村娘と喪失の棺12
モリ―の姿が消えると、今まではその気配に恐れをなして近づかなかったのか、遠巻きにみていた異形のモノどもが一斉にナンシーをみる。
本来は眼球がある位置に乱杭歯が生えている牛や、蝙蝠の翼をもった蛇鰐が涎を垂らしながら襲い掛かってくるのがみえた。
沸き立つ砂埃と吹きつけてくる獣臭に明確な死を予感しても、もうナンシー足が動かない。
扉を開いてこの地獄のような惨状を招いた原因は自分だ。
ベネトナシュを助けられなかったのも。
その後悔と絶望が、逃げようという意思を奪う。
もう、瞳を閉じてしおう。
そう思ったとき。
突然、ナンシーと魔物の群れとの間に七色の光がよぎった。
同時に、ナンシーに迫っていたモノどもに赤い横線が入り、ずり、という音ともに体液を噴出しながら線に沿って身体が崩れ落ちた。
中には体液に酸を含んでいる種族も居たのか、飛び散ったそれを浴びた岩が溶ける。
酸が降りかかるのがわかっていても、ナンシーにはそれを避けることができなかった。咄嗟に、手でかばったけれど、たぶん、その腕も岩と同じになるだろう。
けれど、苦痛を覚悟したとき、何者かの腕に、ナンシーは抱えられて飛んでいた。
「無事かい?」
風に乗って鼻腔にふれるカンヴァーラニアの香りが、ふわりとナンシーを包む。
咄嗟に顔をあげれば、銀水晶の長い睫毛の向こうで、けぶる夕紫の瞳が心配そうにナンシーをみていた。
「シーラさん……!?」
彼女は鏃のような先端をもった銀色の鎖を手にしていて、それをあちこちに巻きつけて飛ぶように移動しているようだった。
金色の刺繡に縁どられた美しいワインレッドの帽子とローブをはためかせながら
シーラは安全な場所をみつけると片手に抱いていたナンシーを降ろす。
「気を失ってやしないかと心配したよ。良かった」
「……ありがとう、ございます。でも、何故ここに」
「おっと、くわしい話はあとだ。また団体さんがやってきている」
ナンシーを庇うようにシーラは背を向ける。手にした鎖がしゃらりと鳴って、まるで生きているかのように楕円形の軌道を描く。
彼女が手にしていた鎖は、よくみると大小さまざまな色と形をした宝石を連ねた三本の銀色の鎖できた美しい鞭だった。
眼前には魔物の群れが迫ってきていたが、シーラはふ、と静かに笑うと鞭を一振りする。
それが合図であるかのように三本の鎖は七色の光に枝分かれしてナンシーたちを襲う群れへと向かっていく。
光は流星のように飛び回り、触れたものを切り裂き、次々と魔物を撃ち斃していった。
シーラが七度それをふるった後には、生きて動いている魔物は辺りにはいなかった。
華やかで苛烈なシーラの戦いぶりから目を離せず、ナンシーは息を呑んで見守っていた。
「ふう。これで、ひとまずは片付いたかな」
すこし乱れてしまった銀色の髪を払う仕草までも絵のように完璧だ。
「シーラさん……シーラさんって、王立図書館員なんですよね?魔法騎士じゃ、ないんですよね?
