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第三十話 美香を探して

 翌朝、俺は鈴鹿とマキシーンと一緒にマンションへ向かった。

 鈴鹿は俺を心配してくれたのか「私も一緒に行く」と言ってくれたので、それに甘える形となってしまった。

 マキシーンは、マンションの鍵を開ける機械を持っていたので貸してくれないかと言ったところ「ワタシじゃなきゃ使えるないデスネ。ワタシも行くマス」と半ば無理矢理ついてきた。


 時刻は朝の七時。マンションには昼くらいにつくだろうか。

 マキシーンが珠子へ熱くローストビーフサンドについて語ったらしく、珠子が持たせてくれた弁当はいろいろな味のローストビーフサンドとなった。


「キョーヘイ、話聞いたヨ。ミカは残念デス」

「……ああ、そうだな。だが激しい自己嫌悪と後悔で泣きそうになるから、その話はもうやめてくれ」


 たぶん一人でマンションに行っていたら、美香を眠らせたあとに自殺をしていたと思う。

 二人がいるからそんなことはしないと思うが、今でも衝動的に死にたくなるときがある。

 そういえば、俺は美香に噛まれてゾンビになろうとしてたんだったな。

 あのときの気持ちを思い出し、目が潤みそうになる。


 そんな俺の右手を、隣を歩いていた鈴鹿がぎゅっと握ってくれた。


「ありがとう、鈴鹿。大丈夫だから」

「そう? 辛くなったら言ってね」

「ああ」

「キョーヘイ、泣きたいならワタシの胸を貸すマスヨ」


 その豊満なバストを揺らすマキシーンにはやんわりと断りをいれる。

 死にたいとか思ってるのに下の方へ思考が行くのはなんでなんだろうか。

 そういう思考ができる限りは自殺はしないのだろうと、少しだけ安心した。


 マキシーンと鈴鹿は気があうのか、道中飽きることなく話を続けていた。

 その内容は銃や弓などの遠距離武器の取り扱いから、対人戦闘で気をつけること、ゾンビ相手の立ち回りかた、サバイバルの基本など多岐にわたる。

 とても為になる話で、俺も「なるほど」と思うことが何度もあった。

 今度うちの女性たちにレクチャーしてもらうのも良いかもしれない。


 途中で一回の休憩を挟み、昼前にマンションへ到着した。


「へえ、このタワマンで暮らしてたんだ」

「俺は少しの間避難していただけだな。マキシーンは長く住んでいたんじゃないか?」

「YES.ここ、ミシェルの家デスネ。ワタシがお願いして借りてくれるマシタ」

「そうなんだ。ていうか二人は何者なの? 本の作者と研究員ってことしか聞いてないんだけど」

「そうデスネ……」


 マキシーンの(つたな)い日本語での説明によると、マキシーンは元海兵隊員で軍を辞めて民間軍事会社に勤めていたそうだ。

 ミシェルはアメリカのとある大学に所属するウイルス学者だったが、ゾンビパニックが発生したことで国に保護され、そこでワクチンの研究をしていたらしい。

 感染がアメリカ全土へ広がり、略奪や暴動が其処彼処(そこかしこ)で発生し、そのどさくさに紛れて他国のテロや工作が相次いだことで、まだウイルス感染が起きていない日本へ避難をしてきたとのことだ。


