村娘と喪失の棺21
ナンシーは、イリューサットを目指す行軍の大小さまざまな影をみつめる。毎日みていると、自分を含めてそれが徐々に長くなってきたのがわかる。
季節がもうすこし進めば、イリューサットの村は雪に閉じ込められるが、こちらはどうなるのだろう。
野営を三日繰り返した後に軍はハーファラの街にとどまることになり、ナンシーは渡されたリストに記載された積み荷の分類と確認を行う。
その仕事を終えると、街の中央にある公園のベンチの片隅で一息ついていた。ときおり吹きつける風は冷たく、赤く色づいた葉が、乾いた音を立てながらハラハラとベンチの周りに落ちる。
「こんなところに居たのか。寒くないの?」
「ベネト」
ぼんやりと景色を眺めていると、いつの間にか、ベネトナシュが居た。まるで猫のように足音も気配もしないから、声をかけられるまでまったく気づかなかった。
ナンシーの隣に積もった枯葉を払って、彼は腰かける。
「言われてみれば、寒いかも」
「ほら」
カップに入った温かいお茶を差し出される。湯気と共に花の香りが頬を撫でた。
ナンシーは気が付かなかったが噴水の傍にドライフラワーで飾られた屋台がでていて、そこで売られているようだった。大小さまざまな器を持った人が並んでいるのが見える。
「ありがとう。ベネトは飲まないの?」
「さっき飲んだ」
屋台はお茶を沸かすための燃料に松の葉やかさを使っているらしく、風向きが変わると雨上がりの森のような香りがナンシーの鼻をくすぐった。
「……髪に枯葉ついてる」
「えっ?気づかなかった」
頭に手をやり、あわてて取ろうとする。それをベネトナシュが制した。
「ちょっと待って。自分じゃ見えないだろ。俺がとる」
そう言った彼の手がナンシーの髪に触れそうになったとき。
「探したよ。二人とも」
噴水の向こうからシーラが歩いてくるのが見えた。
「更に厄介な問題がでてきたよ。……ナンシー、隣に座ってもいいかな?」
「どうぞ。でも、厄介な問題って?」
「冬に突撃するって話と、それか行軍自体をとりやめて巨大な魔法兵器を打ち込んでイリューサットの村ごと潰すって案だろ」
不機嫌なベネトナシュの声。ナンシーの隣に腰かけたシーラは、柳眉をやや大袈裟に上げた。
「おや、会議に参加しているわけでもないのによく知っていたね」
「噂でもちきりなのを知らないのは上の奴だけだろ。洗濯女や子供でも知ってる」
「冬に?」
ベネトナシュとシーラのやりとりにいつもは口をはさむことのないナンシーも、村の破壊や冬の行軍と聞いて驚きを露わにしてしまう。
「そんな、どうやっても不利なのに、なんで」
「どうしてそんな愚かなことを、とナンシーが思うのはもっともだよ。でもね」
シーラが次の言葉を紡ぐよりも早く、ベネトナシュが口を開いた。
「上のやつら雪中行軍がどんだけヤバいかなんて知らないからな。『天命をうけた行軍』と称して冬の山脈越えを敢行してその結果は隊の半分以上が死亡、残りは人肉を食べて命をつないでいたフィレモン隊の悲劇や、兵站ルート開拓のために派遣されていた三十人が天候悪化で行方不明になりその後死体が発見され、救出された六人も数日後には死亡したハイヴァリンダ事件でも紐解いてやったらどうだ」
まるでそこに字が書いてあるかのようにすらすらと言いつらねるベネトナシュに、ナンシーはすごいとは思いつつ話を遮るのはシーラさんに失礼ではないのかと言いかけた時。
「……参考にさせてもらうよ」
シーラは一言返しただけだった。いつもならきつく窘めるかやりこめるのに。その表情には複雑なものが滲んでいる。
いま居る三人のなかで貴族以上の身分があるのはシーラだけだ。
いちおう客人という扱いになっているナンシーの身分も、シーラが保証しているにすぎないし、ベネトナシュは貴重な属性能力はあり先の戦功があるものの社会的な身分は寒村の村人のひとりだ。
その理由で彼の発言はまったく上には通らない。その力があるのはシーラのみ。
「……シーラさんはそういうふうに間違いを指摘したり、上の人の耳に痛いことを言わなければならないんですよね?大丈夫なんですか……?」
シーラひとりが、負担を背負っている。
「どこかの愚か者と違って公衆の面前で間違いを指摘したりやり合ったりしないよ。そもそも、私の役目は事実を裏付ける記録や資料を集めたりその手段を見つけることだからね」
「でもお前、政治的にかなりやばいところまで踏み込んでるぞ。身辺には本当に気を付けた方がいい」
「どこかの愚か者」が誰をさしているのか気づいていないわけではないだろうに、ベネトナシュは珍しくシーラの身を案ずるように言った。
「キミがそういうことを言うとは相当なんだろうね。心に留めておくよ」
シーラがそういっても、ベネトナシュが危険を警告するなんて相当だ。ナンシーは不安になる。
