第五話 地獄の音
優子ちゃんの指さした方には建設関係の資材置き場があった。
積み重なった部材は人の目に触れない死角を多く作りだしている。
双子が連れ去られてからそう時間は経っていないはずだ。
どうにか見つけ出せれば手遅れにならずに済む。
必死な思いで資材置き場を走る。
「…………めろ!」
聞こえた。
人の声、双子のどちらかの声だ。
「……に手…………! ……しが…………!」
遠い。
どこだ。
どこにいる。
「……えな! 抵抗すんな!!」
「離せつってんだろ!」
「舐めてんじゃねえぞ、てめえ!!」
「おい! やめろ! 愛理に触んな!!」
近い。
声のする方へ走る。
「オラッ! ハハッ! 泣いてるぜ、こいつ」
「あんま顔殴んなよ。ヤる時萎えちまう」
「クソ! クソ! 触んな! 離せ!」
「うるせえんだ、よっ!!」
「ううう……!!」
見つけた。
馬乗りになって顔を叩いている。
あれは足に包帯をしていないから愛理か。
結愛を守ったのか。
結愛は……いた。
羽交い絞めにされている。
暴力は振るわれているが、最悪なことにはなっていない。
間に合った。
男は全部で四人か。
「お、おい! お前何しに来たんだよ!」
「あっち行ってろ!」
「聞こえねえのか!」
周りにいる男どもがわめいているが無視をする。
愛理に馬乗りになっている男の元へ歩く。
周りの男が俺に掴みかかろうとするのを避ける。
足を出してやれば簡単に転ぶ。
「お前みたいな生意気なガキは殴りながら犯したくなるんだよなあ」
「そうか。死ね」
「は?」
愛理に夢中になっていたからか、俺に気がつかなかった男の髪を掴む。
無駄に長いから掴まれるんだぞ。
良い教訓になったな。
右手で髪を引っ張り左膝を顔面に叩き込む。
反動で仰け反ろうとする頭というか髪を両手で掴み、おもいきり引っ張りながら更に膝。
多分、鼻が折れた感触がするのだろうが、このスーツのプロテクターが固すぎてわからない。
鉄板で補強された膝蹴りは効くだろ?
「ぐあああ!!」
叫ぶ男の髪を引っ張り、愛理の上からどかす。
地面に転んだその男の顔にサッカーボールキックをいれる。
このブーツにも鉄板が使われているんだ。
痛いだろ。
「うぐががあ!! っぎぎいい!!」
もはや人間語を喋らない。
ああ、そうだった。
こいつは、いやこいつらはゾンビ野郎だったんだ。
「おい! やべえぞ!」
「死ね、こら!!」
周りにいた男の何人かが向かってくる。
つかみ掛かってきた手の薬指と小指を握り、一気にへし折る。
「ぎゃあああ! 折りやがったあ!!」
うるさい口には肘のプロテクターをくれてやる。
血が吹き出て顔に飛んできたがバイザーが防いでくれた。
肘打ちを何回も入れていると後ろから掴みかかられた。
その男の右足を持ち、左足を払いつつ後ろに倒れてやる。
「がふっ……!」
俺の体重は軽いが、それでも二人分の体重で背中をしたたかに打ちつけた男は呼吸ができなさそうだった。
ちょうど良いので馬乗りになり、何度も拳を叩きつける。
俺のグローブも美香のやつほどじゃないが補強をされている。
男を何度も殴っていると唇が切れ、鼻がひしゃげ、涙を流すようになった。
もうやめてといった具合で手が出てきたので、両手の人差し指と中指をまとめて折る。
男はゾンビのような悲鳴をあげた。
ああ、ゾンビは悲鳴をあげないか。
「で、でめえ!! ぶっゴろず!!」
愛理に馬乗りになっていた男が背中を思い切り蹴ってきた。
つんのめるようにして転ぶと、男が俺の上に乗ろうとする。
だから、お前の髪は掴みやすいんだって。
無駄に長くしてんなよ。
髪を掴み横に引っ張ってやれば、すぐに俺の上からどいた。
髪を両手で掴み、思い切り頭突きをする。
これはいい。