なのに、こんなことが、できるなんて……」
眼前で繰り広げられていた光景に圧倒され、ためらいがちにナンシーがいうと、シーラはこともなげに応える。
「私だけではないさ。扉が開かれた影響で、この地に生まれおちた人間は皆、<力>を得た」
「……?それは、どういう意味ですか」
「混沌が膨らめば、それを堰き止め均衡を保つ力を与える。この場合は魔力の増幅だ。
いま世界中で、誰かしらが何かの能力にめざめているはずだ」
「世界中で、誰でも……?でも、わたしには、なにも」
シーラはふ、と息を吹きかけ、衛星のように彼女の周囲を飛び回っている宝石の鎖を、受け渡すようにそっとナンシーの方へ飛ばす。
キラキラと光の粒子をまき散らしながら近づいてきたそれは、ナンシーに届く前に、力を失ったようにポトリと落ちた。
「……?」
「きみの周りでは魔力がすべて静まっている。……君は、魔力の力場を無効化する能力が発現したようだね」
「え……?」
そんな力、何の役に立つのだろう。
一瞬、自分がシーラのように強大な力に目覚めていれば、あのときベネトナシュを助けられたのに、と思ってしまった。
けれど自分は、どうやっても、ベネトナシュを助けられないのか。
血塗れの姿と、何もできなかった自分。できないどころか、唆されるまま抵抗することもできずに得体のしれない扉を開いた。
そうしてこの惨劇を招いたのに、まだ生きている。
頭が、割れるように痛い。
さまざまな感情が襲ってくるのと同時に血が上る感覚があるのに、身体が冷たい。
「ああ、顔色が悪い……どこか怪我をしてる?気づかなくて、すまない。はやく手当をしよう。……服が血まみれじゃないか」
「ちが、これは……ベネトの血……」
言葉と共に、あの恐ろしい光景が浮かぶ。それは胸をふさぎ、呼吸が苦しくなり、しゃくりあげるような息しかできなくなる。
シーラは柳眉をひそめた。
「……いや、今はあらかた掃除したとはいえ、また扉の向こうから奴らが出てくる。とにかくここを離れよう」
そっとシーラに肩を抱かれ、ナンシーはうなずくことしかできなかった。
そのままシーラに抱かれて飛び、地上に出る。
辺りはひどい有様だった。
地震があったと聞いたが、地面そのものが捻じれたかのようだった。
形を保っている建物は一つも無く、かわりに突き出た骨のような梁や柱の残骸と腐った死体のような瓦礫が大量にうずたかく積り、重いものは高い所にといったふうに何もかもがあり得ない方向に散乱していた。
とうぜん、人の姿はない。
「村は、村のみんなは……」
「……最初に地震があったときに、大部分の人間は逃げたよ。いまこの辺りに残っているのは、きみだけだ」
シーラはナンシーを抱いたまま、額に垂れたナンシーの髪をそっとかきあげる。
淡い光を透かす髪が帳のようにさらさらと落ちてきて、ナンシーの視界に映る恐ろしい景色を遮った。
「ご家族が心配だろうけど、今は連絡を取るのが難しい。きみが見つめなければいけないのは、これからのことについてだ。気をしっかり持ってほしい」
耳元で囁くと、シーラは身を放し、ナンシーの正面に立った。
「さて、ここから更に移動しなければならないんだが、問題がある」
くるりと一回転してシーラはつま先で円を描く。
「転移の術を使いたいのだけれど、目標の場所はここからかなり遠くて、術の為に集中するのに時間がかかり過ぎる。その間、私は完全に無防備になってしまうんだ。この辺りは扉から這い出た者どもの領土に成りつつあるから、それに襲われる危険が常にある。だから」
シーラは、大輪の花のように笑った。
「私を護ってほしい」
ナンシーは、耳を疑う。
「私が、魔物からシーラさんを護る……?でも、あんな恐ろしいものと戦うような力は、何も」
白魚のような美しい指先が、ナンシーの唇の触れるか触れないかの距離に添えられる。
「君はちゃんと持っているよ。自分を害するものと戦う力を。力というのは使い方次第さ。どんな力を持っていても、上手く使えなければ、無力だというだけ」
「私は、何も持ってないんじゃなくて、うまく使えないだけ……?」
相手の言葉をくりかえしてしまうナンシーは、うつろだ。そこに、シーラの力強い言葉が入ってくる。
「そうだよ。誰でも、はじめは使ってみなければ使い方などわからない。私も、最初は何もわからず今の君と同じ状態だったからね。さあ、頼んだよ」
ナンシーは言葉を続けようとしたが、シーラはナンシーからさらに距離を取って、瞳を閉じてしまった。意識を集中する気配を感じればナンシーも覚悟を決めるしかない。
(シーラさんは、頭の良い人だ……思い付きや気まぐれ、無根拠で言ってるわけじゃなくて、多分、意味がある……私に任せることにした意味が)
目を閉じて集中する彼女の周りの空気が歪みだし、動いたように見えた。それはじょじょに光の粒子に変わっていく。
美しい光景に見惚れていたいけれど、シーラがナンシーに身の安全をすべてゆだねているという状況がそれを許さない。
辺りを精一杯に警戒しながら、心の中で魔物が来ないことを祈る。
シーラを取り巻く光の粒子が帯になり、輝きが増していくと、彼女がまとっているカンヴァーラニアの香りを強くしたような香気が漂いだす。
もしかして、魔物はこれに惹きつけられてくるのだろうか?
