第三十四話 事の真相
『ハァ……ハァ……』
『ウッ、グゥ……』
広い部屋の中で、その二人は激しく肉をぶつけあっていた。
美香の肌がじっとりと濡れ、大きく動くチャラ男は玉の汗をかいている。
汗に光る素肌は、テレビ画面越しでも鮮明だ。
5.1chスピーカーからはまるでその場に二人がいるかのような臨場感で、荒い息遣いと苦しそうに喘ぐ声が聞こえる。
パン、と二人の肉がぶつかる音を聞き、思わず顔が歪む。
チャラ男が突き出したそれを受けて、美香が浅く息を吐いた。
顔を歪ませるのは、快感からなのか、苦痛からなのか。
激しく動く二人から目が離せない。
痛くなるほど握り締めた拳を、隣に座っている鈴鹿に軽く叩かれた。
「恭平、この人が美香さんなんだね」
「実にお姉ちゃんっぽいことしてるよね~」
画面の中で、手足にグローブとプロテクターを着けたチャラ男を、美香が一方的に痛めつけていた。
美香はチャラ男を冷たく睨み、その目の中には侮蔑の色が浮かんでいた。
肩で息をするチャラ男はそれでも下卑た笑いを顔に張り付け、美香と対峙している。
チャラ男が苦し紛れに突き出したパンチを、美香が鋭い一撃で打ち落とす。
痛みに顔を歪ませているチャラ男の懐へ潜り、腰の入った重い正拳突きを鳩尾へめり込ませた。
アレは痛い。
「良いね。そのまま臓物を抉り出しちゃえ」
「鈴鹿、発想が怖い」
マキシーンも花乃ちゃんも鈴鹿もこの映像を見ながら、いつの間にか用意したビールを飲みつまみを食べていた。
完全にテレビでやっていた格闘技の観賞をしている感覚だこれ。
『チクショウ!』
腹を押さえてうずくまっていたチャラ男が美香を睨みつけながら立ち上がる。
組み付こうと飛びかかるが、美香にすげなく払われカウンターの拳を顔に受けた。
美香は前蹴りでチャラ男との距離を空ける。
『あと少しなのに! クソッ!』
『甘いのよ』
どうやらチャラ男の目的は美香に組み付くことのようだが、そんなにわかりやすい動きじゃ美香に迎撃されて終わりだろう。
「こいつ、殴られてんのに股間大きいままだね」
「うわ、これがマゾ? キモいね」
『私に汚いもん見せんじゃないわよ』
「Haha. ミカも同じこと考えるマス」
美香が一瞬で踏み込みチャラ男の顔へ拳を突きだす。
チャラ男が腕でガードしようと意識が上へ行った所で、かち上げるような金的が炸裂。
「うわ……」
想像するだけでひゅっとしてしまい、思わず内股になる。
チャラ男も白目をむき口から泡を吹いて前のめりに倒れる。
そのまま倒れるのかと思いきや、伸ばした腕が美香の肩付近を触りそれから倒れた。
床に倒れ伏したチャラ男が股間を押さえながら『やった!』と喚く。
『今触った! 触ったっしょ!』
『触ってないわよ』
『嘘だよ! 卑怯だろ美香さん! 俺約束破ってないのにさ!』
『……チッ。うっさいわね。わかったわよ』
『ひゅう! やったぜ!』
美香がチャラ男に背を向けスポブラを脱ぎ捨て、片腕で胸を隠した。
どうやら触られた場所の服を脱ぐというルールで対戦をしていたようだ。
『あとはパンツだけだ! これでやっと美香さんを食えるぜ!』
「殺す……!」
『殺すわ……』
動画内の美香と意見があった。
こいつは殺してもいい。
「ちょっとお義兄さん、落ち着きなって」
「そうだよ、恭平。こいつにとどめ刺したの恭平でしょ?」
「キョーヘイ、ミカ関わるすると頭イカれるネ」
「そ、そんなことないだろ……」
酷い言われように少しだけ傷つく。
イカれてはいない、はずだ。
