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村娘と喪失の棺13

夢を、見る。


――わたし、自分がいちばん賢いと思いあがってる子は、好きよ。そういう子が絶望したときの顔を見るのが大好きなの――


可憐といってもいい声が耳に触れる。だが、それと同時に、金属の摩擦音を聞いたときのような、本能的な不快感と吐き気がこみあげる。


――フラウドラ、まずはその子の顔を作り変えて――

――御意――


闇の中から、汚虫のような黒い光沢をもった細く長い骨の手が伸びてくる。

それは悪臭を放ちながら、顔面を握りつぶすかのように鷲掴みにした。

鋭い爪と指全体に生えた棘のようないくつもの突起が皮膚に刺さり、いく筋もの血が流れる。

激痛に叫びだしたくなっても、顔全体を覆われているために悲鳴は喉でくぐもるだけだ。


――土台は整いました。さて、細部はどのように致しましょうか――


――私の手からまんまと逃げおおせた賢しらな子が居たじゃない?あの、煌天銀河(アルゲントヴォルクス)にかかる銀色の月の下で会った子。名前はなんといったかしら……響きが、翠蓮の菩薩に似ていたような気がするけど……まあいいわ。あの子と同じ顔にして――


――お望みのままに――


ものすごい力で掴まれたまま、捩じられる。顔全体の皮膚を引きちぎられ、はがれた皮膚から筋肉が糸を引いて血が滴る。

それから、熱湯を顔面にかけられるような衝撃。


――あと、髪の毛の色が気に入らないから、もっと綺麗な色にして。私の神殿を飾る夜の闇の色みたいに、繊細で微妙な色彩にしてね――


幸か不幸か、そのときにはもう、酸の雨のように注がれる言葉から予測できる激痛を受け止める意識は消えていた。ふたたび意識を取り戻したときには、つまらなそうな声が投げかけられる。


――……あら。死なないようにしたといっても、簡単に気をやってしまうのね。もっと悶えて欲しかかったのに――


――申し訳ございません――


――ううん、フラウドラのせいじゃないわ。人間は脆いから、加減がむずかしいのよね。意識を少し戻して。気を失うギリギリを見極めてやってあげて――


――御意。つぎはどのようにいたしましょうか?――


勝手なことを言っている。こちらに何かしたのだろう、意識がどんどんと鮮明になってきた。それに伴い周りの様子が分かり始め、ふたりの男女が椅子に縛りつけられた自分を囲んでいるのが分かる。

