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村娘と喪失の棺19


フラウドラと名乗った男から投げ渡された短剣を拾って顔を上げたとき、景色は一瞬にして様変わりしていた。

そしてまた、そこは知らない場所だった。


(どうなってんだよ……)


馬車用に整備されたどこかの街道らしい。影の位置と太陽の高さをみるに時間は昼前のようだ。

立て看板など目印になるものを探しながら、歩きだす。

シムシュ、と呼ばれ、ほぼ何もわからないまま放り出された。扱いが流刑と変わらない。


(都の絵画に似たようなのがあったような……アイアリスの伝承だったか……)


神の使いとして選ばれたアイアリスは、地上に落ちた衝撃で神から授かった力と記憶を失い、役目を果たさないまま未教化の土地をさすらう途中で異教徒の娘と恋仲になり結婚してしまう。

その罰として五体を裂かれて世界各地に埋められ、その身体の破片が紅玉と翠玉と紫水晶と玉髄と瑪瑙を生み出しているという。

この伝承が事実なら教会や国王は罪人の死骸の破片を有難がって装飾品に使っていることになるがそのことについてどういう折り合いをつけているのだろうと思うのだが、とにかく芸術のテーマとしては魅力的らしく複数の芸術家や小説家がよく題材にしているから興味が無くても嫌でも目に入った。

しかし残念なことに、似た境遇とはいえ自分が直面しているは神話の流刑ではなく紛れもない現実で、途方に暮れている暇は無い。

不気味な赤髪の男のいう事には、二六〇日後までにナンシーという村娘を殺せなければ、自分は殺されるそうなので尚更時間が無い。


(勝手に命令されてもな……)


首枷をつけられているので逃げられない。首にかけられた銀色の細い蜘蛛の脚はたやすく千切れそうなのに相変わらずの強度だった。だが言われたことを実行しようにも、どこかの英雄が流離う神話や物語と違い、現実には何をするのにも金が要る。


(衣食住は山に入ればどうにかなるとして、移動するにも人から情報を得るのにも、金が要る。どうやって金を工面するか……)


即金である程度まとまった金、となると船の仕事だろうか。死ぬ危険はあるが。

船に乗ったことがあるという記憶は全くないが、ああいうった仕事はいつも人を探しているので、申し出ればすぐ雇われるだろう。

そんなことを考えながら歩いていると、胸や足、服の一部に重みを感じた。


(……ん……何だ?)


着ている服の裏面に縫い付けられた袋状の布の中に、何かが入っているのに気づく。

取り出してみると、宝石の塊や板状になった金などが入っていた。然るべき場所で手続きを踏めば路銀に変えることができる。


(これが、必要経費ってことか……)


かつてのティアグ王朝が、征服した地方に兵役を課したときは、装備どころか旅費もあたえずに歩いて勤務地まで来るように命令し徴兵を行っていたのだから慈悲といえるのか。


(お恵み、慈悲、ね。ゾッとする)


あの忌まわしい神殿を思い出す。人間にとって貴金属や宝石や金は貴重品だが、人ならぬものにとってはその辺りの石ころや紙切れと同じだろう。価値観やまるで違う。

常に、なにか別なものを求めている。人間の信仰か、それにまつわる苦痛と苦しみか。対価に何か重要なもの――記憶と顔以上に――を取られている可能性が高い。


「あれ……?巡礼さん?そっちの道は逆方向だよ」


数十分経っただろうか。反対方向から歩いてくる行商らしき人物の姿が見えた。


「逆……?」


今の自分の姿は傍目には巡礼に見えるのか。そういえば、お仕着せられた外套の模様に見覚えがある。


「ロメスから来て、向かうのはサイの街だろう?前もいたんだよね、この辺りちょっと複雑だから、全然違う道に入って、そのまま歩き続けてしまう巡礼さんが多いんだ」

「あ、ああ。……ありがとう……ございます」


言われた地名を手掛かりに頭の中から地図を引き出す。物凄い南の方にある街だ。けれど、ロメス地方なら海沿いで船による交易ルートが発達しているはずだから、移動は楽だろう。問題はどちらを目指すかだが、サイとロメスなら後者の方が大きな港町だ。また巡礼だと誤解されると面倒なので外套を脱ぎ、ロメスを目指す。

ひたすら歩き続け、ロメスの街が見える頃には日暮れ近くになっていた。

人に尋ねながら質屋を探して、当面必要な分の金を工面した。


(必要なものは揃ったけど、どうやって探すか……)


