第三十九話 感染拡大
どこか人のいないところと言われ俺が思い浮かべたのはミシェルのトレーラーハウスだった。
ミシェルは日中、トレーラーハウスの最奥にある無菌室という小部屋から出てこない。
誰にも邪魔されずに話すには最適の場所と言えた。
ミシェルには自由にここを使ってもいいと言われているので、今が使い時と思い二人をトレーラーハウスまで連れて行く。
黙ったままの鈴鹿と美香に、俺の背に冷や汗が流れた。
ソファに対面するように座った美香と鈴鹿。
俺はどこに座るか迷い、上座の一人がけソファに座ることにした。
美香がヘルメットを外すのを合図に、鈴鹿が口を開く。
「……美香さん。あんた、言ってることとやってることが違うよね」
「……そうね。そんなつもりはなかったんだけど、って言い訳にしかならないわね、ごめんなさい」
「いや、違う、そうじゃない、ああ、もう……。私はそれが一番だと思ってる。けど、やっぱり見ているとつらい」
「わかるわよ、その気持ち」
「あんたにわかるわけ……ってそうか」
なにやらわかりあった様子の二人。
なにが原因で始まったかわからないこの話し合いは終了でいいのか。
俺にはなにがなにやらわからないが、ここで下手に口を出したら矛先が俺へ向くのは火を見るより明らかだ。
黙って成り行きを見守ろう。
「ああ、やっぱりダメだ。恭平、ごめん。私、ここを出てくね。今までありがとう」
「は? いったいなにを言い出すんだよ、鈴鹿」
「じっくり考えたけど、やっぱり私には無理だった。ごめん」
「待って鈴鹿さん。それなら私が出てくわ。こうなるってわかってたのに……本当にごめんなさい」
「ちょっと待て、二人とも待て、落ち着け。俺にもわかるように説明してくれ。わけがわからない」
何故二人がここを出て行く必要がある?
俺に不満があるのか?
言ってくれれば改善するのに、なにも言わないでいきなり出て行くというのはあんまりじゃあないか。
「俺に直すべきところがあるなら努力して改善する。どうしたらいいんだ? 教えてくれ」
「恭平は悪くない、悪いのは私なんだよ」
「なにかしたのか? 他の女と喧嘩でもしたか? 俺が一緒に謝るから、思いつめるのはよせ」
俯いた鈴鹿から、羞恥、焦り、怒りといった負の感情の混じったにおいがする。
「そういうんじゃないのよ、恭平。あなたの鈍さは本当に昔から変わらないわね」
「じゃあどういうんだよ? 言われなきゃわからないだろ」
美香も鈴鹿もジッと俺のことを睨んでいる。
これはやらかしてしまったのか。
「もういいよ。じゃあ恭平にわかりやすいように説明してあげる。私は恭平が好き。美香さんとイチャイチャしているの見たくない。だからここを出てく。以上。わかった?」
「え、いや、ああ、そうか。え、本当に?」
「本当だよ。恭平さ、いい加減自覚持った方がいいよ。頼れて強くて紳士で安全を提供してくれる恭平をさ、狙わない女がいる?」
「ま、まあそれだけ聞けば優良物件だな」
「そう。だから私も狙ってたの。私はずるいからさ、死んだ奥さんを忘れさせるように協力して、踏ん切りをつけさせようと思ってた。美香さんの存在を忘れさせようと思ってた。でもまさかね、美香さんが生きてるなんて思うわけないじゃん。ほんとバカみたい」
「それでも恭平を支えてくれてたじゃない。あなたがいなかったらきっと恭平はダメになってたわ」
「それは恭平のためじゃない、私のためだよ。私に依存してくれればなんて考えてた。汚い女なんだよ、私は」
鈴鹿は下唇を噛み締め、虚空を睨みつけていた。
「美香さんの提案もさ、いいなって思っちゃったんだ。どこまで行っても自分のことしか考えていない、恭平のことなんてなにも考えていない自分がほんと嫌になった」
「鈴鹿……」
「だから、ごめん恭平。私はここを出てくね。まあ最後に思い出のひとつでもくれたら嬉しいけど」
「思い出?」
「うん、思い出。ていうか子供。出来るかどうかはわかんないけど、一度だけ子作りしたいなって」
「いや、それはちょっとダメだろ……」
「そっか……。まあそうだよね。それが恭平だもんね。そこで頷くんだったら好きになってないよ」
一瞬、鈴鹿の目元に光るものを見た。
なんと言えばいいかわからず黙っていると、突然バンと美香が机を叩いた。
「恭平、あなたのせいで女の子が泣いているわよ。私と前に約束したこと覚えてる?」
「……『女の子を泣かせない』」
「そう、わかっているじゃない。そういうことよ」
「いや、待て。どう考えてもおかしいだろ。妻の目の前で浮気の約束をする? 完全にイかれている」
「なに言ってるの? 鈴鹿さんは貴方の意思で連れてきたんでしょ。『俺の気に入った女を集めて好き放題してやる』って言ってすぐに鈴鹿さんを保護してたじゃない」
「いや、あれは勢いというか、言葉の綾というか。ていうか美香やっぱりそれ気にしてるじゃないか」
「気にもなるでしょ。本当はそれが望みだったんじゃないかって不安にならないとでも?」
「あーやめてやめて私の前で夫婦喧嘩しないで。惨めになる」
「ごめんなさい。ほら恭平、男を見せて。責任を取るのよ」
「いや責任ったって……」
鈴鹿は大事な仲間だ。
今まで何度か鈴鹿に心を救われた。
そんな鈴鹿を抱かないから外に出てけと追いやってもいいのか?
