第二十話 獣たち
「アオン!」 (おとさん!)
子犬が嬉しそうに尻尾を振り、父らしき犬へと駆けていく。
そして父犬に前足でぺしゃりと潰され、押さえつけられてしまった。
「グルルル……!」 (愚かな娘よ、勝手に出歩くなと何度言えばわかるのだ……!)
「アン! ウアン!」 (みんなごはんさがしてた! きなこもここでみつけた!)
「ガアルルル!」 (それは年長者の役目だ……! 外には危険が沢山あると教えただろうが)
「キャン!」 (でも!)
「ガア!」 (言い訳は聞かぬ!)
「えーと、お父さん、その辺にしてあげたらどうでしょうか」
あまりにも子犬が不憫で、思わず口を挟んでしまった。
「ウウォウ。ウルル……」 (ああ、狼の人。この度は我が子が迷惑をかけた。なんと詫びれば良いのか我にはわからぬ……)
「いえいえ、そんな、全然大丈夫ですよ。迷惑なんてかかってないので」
「ウォン……」 (そう言ってもらえるとこちらとしては助かるのだが……)
「アン! アォン!」 (おとさん! おもい! はなして!)
「ガアアォ」 (大人しくするのだ。こら、待て)
子犬は父犬の前足から逃げると、鈴鹿と珠子の方へと駆け出して行った。
「お、どうしたの、きなこ。お父さんに怒られて拗ねちゃったの?」
「きなこちゃん、ほらおいでー」
珠子に抱き上げられた子犬を父犬が険しい顔で見ている。
「おい、鈴鹿、珠子、そいつを連れてきてくれ。この犬は安全だ」
「うん、そうっぽいね。ていうか恭平、もしかして犬と普通に話してるの?」
「意思の疎通ができているように聞こえましたけど」
「そうだな……」
たしかに今俺はこの父犬と自然な流れで会話をしていた。
子犬の言葉は仕草などから読み取ってなんとなくわかっていたが、父犬との会話では正確に言語を理解できた。
ゾンビウイルスに一度感染したから動物の言葉がわかるようになったのか?
どちらにせよ、俺の有利になることには変わらない。
ならば有効活用していけば良いだけだ。
深くは考えなくても良い。
「まあ俺のことは良いだろう。ゾンビが寄り付かなかったりするし、いろいろとわかっていないことが多いんだよ」
「それもそっか。あまり気にしちゃダメだね」
「そうですね。恭平さんには不思議な力があるというだけで充分です」
二人は一応の納得を見せてくれた。
説明しろと言われても俺自身がわかっていないから答えようがなかった。
あまり追求してこない二人で良かった。
「ええと、改めまして、俺は山下恭平。こちらは井上鈴鹿と細川珠子だ。あんたに名前はあるのか?」
父犬と向き合い自己紹介をすると、父犬ではなく珠子の腕の中にいる子犬が吠える。
「ウォン! クァン!」 (きなこはきなこ! きなこのなまえ!)
「オゥウ……。ウウオン」 (きなこ……。良き名を貰えたようだ。我が名はシロ。かつて主人より賜った)
「恭平、なんて言ってるの?」
「そこの子犬は自分の名前がきなこだと叫んでる。で、お父さんはきなこの名前を褒めて、飼い主に貰った名前がシロだって言ってる」
「そんなことまで話せてるんですね。シロさん、よろしくお願いしますね」
「クウアオン」 (狼の人の伴侶か。我が娘、きなこが世話になった)
「これはなんて?」
「あー、きなこが世話になったってさ」
「たいしたお世話なんかしてないって」
父犬のシロは二人に対しても穏やかな態度で接している。
もし野犬の群れのリーダーがシロであるのなら、ここで盟約を結ぶのは良い手だろう。
野犬の群れに襲われることが無くなれば、ほぼ敵はいなくなるようなもんだ。
向こうがこちらを襲わない代わりに俺は何を出せる?
そういえば子犬のきなこは飢えていたようだが、食料が足りていないのか?
ペット関連の商品がおいてあるところに、大量のドッグフードがあった。
これが取引材料になれば良いが。
「あー、シロ、聞きたいことがあるんだが」
「ウルル」 (なんだ、狼の人よ)
「きなこがかなり腹を空かせていたようだったが、もしかして食いもんがないのか?」
「ガアウ……」 (そうだ……。ヤツが来てからは鹿や猪が姿を消し、我らはまともに食事を取れぬようになった)
「ヤツ? でかい猪か?」
「ガウ。ウウゥオン」 (違う。巨大な熊だ。ヤツは我らの縄張りに侵入し、獲物という獲物を狩りつくした)
「じゃあ縄張りから出てったのか?」
「ウルルル。オン」 (我らの縄張りの近くには多くの人が居る場所がある。ヤツはそこを餌場としたらしく動く様子はない)
「人を食ってるのか?」
鈴鹿の言っていた赤カブトは本当に実在したのか。
三階建ての窓から顔を覗かすくらい大きい熊なんて、どうやったって勝て無そうだ。
二人が何の話をしているのかと聞いてきたので、かいつまんで説明する。
「だから言ったじゃん、化け物がいるって。ゾンビたちも夜になるとその熊に襲われるから避難するように逃げていくって聞いたよ、私」
「私もそれは聞きました。というよりも、ここに避難してきた人が熊に襲われてコミュニティが壊滅したって言っていました」
とんでもない化け物がいたもんだ。
それよりも、ゾンビが逃げていくというところは俺と通ずるものがある。
ゾンビのヤツらは俺を脅威に感じているのか?