ヘルメットのおかげで俺は痛くない。
男は血まみれだ。
俺は汚れていない。
良いこと尽くめだ。
男に馬乗りになり、こいつが愛理にしたように顔を何度も殴る。
無駄に長い髪を振って抵抗をするのがウザイので、髪の毛を引っ張って顔を持ち上げた状態で殴る。
ブチブチっと手に髪が残った。
全部抜いてやるか。
「やべっ、やべでっ!! だずげぇえ!!」
ゾンビ語はわからない。
何度も殴ると、男の髪はかなり短くなったが、もう面倒なので終わらせる。
結愛のほうを見る。
結愛は愛理と抱き合うようにして体を守っている。
羽交い絞めにしていた男は……いた。
「く、来るな! 俺は何もしていない!」
羽交い絞めにしていたのを見ているんだよな、俺が。
男のほうへ歩くと這いずって逃げようとするので足を掴む。
靴が脱げた。
ズボンの裾を掴む。
ズボンがずり落ちた。
おい。おい。お前。ズボン下げて何をしようとしていたんだよ。
ジャケットをシャツごと掴み思い切り引っ張って脱がす。
顔が隠れたので脱ぎ掛けのまま固定。
隠れた顔を蹴り上げる。
白いシャツに赤い染みが広がっていく。
この状態ならろくに抵抗できないだろう。
双子のほうへ顔を向ける。
「お前らもやるか?」
二人は無言で顔を振るだけだった。
やらないのか。
じゃあ代わりに俺がやるか。
体を丸めて身を守ろうとしているが、まあ関係ない。
顔、鼻、口を蹴る。暴れるので首を踏む。
このまま体重をかければ死ぬだろうな。
ゾンビ野郎は駆除していいんだっけ?
「そこまで」
いつの間にか背中に立たれ肩に手を置かれていた。
振り返りざまに右肘。
受けられた。
前蹴りで距離をあける。
避けられた。
避けた方向へ裏拳。
腕をとられる。
「う、ぐう!」
「落ち着いて」
腕を極められ地面に押さえつけられてしまった。
ここから脱出するには腕を折る覚悟が必要だ。
耐えられるか。
「暴れないでください」
「お、お兄さん……」
「その人自衛隊の人だよ……」
「えっ?」
「はい。落ちついて」
昂ぶっていた感情が冷めていく。
自衛隊の人って、自衛隊の人だよな。
少しの混乱がある。
興奮状態は治まったか。
今の俺は、普通に話せるか。
「落ち着かれましたか」
「ああ、すまん。落ち着いた」
「そうですか。では解放しますので、暴れないように」
自衛隊員が俺の上からどいた。
解放された腕を振って確認する。
痛めてはいないようだ。
自衛隊員は双子と同じくらいの身長でとても小柄だった。
いや、小柄ではないな。
分厚い筋肉や太い腕を持つ人間を小柄とは言わない。
この男はベストや銃などを装備しておらず、迷彩ズボンにシャツと目出し帽だけの出で立ちだった。
もしかして休憩していたところを邪魔してしまったのか。
なんにせよ感謝しなければ。
「仲裁に入ってくれて助かった。礼を言う」
「いえ、それには及びません」
あのままじゃ本当に殺していたかもしれない。
弱いものを食い物にするゾンビ野郎でも、殺すのはよくないだろう。
……本当に良くないのか?
犠牲者が増える前に駆除してしまった方が良いのでは?
ダメだ。物騒な方向へと考えが流れていく。
この場から早く離れたい。
「じゃあもう行くけど、こいつらのこと頼んでも良いか?」
「ええ、任されました」
双子の方へ顔を向けると、二人はビクリと体を揺らした。
「おい、帰るぞ。美香が心配している」
「あ、は、はい」
「わかった……」
結愛をおぶろうとしたが血で汚れているのでやめておいた。
結愛は愛理に肩を借りてゆっくりと歩いている。
今ふと思ったが、なんで俺はこの双子と共に行動をしようと考えているんだろう。
避難所に行く時にゾンビから助けて保護したからか?
ここには他に頼れそうな市役所職員がたくさんいた。
預けるべきなのでは?
