第二十二話 協力
カウンターに突っ伏した状態で目が覚めた。
凝り固まったせいで体に鈍い痛みを感じる。
背中には毛布が一枚かかっている。
鈴鹿がかけてくれたのだろうか。
昨晩、鈴鹿と話したことを思い出す。
酔ったあとの記憶を失くす人と失くさない人がいるが、残念ながら俺は失くさない人だ。
いろいろと弱気なことを言っていたように思うが、それはもう忘れよう。
鈴鹿は俺にもっと頼れと言った。私たちも役に立つと。
俺は一人で彼女たち全員を守ろうと思っていた。
それが俺の役目だと。
なんと傲慢でおこがましい考えだったのだろう。今なら不思議とそう思えた。
俺一人でなんでもやろうとした結果、また失うことになるのか?
全員で協力した方が、より安全でより効率的だ。
一人で全てをやろうとするのは俺のわがままでしかないのだ。
「あ、恭平さん、起きてますね。おはようございます。もう朝ごはんできているので、支度を済ませたら来てくださいね」
「あ、ああ。わかった。じゃなくて、おはようからか。おはよう、珠子。すぐに向かうよ」
「ええ。温かいうちに食べましょうね」
珠子がにこりと笑ってから去っていった。
普段食事で使用する場所はイタリアンレストランで、甘味や酒などの嗜好品が置いてあるのがここの中華レストランだ。
珠子が分けるように言ってきたときは面倒だとしか思わなかったが、今は言う通りにして良かったと思えた。
朝食の準備をしている横で、酔い潰れて寝ている醜態を晒さずに済んだのだから感謝しかない。
手早く歯磨きなどの支度をやってしまう。
洗面台の鏡に映る顔には無精髭が生えていた。
最近毎日のように剃っている気がする。
前までは三日に一度剃れば大丈夫だったのに。
それと、白髪がだいぶ増えてきた。
髪は全体的にメッシュのようになっているし、髭にまで白いものが混じっている。
驚いたのが下の毛にまで白いのがいたことだ。
まだ二十代だというのに、なんでこんなに。
白髪染めがどこかにありそうだから、下の毛以外ははあとで染めてしまうか。
珠子たちの元へ行くと全員が既に座っていて、皆で俺のことを待ってくれていたようだ。
「おはよう。遅くなってすまない。先に食べてくれても良かったのに」
「ダメですよ、恭平さん。皆揃っていただきますですよ」
「そうか。それじゃあ食べようか」
鈴鹿の横が空いていたのでそこに座る。
昨日のことがあるのでなんとも気恥ずかしい。
ちらりと横目で顔をうかがって見るが、なんてことのない平然としたものだった。
俺が意識しすぎなのだろうか。
朝食はトーストと焼いたベーコン、豆たっぷりのミネストローネだった。
このパンはホームベーカリーという機械で、小麦粉から練って焼いて作ったものだ。
毎朝焼きたてが食べられるなんてとても素晴らしいことだ。
機械を珠子が見つけてくれて本当に良かった。
昨晩避難してきた女性らは、嬉しそうに食事をしている。
何人かは俺が視線を向けると体を強張らせてしまうので、極力そちらを見ないようにして食べた。
久々にまともな食事をとったのだろう、感極まったのか涙を零しながら食べる女性もいた。
食事を終わらせ、皆がまったりとしているところで話を切り出す。
「あー、ゆっくりしているところ悪いが少し話がある。改めて俺の自己紹介をさせてもらう。俺は山下恭平だ。皆とはうまくやっていきたいと思うからひとつよろしく頼む」
俺が礼をすると、女性らも頭を下げて礼を返してきた。
「俺は奈津実以外の名前を知らない。これからやっていく上でそれは良くないことだろう。今からちゃんと皆の話を聞くから、自己紹介をしてくれると助かる」
「うちのリーダー結構繊細でさ。皆の話聞いて悲しくなってあんな感じになっちゃったんだ。許してあげて」
「ああ、昨日の俺の態度は悪かった。許してくれ」
鈴鹿の言う通り、俺は女性らの境遇を知り、悲しくやるせなくなってしまったのだろう。
数人の女性らは怯えた様子を見せるものの、全員がしっかりと俺を見て自己紹介をしてくれた。