俺が一度ウイルスに感染して治ったことで、俺の中にある抗体を警戒しているとかか?
しかるべきところで俺の血を研究すれば、ゾンビの治療薬ができるかもしれないな。
まあ、こんな世界になってしまったんじゃ、研究施設などが存続できているわけもないか。
俺のことはいい。熊について考えよう。
そもそもそんなに大きい熊は、この地球には存在しない。
ウイルスに感染しての突然変異という説が濃厚か?
俺もウイルスに感染して眼や耳が進化したように思う。
ゾンビだって死んだ人間が生き返って歩いているんだ。
突然変異、あり得る話だ。
今まであり得なかったことが、今や全てがあり得る可能性があるのだ。
そう考えて行動した方が良いだろう。
熊が空を飛び、火を噴き、分身する……さすがにこれはあり得ないな。
このシロも地下で会った猪も、きっとウイルスの影響で大きくなったのだろう。
人に感染すれば死者を蘇らせ、動物に感染すればその体を大きくする。
死者は更なる死者を増やそうとし、巨体になった獣は餌を求め人を狩る。
人を見限った神様が、人を根切りするためにばら撒いたと言われても信じられる。
「シロ、お前たちは全部でどれくらいいるんだ?」
「ウォウ」 (我の群れは十頭いる。オスが五、メスが二、子が三だ)
「皆腹を空かせているんだよな?」
「グルル……」 (そうだ……。ヤツが来てからは群れの者が痩せ衰えていく一方だ)
「そうか。じゃあ俺と取引をしないか? 少なくともしばらくは腹をいっぱいにすることができるぞ」
「ガアウ」 (詳しく聞こう、狼の人よ。もしや我らを群れに加えると言うのではないか?)
「群れに入ってくれるならそれが一番だけどな。入ってくれるのか?」
「ウォン」 (群れの者が飢えぬのなら我は構わぬが、他の者は認めぬやも知れぬ)
「力を示せば良いのか?」
「ウオン。グウルル」 (強きオスに従うのが我らの掟。狼の人ならば文句を言う愚か者は居ないと思うが)
さっきから気になっていたが、この狼の人とはなんなんだろうか?
そういえばきなこも出会ってすぐに狼の人と呼んできた。
やはり俺は獣くさいのか?
「すまん。一つ聞くが狼の人とはなんだ?」
「ガウ」 (狼の匂いのする強き人。我らは狼の人と呼んでいる。)
「それが俺?」
「オン」 (そうだ)
よくわからない理由だった。
「ねえ恭平。私たちも何を話してるか聞きたいんだけど。シロときなこが私たちと一緒に居るってことで良いの?」
「あー、えっとだな。シロの群れが全部で十頭。シロは俺の群れに入っても良いと言ってるが、仲間がなんて言うかわからないから力を示すべきって話」
「狼の人とはなんですか?」
「シロやきなこが俺のことをそうやって呼ぶんだよ。狼の匂いがするんだと」
「へえ。不思議ですね。きなこちゃん、恭平さんは狼の匂いするの?」
「アン!」 (おおかみのひと!)
「そうなんだ~」
珠子の腕に抱かれたきなこが嬉しそうに吠えた。
珠子はきなこと話している気になっているが、微妙に噛み合っていない。
「それで、恭平はどうやって力を示すの? 犬と取っ組み合いの喧嘩でもする?」
「そうだな。ちょうど猪を狩ろうと思っていたから、それを振る舞うのはどうだろう。それでいけるか、シロ?」
「オン。オォン」 (それはありがたい。ここに居る猪は狼の人の所有物だ。それを狩り肉を分け与えれば文句を言う者も居ないだろう)
「じゃあ決まりだな。猪を狩る準備まだできていないんだが、シロたちが協力してくれれば今すぐにでも狩れるぞ」
「ウォオン」 (わかった。協力しよう)
シロが「今すぐ来い」と遠吠えをすると、了承の遠吠えが返ってくる。
「オン」 (すぐにでも我が群れの者が集まるだろう)
「そうか。助かるよ」
シロの群れは数分のうちに集まった。
「ワン」 (来たぞ)
「オーン!」 (獲物か!?)
「クオン」 (狼の人がいる)
「ウルル」 (狼の人だ)
「ワオーン!」 (狼の人!!)
