波に想いをのせてなわけで
車のドアを開けると、夏の暑い空気が車内の冷気を押し退け、一気に蒸し暑くなる。
ここまで頑張って車内を冷やしてきたエアコンに申し訳ない、そんな気持ちになってしまう。
「夏って暑いですね。なにもしてなくても、汗が止まらないのすごく不思議です。嫌いじゃないんですけど」
「虎雄くんって、本当に面白いこと言うよね。私は夏あんまり好きじゃないかなぁ、秋から冬にかけてが最高だと思うんだ」
夏の海水浴場に着いた私たちは、出遅れたこともあり海から遠い場所に車を止めざる得なくなる。この時期の車の多さを嘗めてはいけなかった。
ここで問題になってくるのが私の用意した荷物なわけだけど、折り畳みのキャリーカートを用意している私に抜かりはないのだ。
ボストンバックを2個重ねると、虎雄くんが引いてくれる。
「ねえ、虎雄くん。海に行ったらなにしよっか?」
「とりあえずですけど、塩辛さを味わってみたいです。後は魚とか生き物を見てみたいです」
水族館に行ったときも思ったけど、虎雄くんってあんまりお出掛けしない家だったってことか。
お父さんほとんど家にいないらしいし、嘉香さんだけで連れて行くのは大変だろうから仕方ない。凄く楽しみ、そんな気持ちに溢れている虎雄くんの姿を見て、もっと色々なところに連れて行ってあげたいなって、そう思う。
「すごい人だねぇ~、砂浜が人で埋まってるっ」
「本当です! でも海はもっと大きいです!」
すごく興奮気味で、今にも海に走っていきそうな虎雄くんを見て、少し可笑しくて笑ってしまう。
ここは年上らしく冷静に、頼れるところを見せようではないか。
「虎雄くん、砂浜は足をとられて、転けるかもしれないから走っちゃダメだよ」
「え、えぇ、あの楓凛さん」
「ん? どうかした?」
早速、足をとられてしまったのかと虎雄くんを見ると、キャリーカートが砂にはまり動かず悩んでいる。
「前に進めません、どうしましょうか?」
「ど、どうしましょうね」
* * *
「面目ない……」
「いえ、楓凛さんに全部用意してくれたんですし、こんなに沢山用意してもらって嬉しいです」
なんていい子なのだろうか、涙が出そうになる。
今、私たちは車に戻って荷物の選別をしている。早く海に行きたいだろうに、私のせいで戻るはめになって、非常に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
更に、荷物の選別を虎雄くんにお願いした。情けない、情けないぞ私。
「これくらいで、どうですか?」
虎雄くんに言われ荷物を見ると、トートバッグ1個になっていた。
「一応ですけど、タオルと怪我をしたときの道具、水、遊ぶものは今回は置いて置いてまた今度、海に足が浸けれたら今日は満足ですから。
えっと、その……せっかく用意してくれたのに、ごめんなさい」
「虎雄くんが謝らなくていいよ、私が欲張って、こんなになったんだから私が悪いよ、ごめんね」
違うと言うように、ふるふると首を横に振る虎雄くん。このままではらちが明かないと判断して、私が手を差し伸べると手を握ってくれる。
「遅くなっちゃたけど行こうか、砂浜歩いて海岸の端っこに行こうよ」
「はい」
手を握り歩来はじめる私たち、因み私の格好だが。
上からストローハット(ベージュ)、タンクトップ(白)の上にアウトドア用の薄いジャケット(水色)、ショートパンツ(黒)と、サンダル
である。
なぜか紹介せずにはいられなかった。
* * *
あつい、あついと、はしゃぎながら砂浜を歩く私たち。炎天下の中の砂浜を歩くのは、大変だけど楽しい。
泳ぐ人たちのいる浜辺を横に、私たちは少し離れた磯の方へ向かう。この辺りになると家族なんかが多くなる。
ちょうど磯と浜の間くらいで、浜の砂がサラサラしていない、ちょっと石の混じった海岸で、海に恐る恐る足をつける虎雄くん。
最初はそーっと、歩いていたけど、慣れたら
じゃぶじゃぶと楽しそうに歩き、海の中を覗いている。
そのうち、手についた海水を舐めると、辛かったのか、目をバツにして涙目になる。
「本当に舐めたんだ。辛かった?」
「はい、物凄く!」
首を縦に振り、辛そうにしながらも嬉しそうだ。貝殻を拾っては目を輝かせる姿を見て、本当に海に来たことないんだってことを確信する。
流れて来たワカメや海草を拾っては、うんうんと頷いている。そのうち磯の水場で何かを発見したようで、興奮気味に手を振って私を呼びに来る。
