第九話 出会い
腕の中の美香がすん、すんと鼻をすする音が聞こえる。
抱きついて動かなくなってしまった美香をどうにか動かさないと、このままじゃゾンビに囲まれてしまう。
「美香、動こう。どこか安全なところに行かないと」
「うん、わかった……。一緒に家に帰ろう?」
「……家はちょっと遠いな。それに燃えて無くなってるかもしれないし」
「うん、そっか……そうだね……」
ここまで意気消沈している美香ははじめて見た。
ここは少し無理をしてでも俺が安全なところまで連れて行かないとだな。
今の美香はゾンビ相手に戦えそうもないし、俺もまともに動けない。
静かに見つからないように物陰を進めば、なんとか安全そうな場所まで行けるか。
このまま県道を進めば県道同士がぶつかる交差点に出る。
そこを港の方に曲がれば大きなマンションがあったはずだ。
とりあえずはそこを目指そう。歩いて一時間もかからないはずだ。
俺がゾンビになる前に美香を安全な場所へ連れて行くのが、俺の最後の仕事かな。
バスから乗用車の屋根に、屋根から地面に、何てことの無いかのように降りる。
「ほら、歩こう、美香」
「うん」
美香の手を取り歩き出す。
まだフラフラするが、ここで弱っているところを見せたら美香を更に悲しませてしまう。
せめてマンションにつくまではもってくれると良いが。
雲で隠れていた月がいつの間にか現れてくれたおかげで灯り無しでも何とか歩けた。
交差点は大型トラックの事故で大変な事になっていた。
箱型の長さが十五メートルはありそうなトラックが一台、横倒しになって道路を封鎖している。
青看板で確認したが、このトラックに沿うように左へ行けば目的のマンションで、右に行けば駐屯地だろう。
「ここを左だ。どこからゾンビが来ても対応できるように真ん中を進もう」
「恭平、ごめんなさい。ここからは私が前を歩くわ。無理しないで」
「いや、全然無理してないよ? まあ美香がやってくれるならありがたいけどね」
「任せて」
だいぶ美香の調子が戻ってきたように感じる。
正直、もう平気なふりをするのも限界だった。
美香に見られる心配の無い後ろを歩けるのはありがたい。
「見て。ゾンビがいる」
「ああ、一人か。誘導できるかな」
「やってみる」
遠くの方にフラフラとしながら立っている人影があった。
こんなところで一人で立っているのはまず間違いなくゾンビだ。
足音を立てないように静かにトラック沿いに進む。
トラックの先には乗用車が停まっているので、その影に移れば誘導もしやすいだろう。
乗用車の方へ移動しようとトラックの端から身を乗り出すと、反対側から同時に人影が飛び出してきていた。
ゾンビがそっちにもいたか。
至近距離で蹴りが使えないため、美香が殴りかかる。
「Hey stop!! I'm alive!!」
「え!? 人!?」
外国人の女性が英語でなにやら叫びながら両手をあげている。
敵意が無いようだが片手には大きく重そうなクロスボウが握られていた。
美香は前屈の構えのまま左手を前に突き出し、右手を顔の横に置いている。
いつでも突きが繰り出されそうだ。
あれの前にはいたくない。
「あんた、私たちを襲う気?」
「アー、ワタシ、日本語少しわかるマス。ちょとネ。ケンカしないヨ」
美香の問いかけに、女性は片言の日本語で答えた。
争う気は無いようだ。
美香にもそれが伝わったらしく、構えを解いた。
女性は欧米風の顔立ちをしており、迷彩柄のズボンにシャツを着ている。
ブロンドのパーマのかかった髪の毛はバンダナで覆われていた。
「あー、えーと、ラブアンドピース?」
「ヤー! Love&Peace! デモちょと待ってネ。Zが来てるマス」
美香の英語に元気に返してくれた女性が指さす方から、先ほど見つけた一人のゾンビがこちらへフラフラと近寄ってきていた。
大声で気付かれてしまったようだ。
こちらとの距離は五十メートルくらいか。
「ワタシがやるマス。ちょと待ってて」
滑車つきのクロスボウのバイポッドを展開し乗用車のボンネットに乗せ、ハンドルをカチカチと回して弦を引っ張っていく。
その音が意外と大きく、他のゾンビが寄ってこないか心配になった。
腰には矢筒が装着されている。