本人も望んでいるし、美香も抱けと言う。
なら抱くべきなのか?
抱いた方がいい気がしてきた……。
いや、待て。俺はクズなのか?
そんな気持ちで抱くのは失礼だし、俺は浮気なんてしたくない。
どうしたらいいんだ……?
「話は聞かせてもらったわ」
「ミシェル!」
どうしたらいいのかわからずにいると、奥の無菌室からミシェルが出てきた。
この状況を打破してくれる女神のように思えた。
「ごめんなさいね? 盗み聞きをするつもりはなかったの。だけど声が響くのよ」
ミシェルは困ったような笑顔をして美香の隣へと座った。
「お困りのようだからひとつ提案させていただくわね」
コホンと可愛らしい咳払いをひとつしてからミシェルが「まずこれまでの話をまとめるわね」と切り出した。
「鈴鹿さんは妊娠したい。美香さんは恭平の子を誰かに産んで欲しい、恭平は美香さん以外の女性と性交したくない。こういうことよね?」
「そうね。それであってるわ」
「まあ簡潔に言うとそうだよね」
「間違ってはいないが……」
改めてまとめられると酷い話だった。
「ということは、性交せずに鈴鹿さんに子供ができればいいわけよね。だったら体外受精すればいいのよ。安心して。私、産婦人科専門医の資格もあるのよ。アメリカのだけどね」
「いや、そういうことじゃ……」
「それじゃ思い出にならないわ、ダメよ」
「ううん、私それでいい」
「ちょ、鈴鹿……?」
「どうせ恭平は私のことを抱いてくれないってわかってたから。だったらせめて子供だけでもほしいもん」
「それしかないのかしら……。でも妊娠したら外には行かせないわよ。私も一緒に恭平の子を育てたいもの」
「おい、美香……」
「美香さん……ごめん。ほんとはすごく嫌でしょ。わがまま言ってごめん」
「いいのよ。私が望んだことですもの」
「オーケー、決まりね。それじゃ必要なものをまとめてしまいましょう。善は急げよね」
「わかったわ。この辺の産婦人科の病院を探してみましょう」
「体外受精ができる設備がある病院だね」
まさかのミシェルのせいで美香と鈴鹿が結託してしまった。
俺の意見などまるっきり無視で話がどんどんと進んでいってしまう。
「他に希望している子にもこの方法を提案してみましょうか」
「そうだね。あ、そういえば花乃が既に希望メンバー集めてるよ」
「さすがね。今夜にでも一度集まって話をしましょう」
二人が結託したときの物事の進行スピードが、俺の理解の範疇を超えている。
「ていうか俺の人権とかそういうのは無視なのかよ……?」
「あら、なに言ってるの恭平? 女の子にモテモテでいいじゃない」
「そういう話じゃないだろ、これ」
「仕方がないわよ。いい男というのはモテるものなんだから」
そう言ってウインクをするミシェルに、大きなため息を吐いて答えた。
美香と鈴鹿が結託をした日から十日が過ぎた。
この十日間は、本当にいろいろなことがおきた。
まず、俺の子を産むことを希望した女性たちが全部で六人。
鈴鹿、珠子、友里、深冬、マキシーン、花乃ちゃん。
正直、花乃ちゃんとかマジで勘弁願いたい。義妹だろ、お前は。
というよりも俺をそんな目で見ている女性が思いのほか多くて少し引いている。
鈴鹿と珠子と友里はそんな雰囲気というかにおいがしていたから、なんとなく俺に気があるのではと思っていた。
自意識過剰じゃねえの、とセルフ突込みを入れて忘れていたが、まさか本当だとは思わなかった。
深冬も明穂経由で聞いていたけど、実際に希望するとは思わず驚いた。
マキシーンと花乃ちゃんは本当に理解に苦しむ。