現実は重くのしかかる。赤黒いシミのように。


――お前が探し出して殺さなければならないのは、ナンシーという村娘だ。じきに国王の下知を受けて扉のある地にやってくる――


人が居ない場所には情報となる手がかりも存在しない。

盛り場に入り、口に入れるものを注文する。水を飲んではじめて、喉が渇いていたことに気づいた。


「ねえ、……さん、今日、とうとう仕事にこなかったけど……」

「襲われたらしいわよ。あの、最近出始めたバケモノに」

「やだわ……このまま同じような事が続いたら、もう子ども外に出せないじゃない」


この時間だと家族連れや仕事帰りが多い。とりあえず聞き耳はたてるが、有用な情報は手に入りづらそうに思えた。

とはいえ、どんなに関係のなさそうなことでも取りこぼせない。だがえんえんと続く主題も目的もない会話は退屈で、たまった疲労が忍び寄り意識を手放してしまいそうになる。

こんなところで眠りに落ちるわけにはいかない。運ばれてきた食事をとりながら、今までの事を整理し、これからの事を考える。

何故、あの仮面の男は村娘を自分に殺させようとしているのか。

容姿と言動をみるに確実に気が狂っているようだから単に快楽の為という可能性もあるが、それだけではない気がする。

たぶん、自分とナンシーは関りがある。とにかく彼女を探さないと、どうにもならない。

だが。「ナンシー」。確実にわかっているのはそれだけ。

同じ名前の女など大量に居る。

その名前だけを頼りに探せなんて馬鹿げている。


「なあ、腕の立つやつを王様が募ってるって話、知ってる?」

「バケモノがでた原因が分かったから、兵を集めてるやつな。身元がしっかりしたやつとコネがあるやつしかとらないらしいから、俺らに関係ねえよ」


酔った男たちが大声で会話している。国王が新たに編成しているという軍についてだ。

「国王の下知を受けて」と仮面の男は言っていた、その軍の中に探している村娘も居る可能性がある。


(そうなると、軍の情報が要る)


いちばん手っ取り早いのはその軍に入ることだが、身元確認が厳しいとなると難しい。どうしたものかと更に考え始めた時。

安酒と垢の臭いが入り混じった空気が鼻腔に触れて思考は妨げられた。


「おい兄ちゃんや。金くれよぉ。持ってんだろ?」


臭いの主である巨漢が、テーブルの前に現れ絡んできた。酔っぱらっているようだ。


「金。金だよ金出せよ。持ってるんだろ。質屋でみたぜぇ。結構な額と宝石を交換してるのをよぉ!」


色んな意味で目立ちたくないのに汚く濁った大声のせいで注目が集まる。すぐさま殴って黙らせたい衝動を抑え、静かに席を立つ。


「あれは人から貰ったもので、もう無い」

「おい、待て。いいから出せや!」


丸太のような腕が顔めがけて飛んでくるのが見えた。

先に手を出されたのだから正当防衛だろう。

しゃがんで避けると完全に注意が留守になっていた脛を狙って払う。

転んだ後も何か叫んでいたようだったが、これ以上付き合う気はない。急いで店の出口を目指す。


(くそ、めんどうくさい……なんで……)


去り際に、今の騒ぎでコップからこぼれた酒に自分の姿が映っているのが見えた。

目立つ白皙の美貌。

しかも、他の客はこれみよがしに武器をぶら下げているが、自分は持っていない。


(この所為かよ。また必要なものが増えた)


その日はこれ以上面倒ごとに巻き込まれないために宿に泊まった。

次の日、質屋で手に入れた金で、顔を隠すための布と身を護るための剣を一振り購入する。

そうしてロメスの街を後にした。噂を頼りに王国軍の足取りを追うように歩みを進めて北上する。情報が足りず、目的地がまだ定まらなかったので、船には乗らなかった。


その道中で、暴れている魔物――としか言いようのないモノをいくつも見た。


最初は畑によく立てられている鳥よけの人形かと思ったが、背中に蛆の沸いた死体を鎖で括りつけられているあちこち損傷した死体が歩いていたり、鴉かと思えば巨大な空飛ぶ蚰蜒が飛んでいたりした。


(なんでこんなモノが……?いったいどうなってるんだ)


