第二十三話 決戦、赤カブト
音のする方へ走ると、すぐにシロたちを発見した。
シロや他の犬たちが、背の高さが一軒家くらいはありそうな巨大な熊に、四方から飛びかかっては離れるを繰り返している。
腹の大きな母犬と、なにより子犬たちの歩みが遅く、逃がすために囮をやっているようだ。
必死に走る子犬は白色と黒色のみで、もう一頭いた灰色がいない。
シロの他には母犬と四頭の犬しかいなく、こちらも減っている。
子犬を庇おうと母犬の歩みが遅くなっているせいで、シロたち囮の負担が大きい。
子犬の一頭が転び、それに熊が迫る。
母犬が守ろうと熊に対して構える。
横から飛び出してきた犬が熊の首に噛み付いた。
「ゴオオ!」
熊が鋭利な刃物のような両手の爪で、犬の体を縦に裂いた。
肉の切れ目から内臓が零れ、やがて噛み付いている口に力が入らなくなったのか崩れ落ちた。
その犬の頭を、熊が叩き潰す。
ざわりと怒りが込み上げてきた。
持っている槍を全力で投げつける。
熊の肩付近に刺さると、熊は多少だが怯んだ。
その隙に子犬に駆け寄り二頭を抱き上げる。
驚き慌てた子犬だったが、俺だとわかると大人しくなった。
「シロ! 百貨店にその大きな熊は入れない! 子供たちを先に避難させるから、お前らもあとから来い!」
「ウオオン!」 (わかった!)
囮役をやるシロたちを確認し、子犬を抱えて走りだす。
母犬はやはり子犬に合わせていたようで、かなりの速度で走る俺にしっかりとついてきている。
百貨店一階のシャッターが開いていたので走りこむ。
鈴鹿がシャッター横に立っていた。
「恭平! 無事!?」
「俺はな。だがシロたちがまだだ。こいつらを頼む」
「あっ、恭平! 待って! これを持っていって!」
走り出そうとしていた体を無理やり止めて振り返ると、鈴鹿が一本の槍を渡してきた。
俺が大量に作っておいたやつだ。
先程の槍は熊に刺さったままだからこれは助かる。
「ありがとう。いってくる」
「死なないで」
鈴鹿の声を背に受け再び走りだす。
シロたちはこちらに向かいながら戦っていたようで、百貨店から数百メートルのところまで来ていた。
仰向けに倒れたシロに噛み付こうと迫る熊を見て、咄嗟に手にしていた槍を投げる。
槍は一直線に飛ぶと、熊の右目に突き立った。
「ゴアアア!!」
「シロ! 今のうちに逃げろ!」
「ワン!」 (すまぬ!)
熊の下から這い出たシロが、他の三頭の犬と共に百貨店へと走る。
痛みでのたうつ熊がこれで撤退してくれるはずもない。
シロたちの後ろを追うように百貨店へと向かうと、背後から怒りに満ちた咆哮がした。
振り返れば右目から血を流した熊が残った左目で俺を睨んでいる。
俺めがけて熊が突進してきた。
みるみる大きくなってくる熊の巨体に足がすくんでしまう。
巨大な熊がその大きな腕を振り上げるのが見えた。
すくんだ足に鞭打って、横に飛ぶ。
車を盾にして熊の攻撃をかわす。
轟音。すぐに体に凄まじい衝撃。
何メートルも吹っ飛んで、這いつくばってから気がつく。
熊が俺を車ごと吹き飛ばしたのだと。
鋭利な爪に引き裂かれグチャグチャになった車が俺の横に転がっている。
熊は余裕たっぷりにゆっくりと歩いてくる。
もう俺を仕留めたと思ったのか。
倒れた体を起こそうとするが、バランスを崩し再び倒れる。
見れば俺の左腕の肘から、肉を突き破り骨が飛び出していた。
途端に激しい痛みに襲われる。
「うう、ぐうう……!」
今すぐ逃げなければ死ぬ。
熊はすぐ眼前に迫っていた。
熊の吐息を感じる。
このまま食う気なのか。
「ガアルルル!!」
「ゴオオ!」
横から飛び出してきたシロが熊の鼻先に噛み付く。
熊がシロを爪で引き裂こうとしたが既にそこにはいない。
一撃離脱を繰り返すシロを含む四頭の犬たちに、熊は翻弄されている。
今のうちに逃げなければ。
負傷した腕を庇うように立ち上がり、熊から離れる。
シロたちを助けに来たのに、逆に助けられてしまった。
なんて、情けない。
悔やむのは後だ。
今は少しでも熊から離れなければ。
振り返ったその瞬間。
飛び掛った一頭の犬が、熊の振り下ろした腕に頭を叩き割られて死んだ。
ぞわりと脳に何かが走る。