まあ確かに風呂場に全裸で突撃されたりもしたけど、そんな目で見られてるとは思わないだろ。
本当に、未だに納得はできていないけど、それが女性らの総意だと言われたら、不和が生じないように俺が折れなきゃいけないんだよなぁ。
俺は美香と夫婦生活がしたいんだよ。というか美香との子供が欲しいんだよ、俺は。
そのことを美香に言ったらもの凄く悲しそうな顔で、悲痛な声で「ごめん」と言われてしまった。
しかも山口やミシェル、鈴鹿にまで「美香に謝れ」と言われてしまった。
わけがわからなかったが、もの凄い剣幕で詰め寄られたから謝りはしたが……。あれは謎だった。
それから俺の感染したウイルスがどんなものか判明した。
俺が最初に感染したウイルスは、きなこやシロなどの巨大動物が持っているものだった。
黒い狼に噛まれたときに感染したのではと言われた。
そのウイルスは人間が噛まれると狂犬病と同じく致死率百パーセントで、決して俺が助かることは無いはずだった。
ちなみにそのウイルスは中国が食糧危機対策として開発していたものだとミシェルが言っていた。
なぜ日本に入ってきているのかはわからないが、おそらくテロだったのではないかと推測されている。
これは暫定的に『Chinaウイルス』略してCウイルスと呼ぼう。
それでCウイルスに感染した俺は死ぬはずだったところをゾンビに噛まれて感染してしまう。
これはアメリカで研究していた企業から漏れたらしいけど、わかりやすく『Zombieウイルス』略してZウイルスと名づけよう。
Zウイルスは俺の体にいるCウイルスごと俺を殺しにかかった。
そこにミシェルの作り出した『Zウイルスを低活性化させるワクチン』これは略さずにワクチンと呼ぶけど、それを打つことによりZウイルスが低活性化。
ここぞとばかりにCウイルスがZウイルスを取り込み力をつけだした。
Zウイルスもただ食われるだけではなく、長い時間をかけて食いつ食われつの殺し合いが発生した。
それが俺の寝ていた四ヶ月の間に体内で起きていたことではないか、というのがミシェルの推測だった。
ちなみに今の俺の体の中にはZウイルスもCウイルスもいなくなっており、新しいウイルスに変異したものが居座っているらしい。
これは『Kyouheiウイルス』略してKウイルスと呼ぶとのことだ。
そして美香に起きた変化だが、美香はKウイルスを持つ俺とのセックスにより既にKウイルスに感染していた。
Kウイルスはゾンビに噛まれるまでの数時間では美香の全身に回っておらず、Zウイルスとの戦いも五分五分だった。
Zウイルスが混入し、ワクチンを打たれKもZも不活性化し、またもやウイルスが変異。
『Micaウイルス』略してMウイルスになったとのこと。
これはミシェルの仮説だが、おそらくあっているんじゃないかと俺は思う。
Zウイルスは元々、『進化の止まった生物を進化させる』ことを目的としていたらしい。
だがそれは失敗に終わり、アメリカ本土は人と動物が凶暴化したモンスターに占拠されてしまったとのことだ。
空をセスナ機並みの鷹や梟が飛び、海を軍艦サイズのシャチや鮫が泳ぐ魔境へとアメリカ大陸は変化した。
陸上には車と同サイズのサソリやクモなどの昆虫や、バスと同じ長さの蛇が闊歩する。
人々は化物にとってのただの餌になったことだろう。
まあ日本にも三階建てくらいあるヒグマとか、乗用車サイズの犬とかいるけど。
世界は本格的に終わりを迎えているらしい。
で、Mウイルスは美香からしか感染しないということもわかった。