運送屋で働いていたのが菱木奈津実、大塚明穂、西村深冬。
この三人は俺に対しての怯えは無い。
怯えながらもちゃんと挨拶をしてくれた残りの三人が、森田香織、長谷川直美、小松友里。
全員の名前を覚えられるかわからないが、これから長く付き合っていくのだからそのうち覚えられるだろう。
昨日、俺のところに捨てないでと懇願に来たのは友里だった。
今でも俺を見ながら怯えたような顔をしている。
役に立たないと追い出されると思っているようなので、居ても良いんだと安心してもらわねばならない。
本当は体を休めてもらいたいが、このままじゃ気に病みすぎて体調を崩しかねない。
だから今日は皆で地下の物資を持ってくる作業をしよう。
そのことを皆に提案する。
「もちろん体の調子が悪かったりするようだったらやらなくても良い。それで追い出すことなどはしない。無理をしない範囲で協力をしてくれると助かる」
運送組の三人は元気な様子でやると言ってきたが、残りの三人は迷っている様子だった。
「俺が、というより男が怖いのもわかっている。辛いのなら珠子の手伝いをしてくれるだけでも良い。やってくれないか?」
「あの、私、力弱いし、迷惑かけちゃうかもしれませんけど、やらせていただきます」
「わ、私もやります!」
「……頑張ります」
三人は顔を伏せ怯えながらも勇気を振り絞ってそう言ってくれた。
悲惨な目にあっても、それでも強く生きようとする彼女たちに、尊敬の念を抱いた。
「それじゃあ俺と地下に行く人は誰にする? 行きたい人は?」
俺が問いかけると、全員が手を上げた。
その中でもピンと真っ直ぐに掲げられた手は、鈴鹿と珠子のものだった。
「いや、二人には上で整理しておいて欲しいんだけどな。他の人はどこに何を片して良いかわからないんだからさ」
「ええー、一緒に行きたーい」
「私も行きたいです!!」
ぶうぶうと文句を言う二人をどうにか宥めて、地下へと向かった。
地下のバックヤードにはまだまだ大量の物資が残されていた。
大量にあるカートに女性らが手分けをして物資を詰め、それを俺が抱えて階段を上り一階へ置いておく。
そのカートをエレベーターで鈴鹿が運び、珠子が片付ける。
そんな流れ作業だった。
定期的に地下を歩き、危険がないかの確認をしていると、一人の女性の姿が目に付いた。
力が弱くて役に立たないかもと言っていた友里が、重い米袋を何袋もカートに乗せていた。
必死な思いでやってくれているのはわかるが、無理をするのは良くない。
「頑張ってるな」
「あ、はい、その……こんなことしかできませんけど」
「充分だよ。まだ体も痛いだろうに、偉いな友里は。今は人手が足りないから皆が手伝ってくれるのは本当に助かるよ。ありがとう」
礼を言うと、友里は驚いたように目を丸くして、俺の目を見つめた。
友里は顔を赤くして目をそらすと、小さな声で「そんなことないです……」と言った。
「無理はしなくて良いからな」
「はい……!」
強張った表情も和らぎ、切羽詰ったような空気も無くなった。
これなら安心して作業を任せられるだろう。
他の見回りに戻ると、野菜コーナーで声をかけられた。
声をかけてきた女性は、たしか、ええと……。
「明穂だよ。大塚明穂。忘れてたっしょ?」
「ああ、すまん。一度にたくさんの人の名前は覚えられないようだ」
「まあ仕方ないって。前に居た場所じゃ、茶髪とか女とか穴とか呼ばれてたし。そんくらい気にならないって」
本当に彼女たちの境遇には同情を禁じ得ない。
「そんな顔しなくて良いって。それよりさ、これ見てよ」
「ん? どれだ?」
腐った野菜や、かさかさに枯れた野菜がたくさんある。
その中に、芽を生やしたものや、葉を伸ばして草状態になっているものがあった。
「これさ、畑に植えたら良いんじゃないかなって思って」
「畑? すまないが俺は農業なんてやったことないから全く何にもわからないぞ」
「うん、大丈夫。私、家庭菜園やってたから。だいたいわかるよ」