それはモノとしか形容しようがないものだった。

現象と生物の間を彷徨っているような。いずれも目には見えるし建造物を破壊したり生き物を襲っているのに、足跡がないものや影すら持たないものがいた。

人の背丈ほどの樹木が、その枝に禽獣や人の一部だったものを果実の代わりにあちこし突き刺しながらゆらゆらと徘徊していたりもした。

ありえない。

どうやって移動しているのか、物理法則をいっさい無視しているのにそれは在るのだ。

理解に苦しむ事だらけだが、相手にしない方がいい存在だということだけはわかる。

観察によって行動パターンを把握し、襲われないように身を潜めて移動した。

だが、危険を避けながら進むのは時間がかかった。

遺された時間は少ない。焦りが、判断を狂わせる。一週間近く経って、通りを塞いでいる魔物の一団を目にしたとき、迂回した場合にかかる時間の膨大さにうんざりした。


(気づかれずに通れば……)


一団は皆、こちらに背を向けていた。この辺りはかつて栄えた貴族の城と街が在った一帯で、背の高い建物の残骸がいたるところにあった。それを登り、屋根の残骸を飛ぶように渡る。上手くやれる、と思ったが、失敗した。着地したときに瓦礫の一部が崩れ、その音にバケモノが一斉にこちらを振り返る。

四つ目の幽霊の集団だった。目は飾りではなかったらしく、素早く上を見上げて獲物を確認すると追いかけてくる。滑空するように移動しており、思ったよりも遥かに足が早い。逃げ切るのは不可能そうだった。


(応戦するしかない。こいつらに、有効な攻撃はあるのか……?)


剣を抜く。切りかかっても、手ごたえはなかった。

だが。

剣の軌跡は光になり、それにあたった魔物は悶えた。


(魔法……?)


街で買ったのは何の変哲もない剣のはずだ。となるとフラウドラかあの女が何かした結果、自分もいつのまにか魔法を使えるようにされた可能性が高い。


(やれるか……もっと、手数があれば)


腕や関節の仕組みが理解できない人間でも身体を動かせるように、やはり魔法もそういうものらしい。念じると、周囲に光の刃が複数現れ、それは幽霊たちを狙って放たれた。

光の刃が突き刺さると、一体は致命傷になったようで、最初から存在しなかったように消えた。


(あと三体)


こちらを獲物ではなく明確に敵と判断して四つ目の幽霊は群れで襲い掛かってきた。

二体までの攻撃は躱したが、三体目の身体から棘のような物が伸び、胸を貫いた。


(――ッ!……?)


だが一瞬、衝撃があっただけで伸びた棘は光になって消えた。

襲ってくるはずの痛みの代わりに、胸が熱い。


(攻撃が直撃したはずなのに、なんで俺は生きてるんだ?)


疑問に思ったのは相手も同じだったのか、攻撃した方も動きを止めている。それを屠り、完全に敵を仕留めたと思って油断したらしい残りの二体を屠る。

魔物の気配が完全に消えたので、胸のあたりを確かめてみた。

首から下がる紐。そこにつけられた緑色の蝶のお守り。その翅が片方、無くなっていた。

損なわれたもの。それを目にした瞬間、血の気が引く。今まで覚えたことの無いような恐怖を感じた。


(これに護られた?)


もう一度同じような目に遭ったとき残った蝶の翅も消えてなくなるとしたら、今後は絶対に攻撃を受けないように戦わなければと思った。

身元がわかりそうな物がこの紐細工の蝶だけだから、という理由ではない。

もっと、自分の存在に深く関わることでこれだけは失ってはいけないという気持ちがわきあがる。

それを失くさないように、懐にふたたび収めた。

同時に、通りの向こうから誰かが駆け寄ってくるのが見えた。


「ありがとうございます。助けていただいて……おかげで積み荷を捨てずに済みました」

「いや。俺も襲われていた。礼は必要ない」

「あの、あなたはお強いようですし、護衛をしていただけませんか。もちろん、タダとはいいません」

「他の護衛も居るんだろう?」


声をかけてきたのは行商人らしかった。後方から遅れて馬車がやってくるのが見える。


「はい。それは勿論。ですが、積み荷を守るには数が足りず、その、先日襲われたせいで」


雇っていた護衛は、魔物にやられて何人か死んだらしい。


「荷物を積んで、どこ行くんだ」

「北の方です。フェブの方へ」


なら目的地は同じだ。護衛の仕事をすれば情報も入ってくるだろう。更に細かい交渉をして、仕事を引き受けた。

それからは何事もなく――途中、何回か魔物には襲われたが――フェフの街に着いた。

街では相変わらず軍が北を目指している、ということしかわからなかった。

そのまま仕事を転々としながら噂を集め更に軍の足取りを追ったが、「ナンシー」については何の手掛かりも得られないままだった。

通り過ぎたいくつかの村や町で、「回復魔法が使える」「呪いを説くのが得意」という人間に何人か出会った。実際に傷やケガを治療している姿も見たが、誰もかれも首に科せられた呪いを解くどころか蜘蛛がただの装飾品にしか見えていなかった。