市役所から山口が小池さんと斉藤を連れてきて、山口の血から感染させようとしたけどダメだった。
なんでも感染力が弱く、一度しか感染させられないとか。
詳しいことを説明されたが、専門用語だらけで頭のよくない俺にはちんぷんかんぷんだった。
美香の血にいるウイルスを培養したものをミシェルが小池さんと斉藤の二人に打つと、血反吐を撒き散らしながら絶命したときは本当に肝が冷えた。
すぐに二人の心臓が動き出したからよかったものの、優良な自衛官を殺したとあっては罪悪感がとんでもないことになっていた。
小池さんと斉藤は上官には報告をせず、二人で市役所を拠点としながら人助けをしてまわると行ってしまった。
菊間もこのときMウイルスに感染したが、小池さんたちの活動には参加せず変わらずこの拠点で暮らすと言ってくれた。
そして俺との間に子供を希望する女性たちは、俺と同じKウイルスに感染した。
ミシェル曰く、俺の精子で受精卵を感染させてしまった場合、産まれてくる子供がどのような姿になるかわからない。
なので先に母体を感染させてしまい、Kウイルスにより変異をさせ適応させてしまえばいい、らしい。
そんな暴力的な解決手段でいいのかと思ったが、女性たちは全員乗り気だった。
俺のような化物の姿になってもいいのか、よく考えろと説得しても『よく考えた上の結論だ』と言われ、黙るしかなかった。
さらにミシェルが悪乗りをし、いろいろな動物の遺伝子を取り込んでみようということになった。
俺のウイルスはベースが狼だが、鹿やウサギ、猪や熊などの遺伝子を、Kウイルスのベース部分にしてみよう、となってしまった。
俺と美香、ミシェルとマキシーンで、わざと略奪者がいそうな場所を歩き、襲い掛かってきた男などを捕らえて実験の材料にした。
材料は探せばいくらでもいる。
においや音で街の中を探せば、女を閉じ込めて集団で弄っている奴らや、家族を人質に取り物資を探させる奴らなど、クズをわんさかと見つけることができた。
百貨店近くに住む生存者のうち、半数はクズかカスだったので実験に協力してもらうことに。
マンションの高層階に住む生存者達は、窓の外に俺たちが張り付いているとは思いもしないらしく、本性を見ることができていろいろと捗った。
材料が足りず米軍基地まで出向けば、これ幸いとばかりに男だけでなく女までもが襲い掛かってきた。
男女平等に材料になってもらい、実験はとても順調に進んだ。
実験材料は全部で三十八人。
材料たちの苦悶の叫び声を聞いても、特になにも感じなかった。
Kウイルスに適応する者は総じて健康状態がよく、たくさんの栄養を摂取できる環境にいた者たちだった。
栄養失調に陥る手前くらいに痩せていた男が二人、Kウイルスのアンプルを注射した際に絶命したことから間違いないだろう。
俺と同じように手足を切ったり折ったりしてみたが、変異した者が二十人中四人程度だった理由は傷の具合だろうか。
千切れるほどに切り裂いても死んだし、骨を粉々に粉砕しても死んでいた。
指を折った程度じゃ変異は起きず、回復速度が速まるだけだった。
実験していく上で、全身を獣のように変異させた者がいた。
慎重に具合を見ながら体中を引き裂くと、二足歩行をする鹿が出来上がった。
実験が上手くいって適応した者は、生かしておいてもいいことは無いと全て処理した。
それでも心は動かず、自分はやはり化物に変わってしまったのだと実感した。
俺や美香と違って、変異していないミシェルとマキシーンが平然と材料の手足を破壊していたのは異常に感じた。
マッドとかサイコパスとか、そういった類の人間だったのだろうか?