「それでワタシもミシェルに言われて一緒に来たデスネ。一年前のことデス。日本平和デシタから、備えるしながら観光してたデス」

「一年前か。日本にゾンビが現れたのは半年前くらいだったな」

「日本、銃無いデスけどいろいろあって良い国デシタ」

「過去形なのが悲しいね」

「つうかマキシーン、なんですぐにミシェルのところに行かなかったんだ?」

「それはデスネ……」


 米軍基地に駐屯していた兵士たちは、日本でゾンビパニックが発生してすぐに本国へ帰って行ったそうだ。

 この基地に残った少数の兵士たちは見捨てられたと思い暴走を開始。

 略奪、陵辱、残虐な殺し合いが至るところで発生し、その銃声に誘われて近隣のゾンビが一斉に集まって、たちまち阿鼻叫喚の地獄絵図となった。

 ミシェルは病院の地下に篭り外出しなかったおかげで無事だったが、食べるものが底をつきそうになりマキシーンに救援を要請したそうだ。


「銃も何も無くて近づくの無謀デシタから、ジエータイにhelpしましたけど断られたネ。その時キョーヘイとミカに会ったデス」

「そうだったんだ。縁があったってことなんだね」


 縁か。

 不思議な縁もあったものだ。


「さて、長く立ち話をしてしまったな。そろそろ行こうか」

「そうだね。大丈夫、恭平?」

「ん? ああ、大丈夫だ。落ち着いているよ。二人のおかげかな」

「なら良いんだけど」

「ミカもゆっくり眠れるマス。これが一番良いことデスネ。キョーヘイ、頑張るマス」

「そうだな。皆誰かしら大切な人を亡くしているんだ。俺一人だけ悲劇のヒーローを演じる訳にもいかないよ」

「これからは喜劇のヒーローを演じると良いかもね。まだまだ人生は長いんだから。美香さんの分も幸せにならないと」

「はは、上手いことを言う。まあ俺は大丈夫だから、気にしないでくれ」

「OK.じゃあ行くマス」


 マキシーンはマンションの正面玄関へと歩いて行く。

 以前は梯子車から五階へ入り、そこから迷路のような順路を通ってマキシーンの部屋まで行ったが、今回はエレベーターを使う。

 俺というゾンビ避けや、大口径の銃を持つマキシーンがいれば、危険と思われるものは少ない。


 まずはマキシーンの部屋に行き、必要なものを集めて行く。

 正直まだ覚悟が決まっていなかったので、これはありがたい。

 通路のバリケードは俺が破壊したままだったので、少し狭いが通ることはできた。

 ただ物資を持っては通れなさそうなので、マキシーンの指示に従い手早く解体していく。

 さすがバリケードを作った本人がいると、どこを壊せば良いのかがわかって解体もはかどる。

 力任せに壊そうとすると逆に強度が増すバリケードなんて良く考えつくものだ。


 マキシーンの部屋につき昼休憩を取る。

 ベランダの手すりが無くなっていたことに気がついたマキシーンが説明を求めてきたので、上から飛び降りて侵入したことを伝えると「ファンタスティック!」と褒めてくれた。


 珠子の作ってくれた弁当を広げ、食事を始める。

 二人は多種多様なローストビーフサンドをとても美味しそうに食べていた。

 だが俺はもしかしたらいろいろとショックを受けて吐いてしまうかもしれないし、食欲もそこまで無かったので遠慮をしておいた。


「それじゃお腹いぱいデスので集めるマス。このカバン使うヨ」

「何を集めればいいんだ?」

「ボウガンの部品デスネ。人たくさんデスので武器多いデスとそれだけで強いネ」


 うちの拠点の女性陣に使わせるのなら、取り扱いの簡単そうなクロスボウは良い武器なのかもしれない。

 銃なんて撃ったことがない人間が狙っても当たらないと聞く。

 クロスボウなら的を狙って練習を重ねればそのうち上達するだろうし、矢もなくならないから気兼ねなく練習できる。

 この部屋には完成された五台のクロスボウと、もう何台か作れそうなくらいの部品がある。

 これを全て持って帰るのは二人にはつらいだろうから、俺が持つようにしよう。


 マキシーンの荷物を回収し終え、いよいよ美香のところへ向かうことになった。

 早く眠らせてあげたいと思う気持ちと、ゾンビになった美香を見たくない、行きたくないという気持ちがせめぎあう。

 このままじゃ良くないのはわかっている。

 わかってはいるが、それでも行きたくないと思う俺がいる。


 美香のいる階へやってきた。

 エレベーターホールに出てすぐに、強烈な不安感に襲われた。

 心臓が早鐘を打ち、頭から血の気が引き、背中に冷や汗が流れる。

 はっはっと呼吸が早まり、息の仕方を忘れてしまったのかと思うほど苦しくなる。

 手足が勝手に震え、ふわふわとした浮遊感の中を歩く足はおぼつかない。


「恭平、大丈夫?」

「あ、……ああ」


 右手を温かいものに包まれる。

 見れば、鈴鹿が手を握っていてくれた。

 そこからじんわりと全身へ温かいものが広がっていくと、狭くなっていた視界が広がっていくのを感じた。


「軽いパニックになっていたみたい。落ち着いた?」

「ああ、いや、まいったな。すまん、ありがとう」

「いいよ。つらいのはわかるから」

「ワタシも『daddy』と『sister』眠らせてあげたネ。『headshot』で苦しむないデシタヨ」

「首を落とすか頭を破壊するしかないんだよな……」


 はたして、俺にできるのだろうか。

 俺はこの左手で、美香の首を断とうと思う。

 一息に苦しませず、綺麗な姿で眠らせてやるんだ。


 チャラ男の部屋の前までやってきた。

 ここで、美香はあの男と……。

 ……きっと、()むに()まれぬ事情があったんだ。

 美香が、本気で俺を裏切るわけがない。

 なにか弱みでも握られていたのか。……弱み?