「シーラさんをどうこうしようとしてる人が、上の人の中にいるってこと?そんな」
「お偉いさんには女が自分より発言権もつのが単純に許せないってやつも居るし、そもそも性別関係なく自分より優秀な存在が邪魔と思うやつは履いて捨てるほど居る」
村にだって諍いはあるし同じ人間である以上、ナンシーの目から見て信じられないほど豪華な宮殿に住み、天上の人に等しい身分のある人達にも村の人達やナンシーのように良くない気持ちや争いはあるだろう。
でも、その人たちは背負っているものが違う。国を動かしていたり影響力を持っている時点で、たくさんの人達の命や財産に責任がある。
「でも、シーラさんが居なくなったら私だけじゃなくみんな困るはずなのに。なんでそんなふうになるの?」
それは、とベネトナシュが口を開き、「やつらは自分のことしか目に入ってないからな」と言いかけたが、今度はシーラの礼によって遮られた。
「ナンシー、ありがとう」
「……魔物が突撃する前に人間同士がやりあって自滅が一番相手が望んでることだろうしな……」
言いかけた言葉のかわりに、ため息交じりにベネトナシュが吐きだす。
はっきりと口にはされないけれど、漂うどうしようもない、という閉塞感。
自分に、何かできることは。
「私だけ、どうにか先に行って扉を閉めることはできないかな……」
「何を言ってるんだ」
ベネトナシュとシーラの声がそろった。そしてお互いを見てなんともいえない微妙な顔をした。
「危険しかないじゃないか。キミが消えたら希望がついえるのに。そのときは、他の誰もついて行かなくても私はキミについていくよ」
「ひとりで行かせるわけ無いだろ。というかそんなことするくらいなら、俺が先に行く」
二人の声がまた揃ったので、ナンシーは笑ってしまう。
「ありがとう。……ごめん、おかしなこと言って」
その青い瞳の端に、すこしだけ涙がにじんでいるのをみてとったとき、ベネトナシュの表情が変わった。そうして、ナンシーに向き直る。
「ナンシー」
「な、何?」
声が妙に真剣だった。橄欖の瞳にじっとみつめられると、落ち着かない。
「少し時間がかかる。けど、待っててくれ」
そう言って立ち上がり、ベネトナシュは立ち上がって出ていった。
「どうしたんだろう」
「さあね」
やや上の空で答えながら、シーラは手にした懐中時計を見てため息をつく。
「私も、名残惜しいけれど居心地の良い場所を離れなければならない。またしばらく会えないのが残念だ」
ナンシーは、ひとりになる。両隣のふたりが消えて、身体が冷えてきていることに気づいた。公園の人の数も先ほどよりはまばらだ。空になったコップを携えて、与えられた借りの宿に帰ることにする。
なんとなく、寂しい。
不思議だ。少し前までナンシーは今と同じように毎日を独りで過ごし、独りで生きて死ぬはずだったのに。寂しいではなく、これが当たり前だったはずなのに。
(シーラさんには役目があって、ベネトナシュも、やることがある……私は)
歩きながら考える。村に居た時の自分はただ、息を殺して、死ななように生きていた。
でも、今は。
(私にも、できることと、やらなきゃいけないことがある)
ひとりになったから、思い出せた。
ひとりで飛び出していこうとしてしまった、その理由。
与えられた部屋に戻ると、隅に置かれた籠に入っている、色とりどりの紐が目に入る。
まだ、出来ることがあるのに、忘れていた。
紐を編んで作ったお守りが、ベネトナシュを守っていたというのなら。
(気休めかもしれないけど……可能性があるなら)
もし、偶然ではなくナンシーの作ったお守りに身に着けた人を護る力があるというのなら、これから魔物と戦わなければいけない人たちを護って欲しい。
二本の紐をそれぞれの指にかけて、ナンシーはお守りの形に編んでいく。
※ ※ ※
ナンシーと別れたベネトナシュは、殆どゴミで埋まっているハーファラの街の裏路地を通り抜けていた。ゴミと判別が難しい数あるいかがわしい看板の中で目的のものをみつけると、入り口にある地下階段を降りていく。
そこは会員制の社交場で、騎士や貴族、あるいはその従卒より下の身分の者は本来入れるはずのない場所だったが、ベネトナシュは紹介を受けていた。会員であることを示す記号と番号が彫られたタグを受付に見せて中に入る。
ゴミ溜めのような外とは違い、内装は美しい壁紙で覆われ天井からは硝子で装飾された蝋燭灯りがいくつもぶら下がっていたが、煙草と何かの煙が充満しているのであまり意味はないなと思う。
猫脚のラックにかけられている新聞を手に取って、開いているテーブルにつく。
「よお」
するとすぐに従軍している騎士――名前は覚えていない――に声をかけられた。
「なあ、お前を紹介してやったよしみで、他にもゲームを知らないか?」
「もうすでに胴元として取り仕切ってんだろ。あとは自分で考えろよ」