それとなく見張っておこう。
女性たちを体外受精させるための設備は、産婦人科の病院で設備が整っているところを制圧し、そこを利用することになった。
百貨店から車で十五分の位置にその病院はある。
採卵、採精を行い、受精させたあとは培養液で三日ほど培養されたあと、子宮内の胚へと移植された。
現在、俺の子を腹に宿すのは、鈴鹿、深冬、友里、マキシーンの四人。
花乃ちゃんと珠子は既に受精を終わらせ培養中で、あとは胚に移植するだけとのことだ。
正直、実感なんて無い。
俺は精子バンクに提供するドナーのようなものだ。
だが、それでも嬉しそうに笑う女性たちを見て、なにも思わないわけではない。
自責の念、罪悪感、良心の呵責、言い方は様々だが、俺は女性たちに対しても、美香に対しても、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
美香には裏切ってしまったということ、女性たちには真摯に向き合えていないということ、この二つがここ最近の俺の頭の中でずっとぐるぐると渦巻いている。
これが正解だったのか、俺はとんでもない過ちを犯したんじゃないのか、いくら考えても答えは出なかった。
鹿狩りをする予定だった内の三人が妊娠したため、急遽直美には明穂と二人で狩りをしてもらうことになった。
鈴鹿、マキシーン、深冬の三人は大丈夫だと言っていたが、美香とミシェルに反対され拠点で大人しくしている。
鹿の狩りにはシロに手伝ってもらっている。
仕留めた獲物の内臓と肉の一部を渡すことで、鹿の追い込みをやってくれたのだ。
おかげでこの十日で既に三頭の鹿を仕留めることに成功している。
さらに、あのときのリベンジとばかりに猪も一頭仕留めている。
味のほうは、珠子の調理技術により臭みも消え肉質も柔らかくなり、まさに絶品と言えた。
ここ数日は腹いっぱい肉を食えて、とても満ち足りた気分だ。
たんぱく質をたくさん摂取しているおかげか、体つきがよりゴツゴツとして、一回りくらい筋肉が大きくなった。
化物の腕も太さを増しており、洋服選びがとても大変である。
直美たちの護衛には俺か美香か菊間がついていくようにしている。
いくら直美が銃を持っていても、明穂と二人だけで行かせるわけにはいかない。
拠点内の女性たちの安全を保障するのが、俺の役目なのだ。
「さて、行くか……」
武器庫から得物を持ち出し、正面玄関へと向かう。
今夜も変異体の狩りに出向く。
最近では百貨店のそばにまで現れるようになり、まったく気が抜けない。
少しでも数を減らそうと毎晩、俺と美香と山口と菊間の四人で手分けして変異体狩りをしている。
「それじゃあ皆、気をつけてね。危なくなったら逃げるか合図を送ること。いいわね?」
「オーケーだ」
「わかった」
「あいよ」
それぞれが得物を持ち上げ、軽く打ち合わす。
変異体は強力だが、皮膚や肉は通常のゾンビよりも少し硬い程度だ。
であるならば、銃や刃物が有効だと結論付いた。
銃は音が出てしまうので他の変異体を呼び寄せかねないと、それぞれが刃物を持ち歩くことになった。
俺の得物は刃渡り九四センチ、全長二一〇センチの鯨包丁。
まるで薙刀だが、実際に鯨を解体しているのに使われているものだ。
以前、鯨の解体を美香と見に行ったことを思い出して港まで探索しに行くと、倉庫の一室に置いてあったので拝借した。
その港では他にも鮪包丁があったので、そちらも拝借している。
刃渡り七八センチ、全長一〇三センチのその鮪包丁は、剣道五段の実力を持つ山口が使うことになった。
俺には山口のようなスムーズな太刀筋など土台無理な話なので、化物じみた膂力で押し切るようにして使っている。
美香は、刃物などいらぬ拳さえあれば充分だ、みたいなことを言っていたが誰も反対しなかった。
美香の手足には鋼鉄で補強されているグローブとブーツが装着されている。
普通なら武器ではないが美香が使うと途端に凶器と化す。
あのバイク屋で手に入れたものを余程気に入ったのか、大事に修繕しながら使い続けている。
菊間は自前のゴツいサバイバルナイフを使っている。
なんでも近接格闘術というものに長けているらしく、長い得物だと逆に戦いにくいのだとか。
実際に組み手をしてみたが、気がついたら床に転がされ首にナイフを当てられていた。
これが実戦ならなにも気がつかずに死んでいたことだろう。