動画内ではチャラ男が起き上がり美香と再び対峙している。
重心を低く構え、明らかに美香の履いているパンツを狙う構えだ。
バカめ。そんなわかりやすい構えじゃ美香にカウンターをいれてくださいと言っているようなもんだ。
チャラ男は案の定タックルを仕掛けようと飛び出すが、美香の体は既に横回転を始めている。
そのまま合わせるようにチャラ男の顔に、美香の硬い踵が突き刺さった。
美香が得意とする後ろ回し蹴りだ。
床に倒れ伏したチャラ男の頭付近に赤い染みが広がっていく。
チャラ男はピクリともせず、完全に意識を失っているのが見てわかった。
鼻でも折れたか、歯でも飛んだか。
そんな血の量だ。
「わ、やばいよお姉ちゃん。ほんとに殺しちゃったんじゃない? これ」
「いや、もう死んでるから良いんじゃないの?」
この動画を撮ったあとのチャラ男と俺が会っているし、この時点では死んでいない。
そのことを花乃ちゃんへ伝えると、安堵の息を吐いた。
画面から消えていた美香が服を着て戻ってきた。
その手には大量の袋やバッグがある。
『貰ってくわよ』
動かないチャラ男に再度金的をかまし、ボールでも蹴るかのように頭を蹴ってから美香はカメラの外へ歩いていった。
容赦のない追撃に、思わず口角がつり上がる。
しばらくチャラ男が倒れているだけの映像になったので、マキシーンがパソコンを操作し動画を止めた。
「わかったデスか、キョーヘイ。他もいっぱい同じのあるマス」
「うん。ごめん、マキシーン。お前が正しかったわ」
「そーデス。ミカがキョーヘイじゃない男選ぶ無いデス」
「お姉ちゃんが浮気するわけないじゃん。お義兄さん、疑っちゃダメだって」
「わかってるよ。確実に俺が悪い。後悔しかしてないよ……」
「でもこれで美香さんに対する誤解は解けたんだから。一歩前進したってことでしょ、恭平」
「そうかもな……」
動画を見て浮気疑惑は晴れたが、弱味だった俺のせいで美香に苦労をかけていたと知り、別の後悔をしたが見ないよりかはマシだった。
浮気疑惑は晴れたとか、いったい何様のつもりなんだ俺は。
ハーレムを作るとか意気込んでいた俺のほうがよっぽど浮気者のクソ野郎じゃないか。
いくら体の関係を持っていないからと言って他の女に気持ちがいっていたんだし、浮ついた気持ちで浮気ならやっぱり俺は最低のゴミクズ野郎だ。
「はあ……」
「ん、どうしたの恭平?」
「いや、まあ、自己嫌悪だな……」
鈴鹿に面と向かって「昔の俺がお前をハーレム要員にしようとしていたことに後悔している」とは言えない。
これは墓場まで持っていこう……。
動画とはいえ久しぶりに動く美香を見れて声が聞けたことだけはチャラ男に感謝しておこう。
「あら、お客さんなんて珍しい。皆、いらっしゃい」
「ああ、ミシェル。お邪魔しているよ」
このトレーラーハウスの主であるミシェルが帰ってきた。
「じゃあ私はもう行くね。花乃にも拠点案内しないとだし、生活スペースも作らないと」
「お、どんな感じか気になってるんだ。お風呂もあるんでしょ?」
「あるよ。他にもいろいろあるし、細かいルールとかもあるから覚えてね」
「はーい。じゃあマキシーンさん、ミシェルさん、お邪魔しました」
「またデスね」
「お構いできなくてごめんなさいね。また今度ゆっくり遊びに来るといいわ」
「お邪魔しましたー」
鈴鹿と花乃ちゃんに続いて俺も退散することにした。
去り際にミシェルに再び腕の血を抜かれた。
俺の血でゾンビが人に戻る薬を作る事ができたりしないだろうか?
