第10話 死者の遺跡 六
夕暮れの中に佇む大木の木陰で、ラルフはナオを見て言った。
「俺はナオの優しい笛の音が、この世界で一番好きだ」
と。
* * *
古代の遺跡の、劫炎を支配する死した魔法使いが立ちはだかる戦場に、笛の音が響き渡る。
それはどこまでも冷たく、聴く者の命を凍えさせる調べだった。
『ほう?』
バーナットは感嘆の声を上げた。
常世の存在では無いアンデットの身でありながら、笛の音に、切り裂かれるような寒さを感じるのだ。
『我が目に狂いはなかったようだな』
ナオから溢れ出す黒色の魔力が、この空間を夜の世界へと変えていく。
その中で笛を奏でるのは、夜よりもなお深い、闇が象るナオの影。
その数はどんどん増えていき、その度に、奏でる笛の音が重なっていく。
「水晶の戦鎌よ、私の手に」
ナオの右手が、虚空より現れた戦鎌の柄を握る。
水晶でできたそれは、闇が凝縮したような、深い黒の色を纏っていた。
『おお、それは神器か!? まさかこの時代に使い手が現れ、それが我が敵となろうとは! 何たる僥倖!』
水晶の戦鎌を手にしたナオの姿は変化していた。
闇でできた羽衣をその身に纏い、額には縦に開いた第三の目が現れている。
神器とは神の力を秘めし、天上の秘宝。
只人には扱う事は出来ず、もし触れようものならば、体はその強大な力に耐えきれずに弾け散る。
ナオが戦鎌を構えた。
そして。
『!』
殺気を頼りに、バーナットは杖を頭上に掲げた。
そこへ、打ち下ろされたヤオの戦鎌が激突する。
「ハアッ」
そのまま回転するように振るわれる水晶の戦鎌。
バーナットは杖を巧みに操り、ナオの連撃を受け流す。
しかし、高速で途切れず振るわれる戦鎌の斬撃に、バーナットは攻撃魔法を放つ隙を見出せなかった。
「眠りの力よ!」
『くっ!?』
バーナットの身体を、凄まじい倦怠感が襲う。
それは、死してなお常世に在り続ける強き魂を、完全な死へと引きずり込むほどの、とてつもない睡魔だった。
『おのれ!』
魔力を全力で活性化させて、睡魔の腕を振り払う。
そして転移の魔法を使って、ナオとの距離を大きく離した。
『遊んでいる余裕は無いようだな……』
こうしている間にも、フロアに響く笛の音が、魂の力をどんどん削っていく。
もしバーナットが人間であったならば、一節を聞くこともできずに、その命を失っていた。
『この笛の音は、効果を与える対象を選別できないようだな。おまけにこの『夜の結界』の中でしか、その神器を制御し、使う事ができない』
それ故にナオは、仲間達と共に戦う時、本気を出す事が出来なかった。
ナオと真の意味で共に戦えるのは、闇を払う光の力を持つ、勇者ラルフだけだった。
だから。
騎士の使う槍よりも、本来の戦い方とは違う、杖を使うナオは弱かった。
司祭の使う補助や回復の魔法は、殆ど同じことができるとはいえ、『眠りの力』よりも有用な場面が多かった。
魔法使いが使う攻撃魔法に比べ、ナオの魔法は余りにも無差別で強力に過ぎた。
ラルフと別れたナオは、本気を出すべき時、最も苦しい戦いを強いられる時に。
本当に、誰かの助けが欲しい時に。
独りだった。