熊はその犬の遺骸を掴み、何度も地面に叩きつけ、体をバラバラに引き裂く。
「やめろ……」
その行為を見て怒り狂った黒毛の犬が、熊へと飛び掛る。
熊は誘っていたのか、犬へ噛み付くと、そのまま食い始めた。
得体の知れない感情が俺の脳を支配していく。
「ギャン! グガルルル! グギャアン!!」
断末魔をあげ暴れる犬。
熊は、苦しめるかのように噛み付き、咀嚼をする。
激しい怒りに支配されていく。
クソ野郎。殺してやる。
殺意が湧き出て目の前の熊を殺すこと以外、考えられなくなる。
脳が熱い。
折れた腕が勝手に動き出す。
ビクビクと痙攣し、骨が音を立てて動く。
「ぐ、ぐうう……」
熱い。
腕が。
脳が。
体が、熱い。
ゴキゴキと音を立て、腕が変形していく。
心臓の鼓動と連動するかのように、腕が痙攣を繰り返す。
服を破り、腕は太く大きくなっていく。
元の腕の二倍ほどに膨れ上がり、長さが三十センチは長くなっている。
白い毛がびっしりと生え、指の先には鋭い爪があった。
「なんだ、これは……」
折れた腕は、化け物の腕に変わってしまった。
手を握り、動くのを確認する。
頭の中であの熊を殺せと声がする。
仲間を、同胞を食った、あの熊を殺せと。
「ウオオオオ!!」
走る。
こちらを見た熊の鼻っ面を変化した左手で殴りつける。
「ゴオオ!」
鼻血を出しながらも熊が立ち上がる。
上からの振り下ろし。
腕の軌道が見える。
後ろに飛びすさる。
アスファルトに五本の線が走る。
「ゴアアア!」
「んだオラアア!!」
両手で挟むかのように繰り出された攻撃を潜り懐へ。
足の間を抜ける際に爪で切りつけたが硬い毛のせいで傷は付かなかった。
熊の振り返りざまの横振りを上に飛んでかわす。
体が軽い。
熊の攻撃が全て見える。
「おせえよ! 当ててみろ、ゴラあ!」
「ゴガアア!!」
横振り、噛み付き、振り下ろし。
全て簡単に避けられる。
だんだんと紙一重でかわすことができるようになっていく。
横振りを少し後ろにさがってかわすときには、前髪に爪がかすった。
完璧に、見切った。
「ゴルル……」
「どうした熊公。当ててみろや。ビビってんのかよ、おいコラ!」
「ガアアア!!」
下からの振り上げ。
この攻撃は初めて見る。
少し距離を開けて避ける。
頭と腹に衝撃が走った。
たまらずに膝をつく。
なんでだ。
確実に避けたはずだ。
熊の顔がにやりと笑ったように見えた。
こいつ、何か仕掛けやがった。
クラクラする視界の中に、血で染まったブロック片が見えた。
振り上げでこれを砕きながら放ったのか。
そこまで知能があるのか。
クソ、余裕かまして歩きやがって。
飛び掛って鼻っ面を殴ってやろうとしたが、足に力が入らなかった。
脳震盪を起こしているのか。
足が動かない。
熊が腕を振りかぶる。
「ゴオオオ!」
「クソがああああ!!」
視界の端に白い影が見えた。
ドンと体に衝撃が走り、突き飛ばされる。
「ガアルルル!!」
「ゴアアアア!!」
シロともう一頭の犬が俺を守ろうと熊に立ち向かう。
二頭で熊の後ろ足を噛み、体全体の力をこめて振り回す。
熊がわずらわしそうに振り回した腕に黒い犬が当たり、吹き飛んでいく。
「グルルルル!!」
「ゴオオ!!」
シロと熊が対峙している。
足は、まだ動かない。
熊が四足歩行に戻り、シロに突進をしようと構えると、その鼻にぺちんと棒のような物が当たる。
良く見ればそれは俺の作った槍だった。
「おい! 熊! こっちに来な!」
「鈴鹿!? 何してんだ! 戻れ!!」
なぜか鈴鹿が槍を持ち、外にいた。
なぜ出てきたんだ。
死んでしまうぞ。
「ほら、こっち来いよ!」
「ゴルル……!」
再度鈴鹿の投げた槍を頭を振ってはじくと、熊が鈴鹿へと走り出した。
すぐに後ろを向いて逃げる鈴鹿だが、熊の足は速く、すぐに追いつかれてしまうだろう。
「ガルルル!」
シロが飛びつくが、頭でかち上げられ跳ね飛ばされてしまう。
クソ、動け、動け。
ゆっくりと歩くことしかできない足を叩き、走る。
鈴鹿に熊が迫る。
「鈴鹿っ!!」
熊が両手をあげ鈴鹿へと叩きつけようとして。
「ゴアア!?」
しりもちをついた。
「よっしゃ! うまくいった!」
嬉しそうな鈴鹿の声がした。