何の進展もないまま呪いをかけられてから三か月近くが過ぎたとき。

その日。突然、首に激痛を感じた。

嵌められた首枷の銀の蜘蛛の足が、喉に深々と突き刺ささる。

同時に、何かを注ぎ込まれる感覚と、酩酊感。

それに伴って、茶色い髪で、青い瞳をした少女が、自分に向かって微笑んでいる様子が脳裡に浮かんだ。


(ナンシー?)


優しい声で、ベネトナシュ、と呼ばれた。それが自分の名前らしい。死が近づくにつれて、記憶が少しずつ戻るようになっているようだった。


(成程……本当に、苦しませるのが目的か)


ベネトナシュが生き残っても死んでもあちらには愉快な見世物というわけだ。

なら絶対に二人で助かってやる、と思う。

顔と名前が一致したところで、今までとやることは同じだ。金を稼ぎ、盛り場に行き、噂をあさる。

記憶が一部戻ったせいなのか、作業になれたのか、効率的に進められるようになり、<扉>を閉める一行と、その中のひとりにナンシーという少女がいるという情報を得た。

同時に、従軍する者の中に美貌で名高い貴族がいて、田舎娘が対等に近い、それどころか貴族の方が田舎娘に仕えているかのような恭しい態度でやり取りをしているというので、話題になっていた。

貴族の方の名前はユリアンティラというらしいが、記憶にない。最初から知らなかったか知っていたとしても重要度が低いのだろう。

さらに貴族と婚約しているという噂を聞いたときはまさか、と思ったが、とにかく今すぐ会って確かめたいと思った。


(といっても、どうやって潜り込むか……)


軍の場所――今はツァディの街を目指しているようだった――などは把握できたが、そこに入るために求めらる「確実な身分」を手に入れる手段が中々見つからなかった。


「高地にも召集がかかったって話、知ってるか?」

「あそこ、戦がうまいけど言う事きかないとか自分勝手っていうのに?」

「よっぽどなんだな」


いつもどおりに噂話に耳を傾けて酒場を出た時。

賭博場をちろちろと見ている男の姿が目に入った。

特徴的な形に整えられた髭と、首環。外套からのぞく衣類の裳裾は高地の民独特の衣装だ。そして、腰には道具袋の横に死と祝いが同じであることを示す花で飾られた処刑道具を模した数珠を下げていた。


(あいつ、高地の神官?)


殺生は行うが、賭け事と飲酒は禁じられているはずだ。

でもその瞳は欲望にギラついていた。全裸の女の群れを目にした童貞だってそこまで貪るような目で見ない。

ベネトナシュは神官と思しき男に声をかけた。やはり、国の命を受けて招かれたらしい。

入れ替わりを申し出ると最初はさすがに渋っていたが、金を出して、自分が入れ替われば賭博場に行けると告げると、国王からの印璽を手渡してきた。

渡りに船の申し出だったうえに、賭け事を楽しんでいる間にバレたらすべてを失うかもしれないというスリルがたまらなく魅力的だったようだ。

数珠だけはなかなか譲らなかったが、身分を誇っているからというり金に困ったら変えようと思っているからのようだった。



※ ※ ※



「……成程。そうやって入れ替わったというわけだね」

「なんで居るんだよ」


ベネトナシュの呪いの首環はナンシーの手によって消滅したものの、そのときの傷と、奪い取られた体力は戻っていない。治療のために、設えれた病室に運ばれて、ナンシーが付き添っていたが、シーラも付いてきていた。彼女は当然のように言い返す。


