第八話 感染
避難所を出発して三時間が過ぎた。
俺たちは未だ駐屯地にたどり着いていない。
「この道もダメ。塞がっている」
「高速もダメ、側道もダメ。県道もバイパスもダメと来たか」
道路の両脇に停車した放置車両のせいで一車線しか無い道を来たが、ダンプが横倒しになって行き止まりとなっていた。
Uターンする場所も無いので、広いところに出るまではひたすらバックで来た道を戻るしかない。
出発してから何度も同じようなことが続き、皆が辟易とした表情を見せていた。
「もう行ける道は無い。県道から歩くのが一番近い」
「歩きか。でもあそこからでも十五キロはあるぞ」
「行くしかない」
「はあ……。ったく。無線が使えればわざわざ行くこともなかったのになあ」
菊間の呟きが気になった。
確かに駐屯地に無線で応援を要請すれば良いだけの話だ。
「無線、壊れてるのか?」
「ん? ああ、違う違う。ゾンビ騒ぎのドサクサに紛れて悪さした奴がいっぱいいてさ」
「基地の周囲の土地にジャミング装置が大量に置かれている」
「巧妙に上手いこと隠してさ。しかもひとつふたつじゃなくて何百個ってな」
「ロクなことしねえな……」
「自衛隊に動かれて日本人を助けられるのがムカつくって奴が多いんだよ。違う国の奴が」
「日本人のふりをして、そういう工作をしている」
人類の危機だというのに、まだ国同士で足の引っ張り合いをしようとしているのか。
そんなことをしている暇があるならゾンビの対策でもすれば良いものを。
そんな話をしながら車に揺られていると、県道の行き止まりについた。
車がゆっくりと停車し、山口さんが「ふう」とため息を一つ。
「暗くなる前に基地につけるか……」
「ギリギリだな」
ここ最近の日没時間はだいたい十八時少し前くらいだ。
この停車位置から駐屯地まで約十五キロ前後。
一時間に五キロ歩くとして三時間はかかる。
今が三時過ぎだからかなり急がないと日没には間に合わないことになる。
「駐屯地には全員で行くのか? 怪我人をおぶって十五キロ歩くのは無理だろ」
「ここにはあたしが残る。その双子も外歩かせるのは危ないから残りだな」
「うー……すみません」
結愛が凹んだ様子で謝っていた。
「構わない。そもそも車を置いて行く際には、車を守るためにどちらかは残る予定だった」
「そういうこと。だから気にすんなよ、JK」
山口さんと菊間にフォローされ結愛は少しホッとしたようだった。
「じゃあ私と恭平は駐屯地に行くわよ。戦える人数は多い方がいいでしょ?」
「助かる」
「まあ俺たちの着てる服はゾンビに噛まれても平気だからな。壁役にはなれるよ」
「私は囲まれなければとりあえずなんとかなるわよ」
「あんた、あれだけゾンビ吹っ飛ばしといて何言ってんだよ。見てたけどあんなことできるのはうちの隊長くらいだぞ」
「隊長って?」
「小池隊長。小柄な人いただろ?」
「ああ、あの人か。何かしらの武術をやってるわね、あれ」
「なんとか拳法とか言ってたな。斉藤が、ああ大きいやつな、あいつがしょっちゅう吹っ飛ばされてんだよ」
「へえ。一度手合わせしてみたいわね」
どうして美香はこう戦闘ジャンキーなのだろうか。
そのうち「私より強い奴に会いに行く」とか言い出しそうだ。
周囲を警戒しゾンビがいないことを確認して車から降りる。
車のエンジン音で集まってきてもおかしくなかったが、不思議と姿が見えなかった。
「警戒をしつつ早足で進む」
「わかったわ」
「了解だ」
山口さんの先導に従い歩き出すと後ろから「お兄さん、美香さん」と声がかかったので振り返る。
「気をつけてよ、マジで」
「絶対に帰ってきてよね」
結愛と愛梨にそう言われたので親指をグッと立て。
「アイルビー」
「恭平、伝わらないわよ、それ。すぐ戻るわ。静かに大人しくしてなさいね。うるさくするとゾンビが寄ってくるから」
「うん」
「わかった」
美香の言うことを素直に聞く双子だった。
俺は、立てた指をそっと下ろした。
「ジェネレーションギャップって、ツライな」
「そう? 恭平のネタが古いだけだと思うよ」
名作映画は誰にでも通じると思うけど、最近の若い子は古い映画なんて見ないものなのか。