よくよく見れば、ユニック車が二台あり、女たちが全員いた。
熊の前にはユニック車のクレーンのアームがあった。
あれをぶつけたのか。
熊は歯が折れたのか、血を口から流してのた打ち回っている。
女たちのもとへ走りながら叫ぶ。
「お前ら!! なんで出てきた!」
「だって、恭平の役にたちたかったし」
「死ぬかもしれないんだぞ!」
「それは恭平もでしょ!」
熊がゆっくりと四足歩行へと戻り、飛び掛る姿勢をとった。
鈴鹿たちはこちらを見ていて気がつかない。
やらせるかよ。
全速力で走り、背中へと飛びつく。
「ゴアアア!」
暴れる熊。
すぐに放り出されてユニック車のボディの上へと落ちた。
背中をしたたかに打ちつけ、口から空気が漏れる。
「グルルル!!」
シロが熊の後ろ足を噛み、引っ張る。
熊が立ち上がり腕を振り下ろすが、シロは既に離脱している。
体の下に細い何かがあるのに気がつく。
昼間、道の邪魔をしている車を動かすのに使ったワイヤーだ。
それを持ち、ユニック車の運転席の上へ登り、アームを走る。
熊へと飛びつき、頭の上からワイヤーをかぶせてやる。
首に巻いたワイヤーを両手で握り締める。
今度は放り出されない。
「ゴアアア!」
「はっは! 落としてみろよ!」
ワイヤーの先端に輪っかになったシャックルという部品がついているのに気がつく。
そこにシャックルがついていない方のワイヤーの先端を通せば即席の首輪ができあがる。
右手で熊の毛を掴み体を支え、変異した左腕で全力でワイヤーを締め上げる。
毛と肉に食い込み、ちょっとやそっとじゃ外れない。
「恭平! それ引っ掛けて!」
鈴鹿の声がすると、目の前にクレーンのフックが降りてきた。
ははっ、なるほどな。
ワイヤーの先端をフックに引っ掛けると、グングンとアームが伸びていき、フックが巻き取られる。
どんどんワイヤーが締まっていくのを確認し、熊から飛び降りる。
暴れる熊だが、ワイヤーにその爪を引っ掛けることができずに、足が爪先立ちになる。
少しだけ浮き上がったが、暴れるせいで車が横転しそうだ。
「奈津実! ぶつけてやれ!」
「あいよ! これでもくらいな!」
奈津実の操作するもう一台のユニック車が、クレーンのアームを勢い良く振り回し、熊の顔へと当てた。
鮮血が飛び、歯が数本抜けて地面の血溜まりへと落ちる。
もう一台のクレーンで吊り上げれば、重さが分散するだろう。
ワイヤーをもう一本持ち、だらりと垂れた熊の手へと巻きつける。
「おい! これを吊ってくれ!」
「わかった!」
片手を上げた状態で、熊が吊りあがる。
しかし、まだ余力があるのか、残された腕や足をバタバタと振り回し暴れている。
ユニック車からギシギシと音がしだした。
ワイヤーも切れてしまうかもしれない。
あと一押しが必要だ。
「シロ、あの腕が邪魔だ。押さえられるか?」
「ワオン!」 (任された!)
暴れる熊の腕にシロが噛み付き、ぶら下がった状態で振り回す。
ギシギシとなる音が更に強くなった。
ユニック車のボディに乗せられていた槍を持つ。
熊から充分な距離を取る。
走り出す。
加速。
自分が風になったかのような感覚に襲われる。
熊の姿が近づいてくる。
跳躍。
空中で槍を上段に振りかぶる。
「死ねオラアア!」
熊の心臓へと突き刺す。
二メートルほどある槍の半分ほどが埋まった。
だが、まだ熊は暴れている。
右手で毛を掴み、左手で槍を押し込む。
あと五十センチ。
「くたばれえええ!!」
左手を振りかぶり、槍を殴りつける。
槍の柄が埋まりきるのと共に、突き抜けた手ごたえがあった。
熊は大きくびくりと痙攣をすると、力なく吊り上げられるだけとなった。
やったか。
頭がくらっとして、熊の毛を掴んでいた手の力が緩んだ。
背中から地面に落ちるかと思いきや、シロがその背で受け止めてくれた。
「クウン」 (大丈夫か。狼の人)
「ああ、大丈夫だ。ありがとう、シロ」
熊の背中からは槍が突き出し、足元の血だまりはどんどんと広がっていく。
その血の量を見れば、さすがに熊が死んだのだとわかった。
「俺たちの、勝ちだ」
疲れが一気に押し寄せてきた。
柔らかく温かいシロの背中に倒れたまま、意識が沈んでいった。