「そうか、それは助かるな。そういや屋上に畑があったぞ。珠子に聞いたらいろいろとわかると思うが」
「ほんとに? じゃあ私そっちやってても良いかな?」
「ああ。任せた。もし必要そうなものがあったら言ってくれ」
「うん。じゃあとりあえずこの野菜全部持っていこうかな」
「了解だ」
カートいっぱいに入った芋類や野菜を一階に運び、明穂と別れる。
見回りを一周してきただけで、階段下には女性たちが集めてきた物資入りのカートが犇くようにして置いてあった。
俺は無心でカートを一階に運ぶマシーンに戻った。
夕方までかかり、地下バックヤードにあった物資は全て九階へ集まった。
冷蔵庫はほぼほぼいっぱいになっており、倉庫代わりの店がひとつできたほどだ。
夕飯時には女性らもすっかり元気になっていたように見えたが、寝ているときに飛び起きたり、泣いていたりするのが聞こえた。
やはり、心の傷は深く、ちょっとやそっとじゃ治らないのだろう。
俺が気を使って別の階で寝ると提案したが、鈴鹿と珠子の猛反対により却下された。
部屋の端っこのほうで寝るようにしたが、周囲を鈴鹿と珠子に占領されてしまう。
まあ二人が周囲に居るおかげで、女性たちの視界に入らないからこれはこれで良いのだと納得することにした。
相変わらず二人は寝るときにうるさいが。
次の日の朝食時、俺から女性たちにひとつの提案をした。
「前に居たと言う運送会社に行こう」
「えっ……」
「……なんで?」
「やだ……」
「行きたく、ないです」
全員が行きたくなさそうな顔をした。
それもそうだろう。
彼女たちのトラウマのある場所なのだ。
それが普通の反応だし、俺がそうとう酷なことを言っているのは自覚している。
「俺は、お前たちをそんな酷い目にあわせたヤツらを許さない。既に襲撃にあっているし生きているかどうかはわからないが、もし生きていたら殺すつもりだ」
俺の提案に女性たちは息を呑んだ。
ただ鈴鹿だけは「そうだね。クズは殺すべき」と賛同してくれた。
「お前らもそんなクズどもに囚われたままじゃ嫌だろう。俺が解放してやる。俺の元に居れば何も怖いものなど無いと思えるようにしてやる。だから行くぞ」
「……わかったよ。だけど、あたしにもやらせな。ヤツらにゃどでかい恨みがあんだ。ギタギタにして殺してやる」
「わ、私も、やります。やらせてください」
奈津実の後に友里が続き、少し驚いた。
正直、絶対に行きたくないとごねるだろうと思っていた。
「奈津実も友里も行ってくれるか。ありがとう。他の皆は?」
「行くし。ぶっ殺してやんよ」
「い、行きます」
「やっとやり返せる……!」
「やってやんよ」
なんとも勇ましいものだ。
俺は視界の端にピンと伸びる鈴鹿の手を無視して話を進める。
「よし、じゃあ全員で行くぞ。鈴鹿と珠子は留守を頼む」
「えええー!! 私も行きたいー! ゴミ掃除するんだから!」
「俺がいない間ここを守れるのは鈴鹿しかいないんだよ。頼むよ」
ぶうぶうと文句を言う鈴鹿をなんとか宥め、俺たちは運送会社へと向かった。
運送会社へ向かう道中、ゾンビが俺たちから逃げていくのを見た女性らが不思議そうにしていた。
なのでゾンビを一匹捕まえ、もの凄く嫌がるさまを見せて納得させておいた。
これで安心感がより増すだろう。
女性らは「そういえばここに近づくにつれゾンビがいなくなっていた」とか「追ってきていたゾンビが突然方向転換して帰っていった」などと話していた。
ゾンビどもは遠くからでも俺の何かを感知しているのだろうか。
運送会社は百貨店から歩いて三十分ほどの場所にあった。
頑丈そうな塀に囲まれ、重そうな鉄の門が開かれていた。
塀の中にはトラックや作業車が数台と、倉庫と事務所がある。
そして、地面に転がる大量のゾンビ。
手足の関節を外されたヤツもいれば、切り落とされたヤツもいる。
ワイヤーでぐるぐるに縛られたヤツや、折られて骨が飛び出しているヤツもいた。
不自由にされた状態で放置され、開いた門からゾンビがやってきて噛まれたとかか?