自衛隊員に人外の膂力を与えてしまったら、とんでもないことになるということがわかった。
たぶん、今の小池さんとガチで殺し合いをしたところで文字通り秒殺される。
山口とも木刀と棒で試合をしてみたが、少し動いたなと思った瞬間、頭がかち割れる強打を食らった。
おかげで頭が変異し、右耳が消えて頭から犬耳(右)が生えた。
音はよく聞こえるようになった。
双子など一部の女性連中は俺の耳を見て発狂していたが、怒りに燃えた美香が山口の繰り出す木刀を拳で叩き折り、マウント状態でしばらくボコボコにしていた。
自衛隊員の戦闘能力は恐ろしいが、それ以上に美香が怖かった。
俺以外の三人はなんらかの戦闘技術を持っているから変異体との近接戦闘が可能かもしれないが、俺には無理だ。
そのため俺の武器は鯨包丁のほかに、DIY投げ槍を数本用意してある。
投げ槍は水道管やガス管に使われる鉄管の先端を斜めに切り落としたものを使っている。
以前作った包丁をメタルラックの支柱の先端に取り付けたものは、包丁の刃が欠けたり折れたりしてしまうせいで使い物にならなかった。
ある程度折れたり曲がったりしてもいいような丈夫なものじゃないと、俺の人外の力じゃ使えないようだ。
ビルの屋上からにおいを嗅ぎつつ、街を見渡す。
変異体ゾンビのにおいは独特で、普通のゾンビのように腐ったにおいはせず、なんとなく香ばしいにおいがする。
肉の焦げるにおいと蒸発した汗のにおいを混ぜたようなにおいだ。
いいにおいではないが、変異体を探すのは楽だった。
どこかで変異体が食事中らしく、香ばしいにおいと血のにおいが風に乗って漂ってきた。
そちらへ視線を向け目を凝らすと、マンションのベランダに生存者一人と、室内に変異体を一匹発見した。
ベランダの男は隠れているつもりのようだが、変異体は既にその男に気がついているように見える。
室内の食事を終わらせたらゆっくり男を食う気なのだろう。
変異体は女型で、手足に鋭い突起をいくつも生やしており、折りたたまれた足が異様に長い。
まるでカエルかバッタのようだ。
ああいう機動性がありそうなタイプは、狭い室内で食事をしている今が狙い目だ。
ビルの屋上を跳んで渡り、投げ槍で狙いやすい位置まで移動する。
鉄パイプで作った投げ槍は、俺が投げると一五〇メートルは飛ぶ。
一五〇メートルと言っても水平には飛ばないので、ある程度まで近づかなければならない。
変異体のいるマンションは四階なので、同じくらいの高さのビルの屋上へと降り立つ。
距離は四〇メートルほどで、これなら真っ直ぐ当てられそうだ。
持っていた鯨包丁を置き、投げ槍を持つ。
投げ槍の本数は五本。
命中率はそれほど高くないが、五本もあれば一発くらいは当たりそうだ。
ビルの端まで行き助走距離を稼ぐ。
投げ槍の石突部分を左手で持ち、中指の爪に鉄パイプの穴を引っ掛ける。
この投げ方をすると、普通に柄を掴んで投げるよりも速く遠くへ飛ばすことができるのだ。
変異体に気付かれた様子はない。
この距離での命中率は八〇パーセントといったところか。
毎日練習しているから自信はあるが、絶対外さないとは言えないのが俺らしい。
槍を頭の横まで持ち上げて構える。
ゆっくりと駆け出して助走をつけ、勢いに乗ったところで全身をしならせるようにして射出する。
鉄パイプの投げ槍は、『ヒュオォ』と甲高い音を鳴らしながら変異体へと一直線に飛んでいく。
変異体が体を起こし、音の発生源を確認しようとしたところで、胸に深々と突き刺さった。
……体を起こさないと外れていた可能性が高いが、まあ結果オーライといこう。
鯨包丁を持ち、ビルの上を跳んで渡り、ベランダに着地する。
ベランダに隠れていた男が俺を見て、「ぎゃあ」と叫び声を上げたが無視をする。
まだ変異体は死んではいないのだ。
胸に突き刺さったパイプからトクトクと血が溢れている。
心臓に刺さったか。
床を激しく転げまわっているので止めを刺すべく鯨包丁を振り上げる。
変異体が顔を上げて大きく裂けた口を威嚇をするかのように開くが、構わずにそのまま首を刎ね飛ばす。
返り血を浴びないように距離をとり、再びベランダへ戻る。
男は腰が抜けたのか、尻餅をついたまま逃げようと後ずさっている。
歳は四十代前半といったところか。
「おい」
「ひっ、な、な、なんですか……?」
「お前、どうしてここにいる? 集団生活が嫌になって逃げてきた口か?」