「ナンシーひとりじゃお偉方に話を説明するときに大変じゃないか。あと逆に訊くけど、なんでそんなに二人きりになろうとしてるんだ」

「二人きりになろうとしてるんじゃない。お前が俺の病室に居るのが嫌なんだ」

「完全に詭弁を弄しているじゃないか」

「どこが詭弁だ。お前が病室に居たら治るものも治らないっていう、紛れもない事実を言ってるんだぞ」

「……良かった……」


言い合いをしていたベネトナシュとシーラは、揃ってナンシーの方を見る。


「……ベネトがたくさん喋れるくらい元気になって、良かった……喉の傷、ひどかったし、最後に会ったときなんて、もっと酷かったから、本当に良かった……」


彼女の瞳から涙がこぼれる。ベネトナシュはその涙をぬぐおうとして手をのばしかけたが、極限まで首環の蜘蛛に奪い取られていた体力は腕を動かすまでには回復しておらず、ただ痙攣しただけだった。代わりに、精いっぱいの言葉をかける。


「おい、泣くなって。ケガが治って悪かったみたいな気分になるだろ」

「悪くないよ。早くケガが全部治って、ずっと元気でいて」

「努力する」

「はいはい。そこまでにしておいてくれないかな」


見つめ合う二人の横で、シーラは手を軽くたたく。


「つまり、女神がつけた首枷のおかげで記憶が混濁し、さらに期限が来たら自動的に死ぬ首輪をつけられていて外す方法も無かった為、ナンシーに名乗り出られなかった、と」

「そうだ」

「さて、どうしようかな。私としては面倒だから報告書には『シムシュという人間は死んで代わりに同じ光の魔法属性のベネトナシュをみつけた』ということにして書き上げたいんだが」

「やめておいたほうがいい。言っとくけど、嫌がらせで言ってるんじゃないぞ」

「ふむ。まあね。半分は冗談だよ。顔を変えられて敵の手先が入り込んでる可能性は報告しなきゃならないし、下手に隠すと後が危ないのは充分承知してるさ。でもそうなるとキミの立場も面倒で危ないままだけどいいのかい?」

「ベネト……」


ナンシーの不安そうな瞳。


「自分の弁護ぐらい、自分で出来る」


シーラはお手並み拝見だね、というと言葉を続けた。


「そうか。なら娼館に行った噂についても弁明したまえ」

「おい、それは!なんで!」

「一時期その噂で持ち切りだった。ナンシーの耳にも入っているだろう」


ベネトナシュは顔を赤くし、その後にナンシーを見て青くなっていたが、彼女の顔も蒼褪めていた。


「ベネト、どうして、その、そんな場所に……?」

「連れ出された。他の場所にしろとも言えなかった。何しろ蜘蛛女神じきじきに腕を取られて引っ立てられたからな」

「もしかして、踊り娘の姿をしていた?」

「ああ。街中でつかまって、そのまま馬車でそこに送られた」



※ ※ ※


馬車は、表が会員制の料理店、裏が娼館になっている店の前で止まった。

先に女が下りた後、待つように命じられ、次にやってきた案内人に連行されるように馬車を降りた。

異国的な装飾をされた門をくぐる。看板には同じく独特な字体で「快楽の箱舟」と書かれていた。センスのない店名だ。

飾り窓の通路を抜けて案内された店の奥は翡翠の彫像と赤い提灯で飾られており、その下では様々な色に輝くボトルやグラスと共に酒に漬けられた大蛇や禽獣が陳列していた。

薄い絹に様々な絵を描かれて作られた衝立の向こうには丹塗りの赤いテーブルがあり、かつてモリ―と名乗った者が房付きのクッションを敷かれた椅子に座っている。その足元には、何故か鉄の檻に入れられて首だけ出された白いアヒルがいた。


「座ったら?食事でもしましょう?」


促される。拒否権はない。

陶器の皿には薄く切られて真珠色に輝く蛇の肉や、全身を切り刻まれても未だ眼球をギョロつかせて口をパクパクとさせている魚などが盛られていた。もちろん手を付ける気はない。


「食べないの?」

「腹は空いてない」

「そう」


不躾に断る客の口に皿の中身を無理やり捩じ込む代わりに、モリ―はテーブルの中央を飾っていた蝋燭を一本移し替えて手に取り、足元にかざした。炭の焼ける匂いとアヒルの鳴き声が響く。