なかなかエグいことをする。
「一、二……。全部で二六匹いるな。こいつらに見覚えは?」
「……あ、ああ。こいつらだよ。数もあってる」
「そうか。ちょうどやりやすいけど、どうする? やるか?」
「あたしは、いいや。なんか、これ見ただけで充分って言うか」
「てかもう死んじゃってるし」
「そうだね……」
女性らはこんなんで気が済んでしまったらしい。
せっかく全員に俺お手製の槍を持たせてきたのに。
どうせなら全員で滅多刺しとかすればいいのに。
仕方がないので、俺が片付ける。
汚物は消毒をしなければいけない。
「じゃあ俺がやるから、お前らは安全なところで見てな」
まとめて燃やすのが良いだろう。
他に燃え広がることのないように、コンクリート塀の角にゾンビを集めていく。
俺に持たれたゾンビは激しく嫌がるので、塀に叩きつけるように投げる。
意外と軽いゾンビは良く飛んだ。
ガソリンがあったのでゾンビの山に振りかけ、マッチで火をつける。
勢い良く燃えるゾンビを、女性らが放心したように見ていた。
運送会社には特にめぼしいものも無かったので、何かに使えそうなトラックを二台だけいただいて帰ることにした。
帰り道、二台のクレーンつきトラックのユニック車を奈津実と明穂が運転していた。
時折車を止めては、通行の邪魔になっている乗用車をどかして進んでいく。
俺が乗用車の窓を割り、運転席と助手席の窓にワイヤーを通し、それをユニックで吊ってどかすという地道な作業だった。
あんな細いワイヤーで乗用車が持ち上がるのだから、すごいものだ。
百貨店に戻る頃には夕方になっていた。
女性たちからは怯えたり不安になるような素振りが消え、表情も明るくなったように思う。
珠子の作ってくれた美味しい食事を食べているときには、声を出して笑うこともできていた。
運送会社に連れて行ったのは正解だ。
食後のデザートを皆で食べるとのことなので、俺は退散をする。
ひとりで寛げる空間の、八階のベランダで本を読む。
これから皆を守って生きていくには、いろいろと覚えなきゃいけないことや知らなきゃいけないことがたくさんあるのだ。
こうやって考えられるようになったのも鈴鹿のおかげだろう。
ありがたいことだ。
鈴鹿だけじゃない。
女性たちに笑顔が戻ったのも、美味しい食事を毎回作ってくれる珠子のおかげだ。
二人には感謝しかない。
俺一人で全部をやろうとしていたんじゃ、野菜のことや畑のこともわからなかった。
皆で協力して、それぞれが得意なものをやっていけば、より良い生活が送れるようになるだろう。
夜空には煌々と満月が輝いていた。
気持ちの良い夜だ。
目を瞑り、静寂に包まれた夜に浸っていると、ふと遠くから音がした。
何かが壊れる音。
ガラスの割れる音。
そして、シロの声。
なんだ。
何が起きている?
耳を澄ます。
破壊音が大きくなった。
シロの吠える声。
「ウオオン!」 (逃げろ!)
すぐに地響きのような低く重い獣の咆哮が聞こえた。
「シロ! まさか、赤カブトと戦っているのか!?」
鈴鹿たちのいるところへ走る。
「まずい、赤カブトだ。シロが戦っている。俺は助けに行く。ここは任せた」
「助けにって、どうやって。ダメ、行かないで、恭平!」
鈴鹿の声を振り切って走る。
シロたちに危険が迫っている。
見殺しになんてできるはずがない。
行かなきゃいけないんだ。
三階に置いてある槍を持ち、外へ跳ぶ。
バスの屋根に着地し、駆け出した。
今から行くぞという意思を声に乗せて叫ぶ。
「ウオオオォン!!」
待ってろよ、シロ!