男の方はどんな作業を行おうとも感情が伺えなかったが、女の方は明らかに遊んでいた。

相手が喜ぶのなら逆に声すら出してやるものかと思った。なのに。


「でも、髪の毛の色を変えたから、瞳の色も合わなくなったわね。もともとオリーブそのものが私、大嫌いだし……こちらも、変えてあげましょう」


――が、いつか、綺麗だと言ってくれた。

その、瞳だけは。


「……やめろ……」


何かを思うよりも早く、反射的に声をだしていた。

すると少女はとてもいとおしそうに、慈悲深い声で言った。


「紅玉髄の色にして。前の色とは、似ても似つかないように」


瞼に釣り針のようなものを通され、けして閉じないようにされる。瞳に刺さる針の先端のような爪をみつめていた。

それから更に、苦痛は刷毛でひかれる糊のように伸ばされていく。


「後は皮膚を張り替えれば外側の処置は終わりです」

「そうね。あとは私が、内側の処理と一緒にしてあげる。フラウドラは下がっていて」


さっきよりも意識を鮮明にされているせいで、囁かれる声がひどく響く。

眼窩から脳神経に続く激痛がおさまると、視界がひらけてきて、ひとり居なくなっていることがわかった。

目の前にいるのは薄衣を纏った少女だけ。

ストロベリーブロンドの下で透けて輝く青い瞳がこちらをじっとみつめてくる。


――こいつじゃない、違う。


「ねえ、あなたの好きな色なんでしょう?この瞳が、好きなんでしょう?」


囁きは何度も反響する。まるでそれが正しいと認めるときがくるまで。けれど。


――絶対に、違う。この視線じゃ、ない。


少女のほそい指が頸にかかり――信じられないほどの力で締め上げられる。


「面白いほど正直ね。ぜんぶ、顔に出るんだから。いう事をきけば楽になれるのに、そんなに苦しくて痛い方がいいの?」


表情は笑っていたが、その声には怒りと苛立ちのようなものが滲んでいた。頸にかけられた指はそのまま下に降りていき、身体のあちこちを辿る。

ほんの少し触れられただけの場所なのに、すさまじい激痛がはしっていく。まるで、火箸を押し当てられて生皮をはがされるような。

どんなに悶えても、身体が縛り付けられた椅子がぎちぎちと揺れるだけだ。頭も首から手首につながった鎖で固定されているので頭突きもかなわない。

とうとう、女の手が襤褸切れ同然の服にかけられ、剝がされていく。視界の隅で、六つの赤い宝石が、眼球のようにギラギラと獰猛な光を放っているのがみえた。


「あら……これは……」


首から下がっていた、紐細工で作られた飾り。

それをみつけると、身体を辿っていた女の指が止まった。


「見えない……そう、私にはない……だから、存在しない……」


ぶつぶつと何事かをくりかえす。あきらかに、様子がおかしい。動揺している。

どうして自分の首にかけられているのかわからない、血で汚れたそれはいったい何なのか。

だが、<それ>が存在しないと女の姿をしたものは必死に言い聞かせているようだった。


「私にはない……だから、存在しない……でも、これがあるせいで完璧にできない……」


うわごとを呟いたまま、這わされていた手は動かない。

できないと言っていた。なら、もしかしたら。

一瞬の安堵がそうさせたのか、空気を求めて息を吐いたのと、凶暴な響きをもった声が女からどろりと吐きだされたのは同時だった。


「いいわ……最後までできなくても、やりようはあるから……」


白い指が下肢を辿っていた。その後に行われた行為は、顔を焼かれたような苦痛があったときよりも、もっとおぞましかった。


「……ああ……其処が、≪瑕≫なのね。だから、貴方は魔法が使えない。嫌悪感と、恐怖で慄いてしまうから」


蜘蛛の顎が、脚が、突き立てられ、内部に毒が注がれる。そのたび内側と外側が裏返る感覚。わずかに残っていた記憶を、すべて掻き出される。


「大丈夫。その≪瑕≫を私がひろげて、孔を通してあげる」


どろりとした汚泥に似た、闇の中の行為。すべてがかたちを成さず、現実であるはずがない。だから、これは夢だ。




※ ※ ※




瞳を開く。だが、辺りは暗い。

夢からさめたと思ったのに、闇の中ということは、夢の続きなのか。

だが、夢と違って、ひどい臭気がする。


周囲を頼りなく照らしている蝋燭が、ひどい悪臭の原因のようだった。

この臭いには覚えがあった。焼き物や製鉄炉の火種が消えないように、比較的に長く燃える死体を盗んで燃料として使っていた奴がいたが、そういう奴が使っていた炉にこびりついていたのと同じ臭いだ。

おそらく、この蝋燭は獣か――人の脂で作られたものだろう。

だがそれだけが原因ではない気がする。もっと、別の何かが混じっているような。身体を起こして辺り見回すと、薄闇に覆われた天井から視線を感じた。

さらに目をこらすと、鎖で吊り下げられたいくつかの生首がこちらを恨めしそうにみていた。


「なんだこれ……」


現在いる場所は人食い鬼の棲家か殺人鬼の家なのか。どちらにしろ碌なものではない。

なぜ自分がこんなところに居るのかわからないが、とっとと逃げるに限る。


「目が覚めたのか」


背中から、乾いた枯れ葉のようにかさついた声が投げかけられた。

反射的に振り向くと、血塗れの人の顔がついた蜘蛛の仮面をかぶった男がそこにいた。


「お前は……?」


問いかけた時に、気づく。自分の声はこんなだっただろうか?

いや、そもそも、自分の名前すらとっさに思い出せない。

自分の名前も思い出せないのに、血と汚泥で染め抜いたような襤褸切れのローブをまとったこの男には、見覚えがあるような気がした。

それがたまらなく不快で、顔を顰める。

そんな様子に気づいてか、目の前の男は口元を釣り上げた。

その様は呪いの言葉をつぶやく準備にしかみえなかったが、どうやら嗤っているらしかった。


「名前が無いのが不便か?なら俺のことはフラウドラとでも呼ぶといい。お前の名はシムシュだ」


名乗るついでにどうしても思い出せない自分の名前を教えてくれたが、親切だとも思えない。喋り方は血をすする悪鬼のように粘ついている。どうみても見た目通りの存在だろう。