モリ―は微笑むと檻から頭だけを出しているアヒルの目の前に、蜂蜜や果物の搾り汁などに香辛料を混ぜたものを花の形をした小さな小鉢にいれて用意した。


「ねえ、あなた、うまく潜り込んだのでしょう?なのにどうしてやらないの?」

「後先考えず殺して住むならそうしてる。今やったところで、すぐに捕まる」


換気がなされているとはいえ、室内には焼けた肉の匂いが充満しだす。


「そう。あの娘を殺して生き延びる気があるのね?」

「当然」


殺すくらいなら殺されてやる。


「それが悪いのかよ」

「ううん。素敵よ。ならいいわ」


それからは軍の様子など細々としたことを聞かれた。モリ―は話のあいだじゅう、色とりどりの花々で飾られた切断された猿の首から、宝石がはめ込まれたスプーンで冷えた脳を掬い取って楽しそうに口にいれていた。

聞き取りが終わる頃、生きたまま焼かれている鳥の悲鳴はいつの間にか止んでいた。


「あら、忘れてたわ。鳥が丁度よく焼けたみたい。食べる?」

「要らない。腹は減ってない」


先ほどと同じ言葉を繰り返し、席を立つ。

おそらく火に炙られながら喉の渇きを覚えて啜ったのだろう、アヒルの前に置かれた小鉢の中身はすべて空になっていた。


※ ※ ※


「女神との接触はそのときだけかい?」

「ああ。そうだよ」


シーラは露骨に残念そうな顔をした。


「もっと有用な話を聞きたかったな」

「どういう意味だか……」

「そのままの意味だよ。じゃあ、私はこれで退室するよ」


シーラのベネトナシュを見る冷ややかな目は「ナンシーにおかしな真似をしないようにね」と告げていた。


「なんにも無かったなら、良かった」

「何かできるような状態じゃなかった。会話すら億劫な状態に近くなってたし、物理的に無理だ」


苦痛を受けながら勃たせる人間も存在するらしいがそういう身体にはなっていない。


「そっか。でも塚を調べるときは私と話してたよね」

「残り時間が少なくなってたから、あの時はもう記憶がほぼ戻ってた。どうせ死ぬなら、話してる最中で体力が尽きるとしても、できるだけ長く話したかった」

「ツァディの街で会ってからずっと冷たかったのは、もう寿命が残ってないし治せる人も居ないから親しくしない方が、って思ってたの?」

「そうだよ。ベネトナシュですって告白された直後に死んだら、たまったもんじゃないだろ」


本当は、その後何があっても構わない、今すぐナンシーに自分の存在を告げてしまいたいと思った。

けれど、ナンシーの澄んだ青い瞳に映っている姿はどうみても自分と別人で、それがナンシーと寄り添っているのがたまらなく嫌だった。

その決定的な瞬間を実際に目にするまでは、絶対に、二人で助かると思っていたのに。

今の自分が彼女の隣にあることにあそこまで生理的な苦痛を味わうことになるとは想像できなかった。

だから、どうでもいい相手とだけ居るのを選んだ。

苦痛から逃れるための、言い訳に。


「……ごめん」

「なんで謝るんだよ」

「もっと、早く助けたかった」

「謝らなきゃいけないのは俺の方だ。ごめん」

「でも、ベネトナシュは悪くないんだよ」

「悪くなく、ない。そっちがその気でも、助かる気が無い奴を助けるのは難しい。俺は完全に諦めてた。だから、ナンシーのせいじゃない。それに、ずっと助けてはもらってた。これのお陰で」


ベネトナシュは自由に動くようになった方の手で襟をさぐり、蝶の形をした紐細工を出す。


「私が作ったお守り?」

「此処に着く前、魔物に襲われた時、これに助けられた。そのとき、壊れちまったんだ。ごめん。片方だけ翅がない」

「うん。いいよ。また作り直すね」


快活に受け答えたナンシーはその守りがどれだけすごいか良く分かっていないようだった。満足に動けないベネトナシュの代わりに首にかかった紐を外そうとする。


「いや、こっちは、このままでいい」

「どうして?」

「守ってもらったんだ。ずっと。だから、新しいのは完全に壊れたらでいい。というか代わりのものも渡してないし」

「これは売り物や何かを代わりに貰おうとして作ったんじゃないし、いいんだよ」

「よくない。何か贈る。必要なものを言ってほしい」

「何にしようかな。今は思いつかない」


ナンシーの言葉にベネトナシュは笑ったが、すぐにそれは咳きこみに変わった。


「お水持ってくる。ずっと喋りっぱなしだったもんね」

「ありがとう」

「今は、ベネトナシュに元気になってほしいよ。それが一番」


そういうんじゃないだろ、と返したかったが、噎せたせいで上手く話せなかった。

体力の限界がきていたベネトナシュは、ナンシーが退室した後、深い眠りに落ちていた。

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