そんなことを思ったのと、遠くで、つんざくような人の悲鳴がしたのは同時だった。
驚いて耳をそばだてると、断続的に響いてきたそれは人間の物ではあり得なかった。
人に似ているが、もっと悍ましい――気づいたときには、巨大な鳥の群れがこちらを目がけて巨大な石弓のような勢いで突っ込んでくるのが見えた。
吹きつけてくる腐肉の匂いに思わず噎せて目を閉じてしまう。そのわずかな時間の間に、異形の鳥はたち信じられないほどの速さで近づいてきていた。
そのせいで、見たくもないその姿が見える。
かたちは鳥だが、人間の顔が、三つ生えている。違う、頭髪と顔面の皮が半分削げ落ち、眼球を垂らした人間の死体の頭を、二つぶら下げた人面鳥だ。
本体らしき頭の眼球の黒目も右は真上、左は真下を向いておりこの世のものではあり得ない。
(こんなの、どうすれば……)
死体の頭も生理的な嫌悪感を感じるし恐ろしいが、生きた頭のちぐはぐの眼球がとくに怖い。
つよくそう感じた時、ベネトの家で呼んだ眼球と魔力の経路を示した本のことがふいに思い出された。
(あの本の通りに……あの時、ベネトが教えてくれた……)
難して読めない箇所は、ベネトが読み聞かせてくれていた。あの声を、思い出す。思い出せる。もう彼はナンシーの傍に居ないのに、鮮明に。
ひと目ひと目、編み物をするように思い出す。
編み目をほどくように、あの怪鳥の魔力の流れをつかまえて、ほどいたら。
音もなく、それは落ちた。
地に叩きつけられたときに発した、ぐしゃりという音を最後に動かなくなる。
ナンシーはそのときもう余計なことを考えていなかった。自分が撃ち漏らせば、ふたりとも命がない。
その青い瞳に怪鳥をすべてとらえて沈めることに集中した。
鈍色の空を統べていた鳥たちは澄んだ青に溺れ、次々に落ちていく。
空を覆っていた不吉な鳥の影が全て消えた時、シーラの瞳が開かれた。
光をまつわらせた手がナンシーに差し出される。
「ありがとう。さあ、行こう」
その手を取ると、足場が消える感触があり――ナンシーは瞬く間に知らない場所にいた。
まず、雲一つない青空に驚かされる。村ではいつも、白い雲が青い空にかかっていたのに。
その青空の下には、石畳で舗装された道。蔦植物と花で飾られた煉瓦の建物やさまざまな色の布で飾られた出窓がナンシーを囲んでいる。吹きつけてくる風の香りは、花々のそれを乗せているのか冷たくて、甘い。
さっきまでいた地獄のような場所とはまるで違った、おとぎ話のような風景。
「ここは……?」
「王都マラニヤ、というか正確にはその郊外だね。ほら、あそこに田畑が見えるだろう。そこで作った農作物や花を王都に運んで、皆暮らしている。……そんなに熱心に見るようなものでもないと思うけれど、珍しいかい?」
ナンシーの村も、村で作ったものを外に運んで売って生活しているのは同じだ。けれど。
「だって、私の村と、ぜんぶ違う」
「ああ……王都もイリューサットの惨劇は把握しているから、ここまでこないように必死に食い止めているからね。いつまで続くかはわからないが、未だここは平和だ」
「そうではなくて、建物や空の様子が、全然違う……」
「たしかにきみの村とは建築様式も咲いている植物も違うね。目的の場所とずれたところに出てしまったから、すこし歩く。ついてきて」
言われるままに、シーラの後を追う。ほどなく、美しい曲線を描いている鉄柵の門によって守られた白壁の家が現れた。
「着いたよ。私の家だ」
彼女の家は花々の咲き乱れる庭に囲まれていて、木の実をついばむリスや花の蜜に群がる蝶の姿がみえた。
シーラのさきほどの言葉通り、世界の異変はまだ彼らには関係が無いらしい。その事実に、すこしだけ、安らぐ。
客間に通され、しばらく待っているように言われる。
白い壁はカリグラフィーで装飾された美しい羊皮紙がタペストリーのように規則的に配置され、部屋を彩っていた。
さまざまな質感と色合いを持つ羊皮紙に書かれたその文字は、どれもナンシーがベナトから習ったことのある言語とも違っていて、いくつかは特殊な形状の音符がつらなる楽譜のようだった。
「そうじっと見つめられると、なかなか恥ずかしいね」
ティーカップを銀の盆に乗せたシーラに声をかけられ、ナンシーはずっと見入っていたことに気づく。
「恥ずかしい、ですか?羊皮紙も、文字もとてもきれいなのに」
「書いたのは私だからね」