女性が矢筒から凶悪な先端部がついている矢を取り出しクロスボウにセットした。
「随分物騒な物持ってるな」
「日本語で『Hunting』ってなに言うマス?」
「ああ、ハンティング用か。ハンティングは狩りとか狩猟かな」
「ソレね。じゃあやるマス」
女性が膝立ちになりクロスボウに取り付けられたスコープを覗き込む。
「Eat this……」
パンと手の平を叩いたような結構大きな音が響くと、遠くにいたゾンビが膝をつき倒れこんだ。
頭には矢が突き刺さっていて、容赦なくゾンビを殺すその所業に少しだけ後味の悪さを感じた。
「Hell yeah! Piece of cake!」
女性が嬉しそうになにやら言っている。
少し声を抑えていただきい。
「さあ行くマス。ん? アナタ腕どうしたノ?」
「ゾンビに噛まれたのよ」
「Oh……」
俺の代わりに美香が答えてくれると、女性が天を仰ぎ顔に手を置くジェスチャーをしてきた。
少しイラついたが外国人は大げさな表現をすると聞いたことがあるのでこらえる。
「ワタシ『medicine』貰ってるマス。Zの『medicine』」
「メディシン? ……薬!? 薬があるの!?」
「アー、ワタシの『friend』から貰ってるマス。少しネ。けど人に使ったことない言ってたデス」
「試験段階ってことか?」
「ソレね。使うならあげるマス。けど、持ってるじゃないネ。家にあるマス」
俺は、気がついたら土下座をしていた。
「くれ。いや、ください。ああ、くれるんだったか。……ありがとう。本当にありがとう……!」
「Oh…… Japanese DOGEZA!! It was the first time I saw.」
英語はよくわからないが、土下座とは聞こえた。
女性は俺の肩に手を置くと「立つマス」と言って笑顔を向けてきた。
立ち上がり、女性と向かい合う。
「ワタシはマキシーンデス。マキシーン・ブルックスというマス。アナタは?」
「恭平。恭平、山下だ」
「キョーヘイ、ヨロシクおねがしますネ。アナタは?」
「美香、山下よ。マキシーン。貴方は私の救世主よ」
「キューセ? 日本語難しいデス。ミカ、ヨロシクおねがしますネ」
「こちらこそよろしくお願いします。時間が惜しいわ。マキシーンの家に行きましょう」
「家、アッチ行くマス。大きい『high-rise apartment』見えるネ」
「アパートに住んでるのか。俺たちも空いている部屋があればしばらく住みたいな」
「そうね。ついてから考えましょう」
とにかく安全な場所で体を休めたい。
気を抜いたら倒れかねないくらい、頭がフラつくのだ。
「『medicine』あげる代わりにお願いあるマス。キョーヘイとミカ、ワタシを助けるしてほしいデス」
「助ける?」
「『friend』助けるしたいネ。ジエータイにはダメ言われたヨ」
「良いわ。その薬が本当に効くならどんなお願いも聞いてあげる。だから早く行きましょう」
「OK‼︎ 行くマス」
先頭をマキシーン、そのすぐ後ろを美香、最後尾に俺の順番で道を進む。
マキシーンはゾンビに出くわす度にクロスボウで殺そうとしていたが、美香に先を促され渋々といった様子で諦めていた。
実は危ない人なのかもしれない。
歩いていると、噛まれた腕が熱くなり、少し引いていた痛みがぶりかえして来た。
包帯の隙間から見える肌の色は黒くなっており、明るいところで見たら紫色とかになっていそうだ。
ポタポタと垂れていた血は止まり、包帯がカピカピに乾いていた。
これも感染した影響なのか。
小一時間も歩くと、マキシーンの目指している場所へとついた。
「ここネ。ここから登るマス」
「これって……」
「これは……」
いわゆるはしご車と言われるものが、そのはしごを伸ばしていた。
伸ばす先はタワーマンションの五階通路。
そういえば英語でマンションのことをアパートと言うのを思い出した。
このタワーマンションは二十階建てで、ゾンビパニックの直前に完成したのが記憶に新しい。
こんな良いところに住んでいて、少し羨ましく思う。
はしごはほぼ垂直に近い角度で伸びている。
これならゾンビの進入は防げそうだ。
見ればマンションの一階エントランスは家具などが積み重なってふさがれている。