「シムシュ……」


そして教えられた名を口に出してみても、馴染みがない。本能的に、その響きも、意味も、自分とは無関係だと感じる。


「旧い言葉で、《時をけしかけるもの》の意味だ――《さきがけて破壊するもの》という意味もあるがな」


男は嗤いながら言う。それにともない掻き切られた動脈から噴き出す血によくにた色合いの髪が、もつれながら揺れる。


「さて、名前の通りの仕事を行うのが、お前の役目だ」


そういうと男は蜘蛛の足のような指で宙を掻くような仕草をした。同時に、低い耳鳴りのようなものと共に円陣が現れ、身体が上に浮く感覚。


すると瞬く間に部屋の様子は一転した。


「下の屠り場は、我が神から承った尊い品を与えるのにふさわしくはないからな」


灯りをもたらす松明の数はけして多くなかったが、壁を飾る虹色の金属光沢をもつ無数の昆虫の翅が光を反射していた。

柱は不気味な斑模様がある岩石で作られている。

天井から吊り下げられた宝石をちりばめた香炉からでる煙と松明の灯が混じり合い、部屋の中は摩訶不思議な色彩に彩られた空間と化していた。


七色の煙の向こうに見える中央の祭壇には、真珠色の骨と美しい花々で飾られた大きな黒曜石の鏡が置かれていた。

その巨大さに目を奪われ、思わず近寄って見入ると、鏡には仮面の男のほかに、知らない男の姿が映っていた。

先端が青紫に透ける黒髪に、端正な顔立ちの紅玉髄の瞳をした青年。肌は雪花石膏のように白く、ひときわ目立って鏡面に浮かび上がっている。


「……!?」


驚いて身を引くと、鏡に映った像も同じ動きをした。


「何を不思議そうに見ている?お前の姿だろう?」

「……違う」


あざ嗤うような声が耳に届くよりも早く、鏡に映った像を見た瞬間、反射的に呟いていた。


「ほう。まだ記憶の残滓があるのか。蘇生と共に消えたと思っていたが」

「お前……オレの記憶を、消したのか?それに、蘇生って」

「無意味に死んでいたお前にはすべて必要ないものだからだ」

「はあ?決めつけるな」」


本能的に反論した。魔力に対して何かを思っていたような気はするが、何かが違う。


「ほう?魔力をもたず術も使えない無力な自分が嫌だ、<力>が欲しいと、我が女神に縋ったのはお前だぞ」


どこまでも、返ってくるのは嘲りだけ。記憶を失う前の自分は、本当にこんなものに縋りたかったのだろうか。


「お前は願いの代償を支払わなければならない」

「俺は何も持ってないぞ。何を払えというんだ」


しかも一方的に事情をまくしたてて、こちらに何かを要求してくる。


「扉を閉めて女神の眷属をすべて封じようとする者が、マラニヤに居る。消してこい。期限は祭祀暦が一周するまでだ」


なぜ正当な暦ではなく13の倍数で構成される祭祀歴なのか。いや、それ以前に要求が何もかもおかしい。


「二六〇日?今からその間に探して殺せって?………今はいつなんだ」

「《病と贖いの月》だ。できなければお前が死ぬ。それだけだ」


あまりにも一方的過ぎるし、誰だか分からない相手を理由もなく殺せという。これ以上、おとなしく相手の言うことをきいてやるのもバカらしい。

胸倉つかんでこちらの聞きたいことを喋らせた方が良さそうだ。


「ふざけ……」

「跪け」


怒りをこめた言葉に仮面の男の呟きがかぶさった瞬間、身体が無理やり上から押されたようになり、言われた通りの動きをする。


「ここは我が女神からの祝いの言葉や品を受け取る場だ。狼藉は赦さん。だまって受け取るがいい」


遣わすというより振り払うように男の手が無造作に向けられる。その五指には、掌よりもやや小さい銀色に輝く蜘蛛がまつわっていた。

それはこちらの首に飛びつき――激痛がはしった。針のような銀色の脚が八本、首に突き刺さっている。


「……!……なん、だ、これ……取れな……」

「二六〇日後にわが女神の意に沿う結果を出せなければ、その蜘蛛はお前の首を絞めて落とす」


首にかけられた銀色の脚は細いのに、引っ張ってもまったく千切れる様子がない。蜘蛛の胴体を握りつぶそうとしても、固い感触はゆるがなかった。


「……首にでかい蜘蛛をつけた不審者なんて、どこに行っても目立ちすぎる」


せめて睨みつけながら毒づくが、フラウドラは嘲る態度のまま鏡を指し示した。


「鏡で見てみるといい」


首にまつわった蜘蛛は、銀細工の首輪に化けていた。蜘蛛の腹にあたる部分は、血のように赤黒い石の中にゆらめく七色を宿す宝石に転じている。


「高地の神官戦士が着けている首飾り(トルク)だということにしておけ。お前がそこの出身だと言えば誰も気にしないだろう。お前が探し出して殺さなければならないのは、ナンシーという村娘だ。じきに国王の下知を受けて扉のある地にやってくる」


フラウドラは黒曜石でできた短剣を足元に投げて寄こした。


「すべての治癒魔法を無効化する術がかけられた短剣だ。これで娘の首を描き切って、女神に捧げろ。期限までに。あとはお前の捻くれた頭とへらず口でなんとかするんだな」


言い捨てて、フラウドラは消えた。


「くそ……言いたいことだけ言いやがって……」


黒曜石の短剣を拾う。蹴り飛ばして捨ててやろうと思ったが、束に埋められた赤い六つの宝石がこちらをみている。


「ナンシー?知らねえよ……会った事もないのに、探せって……」


立ち上がり、短剣を拾う。

銀の蜘蛛を埋め込まれた喉はまだ痛み、傷口の血は渇いていなかった。

そのことが、これが夢ではなく、まぎれもない現実だと告げていた。

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