抗体とかありそうだし。
そうミシェルに伝えると「たぶん無理ね」と却下された。
ゾンビウイルスは体の遺伝子を組みかえてしまうそうなので、元に戻るのは無理とのことだ。
よくわからないが専門家がそう言っているのなら信じるしかない。
自分の寛ぎスペースである八階のベランダでコーヒーを飲む。
花乃ちゃんたちが拠点に来てから一週間の日が経過した。
その間、美香を探しに外へ行くことはしていない。
拠点内の防衛設備、生活環境の向上、物資の把握、とやることがたくさんあったからだ。
女性たちを無責任に集めて「じゃああとよろしく」と外をほっつき歩くのは間違っているように思う。
拠点のリーダーと名乗っているんだから、せめてそれらしいことをしなくては。
この一週間でいろいろなことが起きた。
鈴鹿がマキシーンから銃の扱いを教わり、ハンドガンとマシンガンのふたつを受け取っていた。
グロック19Mというハンドガンと、4M1Aカービン? M4A1カービン? とかいうマシンガンと説明されたがよくわからない。
もし暴発などをして事故が起きたら危ないんじゃないかと反対したが、マキシーン、ミシェル、菊間、鈴鹿の四人に銃の利点について懇々と説明されて俺が折れた。
銃があれば身の安全は増すだろうが、事故だけには本当に気をつけてほしい。
それから花乃ちゃんと菊間に名前で呼べと言われた。
それはもうしつこく言われた。
俺の中で花乃ちゃんは花乃ちゃんだし、菊間は菊間なのだが、ちゃん付けや苗字呼びは公平じゃないからと言われて俺が折れた。
すぐに呼び方を変えるのは難しいかもしれないが、名前を呼び捨てするように気をつけるようにしている。
それと念願の風呂を増設することができた。
さすがにこの拠点に住んでいる人数が二十人を超えてきた今では、風呂がひとつでは足りない。
マキシーンが使っていないレストランから給湯器を移設し、いろいろとやってくれた。
ガス管やら水道管やらをテキパキと繋げていくのは、見ていて気持ちが良かった。
俺も手に職をつけて器用になにかをやってみたいが、不器用なので諦めた。
それとなぜか俺用の風呂は満場一致で却下された。なぜだ。
あと主な原因の犯人は花乃ちゃんなのだが、俺に対してラッキースケベと言われるようなことが多発するようになった。
お風呂空いたよと言われ脱衣所に入ると着替え中の優子ちゃんがいたり、浴槽に浸かっていると全裸のマキシーンが突入してきたり。
風呂からあがり脱衣所で体を乾かしていると、鈴鹿や花乃ちゃんが入ってきて「あー恭平いたんだー(棒)」とかのたまうのだ。
プスプスと笑う明らかに怪しい花乃ちゃんになにをしたと問い詰めると、【恭平誘惑組合】なる組織が結成されていた。
組合員の人数は全部で八人で、その中に優子ちゃんも含まれていると言われたので、割とガチトーンで諭すように叱った。
小学生に何を吹き込んでいるんだ、と。
倫理観はないのか、と。
流石に大人としてそれはダメだろう、と。
主犯格の花乃ちゃんは正座をしてうな垂れていたが、鈴鹿やマキシーンはどこ吹く風で「自由にさせてあげなよ」とか「小さくてもレディデース」とアホなことを言っていた。
コーヒーを一口飲みため息を吐く。
女性らの奔放さにはほとほと困ったものだが、俺を励ますためにやっているのもわかる。
だから強くは言えないのだが、やり過ぎには注意して欲しい。
「あ、恭平さん居た。珠子さんが呼んでいましたよ。レストランで」
「ああ、涼子か。ありがとう」
オセロ盤を持った涼子はこれから恵理奈ちゃんと対戦をしに行くのだろう。
恵理奈ちゃんは涼子とオセロをするのが大好きらしく、飽きずに一日中やっている。
俺も涼子と将棋で勝負をしたが、戦績は十五勝二十敗と負け越していて悔しい。
涼子は自分で言うだけのことはあって、この拠点の誰よりもボードゲームが強かった。
曰くミシェルとのチェスは白熱したらしいが、俺にはチェスのルールがわからないので曖昧な返事しかできなかった。
レストランの厨房に行くと深冬と千恵がいた。
「お、二人をここで見るのは初めてだな」
「うん。ウチら役に立たないしこれくらいしないとなーって思って」
深冬はどうにも自分を卑下する傾向にある。
そんな深冬に珠子が「そんなことないです!」と憤っていた。
「お二人とも凄く筋がいいし、とても助かっているんですよ?」
「そ、そうかな? たまちゃん先生の教えが良いからだと思うけど」
「ウチ包丁使ったことなかったし、珠子ちゃんのおかげだよね」
千恵も深冬も珠子に良く懐いているようだ。