 あのとき、俺は寝たきりで動けなかった。

 美香にとっての俺は、まさにその弱みだったのでは?

 ……なんてことだ。

 俺か。

 俺が美香に最悪な選択をさせたのか。


「うっ、ぐ、うう……!」

「ちょ、どうしたの!? 大丈夫、恭平?」

「ああ、大丈夫、ではないかもしれないが、平気だ。軽く自己嫌悪で死にたくなっただけだ」

「ジコケンオー? どうしたデス?」


 俺は、ここで起きたことを二人に話した。

 美香が俺に嘘をついていたこと、男とここで浮気をしていたらしいこと。

 そして、それが俺を守るためだったんじゃないかってことを。


「美香は必死にやってくれてたんだ。それを俺が、勝手に勘違いして、裏切ったなんて思って、見返してやるなんて考えて……。とんだクソ野郎だよ、俺は」

「……恭平」

「そんなこと少し考えるすればわかるマス。キョーヘー、ダメダメね」

「そうさ、俺はダメダメのクソ野郎なんだよ。だからちゃんとケジメをつけて美香を眠らせてやる」


 きちんと弔うんだ。

 それが俺に唯一できる美香への恩返しだ。


「それじゃあマキシーン開けてくれ」

「OK」


 マキシーンがタブレットを操作すると、電子音と共に鍵の開く音がした。

 ドアノブを掴む手が震えている。

 震えて、怖気つく資格は俺には無い。

 無理やり手の震えを止めドアを開く。


「ウ、ウアァ……」

「お前は……!」


 チャラ男が下半身と片腕の無くなった体で這いずっていた。

 飛び出し、その頭へ踏みつけるようにして(かかと)を叩き込む。

 威力が強すぎたのか、男の頭は爆発四散し、天井や壁にその肉片をこびりつかせた。

 廊下の床板も穴が開き、その下のコンクリートが見えてしまった。


「すまん。汚した。注意してくれ」

「Wow」

「う、うん。ていうかなんでこのゾンビバラバラになってるの?」

「美香がやったのかもしれないな……」


 廊下に男の手足や体の一部が散乱していた。


 リビングへ続くドアは開いている。

 この先に、美香がいるのか。

 ゆっくりとリビングへ歩いていく。


「……美香? どこだ?」

「いないデスネ。本当にここであってるマス?」

「ああ、あってる。リビング以外の部屋かもしれない。探してみる」


 ダイニングキッチン、トイレ、風呂、洋室二つ、どこを探しても美香の姿はなかった。

 どうしていないんだ?

 呆然として立っていると、なにやらマキシーンがノートパソコンを持ってやってきた。


「キョーヘイ、これにミカいたヨ」

「どういうことだ?」

「なんかこの男が撮ってた映像が入ってるっぽいの。部屋の一つに三脚とカメラがあったでしょ? そこで見つけたんだって」


 つまり、男と絡む美香の姿がそこに?