これならマンション内にゾンビの侵入が防げて、さらに出入りも可能だ。
なかなか理にかなっている。
「コレ見つけるの大変だたネ」
「マキシーンが持ってきたの? このはしご車を?」
「道、ジャマ多いくて、でもコレ強いデスから、押したヨ」
「他の車を押しのけて来たのか。確かにこのはしご車の重量なら可能だろうな」
それにしてもこのような大きい車を運転でき、その上ではしごを展開する操作ができるマキシーンはいったい何者なのか。
「早く行くマス。キョーヘイがZになるマスしたらワタシ撃つしかないネ」
「撃たれたくないから、早く行こう」
「急ぎましょう」
冗談なのか本気なのか。
マキシーンの手には矢の装填されたクロスボウが握られていた。
ほぼ垂直のはしごは、片手で登るには少し過酷だった。
落ちそうになるので怪我をしている左手を使わざるを得ない。
使うたびに裂けてしまうかのような激痛が走り、ヘルメットの中の顔は脂汗でベタベタになっていた。
俺のすぐ下には美香が登っていて、もし落ちそうになったら支えてくれるとのことだ。
軽いとはいえ成人男性を一人支えるにはそうとうの力が要りそうだ。
一緒に落ちてしまうのが簡単に想像できたため、何がなんでも落ちないように気をつけて登った。
細いはしごは登るたびに揺れ、折れたり倒れたりしないか心配になる。
五階程度の高さだが、こんな不安定な場所にいるととても怖く感じた。
「恭平、あとちょっとだよ。頑張って」
「ああ、頑張る……」
美香の励ましもあり、なんとか登りきる。
「遅いネ。まだまだ登るマス」
「登る? この階じゃないのか」
「ワタシの部屋は八階デス。まずそこの部屋に行くマス」
「どういうこと?」
「いいからついて来るデス」
マキシーンが五〇七号室の鍵を開けドアを開く。
ズカズカと土足で入っていくので、ついて行く。
一目で誰も住んでいないとわかる何もない部屋を進み、ベランダに出るとそこにはまたはしごがあった。
「なるほど。ハッチか」
「それネ。行くマス」
ハッチのはしごを登り六〇七号室へ。
生活感はあるが誰もいない部屋を抜け通路に出る。
「この階段をあがるネ」
「下はバリケードでふさがれてるのか。なるほどな」
五階から六階にあがる階段はふさがれているが、六階から七階にあがる階段はふさがれていなかった。
そのまま八階に行くのかと思ったら、また階段がふさがれていた。
「またハッチか?」
「そう。行くマス」
通路を進むとまたもやバリケードがあり、ハッチのある七〇七号室には行けない。
どうするのかと思っていたら、マキシーンが七〇九号室に入り、またベランダへ。
ベランダの仕切りが取り払われており、隣の七〇八号室へ行く。
そのまま七〇七号室に行くのかと思いきやまた通路へと出た。
「ずいぶんと遠回りさせられるんだな」
「『invader』はZだけじゃ無いデスから『just in case』……日本語で、気をツケル?」
「なるほど」
警戒するに越したことはないか。
マキシーンは若い女性で一人だ。
よからぬ輩に狙われるかもしれない。
この迷路のような順路も仕方の無い事か。
通路から七〇七号室の鍵を開けて入り、ハッチから八〇七号室へ。
両端がバリケードでふさがれている通路に出て、八〇三号室へ行くとようやくそこがマキシーンの部屋だった。
「散らかってるデスけど入って入って」
「そういう日本語は知っているんだな。お邪魔します」
「あ、靴OKデス」
「脱ごうとしちゃったわ」
「こんな状況じゃ脱がないのが正解なのかもな」
「そうね」
マキシーンの部屋に入り、ヘルメットを脱ぐ。
なんとなく解放された気分になれた。
マキシーンの部屋は物で溢れていた。
缶詰、ペットボトルなどの食料品から、発電機、ガソリンまで。
大量にある大きなバケツには水が大量に貯められていて、それはベランダにも置いてあった。
よくわからない作業台にはクロスボウが何台か置かれていて、大量の矢もあった。
「ワタシが集めたデス。大変だたネ」
「そりゃこれだけ集めたら大変だろうに」
「Zをいなくさせるまで全部必要なモノね」
「ゾンビがいなくなるまで必要なもの? ゾンビはいなくなるのか?」
このB級映画のようなあり得ない世界が終わって、平和な世界が戻ってくるのか?