胃袋をがっつりと握られてしまっているし、気持ちはわかる。
この拠点内に珠子のことを好きじゃないやつなんているわけないだろう。
それでも自発的に手伝おうとしてくれたこの二人は偉いと思う。
それぞれがそれぞれのできることを探そうとする姿勢は、理想的なコミュニティの姿だと思う。
「二人とも、ありがとう。でも無理はしなくて良いからな」
「ウ、ウン」
「頑張るよ」
少し照れくさそうに笑う二人を見て頷いておく。
ニコニコとこちらを見ていた珠子に「それで、なにかおきたか?」と言うと、「あ、そうでした!」と手を打ち鳴らした。
「ええとですね、すぐにじゃないんですけど、このままじゃ備蓄がなくなっちゃいそうで。一月くらいは持ちそうなんですけど、どうにかしないとと思って」
「あー、そうだな。今夜の夕食後にミーティングをするか。俺一人じゃ良い考えが浮かばないし」
「そうですね。でしたら今足りないものをリストアップしてもらうように言った方が良いかもしれませんね」
「あ、じゃああたし伝えてくるよ。夜にミーティングするから拠点に足りないものがなにか調べといてって言えば良い?」
「ああ、それで頼む。ありがとうな」
千恵が率先して伝令役を買って出てくれたので礼を言う。
円滑なコミュニケーションをとるには、誠実な態度で真摯に向き合うことが大事だ。
不和が生じコミュニティの内側から崩壊などあってはならない。
夕食後、皆へと足りないものと欲しいものを聞いていく。
書記は珠子がしてくれている。
ちなみに高校生組を含む子供らは参加させていない。
話を聞いていて無駄に不安に感じるかもしれないし、こういったことをするのは大人の役目だからだ。
「食料が足りないんだよね? だったら屋上の畑を拡張するべきだと思うんだけど」
家庭菜園のスペシャリストの明穂が案を述べた。
「重機とトラックがあるならさ、外の畑から土持ってきて欲しいんだよね」
「土? 種とかじゃなくてか?」
「うん、種もいるけどまずは土かな。畑の土はできあがってるからさ。もちろん肥料とかもいるけどね」
明穂曰く屋上にある池で田んぼもできるらしい。
秋ごろには収穫ができるのか。
たくさんの米があれば食料事情が一気に解決するな。
日本人の俺たちは、とりあえずご飯があれば生きていける。
「でも今二月なんだけど野菜って冬でも育つの?」
「はあ? 育つに決まってんじゃん。冬野菜って言うでしょ。春に食べる野菜のほとんどは冬に植えられてんの」
奈津実が明穂にばっさりと切られていた。
言われて見れば確かにそうか。
冬野菜……。白菜とかか?
「今植えたいのは、ジャガイモキャベツ人参レタスピーマン大根ナスシシトウって感じ。たまちゃんメモ取れた?」
「はい、大丈夫です」
めちゃくちゃ早口だったのに珠子は完璧に書記としての役割を務めていた。
任せて正解だった。
「まあ寒いの苦手な野菜もあるし、屋上に出るとこのさ、あのサンルームみたいなとこの中にも畑作りたいかな。もちろんビニールハウス作っても良いよ、材料あればだけど」
「たしかにあの中あったかいもんな。とりあえず畑の土と種を持ってくるってことで良いか」
「あればビニールハウスの材料もですね」
珠子が手早くノートへ記していくのを尻目に「他にないか?」と皆へ問いかける。
直美がおずおずとした様子で手を上げていたので、視線を送り続きを促す。
「あ、えっと窓から見えたんだけど、大きな鹿が群れでいるみたいなんだよね。異様に大きいけど銃があれば狩れそうだなーって」
「銃あるマスよ。私も『Hunting』得意ネ」
「あの、基本的に銃の貸し借りはダメなので、私の銃を取りに行けたらなーって」
「それは法律的に?」
「はい、所持許可が出ている銃以外で狩りしちゃダメなんです」
「そっか……。どうなんだ、菊間? ちなみに法律違反を気にするんだったら俺はもう人を殺してるぞ」
「私もゴミは殺したよ」
俺と鈴鹿が質問を投げかけると、菊間は大げさにやれやれといった仕草をして口を開いた。
「ま、咎める人もいないしべつに良いんじゃないか? 命の危機があったんだろ?」
「まあな。銃の貸し借りは?」
「良いだろ。そもそも私は元国民と呼ばれているゾンビ共に対して発砲許可が出ていないのがおかしいと思ってるしな。銃の貸し借りも広義で自衛だろ。餓死するかもってさ」
「自衛官がこう言っているけど、どうだ?」
「あ、じゃあそれで……」
俺たちのゴリ押し理論で直美は納得してくれたようだ。