「や、やめてくれ。なんてものを俺に見せようと……」

「でもキョーヘーも見たほうが良いデスネ。ほら、見るマス」

「やめろよ!」

「そうだよ、マキシーン。さすがにそれはダメだと思う。傷口に塩を塗りこむレベルを超えてるよ」

「デスが、見たほうが良いヨ。キョーヘー救われるネ」

「いや、見ない。見るならマキシーンと鈴鹿で見てくれ。俺は自分の部屋に行く」

「Hey!! キョーヘー、待つネ!」


 待つわけが無い。

 マキシーンは俺に死んで欲しいのだろうか。

 さすがにそんな映像を見せられたら自殺も止む無しだ。


 俺と美香が使っていた部屋へやってくる。

 マキシーンと鈴鹿も映像は見ずに俺のあとを追いかけてきていた。

 この部屋はU字ロックを倒したままなので、鍵がなくても入れる。

 きっと美香がいるに決まっている。


 ドアを開けて中へ入る。

 リビングには俺が飲んだ大量のビールの空き缶が転がっているだけで他にはなにもなかった。

 ここに美香の姿はない。

 寝室へ向かう。

 汚れて丸められたシーツが部屋の隅にあり、他には何もなかった。


「ここにもいない……。美香……どこにいる……」

「恭平……」


 姿が見たい。

 声が聞きたい。

 たとえどんな姿になっていても。

 ちゃんと、弔ってやりたい……。


「キョーヘー、一回帰るマス。天気も悪いデス」

「そうだね。一度ゆっくり考えてみて、それからまた探しに来ようよ」

「……ああ。わかった」


 拠点までの帰り道、マキシーンや鈴鹿がなにやら話しかけてきていたが、まったく内容を理解できなかった。

 頭の中が美香のことでいっぱいだった。

 会いたい。

 美香に会いたい。


 どこだ。

 どこにいる。


「おかえりなさい。恭平さん。大丈夫ですか?」

「ああ、珠子か。あれ? いつの間に着いたんだ?」


 目の前には珠子が心配そうにこちらを見て立っていた。

 ここは、百貨店の一階?


 マキシーンと鈴鹿は……、いた。

 俺の後ろでリュックの中身をどこに置くかの話をしている。

 良かった。二人を置いてきてしまったのかと思った。

 というか、帰り道の記憶がほぼないのだが。


「あ、恭平。正気に戻った? 何を話しかけても「美香」しか言わなくなっちゃったから、壊れたのかと思って心配したよ」

「そ、そうか。それはすまん。精神的に限界だったみたいだ。今は平気だから」

「わかった。今日はゆっくりして、また明日から美香さん探しをしようね」

「助かる。ありがとう」

「たまちゃんがご飯を作ってくれてるから食べよう? 恭平朝しか食べてないし」

「そうだな」

「美味しいポトフを作りましたよ。雨も降ってきて寒くなりましたし、食べて温まりましょう?」


 二人の優しさがありがたい。

 それに比べてマキシーンは何度も「キョーヘー、見るネ」と俺に映像を見せようとしてくる。

 本気で怒るぞ。こいつ。


「マキシーン、しつこいぞ、やめろ。それ以上やったら戦争だ」

「ワタシはキョーヘーのこと思ってデスネ」

「やめろって言ってんだ。俺や美香を侮辱するのはやめろ」

「Listen to me!」

「うるせえ!」


 思わず怒鳴るとマキシーンは顔を真っ赤にして俺を睨んできた。


「Ok. Have it your way. You damned fool!」


 思い切り顔を歪ませて中指を立ててくるマキシーン。

 彼女はそのまま百貨店の外のミシェルのコンテナ研究室へ行ってしまった。


「なんか、凄く怒ってましたけど、大丈夫なんですか?」

「ああ、放っておけばいい」

「あとで私がフォローいれといてあげるから、恭平も落ち着きなね」

「……すまん」


 頭に血が上っていても良いことなんて一つもない。

 冷静にならなければ。


 あとでマキシーンには謝っておこう。


 温かい食事を皆で囲んで食べたが、マキシーンは終始無言で少々気まずい。

 俺を見ようともせずに、黙々と食べたあとはまたミシェルの研究室へと引っ込んでしまった。


「ごめんなさいね。マキシーンは少し子供っぽいところがあって、一度拗ねると長いの。何があったのかは知らないけれど、すぐにまた元通りになるから心配いらないわよ」


 ミシェルにそう言われ、少しだけ安心した。

 その後ミシェルに「研究で使いたいのだけれど」と少量の血を抜かれた。

 俺の腕を変化させた原因を調べたいそうだ。


 寝る前の自由時間になったので、酒でも飲もうと中華レストランへ向かう。

 ここで酒を飲むのは俺と鈴鹿くらいだが、鈴鹿はマキシーンの元へ行っているので俺一人だ。


 適当な酒瓶を掴むがどうにも飲む気がしないので元に戻す。

 冷蔵庫にしまってある缶ビールを取り出す。

 今日はこれを飲みたい気分だった。


 蓋を開け一口飲む。

 なんだか、久しぶりに飲んだせいか、とても染み渡る味に思えた。


 ビールを飲んでいると、いろいろと美香との思い出が浮かんでくる。

 俺も美香もビールが好きで、毎日の晩酌が欠かせなかった。

 二人ともロング缶を毎日三本は飲んでいたせいで、酒代がとんでもない金額になっていたっけ。

 ビール代だけで月に五万くらいはしていた気がする。


 自宅避難の指示が出てからがつらかった。

 大量に備蓄があるから安心だと思っていたビールはあっという間に底をつき、外にはゾンビがうようよと歩いているせいで買いにも行けず。

 もちろん買いに行くのは店ではなく酒の自動販売機だ。

 美香と一緒に住んでいたアパートには、歩いて数分のところに酒の自動販売機があったのだ。

 あのアパートはコンビニも近く、とても住みやす……アパート……?


