練習は三人でなわけで
家に帰った俺は、リビングのテーブルに笠置から渡された楽譜を広げる。そんな俺の背中からぴょこんと顔を出すのは夕華である。
「こはりゅお姉ちゃん、それはなんですか?」
「ちょうどいいところに来たでしゅ。こりぇ夕華の分でしゅ」
俺が楽譜を渡すと、ぱらぱらとめくって目が譜面を読んでいく。
「新しい歌ですか? 内容から察するに文化祭で披露する曲でしょうか?」
ざっと読んだだけで理解した我が妹は、おそらくこの曲を既に演奏できるのであろう。俺もアンドロイドになったわけだからそんな能力あってもいいのに、全く使えないのはどういうことなんだろう。
「『地獄へおちろでしゅ、ブタしゃんたちぃ!!』は、こはりゅお姉ちゃん専用の歌ですね。激しい言葉の中にもこはりゅお姉ちゃんらしい柔らかさと、可愛らしさがあります。
これは変態さんたちを中心に盛り上がること間違いなしですね。笠置さまのマーケティング力の高さを感じます」
思い出したくないから、変態さんたちが盛り上がるのはリサーチ済だとは言わないでおこう。そして冷静な感想を述べる夕華に感心する。
「そしてこちらの『光に包まれて』はやさしく、感謝の言葉が多くみられますが……」
「が? どうしたでしゅ?」
「この歌詞の意味ってどういうことなんですか? 曲の種類がバラードだとは分かるのですが、表現が難しいです」
譜面をチラッとみただけで、よく読んでいなかった俺は夕華の手にある楽譜を覗き込み、譜面の下に鉛筆の走り書きで書いてある歌詞を読んでみる。
──たくさんの光の中で煌めく天からボクを掬ってくれたことに心から感謝しています。
──この世界は光があふれて眩しくて涙が止まらないけど、あなたの背中に守られ、地に足をつけてボクはゆっくり歩けています。
夕華が指さす歌詞を目で追いながら読んでいく。確か生まれたことに感謝する歌だと言っていたな。
少し中二病的な歌詞に笠置らしさを感じてしまう。
「たぶんでしゅけど、たくしゃんのたまちいから選んでくれて、この世界に生まれてきたのはあなたのお陰でしゅ、あなたのお陰で頑張ってましゅよーって感じじゃないでしゅかね?」
夕華は俺の言葉を咀嚼するように何度か頷きながら、必死で歌詞を読む。
「難しいです。歌詞には魂という言葉はないのに魂という言葉が出てくるのは、こはりゅお姉ちゃんだからこそだと思います」
夕華が少し困ったように笑うのは、歌詞の内容が理解できなかったからだろう。アンドロイドに魂とかいう概念を理解させるのは難しいだろうし、そもそも理解できるようにはできていないはずだ。
どうしたものかと悩んでいるところにトラがやってくる。
「何を話してるの? あ、これって文化祭で演奏する曲の……あれ? 前のと違うけど曲変えるの?」
楽譜を読みながら俺に訪ねてくるので、ことの経緯を説明すると笠置を褒めながら更に興味津々といった感じで楽譜を見つめる。
「すごく優しい歌詞だね」
「トリャお兄ちゃんはこの歌詞の意味が分かるのですか?」
どうしても歌詞の意味を理解したいらしい夕華がトラに尋ねる。
「ん~、ボクも完全に分からないし本当の意味は笠置さんしか分からないと思うけど多分、今ここに存在できることへの感謝の歌かな?
夕華も……ボクも生まれてきた過程が違うけど、今こうして会話できてる。それは嬉しいことだと思うんだ。それは分かるかな?」
夕華がこくりと頷く。
「それでは、魂ってなんなんですか?」
唇を押さえ、う~んと少しだけ唸るトラに、この歌詞の意味を知りたい夕華は期待に満ちた視線を向ける。
「ボクの解釈だけど、ここに存在したいって意思じゃないかな。
動物や生まれてきたばかりの赤ちゃんなんかは、本能で生きるってそれを無意識でやってる。
成長する過程で存在したい理由ができてくる。それが魂の形であり色じゃないかな? と最近思ってるんだけど」
「それだと私にもあることになります。おかしくないですか?」
今一納得のいかない夕華の言葉にトラは首を横に振る。
「ボクも夕華も生まれ方が違うだけで、今思っている気持ちは偽りじゃないと思うんだ。
アンドロイドは目的と性格を設定されて生まれてくるけど、そこから重ねる経験と思いは別だから。夕華も最初と今では心春に対する気持ちのあり方は違うと思うよ。
だから夕華にも魂はあると思うよ」
トラの言葉に夕華は自分の胸に手を当てて考えている。
「う~ん、やっぱり難しいです」
そう言って少し残念そうな表情を見せる夕華だが、アンドロイドが胸に手を当て考える姿は魂のあり所を探っているようで、この子もまた他のアンドロイドとは違う道を歩み始めている、そんな風に思わせるのに十分な行為だと思う。
そして……
「心春どうしたの? 調子悪い?」
心配そうに聞いてくるトラを見て俺は嬉しさと寂しさを感じ笑う。
「トリャは凄いことを考えてるんだって、ちょっと感心したんでしゅ。しゅこち前まで訳の分からないことばかり言ってたくしぇに……」
涙ぐみそうになる俺は楽譜を手に取ると、テーブルの上にバンっと勢いよく置く。
「しゃて、文化しゃいまで時間がないでしゅ。夕華、トリャ練習でしゅ!」
「はい!」
「えー! なんでボクも!?」
文句を言うトラの頭を楽譜でぺちぺちと叩く。
「うるしゃいでしゅ! 妹たちが頑張るんでしゅ。兄として手伝いやがりぇでしゅ!」
こうして三人で練習が始まる。夕華は完璧に演奏できるので、主に俺の練習なのだが、途中母さんも加わり賑やかに行われるのだった。