マキシーンと直美、それと銃の訓練をしていた鈴鹿と、獲物の運搬役として深冬が狩りに行くことに決まった。
大きい獲物はユニック車のクレーンで吊って持ち上げないと運べないそうだ。
直美に一人のときに狩猟した際にどうしていたのか聞くと、小さければ血抜きをして引きずり、大きければ解体して部分に分けて引きずるのだと。
だから狩りに行くときは山の上の方に登りながら獲物を探していたらしい。
たしかに下りなら引きずるのも楽だし、とても理に適った答えだった。
「でも俺も付いて行かないとゾンビが寄って来るかもしれないな」
「それは大丈夫よ。恭平から貰った血でゾンビ避けができたから。マキシーンに実験してもらって効果は確認済みよ」
ミシェルがなんてことのない感じでサラッと言ったが、なんてものを作るんだ。
俺の最大のアドバンテージである『ゾンビから嫌われる』が誰でも手に入ってしまうんだぞ。
世紀の大発明と言っても過言ではない。
「ミシェル、その効果ってどれくらい持ちそうなんだ?」
「一月くらいが限度ね。恭平の血の培養が上手くいけばもっと長く持ちそうだけど。まだ三個しかできてないけどね」
「三個か。ミシェル、それの量産をお願いしても良いか? 自衛隊や市役所の人にも渡してあげたい」
「良いわよ。じゃあまたあとで血をちょうだいね」
「わかった」
小池さんや自衛隊の人たちに渡せれば、人命救助やインフラ整備に役立つことだろう。
水道や電気が止まると困るのは俺たちだ。
協力できることはやっていこう。
もし独占しようと武力で脅してきたら全力で抗ってやる。
まあ小池さんにお願いしておけば良くしてくれるだろう。
ゾンビ避けがあるなら物資の調達班が別けられる。
皆もそう思ったのか誰と誰でどこどこに、と話し合っていた。
そんな中「そういえばさ」と香織が言う。
「百貨店もうひとつあったよね。西部百貨店」
「ああ、あったな。たしかゾンビに占拠されているんだっけか?」
「前に私が見に行ったときはね」
鈴鹿が行ったときは一階にぎちぎちにゾンビが詰まっていたそうだ。
「ゾンビ避けもあるしそこの物資ごっそりいただいちゃわない?」
「お、良いね。マキシーンが持ってきたフォークリフトもあるし、トラックで運搬できるな。やっと活躍できるわ」
「うん、いけるな。いろいろ足りないものもあるし行って見るか。まずは道を作って、百貨店の安全を確認してから皆で行くか」
俺の意見に皆が賛成してくれた。
道作り兼百貨店の安全確認班は俺と菊間、あと運搬役の意見も聞きたいので奈津実と明穂となった。
鈴鹿と直美は狩りのために使う銃の訓練を、マキシーンに教わりながらするそうだ。
花乃ちゃんは空手教室を開いているからしばらくは外に出ないらしい。
子供たちや女性の皆が自衛の手段を覚えることができるのは良いことだ。
襲われても抵抗する手段があるとないとじゃ大違いだ。
花乃ちゃんには重点的に目潰しや金的を教えるように言っておいた。
放置車両をどかしながら道を進む。
トラックを運転するのは奈津実。
菊間はその荷台の上に乗り周囲の警戒をしている。
明穂がフォークリフトを運転し、俺が歩きでゾンビを散らす役だ。
しかし俺が近くに住んでいるせいかこの辺りにはゾンビが全然いない。
こうなってくるとゾンビじゃなくて生存者に気をつけなくてはいけないな。
ゾンビがいなければ住みやすいに決まっている。
耳をすませにおいを嗅ぐも、人っ子一人いないように思うが、油断はしないでおこう。
朝から作業を開始し、西部百貨店には昼過ぎに着いた。
「あれ、ここのゾンビもいないな」
「恭平の力がこの辺まで届いたってことか?」
「流石に十キロ以上離れているから違うと思うけど」
耳をそばだててみるも中からゾンビ特有の音は聞こえなかった。
「散らす手間が省けたと思えばいいのかね」
「前に恭平が言っていた大きな獣にゾンビがやられたのか?」
「それならもっと肉片とか落ちていそうだけどな。ここはきれい過ぎる」
もし中にナニカがいるのならば、それは人か獣かゾンビか。
中に入るのは俺だけで皆には外で待っていてもらおう。
トラック内で待機をしてもらい、危なくなったらすぐに逃げ出すように言っておく。
「んじゃ、なにかあったらすぐに知らせてくれ。菊……葉子も銃を使うのに躊躇するなよ」
「わかったよ。気をつけてな」
「いってらっしゃい」
「すぐ戻ってきてね」
三人に手を振り百貨店の中へ向かう。
中に入ってすぐに、かすかに嗅いだことのある匂いがした。
忘れるわけ無い、このにおいは、美香のにおいだ。
まさか、ここにいるのか?