気安く回された腕を払う。だが彼は笑って離れていった。他の貴族や騎士から参加料をたんまり巻き上げて、羽振りと機嫌がいいのだろう。
築いた地位と財産を失いたくないだろうから、雪中行軍の危険をそれとなく吹き込んでやればあとは勝手に保身のために動いてくれそうだった。
すぐにまた別の男が現れて、ベネトナシュの前に座る。どこかの貴族の従者だったか。やはり名前は覚えていない。
「なあ、お前に前教えてもらったあの銘柄また上がったんだけど、どういう仕組みなんだよ?」
「さあな」
自分の投資先くらい自分で調べればいいのにそれをしない奴にちょっと入れ知恵をしただけだ。適当にあしらい、立ち上がる。
目につく人間手当たり次第に「賭ける金を貸してくれ」と縋る者たちを振り払い、目的の場所を目指す。
それは美しい光沢を放つカーテンで区切られた向こう、ひときわ豪奢なテーブルに座っていた。繊細な刺繍が施された絹のクロスの上に、裏面が縞瑪瑙で出来た占い札を広げて談笑している。皆、見るからに高そうな酒を蕩けた顔で味わっていた。
「よお。旦那がた」
「おや。ベネトナシュ」
全員、今回の世界の異変と軍事行動を商機としている商人たちだった。ベネトナシュをみると彼らは笑顔を向ける。
「この間の肉。あれは素晴らしい。虹色に輝く毛皮も」
「三重に捻じれた角と七つに枝分かれした角も想像以上に高く売れたよ」
扉が開かれてから徘徊するようになった魔物を、彼らは新しく現れた素敵な商品、あるいは魅力的な資源と見なしていた。
あれを商品にしたり食べる気になるという発想がベネトナシュには理解できなかったが、そもそも値段の無いものに値段をつけて生きている連中だし、今この世に存在している生き物や植物も、あらかじめ食べられると知っていなければ口に入れるのをためらうような見た目をしているものの方が多い。
「紫水晶の角と真珠みたいな牙のやつも良かったね」
「巨大な樹に寄生された人間みたいなのがいたけど、あっちは内臓がいい薬になりそうなんだ」
食べると死ぬ植物を加工して食べたりしているのが人間だし、そうなると彼らはある意味もっとも人間らしいといえるのかもしれない。だがそんな理屈を頭で並べてもベネトナシュには彼らはどうも人間より魔物に近いようにみえる。「寄生された人間みたいなの」ではなくてそれは人間なのではという発想が彼らには存在してないのか。敢えて見ないふりをしているのか。どちらにしても。
「あと死ぬと目玉が水晶玉みたいになる魔物の情報が欲しいんだよ」
「どれも北の方にしか居ない。イリューサットなら、もっと採れるかもしれない」
テーブルで占い札を弄んでいた者たちの目の色が変わった。
「あそこか……確か会議で破壊されることが決まったのでは?」
「いやまだ決定してはいないはず」
「ふむ……潤沢な資源をむざむざ……」
ベネトナシュは会話の流れをただみている。指図しないし具体的に勧めたりもしない。相手が自分で考えて決めたと思わなければ意味が無いからだ。
「推進派で発言権のあるマイルズとパスカルは嗅ぎ薬でなんとかできそうだが」
「向こうの体面もあるしな……これからさらに交渉してみるか」
話がベネトナシュの望んだ方向にいきそうなので、その場を離れた。いつまでも張り付いていると必要以上に下に見られるし、単純に長居したくない。
ここから出る前に新聞の内容にはついでに目を通しておこうと再び椅子に座る。
「ベネトナシュ。お前も来てたのか」
だが必要な部分に目をつけ、更に詳細に目を通そうとしたところで背後からまた声をかけられた。顔を上げる。やはり名前はおぼえていない。麦穂の色の金髪。いつも似たようなのとつるんでいて騎士の従卒の中でとりわけバカそうだと思ったことだけはあるような。
「あのポワポワ茶髪娘とお前、よく一緒に居るよな。まさか兄妹?じゃないよな。全然似てないし」
ベネトナシュが口を開く前に、すぐに年恰好も話し方も似たようなのが寄ってきた。
「おーい、ダニー。まさかあんなのに興味あるのかよ」
「ば、バカ!そんなんじゃねーよあんなブス」
ベネトナシュは黙ってダニーの顎に一発入れて、その場を後にした。
イライラとした思いのまま、夜風に向かいゴミ溜めと煙草の匂いを振り切るように歩く。
村でもそうだったが、ナンシーは無駄に優しいせいでおかしなのばかり引き寄せているなとベネトナシュは完全に自分のことを棚上げして思う。
輝く月を見上げてなんとなくナンシーの顔が見たくなったが、訪れるには非常識な時間になっていたしナンシーはベネトナシュに染みついた臭いについて訊ねるかもしれない。
(くっそ、取れねえ……)
ゴミに囲まれると自分もゴミになりたくなってくるし何もかもバカバカしい。昔はゴミの山を何か価値のあるものだと思っていた自分も含めて。
けれど、そのことがすべて何かしらナンシーの身を護ることになるなら、利用するだけだ。