「そうか、アパートだ……! 美香は、アパートにいるんだ」


 ここで酒を飲んでいる場合じゃない。

 今すぐアパートに行かなければ。

 しかし勝手にいなくなっては皆が心配するだろう。

 誰かに伝えておこう。


 中華レストランを出てすぐに、きなこを抱いた菊間に出くわした。


「菊間か。きなこなんて抱いてどうした?」

「いや、あんまり双子に追い掛け回されて不憫(ふびん)でよ。たまに逃げてくるからかくまってやってんだよ」

「アン!」 (こいつ、いいやつ)

「はは、きなこが菊間のこと良いやつだとさ」

「あ? ああ、犬の言葉がわかるんだっけか。お前も大変だなあ」


 菊間が腕の中にいるきなこを撫でると、撫でられたきなこは嬉しそうに耳をぺたんと倒した。

 撫で方も優しいし、双子もこれを見習えばきなこに嫌われることもないだろうに。


「あ、それはそうと、ちょっと出てくる。明日には帰るから皆にもそう言っておいてくれ」

「は? 今からか? どこに行くんだよ」

「俺の住んでたアパートだ。美香が待っているんだよ」

「……そうか。外は雨だから、濡れないようにして行けよ。ここには医者がいないんだから体調崩すだけで命取りだぞ」

「ご忠告感謝するよ。じゃあな」

「ああ、気をつけてな」

「アン」 (おおかみのひと、またね)

「行ってくる」


 きなこの頭を一撫でし、レインコートへ着替えて外へ。

 しとしとと霧雨が降っている。

 時刻は夜の八時、走ればすぐにつくだろう。

 幸い、俺の目は良い。

 暗くても走ることはできる。

 最短距離を走れば二時間程度でつきそうだ。


「待っていろ、美香」


 きっとアパートで待っているであろう美香の元へ走り出した。



 道など使わずに直線で走るのが一番早い。

 今の俺ならそれが可能だった。


 車に飛び乗り塀へ移って家の屋根に飛ぶ。

 屋根から屋根へ飛んで走ると時間が短縮される。

 雨と苔のせいで足が滑り屋根から落ちるが、地面に難なく着地し走り続ける。


 障害物を飛び越え、目に付くゾンビは通りがけに首を()ねながら走る。

 やがて見知った景色が見えてくる。

 酒の自販機だ。

 もう、すぐそこにアパートがある。


 雨の勢いは強く、土砂降りになっていた。

 着ていたレインコートは走っている最中に引っ掛けて破れてしまったのでびしょ濡れだ。

 アパートの階段を駆け上がり、自室の前へ。

 

 ドアノブをひねると鍵がかかっていた。

 玄関横にある給湯器の入った扉を開ける。

 ここに合鍵があるのだ。


 合鍵を使い玄関ドアを開ける。

 ふわっと懐かしい匂いがした。

 美香に似た匂い。

 ここに住んでいたから匂いがして当然ではあるが、この匂いは新しい。

 脳髄を刺激する芳しい匂いに誘われるように寝室へ。


 いた。

 ベッドに潜って寝ている。


「美香、おかえり。探したよ」

「……ううん」


 匂いで頭がくらくらしてきた。

 懐かしい匂いだ。


「美香、起きてくれ。美香」

「う、ん……。ううん? えっ、誰!?」

「は? え?」


 ベッドの中にいた人物が慌てたように飛び起きたおかげで、その顔をはっきりと見ることができた。

 美香に似ている顔。

 だが、少しだけ違っている顔。

 俺はこの顔に見覚えがある。


「なんで、花乃(かの)ちゃんが……?」

「え! その声、もしかしてお義兄さん!?」


 俺の義妹で、美香の妹の、花乃ちゃんがそこにいた。

「Listen to me!」 (私の話を聞いて!)


「Ok. Hve it your way. You damned fool!」 (わかった。だったら勝手にしなよ。このクソバカ野郎!)


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