気配を探るようにジッとして音を聞くと、上の方の階から小さな音が聞こえた。
「美香!!」
走り出し階段を駆け上る。
階段を登っていけばにおいもどんどん強くなる。
二階は、違う。もっと上だ。
三階じゃない。四階、五階、六階、違う。
七階。
「ここだ……!」
食料や着替えなど、人の暮らしている痕跡がある。
美香はここにいたんだ。
「どこだ、美香!」
声を上げると奥で何かを倒すような音がした。そっちか。
物音のした方へ走る。
そこには黒革のジャケットとパンツに身を包み、ネコ耳のついたヘルメットをかぶった美香がいた。
「美香……。やっと、会えた……」
美香は微動だにせずこちらをジッと眺めているだけだった。
スモークのかかったバイザーのせいで、どんな顔をしているのかわからない。
「美香……?」
美香はくるりと踵を返し走りだしてしまった。
「どこに行くんだ!?」
慌てて追いかけるも追いつかない。
美香は全力疾走で逃げていく。
向かう先はベランダへ続く大きく開け放たれたドア。
まさか、飛び降りる気か?
足に力を入れ速度を上げていく。
もう少しで手が届く。
しかし出した左手は、虚しく空を切った。
「クソ!!」
美香は走った勢いのまま、水泳の飛び込み選手のようにきれいなフォームでベランダを越えて落ちていく。
地面に背中を向け、こちらをジッと見る美香と目が合った気がした。
瞬間的に飛び上がり、ベランダの天井に手足を付けて力を込める。
全身の力を解放し、美香目掛けて自らを射出する。
空気抵抗を最小にするようにして美香へ迫る。
伸ばした手は今度はしっかりと美香をつかまえることができた。
腕の中で身じろぎをする美香を抱え込む。
下を見ればバスがある。
あの上なら衝撃を吸収するだろう。
美香の体を強く抱きしめると共に、背中へ衝撃が来た。
息ができない。
頭の奥が痛み目がちかちかする。
だが、生きている。
腕の中の美香はぐったりとしていて気絶しているようだった。
胸が動いているから生きているとわかる。
良かった。ほんとうに。良かった。
美香を抱いたまま、大きく破壊されたバスから出ると、菊間たちが走ってくるのが見えた。
「恭平!? なにが起きたんだ!」
「ああ、ちょっと、落ちた」
「落ちた!? どこからだ!」
「えっと、七階? でもバスがクッションになってくれたからケガは無いぞ」
「七階から落ちて無事なわけないだろ! このバカが!」
菊間が心配をして怒ってくれているが本当にケガがないのだ。
「菊……葉子、本当に大丈夫なんだ。俺の体は化け物染みたものになっているから。心配してくれてありがとうな」
「化け物って、お前……」
今は俺のことよりも美香だ。
腕に抱いたままの美香を地面に寝かせてやる。
気絶しているときにヘルメットをかぶったままじゃ苦しいだろう。
脱がしてやろうとヘルメットに手をかける。
角度が難しいが、なんとかいけるか?
少しだけヘルメットがずれると、美香がビクンと震えた。
「ああああ!!」
「美香!?」
大声で叫びながら暴れ、百貨店の中に走っていく。
すぐに追いかけると、美香は四つん這いになり肩で息をしていた。
「美香、どうしたんだ」
美香は答えることなく、立ち上がるとこちらを見るだけだった。
美香のはずだけど何か違和感がある。
「答えてくれ、美香。お前は、俺と同じなのか?」
俺が問いかけても、黙ったまま答えない。
しばらく出方を窺っていると、美香はおもむろにヘルメットを手をかけた。
「お前は……」
美香じゃない。
どこかで見たことのある顔だ。
「春! なんでお前が!?」
菊間が叫ぶ。
青白い顔をした、自衛隊員の山口春が、そこにいた。
ストックがなくなりましたので一週間ほど書き溜めに入ります。