「え、あ、いえ、違います……」
「じゃあ市役所か駐屯地に送り届けてやろうか?」
「いえ……いえ、それには及びません……」
「そうか。じゃあちょっとどいててくれ」
「え、あ、はい」
変異体の血の勢いが弱くなったので室内へ入る。
そのまま変異体の足を持ち、ベランダへと引きずっていく。
「うぎゃあ!」
「どいてくれって」
「す、すみません!」
変異体をベランダの外へ投げ捨てる。
切り取った首も忘れずに放り投げる。
ついでに変異体の食い残しも一緒に放る。
「な、なにをしているのですか?」
「ん? ああ、このまま放置したら悪い病気が広がりそうだろ? 死体は全部燃やすことにしてんだ」
人でも化物でも死体は全て焼却だ。
大量の血は放置して凝固させるしかない。
「ここ、おたくの家?」
「いえ、たまたま逃げ込んだところですが……」
「そうか、じゃあ遠慮なく」
室内にあるマットレス、タンス、テーブルやイスや棚などを全て外へ放り投げる。
死体を燃やすには燃料が思ったよりも必要だ。
プラスチックなどの石油製品や木材で作られた家具などはいい燃料である。
これだけじゃ足りないので、室内の壁のボードを剥がして間柱をへし折ったり、フローリングを剥がしたり、ドアとドア枠を壊したりして外へと投げていく。
「火をつけたらしばらく離れられないけど、迷惑か?」
「いえ……。僕はここにいてもいいですか?」
「構わないが」
ベランダから飛び降りて燃やす場所を整えていく。
近くに燃えるものがなく上に電線が走っていない場所じゃないと、街全体が大火事になってしまう。
道路の交差点の真ん中にマットレスを敷き、変異体を引きずっていきその上へ置く。
あとは残骸などもマットレスの上に置き、キャンプファイアのごとく木を積み重ねて、ペットボトルに入れてあるガソリンを撒けば準備完了。
ライターで火をつけた新聞紙を投げ入れれば、ボウっと気化したガソリンへと引火した。
あとはじっくりと焼いていけばいい。
火事にならないように注意しつつ、バケツに水などを用意していると男がマンションから降りてきた。
「あの、ここ座ってもいいかな?」
「ああ、好きにしたらいい」
俺の近くに腰を下ろした男が、轟々(ごうごう)と燃える悪趣味なキャンプファイアを見つめながら口を開いた。
「君は……理性があるんだね?」
「ん? 理性? ああ、化物に見えるよな。こんな見た目でも一応人間やってるよ」
「いや、不躾なこと言ったね。助けてくれた人に言うことじゃなかった。申し訳ない」
「いいよ。そう思うのが普通だ」
男は少し困ったような顔で笑うと手を差し出してきた。
「吉岡俊一だよ。君は?」
「どうも。山下恭平だ」
俺の化物の手に触れると一瞬ビクリと体を揺らすが、吉岡さんはしっかりと俺の手を握ってきた。
「今までいろいろと変化したゾンビを見てきたけど、君みたいな変化は見たことが無いよ。ああ、君がゾンビだってことじゃないからね。気を悪くしたのなら謝る」
「大丈夫だ、気にしてない。というかそんなにいろいろ見る機会があって、よく今まで生きてこれたな」
「うん、まあそうだね。あんなに近くで見るのは今回が初めてだったんだ」
「食われてたやつは? 仲間か?」
「違うよ。あれは敵だ。僕を捕まえに来たやつだよ」
吉岡さんの顔が憎悪に染まっていた。
少し気になるので話を聞いてみよう。
「あんた、こんなところでなにしてたんだ? たまたま逃げ込んだって言ってたけど、どこから逃げてきたんだよ」
「……駅にコミュニティがあるのはわかるかい?」
「ああ、駅ビルか。宗教的なコミュニティができてるとは聞いていたけど」
「うん、僕はそこから逃げてきたんだ。僕はそこで、とてもおぞましいことをさせられていた」
「おぞましいこと?」
「うん、とてもおぞましいことさ……」
吉岡さんは顔を伏せ、なにかに耐えるように歯を食いしばっていた。
口に出すのも憚られるようなことをしていたのか。
いったいなにをさせられていたのだろう。
「……都合がいいことを言っている自覚はあるけど、君にひとつ頼みがあるんだ。どうか聞いてくれないだろうか?」
「内容によるけどな」
「実は……」
吉岡さんの口からは、駅ビルの惨憺たる内情が飛び出した。
今回、だいぶ説明回のようで読みにくかったと思います。
作者の技量不足です。
申し訳ない。