県道は二車線道路だったが車で埋まっており、さらにはゴミが散乱していて歩くのが大変だった。
セダンタイプの乗用車なら乗り越えられるが、ワゴンタイプやトラックなどは迂回しないといけない。
迂回をするたびに車の下や影にゾンビがいないかのチェックをして、余計に時間がかかる。
「ずっと車の上歩いた方が早くない?」
「いや、音がするだろうからやめた方がいいよ」
「安全優先で行く」
美香や山口さんはぴょんぴょんと車の上をうまいこと飛んでいけそうだが、俺は多分転んで落ちる。
あまりそういったことは得意ではない。
山口さん、俺、美香の順で並び、通りを歩く。
これじゃ俺が守られてるような配置で、なんとも居心地が悪い。
実際に守られているんだろうけど。
「止まって」
「なに?」
「ゾンビか」
山口さんの制止で足を止める。
前方にはゾンビがいるらしいが、ここからじゃ車の影になって見えない。
「誘導する」
山口さんは足下に落ちていたペットボトルのゴミを拾うと、進行方向とは別の方へ投げる。
コンと音がしてもしばらく動かずに待つ。
「行く」
先導する山口さんの後ろを同じように姿勢を低くし静かに歩く。
まるで映画とかでよく見る特殊部隊の隊員になったようだ。
演技指導――というよりも見本――は自衛隊隊員の山口さんだから、割と様になっていると思う。
ゾンビは遠くの方をフラフラと歩いているだけで、こちらには気がついていない。
ゾンビの姿が見えなくなると、山口さんが普通に歩き出したのでそれに従う。
「人の視野は通常で一二〇度ほど。ゾンビの視野は四〇度程度」
「へえ、そうだったんだ」
「どこで知ったの?」
「いろいろと実験した。視野の狭いゾンビだが動体認知は一八〇度ある」
「動体認知? つまり?」
「動いているものは目に見える範囲全部に反応するってことでしょ?」
「そう。それと暗視もできる。暗くしていても動いたら見つかる」
明かりがあろうが無かろうが関係ないのか。
「レーザーポインタとかで誘導できないかな?」
「猫じゃないんだから」
「試したが、人のシルエットにしか反応しない」
「だったらダンボールや着ぐるみをかぶれば安全なんじゃない?」
「……盲点だった。今度試してみる」
まあ、匂いとか音とかではバレそうだけど、遠くにいるゾンビはよって来ないかもしれない。
ふと視界の端で何かが動いた気がして振り向く。
美香以外にはゾンビも人も何もいなかった。
「どうしたの、恭平?」
「いや、何か動いた気がして」
「何もいないわよ? 少し過敏になってるのかもね」
「かもな。俺怖いの苦手だから」
美香と軽口を叩いていると「静かに」と山口さんに注意をされてしまった。
少し軽率だったかもしれない。
その後も山口さんのおかげでゾンビをうまくやり過ごし、駐屯地へ向けて進む。
道のりは順調だったが、日没には間に合わなかった。
「ライトをつける。影に気をつけて」
「ああ」
「もう少しで駐屯地が見える」
「急ぎましょう」
県道には街灯が少なく、家々の灯りも無いから闇が濃かった。
闇の中からゾンビが飛び出てくる想像をして、ブルリと震えた。
山口さんのヘルメットに装着したライトが青白い光で道を照らした。
「ん? 今何かいたような」
「また? 恭平怖がりだから」
「かもしれないな。疑心暗鬼になってるのかも」
元々暗闇は怖くて苦手だし、今じゃ何が潜んでいるかもわからないから余計だ。
「行く」
歩き出した山口さんについて歩く。
タタッと右前方から何かの音がした。
目を凝らすも何も見えない。
「今何か音がした? 右の方」
「んー、聞こえなかったけど」
「そうか……」
どうにも暗闇の中に何かがいる気がして仕方が無い。
黒く何も見えない闇が蠢いているように感じる。
音のした方も暗闇にも、何か大きな黒い塊が動いているように見える。
気のせいなら良いんだが。
再び音が聞こえる。
目を凝らす。
何かがいるようにしか見えない。
「山口さん、すみません。あのあたり照らしてもらって良いですか?」
「良いが」
闇を凝視する。
山口さんのヘルメットライトに照らされて、黒い塊が……動いた!?
