刺さっていないすべての枝が伸びて、ベネトナシュに襲い掛かる。モリスの二の舞になる気はない。ベネトナシュは光の剣を自身の周囲に展開させると、放った。

光の剣は枝を切り落とし、枝を生やしているミイラを貫く。すると絶叫とともに木乃伊と枝は塵になって飛散し、後にはおよそ九つの骸骨だけが残った。


ベネトナシュはもう一度、檻を確認する。モリスと身にまとっていた服は消えていたが、ナンシーの編んだ蝶だけは檻の中に残されていた。

ベネトナシュは銀糸が編み込まれた手袋をして蝶を拾い、同じ素材でできた小さな袋に入れて回収した。

そうして、ため息を吐く。


従軍している者の中にはモリスほどとは言わないまでも精神性と所業がかなり近い者がかなり存在している。

この守りがそういう者だとしても分け隔てなく守るのか、それを知りたかった。


(人間はえり好みする。それが当たり前だ。分け隔て無いのは、神の所業……)


いつか何かの本で読んだ、教えが一つになる前に居た神々について書かれた本の一説が思い出され、我知らず、瞑目する。

眼球をつぶされた神は目を守り癒す。子どもを失った神は子どもを守る。財産を失った神は自らを頼る者に財産を与える。では、すべてを守る神とは?

考えたくない。胸に痛みが走る。だが、その痛みが、現実を認識させ、瞳をひらかせる。

目を逸らしたくても、考えなくてはいけない。


なぜ、ナンシーなのか。

あの蜘蛛神が自分で扉をどうにもできないのなら、扉を開け閉めできる者がもっと神の傀儡にしやすそうな人間を選んで扉を開くものとしてもよさそうなものなのに。

人間のナカに穴を開けて得体の知れない常世と通じる魔力をつなげ、代償に記憶や人格――あるいは願いの一部を奪うくらいが限界ということなのか。

ルニアークの魔力に関する研究について聞いていると、何かそれに関する一部を自分は失ったような気がするのだが、もはやあまり確かめたくない。昔は、それが一番だった気がするだけだ。

それよりベネトナシュの今知りたいこと、知らないことがまだたくさんある。

不確実な事は、ひとつひとつ潰していかなければならない。

ベネトナシュは街へと向かった。


※ ※ ※


ベネトナシュが街に戻ったときには昼を過ぎていて、ナンシーはようやく軍議から解放されたシーラと、客室のバルコニーでお茶をしていた。

幾何学模様の装飾が施されたティーカップにお茶を注いでいたシーラは、ベネトナシュをみると微笑んだ。


「やあ。キミのお茶はないよ」

「茶くらい自分で淹れる。そんなことより」


ベネトナシュはナンシーの隣の椅子に腰かけ、訊ねる。


「何故お前はユリアンティラ・シーラを名乗っているんだ?」


所々が錆びた椅子は、軋んでキィ、という音を立てる。


「おや。どうしたんだい。哲学的な問いを急に」


眉を顰めたのは、耳障りな金属音のせいなのか。


「訊き方が悪かったな。ユリアンティラ・シーラを名乗るお前は誰なんだ?本物はどうした」


かつて椅子を美しい色で覆っていただろう塗料は、錆びてハラハラと剥がれ落ちていく。


「ああ、家のことまで――成程、よく調べたね」


問われた内容とは裏腹に、そう応えたシーラの顔色も声も、まったく変わっていなかった。

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