「これ! これって、何なんですか?」
「ん~、どれどれぇ」
興奮した虎雄くんが指差すのは 磯の岩場に溜まった水の中にいる派手な生物。うねうねと動いている。
「あ~、ウミウシだね。毒とかあったような気がするから、触っちゃダメだよ」
触りたそうに、ウズウズしている虎雄くんに釘を刺しておく。
こういうところは男の子っぽい。そんなことを思いながら、ウミウシに熱い視線を向ける虎雄くんを眺める。
そんな純粋な姿を見て、私も少しだけ海に足を入れてみる。
「おわっと」
ズブズブと沈む砂に足を取られ、転けそうになる私を虎雄くんが支えてくれる。
「ごめん、サンダルが砂に引っ掛かっちゃった」
「サンダルを脱いだ方が良いかもしれないです」
「そ、そうだね、えとごめんね」
私がサンダルを砂の上で脱ぎ、足を直に砂につけると波で動く砂の感触がくすぐったく感じる。
虎雄くんが海に手を突っ込み、私のサンダルを取り出してくれる。
「ありがとう、海に入るならサンダルは脱いだ方が良いかもね」
私は左足のサンダルを脱いで、砂に足を沈める。いつ以来だろうか、こんな風に裸足で海に入ったのは。
段々と汚れることを嫌い、避けるようになった私が忘れたものを持っている。虎雄くんを見ていると、そう思ってしまう。
「楓凛さん、これ」
そう言って、手のひらにのせている巻き貝を見せてくる。
何の変哲のもない巻き貝を、じっと見つめているので私も黙って見る。
やがて巻き貝はモゾモゾと動き始め、中から長い手足が出てきて目を覗かせ、虎夫くんの手のひらの上で歩き始める。
「ヤドカリだね」
「これが、ヤドカリ……」
しばらく無言で眺めて海の中へそっと返す。ヤドカリは海に中に入るとすぐに見えなくなってしまうが、見失ってなお、じっと見続ける。
「楓凛さん……」
「ん? どうしたの?」
いつもと違うトーンに違和感を感じるが、あえて明るく答える。
「みんな生きてるんですよね。生きるって何なんですか? 生まれた意味って、なんなんですか? ……ごめんなさい。ちょっと気になったんで」
凄く悲しそうな目で私を見たあと、すぐに笑って誤魔化す。凄く純粋な子、故にそんな悩みがあるなんて思ってもいなかった。
生きている理由なんて、生まれてきた理由なんて……あるのだろうか?
あるとすれば?
「私はには、生まれたとか、生きている、そんな意味は分からないな」
繕って、なんかそれっぽいこと言おうと思った。思ったけど虎雄くんにそれを言うのは違う気がした。だからありのままを言おう。
そう思った。
「分からないけど、私は虎雄くんに出会えて良かった。それがこの世に生まれた意味、生きてる意味に……ううん、この言い方は卑怯かな」
私はまっすぐ虎雄くんを見る。
「私は虎雄くんのことが好き。その好きな人に出会えた、それが私が生きてきた意味かな?
だからほら、理由なんて後付けでいいんだよ、多分。
きっと、そんなこと正確に答えれる人なんていないし。だからなんでもいいんだって、美味しいもの食べれたーとか、面白い漫画読んだーとかでも。そこに大きい、小さいなんてないよ。ここは自分よがりな考えでいいと思う!
あぁ、うまくまとまらないねっ。あ~、そしてはずかしぃぃ」
赤くなった顔をパタパタと扇ぎながら、今言ったことを思い返す。なんともグダグダな告白だ。いや、告白なのかなこれ?
恐る恐る虎雄くんを見ると目を丸くして、パチパチまばたきをしている。
「楓凛さんは好きな人に出会えたから……」
「ああ、その、さっきの……好きってのさ、ほんとだから」
念のため、というのもおかしいが言い直してしまう私。虎雄くんは少しだけ考えて、口を開く。
「あの、ボクちゃんと相手の気持ちに、ボクの気持ちに向き合います。だから、その、少し待ってもらえませんか」
「むぅ、ここでお預けかぁ。普通の感じなら脈なし、ってところなんだろうけど虎雄くんがそう言うなら待つよ」
「その、ごめんなさい」
「あ、ここで、ごめんなさいは、やめてね」
そう、普通は、「考えさせてとか」「待ってくれ」なんて脈のないときに言われる台詞だが、虎雄くんは何か本気で考え始めている。
そんな気がする、私の勘だが。
「もう少し遊んで帰ろうっか。私、せっかく裸足になったしさ」
両手に持ったサンダルをヒラヒラさせながら、そう言う私に虎雄くんは嬉しそうに大きく頷いてくれる。