「危ない!」
咄嗟に山口さんと黒い塊の間に手を出すと、とても重いものに体当たりを受けたかのように押し倒された。
体を押さえつけられ左腕を何かに固定されたと思ったら物凄い痛みが走る。
「う!? がああ!! 離せ!!」
「恭平! この、離れろ!!」
「ガアルルル!!」
美香の蹴りを受け、俺の腕に噛み付き振り回すそいつは、大きな狼のような犬だった。
何度も美香の蹴りを受けても俺の手を離そうとしない。
左腕の先の感覚がなくなってきた。
痛みが脳味噌に刺さるようだ。
美香が犬の口に蹴りをいれようがビクともしない。
まるで怪物だ。
俺の口からは勝手に叫び声が吐き出され続けている。
「山口! なにしてるの! 撃ちなさいよ!」
「し、しかし」
「ゾンビじゃなくて犬なんだから撃ち殺して!! 早く!」
「クッ……」
パンという甲高い音が短く三回響く。
俺の上から重さが消え、腕が解放された。
「グルル!」
「嘘、まだ死なないの?」
「どいて」
乾いた音が連続で響くと、俺の横にどさりと犬が倒れた。
「恭平! 大丈夫!? 意識はある!?」
「あ、ある……。俺の腕なくなってないか……?」
「あるわよ! 今止血するから!」
「これを」
山口さんの取り出したガーゼのようなものを美香が受け取り、俺の腕へ押し当てる。
「うっぐ……!」
「少し我慢して!」
まるで腕が心臓になったかのようにズキンズキンと脈打つ。
ガーゼを押し当てて、包帯で縛る。
血が滲み出ていた。
「まずい。銃声でゾンビが集まってきた」
「恭平、立てる?」
「ああ、なんとか……」
美香の手を借りて立ち上がる。
少しふらつくが何とか歩けそうだ。
足元に転がる犬の死体を見る。
犬にしてはとても大きい。
動物園で見た虎やライオンの雌と同じくらいの大きさがある。
顔つきはまるで狼だったが、毛色は真っ黒だ。
「こいつ、なんだったんだろう……」
「野生動物でしょ。狼を誰かが持ち込んだのよ、きっと」
「急ぐ」
周囲にはゾンビが集まり始めている。
暗くて見えないが、ゴミを蹴飛ばして歩く音や呻き声が聞こえてくる。
相当数のゾンビがいそうだ。
腕に巻いた包帯は赤く染まり、収まりきらない血がポタポタと地面にたれている。
これは結構な重症なんじゃないか?