「Zはいなくなる無いデス。ワタシが『hunt』するマス。皆でやらないといなくなる無いネ」
「狩るってか。そいつは、なんとも」
「もう話はいいでしょ。マキシーン、薬はどこ?」
「oh! そうデス。持ってくるマス」
すっかり忘れていた。
俺の中にいるゾンビウイルスが、今もなお俺をゾンビにしようと動いているんだ。
薬があるなら早く使う方が良いに決まっている。
「あったヨ。はい、これネ」
「注射か……」
マキシーンが黄緑色の液体の入った注射器を持ってきた。
これが薬なのか。
注射が苦手な俺としては遠慮したいところだが、ゾンビになるかどうかの瀬戸際でそんなことは言ってられない。
「これはどこに注射すれば良いんだ? 静脈か? 傷口近くの方が良いのか?」
「んー、ワタシわからない。聞いてないヨ」
「静脈で良いと思うわ。すぐに体中にいるゾンビウイルスを殺すべきだし」
「そうか。じゃあ、美香頼む。俺は無理だ」
「でしょうね。スーツの上は脱げる? 手伝おっか」
「ああ、助かる。変なふうに破けてて片手じゃうまく脱げなくて」
美香の助けもありなんとかスーツの上をはだけさせ、腕を出す。
二の腕を紐で縛り静脈を出す。
「マキシーン、アルコールない? 消毒液でも良いけど」
「コレならあるマス」
マキシーンが持っているのはスピリタスの瓶。
あれで消毒ができるのか?
「それでいいわ。少し貰うわよ」
「これも使うデス」
マキシーンから救急セットを受け取った美香がガーゼをとりだし、スピリタスで俺の腕を消毒した。
強い酒の匂いにクラクラする。
大量にガーゼにスピリタスを染みこませ、美香がそれで注射針を包んだ。
というか、俺の腕を先に洗って消毒してきた方が良い気がするが、今は薬を打つのが先か。
「いくわよ。失敗したらごめん」
「一発で楽にしてくれ」
前に病院で注射されたときは、針を刺したあと静脈を捜すためかグリグリと掻きまわされた。
あの痛みは忘れることができない。
いつまでもグリグリしてくるので「もうやめろや! ヘタクソが!!」とチンピラ風に怒鳴ってしまったのは苦い思い出だ。
そんなことを思い出していると美香が「はい、終わり」と言った。
「え? もう? 全然痛く無かったよ。美香は注射が上手だな」
「そんな褒め方されたの初めてよ」
そう言って美香が笑ったので俺もつられて笑った。
「気分は悪くなってない? 吐き気とか、頭痛とかは?」
「そんなすぐに症状は出ないと思うけど、とりあえずは大丈夫だよ」
「良かった……」
安堵からか涙をポロポロと流す美香の頭を撫でると、涙の量が増した。
心配をかけてすまない。
それにしてもこれでゾンビにならなくて済むのかと思うと、マキシーンには感謝をしてもしきれない。
「マキシーン、貴方にはなんとお礼を言えば良いのかわからないよ。ありがとうとしか言えない」
「別にお礼いらないデス。ワタシも『friend』から貰っただけデスから」
そのフレンドとやらにも会ってお礼をしたいものだ。
この世界でゾンビになるはずだったのに助かった人がどれだけいる?
数えるほどしかいないんじゃないか?
マキシーンとの奇跡としか言いようの無い出会いに、普段は信じていない神様に感謝をした。
まあもし神様が本当にいるんだとしたら、こんなゾンビアポカリプスがおきる訳は無いが。
だからやはり、マキシーンとその友人に感謝をするのだった。
「Hey stop!! I'm alive!!」(ちょっとやめて! 私は生きてる!)
「Eat this……」(これでもくらえ……)
「Hell yeah! Piece of cake!」(よっしゃあ! こんなの楽チンよ!)
「Oh…… Japanese DOGEZA!! It was the first time I saw.」(これは……日本の有名なあの土下座! 初めて見たわ)
作者は英語が大の苦手です。
間違っている可能性がありますのでご注意ください。