「お前らそういえばさ、なんで美香と同じところで生活するって話になってたんだ?」
「え、今それ聞く?」
「美香さんがあたしらのこと守るって言い出して」
美香がそう言うのなら守るべきだな。
「ふーん、美香がね。じゃあ俺もお前らを守るよ」
「もう充分守ってもらってるし……」
「うん、ほんと来てくれてありがとう……」
「あざまなんとかじゃないのか?」
「あざまる水産な」
「あれ言うと美香さん怒るから」
「美香さん怒らせると半端ねえし」
「あ、お兄さんもだけど」
「マジ鬼だった。リアル鬼」
「お兄さんほんとやばたにえん」
「マジ卍」
「まんじ? お茶漬けが食いたいのか?」
やっぱり最近の子の言っていることはわからない。
宇宙人と話している気分になる。
たぶん真面目に聞いたらダメなのだろうと、その後の双子の話はほぼ聞いていなかった。
炊き出し場に戻ってくると、美香にすごい顔をされた。
「……お疲れさま。とりあえず服を洗うか拭くかした方が良いよ」
「あ、ああ。そうだな。じゃ、ちょっと洗ってくる」
ちょっと遠くに手洗い場があったのでそこへ逃げるように向かった。
ブーツやヘルメットの表面を洗いながら先ほどの美香の顔を思い出す。
「はあ……。怒ってるよなあ」
十年前にした美香との約束、『必要以上に痛めつけない』を破ったのが丸わかりだったのだろう。
血もたくさんついてたし、なによりこのグローブに絡みついた大量の髪の毛がバレた原因に違いない。
今回も土下座をすれば許してくれるだろうか。
いつまでたっても俺は美香に頭が上がらない。
俺が真人間になるきっかけをくれて、更生までしてくれた。
美香に人生を変えてもらったのだ。頭も上がらなくて当然だ。
人生を変えたとかそんな大げさなことでもないか。
ただ単純に、調子に乗った十七のガキが年下の女子と喧嘩して負けて、それで惚れて好かれようと自分を変えただけだ。
なんともアホな話だ。
そもそも俺のこの性格が全ての原因なんだろう。
ホラー映画もまともに見れないビビりな俺は、何かになりきってそれを乗り越えようとしてしまう。
ホラー映画を見るときはホラー映画評論家に。
ジェットコースターに乗るときはアドレナリンジャンキーに。
そして不良に絡まれたときは外道チンピラに。
中学高校と演劇部に所属していたヒョロモヤシの俺は、何かを演じてなりきるのが好きだった。
そんな俺が不良に目をつけられて、外道チンピラの役ができてしまった。
俺の演じる外道チンピラは「やるなら徹底的に」を基本スタンスにしている。
そのおかげか、いや、そのせいでその辺の不良にはまず負けず、それが負の連鎖の始まりになってしまった。
タイマンに勝てば相手をする人数が増え、多人数に勝てば凶器が出てきて。
いつしか凶器所持の戦いが当たり前になっており、気がついたらいつの間にか高校を退学していた。
そこからはもうチンピラを演じているのか本当にチンピラになっているのかの区別がつかなかった。
いつ喧嘩を売られても対応できるように、寝るときも食事をするときも、常にチンピラ状態だったからだ。
まあ心までチンピラになってしまっていたんだろう。
あるとき目の前を一組のカップルが歩いており、チンピラなら絡むべきだよなと男に喧嘩を売った。
そして男ではなく女の方に負けて、俺はなにをしていたんだと我に返り、その女、美香に惚れたわけだ。
しかも美香と歩いていた男は女で、そして美香の妹さんだった。
それを正直に言って二人にボコボコにされたりもした。
二人とも空手をやっていて、腰の入ったパンチが本当に痛かった。
美香の妹の花乃ちゃん、無事だと良いが。
通信障害で電話が繋がらず、メールやSNSの連絡もつかずとても心配だ。
だが実姉である美香はそこまで心配していない。
「あの子は私より強いから」とのことだ。
血を洗い流しタオルで水気をふき取る。
ああ、美香のところに戻りたくない。
でも約束を違えたのは俺だし。