足手まといになってしまうとは思わなかった。
強化プラスチックでできたプロテクターがバキバキに砕かれたのも衝撃だ。
プロテクターが無ければ腕が千切れていたのかもしれない。
血を多く失ったのか、ボーっとする。
二人についていくのがやっとだ。
気がつけば美香がゾンビを蹴り飛ばし、山口さんが突き飛ばして転ばしている。
いつの間にゾンビがこんな近くに。
「……平! 恭平!!」
「あ、すまん。今行く」
「違う! 後ろ!」
「え?」
美香の声で振り向くと、一人のゾンビが掴みかかってくるところだった。
「くそ、やられるかよ」
ヤクザキックを食らわすもあまりダメージが無い。
ゾンビは吹っ飛びもせず、むしろ距離を詰めてきたせいで押し倒された。
くそ、犬と言いこいつと言い、人を食うことしか考えられないのか。
ゾンビが口を大きく開け、俺の新鮮な血が滴る包帯部分へ噛み付く。
「ぐう!! 離せこら!!」
「オッラア!!」
美香のかかと落としでゾンビの首が千切れた。
ゾンビは生首だけでまだ噛み付いている。
蛇か何かなのか。
外そうとするが、肉に歯が食い込んで中々離れない。
顎を掴んで口を開け、美香に手伝ってもらいなんとか外す。
「恭平、腕が……」
「……あとにしよう。今はすぐにでも逃げないと」
「うん……」
ヘルメットをしているおかげでわからないが、きっと俺の顔色は真っ青になっているだろう。
美香に支えられ、山口さんに守ってもらいゾンビから逃げ出す。
どうにも自分が情けない。
とりあえずはゾンビの群れを抜けて、安全と思われる場所まで逃げてきた。
今はバスの屋根の上で治療をしてもらっている。
山口さんの出してくれた止血ガーゼと包帯で、とりあえずは血が止まった。
血が止まっただけで、縫ってはいないのでいつまた血が出てくるかがわからない。
血を失いすぎて頭がクラクラする。
これ以上血を失ったら死んでしまいそうだ。
「早く駐屯地へ行って治療してもらいましょう。あとどれくらい?」
「すぐだ」
「じゃあ出発しましょう。恭平、立てる?」
「ああ、なんとかな……」
美香の手を借りて立ち上がると、山口さんがマシンガンの銃口をこちらへ向けていた。
「ちょっと、なにしてるのよ。それ人に向けて良いものじゃないでしょ」
「すまない」
山口さんは謝罪をしてくるものの、銃口は下げなかった。
「すまないが、感染者を駐屯地へ入れる訳にはいかない」
「……は? なによそれ」
「山下恭平は感染した。国民の命を守るため、貴方を駐屯地及び避難所等へ入れる訳にはいかない」
「ふざけないで!!」
美香が激昂し、山口さんへ食って掛かる。
「恭平はあんたを庇ったせいでケガしたのよ!? わかってんの!?」
「……本当にすまない」
「すまないじゃないわよ! 駐屯地で今すぐ治療して!」
「……それは、できない」
そうか、俺は感染しているのか。
確かに化け物のような犬にもゾンビにも噛まれてしまった。
そうか。
俺はゾンビになるのか。
だったら駐屯地に入ることなど不可能だろうな。
大声で山口さんに詰め寄る美香の手を掴む。
「美香。もういい。ありがとう。俺は駐屯地には行かないよ」
「でも……!」
「噛まれたら確実に死んでゾンビになると言われている。俺はここまでだ。美香だけでも駐屯地に」
「行くわけない! 恭平と一緒に居る!」
美香が涙声で叫びギュッと抱きしめてきた。
噛まれたせいでこんなに美香を悲しませるなんて。
何をやっているんだ、俺は。
美香の声に引かれ遠くからゾンビが歩いてきているのが見えた。
「山口さん、行ってください。俺と美香はここにいるんで」
「……すまない」
「いえ、いろいろ良くしてくれてありがとうございました」
「こちらこそ、感謝する」
「あ、そうだ。駐屯地に優子ちゃんたちのご両親がいるか探してあげてください。飯塚夫妻です」
「約束しよう」
「じゃあ、これで」
「ああ。さようなら。本当にすまなかった」
「いえ。さあ行ってください」
バスから降りて歩いていく山口さんが最後に振り返り敬礼をくれた。
俺は、腕の中で震えながら泣いている美香にどうやって別れを告げるべきか悩んだ。
どうか、美香には俺の分も生きていってほしい。
美香を抱きしめる腕にギュッと力を込めると、美香が同じように返してくれた。