「なんて書いてあるんですか?」
「どれも私が崇める神へ捧げるラブレターだよ」
そういった彼女の表情はすこしはにかんでいて、本当にそうなのだなとナンシーは思った。
書式の系統からして一般的に最も崇拝されている神ではない。けれど、表現する方法は同じなのか。
「使用人には今、暇を出していてね。そういうわけで私が淹れたお茶だ」
庭に生えていた花と、同じ香りのするお茶。淹れ慣れていない人らしく極端に濃い。
ベネトナシュにも、よくお茶を出してもらった。
思い出に浸っても仕方が無いし、泣いても現実は変わらない。自分がみじめになるだけ。なのに、涙はあふれてくる。
そんなナンシーの様子を、シーラは黙ってみつめている。居た堪れなくなって、うつむいたまま、言うべきではない言葉を、放ってしまう。
「……どうして、私を助けてくれたんですか?」
「助けない方が良かった?」
頬杖をついたシーラが、首をかしげる。揶揄うような口調。
「いえ……そういう意味ではないです」
どんな言葉を投げられてもシーラは動じない。軽やかで、美しい。そんな姿に、自分が尚更みじめになってしまい、更にうつむいてしまう。
「そうか。なら良かった。あの扉は、この世でもうきみ一人だけしか閉じられないからね」
言葉の重大さとは裏腹に、クッキーを口にするのと同じ気軽さでシーラはおそろしいことを言う。
「え……?何故……?」
「あの扉を開ける者は閉じることができるけれど、その資格がある者は、ほぼ殺されたからだ。扉が開く前は、混乱を恐れた神とその信徒に。扉が開いた後は、それを閉められたら困る者どもに」
「そんな……」
「もっとも私は、まだ自分が死にたくないから助けただけで、助けた見返りに何かを強要する気はない」
「扉を閉めなければ、シーラさんが、死ぬ……あんなに強くて、戦う<力>を持っているのに?」
「あの扉から湧き出てくるのは際限なく湧き出る憎悪の権化のようなものだからね。まず土地を荒らすし、放っておけば戦える人間もいなくなり、全世界の人間が死ぬ。でも、キミが扉をあのままにしたいならそうすればいいし、閉めたいのなら手伝う。それだけだ。自分の意志で決めてくれ」
「シーラさんは、死にたくないのに、私が扉を閉めないって言ったら、止めないんですか……?」
次の言葉は、現実感が無いし、現実になったら恐ろしいから、口にするのは躊躇われた。
「その、世界が、滅ぶかもしれなくても……?」
「それまでは足掻くし、説得は試みるよ。『キミの目の前から消えたとしても、ベネトナシュはまだ死んでない』とかね」
ナンシーは顔を上げる。
「ベネトは、生きて……?」
「私がキミをみつけたとき、あれの名前を呼んでいたね。何が起こったか大体の察しはつくけど、くわしく聞かせてほしい」
シーラに言われて、ナンシーは村の地下に遺跡が存在していた事、そこにあった扉を、モリ―と名乗る少女とそれに付き従う男に強要されたこと、重傷を負ったベネトナシュが連れ去られたことを話した。
ナンシーの話はたどたどしく、ときに嗚咽でその内容は途切れて酷くわかりにくいものだったが、シーラは辛抱強く聞いてくれた。
そうしてナンシーが話し終えると、シーラは口を開く。
「キミに扉を開くように強要した少女の正体は、蜘蛛女神だろう」
「女神――後ろに、蜘蛛の影が……でも、そんな……どうして……」
「この世界の本来の神とは違う神だ。生まれた時はそうでもなかったらしいが、今は人間の悪意に染まりきり、我が神の説得すら聞き入れず残酷な所業に手を染め、同じ思想や主義、快楽を至上とする者どもから信奉されているようだ」
王立図書館員という職業上、語りが上手いのだろうが、シーラはまるでその場面を実際に見てきたかのようにいう。ナンシーがじっとみつめると、シーラははぐらかすように瞳を伏せた。
「……と、神話にはあるね。実在していたわけだ。とりあえず、ベネトナシュは連れ去られたなら生きている確率が高い。必要がないならその場で処分されているはずだ」
「必要……。なら、その必要がなくなったら……?」
「どうだろうね。あの性格だ。蜘蛛女神にも批判や口答えをしたのだろうが、それできみが発見した時点でまだ手足がつながっている状態だったのなら、余程気に入られた可能性が高い。だから、君も自棄にならないでくれ。……キミがいま、願っていることはある?」