ここは素直に謝ろう。
恐妻の尻に敷かれるダメ旦那を演じるしかないかな。
いや、演じるまでもなく恐妻の尻に敷かれるダメ旦那だったか。ははは。
美香のところに戻ると、俺の予想とはうらはらに全く怒っていなかった。
それどころか褒められたくらいだ。
「むしろその程度で済ませちゃったのが意外だわ。私ならまず間違いなく去勢する」
「そうだね。美香はとりあえず金的から入るから」
俺が昔負けた原因もそれだ。
男同士の喧嘩だと滅多に金的なんてこないからなあ。
まあ俺は外道チンピラだから積極的に狙っていたが。
「これからは全員離れないようにしましょう。トイレに行くときもお風呂に行くときも、必ず私か恭平についてもらうように」
「そうだな。俺もすぐ対応できるように世紀末覇者モードでいるようにしようかな」
「ちょっとやめてよ。『ウヌ』とか言い出したら絶対に笑うよ、私」
「あ、じゃあ黒王号用意しないと!」
「ウケる」
双子は話が通じるようだったが、優子ちゃんと恵理奈ちゃんは不思議そうにしているだけだった。
これがジェネレーションギャップというやつか。
その日はそれ以降トラブルが無く、平和だった。
高校生とはいえ美香以外の女性の近くで寝るのは緊張を強いられたが。
そういえば、双子は避難所に来る前にいたギャアギャアうるさい高校生グループにいて、ゾンビの襲撃を受けて散り散りに逃げたそうだ。
友達の安否が心配かと思いきや「勘違い男と媚女しかいなくてウザかった」とか「ヤラせてってしつこかったから離れられて良かった」とか言っていた。
襲撃を受けたのは自業自得だと美香に言われ、さすがにしょんぼりとはしていたが。
次の日、佐藤くんに言ってバリケードの補強の仕事を手伝わせてもらった。
「いやー、ほんとありがたいぜ。人手が足りないのに何もしないカスが多くてさー」
佐藤くんは鬱憤が溜まっていたのか、しばらく愚痴が続いた。
「そういや山下さん、あいつらブチのめしたんだってね。俺らは手を出すなって言われてたからマジすっきりした」
「うん、まあ、でも、暴力は良くないよね」
「ははは! そうだな! 良くないわ、ははは」
うん。良くないと思っているんだよ、本当に。
気持ち良さそうに笑う佐藤くんと並んでバリケードの上を歩く。
補強が必要そうな箇所がないかをチェックするのだ。
バスの上やトラックの上には足場板が並べられて道が作られており、とても歩きやすい。
「なんか、すごい風景だと思わない? ほんとこれが現実なのかよって」
「ああ、そうだね……」
バリケードの外には大量のゾンビがいる。
老若男女を問わず、今まで生きていた人がそこにいるのだ。
その人たちがバリケードを叩き、押し、呻き声を上げている。
「いつ終わるんだろうな。これ。このまま人類は滅びるのかな」
「…………どうだろうね」
滅びる以外の道は残されていないと思うが、それを俺の口から伝えることはできなかった。
「ゾンビもさ。最初は十人くらいの塊がちらほら居たくらいなんだよ。それが今じゃ数えることもできないくらい居るし」
日を追う毎にゾンビが増え、この避難所から出ることすら困難になってしまったらしい。
「山下さん、この市の人口わかる?」
「六十万だったっけかな」
「そっか。ここのゾンビで六十分の一はいそうだよな。生きている人は何人いるんだろう」
半分もいないだろう。
そしてそれは、日が経てば経つほど減っていく。
「まあ、俺らは俺らにできることをするしかないってね」
「そうだね」
佐藤くんと話していると、突然ゾンビが騒ぎ出した。
「ウアアア……」
「グガアア」
「オオオオォォ……」
ゾンビの声は伝染するように広がり、避難所の周囲から鳴り響いた。
「おいおい、なんなんだよ、いったい」
「わからない。なんだこれは……」
さながらそれは、昔動画サイトで聞いたことのある地獄の音のようであった。
地獄の音とは、シベリアの地下14kmで録音された音のことです。