「ベネトが、生きているなら……ベネトに、会いたい」
希望なんてなにも考えられなかったのに、可能性を示されると、暗闇の中に差した光を追うように、望みが生まれてしまう。それは、駆けだすように言葉を吐きださせる。
「私は、間違ったことをしてしまった……他に方法がわからなくて、扉を、開けてしまった。だから、その間違いを正したい。扉を、閉めたいです」
でも、それは、ナンシーひとりきりでは、到底無理なことだ。シーラは、手伝うといってくれたけれど。
「……私があの扉を閉めたいと言ったら、本当に、シーラさんは手伝ってくれるんですか……?どうして……?」
「私はね、もともと、あの遺跡のことを図書館で保存されていた古い資料で知って、監視しておくよう偉いひとにさんざ進言してきていたんだよ。放っておけば危険だと。だからその証拠や、具体的な対処法をさらに知るために、村に足を何度も運んでいた。ベネトナシュのおじい様と知り合ったのもその縁だ。結局、私の調査結果は聞き入れられず、今に至る」
「そう……だったんですね」
正しいことを忠告したのに、聞き入れられない。シーラの調査の結果が反映されていれば、犠牲者を出さずに済んだのかもしれないのに。
「でも、そうしたら今度は上の人は私に今回の異変を鎮めるように言ってきた」
勝手すぎるし、怒りを感じる。でも、シーラはそれを出さない。もしかしたら、色々な事情や立場があって、できないのかもしれない。そんな苦しさが、彼女に、ナンシーが望まないなら扉を閉めることを強要できないと言わせたのだろうか。
「……あの扉や遺跡は、いったい何だったんですか」
「キミは、あの扉がなんなのか結局知らなかったのか」
「……はい……」
「ああ、ごめんよ。責めてるわけじゃない。確認したかっただけだ。あれはね、<予め喪われたものたち>を葬る棺であり、祟らぬように建てられた礎でもある」
「あらかじめ、うしなわれた、ものたち……?もともと、ないものなのに、葬る……?」
「この世界の神にとっては、非常に都合が悪いから、塞いでしまわなければならなかったモノたちさ。我が神の居た場所では、《塞の神》と呼ばれたそうだ」
「さえの、かみ……あれが、かみさま……?人間を襲って、ころす……」
「強大な力を持っているというだけで、あそこに封じられていた神は人とそう変わりがない。慈悲深い存在も居たのかもしれないが、何もしていないのに他人の都合で罪をきせられ、悪意と憎悪を抱えたまま気の遠くなるほど閉じ込められていれば、ああもなるだろう。ずっと汚泥に沈められていれば、生きている者は何でもそれと同化するのと同じようにね」
なぜか――シーラは探るような瞳で、ナンシーを見る。
ナンシーには、彼女に探られるようなものは何ひとつないのに。
そのせいだろうか。彼女はなにか別なものを、探しているように感じた。
彼女が求めるもの。熱心に愛する、「神」へと連なるもの――?
「シーラさんは、さっき、我が神が降臨なされた、って言ってましたよね」
「ああ」
「それは、私があの扉を開いてしまったから」
「そうでもあると言えるし、そうではない、とも言える」
「どちらなんですか」
「先ず、我が神・ナリシュヴァラさまは、あまねく世に在って無きがお方。だがその力を人の目に示すことは殆ど無い」
ナリシュヴァラ。
青い影が頭の中をよぎる。
だが、神や英雄と同じ名前の人も多い。ウィヤルのように。
「あのお方の力はたとえ断片でもこの世界そのものをを毀しかねないからだ。神は在る。だが、人の世界を動かして変えるのは、人だよ」
ナンシーの世界を構成していたひとたち。自分はシーラに助けられたけれど、村は、他の人達はどうなったのだろう。
考えなければならないことがたくさんある。知らなければならないことも。
でも、頭痛がする。身体が重くてだるい。
「……大丈夫?瞳がうつろだよ」
自分の額に手をあてると、熱かった。手足はひどく冷えているのに。
「……ごめんね。早くキミから話を聞きたくて、無理をさせてしまった。部屋を用意するから、そこで今日は休んでほしい」
寝室に案内され、うながされるまま横になる。そのときにはもう意識が途切れかけていた。
「一日眠ったら、これからの話をしよう」
妙にはずんだシーラの声も遠い。
これからがあるのだとわかったのに、夢も見なかった。みたいはずのものがあると、知ったのに。