白い犬や黒い犬が俺に殺到してきては鼻を押し付けてふんふんと匂いを嗅いでいる。
何匹かは大きな尻尾をぶんぶんと振って喜びを表している。
俺はお前らの飼い主でもなんでもないのに、どうしてそんなに懐いてくるのか。
それにしても乗用車サイズの犬五匹に囲まれると迫力がもの凄い。
「おい、落ち着け。押すんじゃない。鼻を押し付けるな」
「こ、これは凄いね。毛の海みたい」
「もふもふ! もふもふがいっぱいです!」
俺の近くに居た二人も巻き込まれる形で囲まれてしまった。
鈴鹿は少し引き気味だったが、珠子はとても嬉しそうだ。
「グル」 (妹、良い匂いだ)
「ワン!」 (本当だ!)
「フンフン」 (変な匂い)
「アン!」 (きなこ、いいにおい!)
きなことも久しぶりに会えたからか、犬たちはしばらく騒がしかった。
なかなか落ち着かない群れの犬たちをシロが一喝して黙らせ、ようやく話を始めることができた。
俺が猪を狩る協力を要請すると、群れの犬たちは喜んで協力すると言ってくれた。
「グルル……」 (わざわざ力を示す必要はなかったようだな……)
「なんでこんなに懐かれているのか不思議でしょうがないな」
「オン。ウウゥ」 (狼の人の匂いから圧倒的強者の片鱗がうかがえるのだ。それに我らと似た匂いもする)
「良くわからないが、仲間だと思ってくれるならそれで良いよ」
犬たちには猪を地下から逃がさないようにしてもらう役と、エスカレーター下に追い込む役をお願いした。
鈴鹿と珠子には安全な場所であるエレベーターホールへと避難してもらう。
スコック含む大量の投げ槍を用意すれば準備は完了した。
猪を追い込む合図はシロに任せる。
「シロ、頼む」
「オン」 (わかった)
エスカレーターの穴に向かってシロが大きく吠えると、トンネルのある方から群れの犬たちの吠え声が聞こえてきた。
『ブゴオオオ!』
猪の怒ったような声が聞こえるのと同時に、一匹の犬がエスカレーターの穴から飛び出してきた。
「ワン!」 (あいつ追ってきた!)
「ありがとう!」
犬の言うとおりに猪が勢い良く穴の下へ走り出てくる。
自分の巣を荒らす外敵を排除しようと追ってきたが、既にその姿が無く辺りを忙しなく探している。
スコックを握る手に力が入る。
固そうな頭を狙ってもダメだ。
狙うなら腹。
柔らかい腹を掻っ捌き、臓物をこぼしてやるんだ。
猪が外敵を探そうと右に左に頭を向ける。
ちょうど腹が俺の正面にある。
今だ。
スコックを全力で投擲。
猪の右腹に向かってスコックは飛んでいく。
だが猪がここで左に体を向けてしまい、スコックは狙った腹ではなく右の尻部分へと突き刺さった。
『ブギイイイ!!』
猪は走り出し棚で作ったバリケードへと衝突し、粉砕する。
「まずい、逃がすな!」
「ウオオオン!!」 (囲め!)
シロが吠えると猪の周りに犬が集まり、逃がさないように吠え立てる。
怒り狂った猪が一匹へと狙いをつけて突進するが、犬はヒラリと身をかわす。
「くそ、動くなよ……」
二投目。
どこでも良いから当たれと投げたトライデントは、前足の肩らへんに突き刺さる。
これは浅かったようで、すぐに抜け落ちた。
それでも傷からは血があふれ出しているので、このまま時間が経てば経つほど弱るだろう。
『ブゴオオ!!』
猪は犬に突進し、避けられたがそのまま走ってトンネルの方へ行ってしまった。
「逃がすか!」
投げ槍を両手に持ち、地下駐車場への入り口へと走る。
スロープになっている駐車場の入り口から、大量の犬の吠え声と、猪の猛り狂う叫び声が聞こえてきた。
中から逃がすまいと犬たちが対処しているようだ。
こちらへ追い立てるようにシロへ頼むと、猪の声が大きくなってきた。
『ブギギイイイ!!』
巨大な牙を振り回し、止められている自動車を押しのけて猪が現れた。
猪は俺を見つけると、真っ直ぐに突進をしてくる。
軽自動車くらいの大きさに思えたが、いざ対峙してみるとダンプカーくらいの迫力がある。
俺と猪の間には乗用車が一台ある。
両手の投げ槍を握り締め、駆け出す。
今からやることはタイミングが全てだ。
失敗は許されない。
全力疾走をして乗用車へ走り乗る。
踏み込んだ足裏のボンネットがへこんだ。
猪はもう目の前だ。
四本の牙で乗用車をかち上げようとしている。
乗用車の屋根に駆け上がるのと同時に、猪が乗用車を下から持ち上げるようにしてかち上げる。
その力を利用して、跳ぶ。
邪魔な車を破壊して走り去ろうとしている猪の背中に、上から狙いをつけ二本の槍を投げて突き刺す。
良いところに刺さったのか、柄の半分ほどまで埋まっている。
やったか。
『ブギョオオオ!!』
だが猪は止まらず、その勢いを増して走っていく。
待ち構えていたシロが噛み付こうと飛び掛るが、牙を激しく振って噛み付かせない。
スロープから群れの犬が飛び出てきては猪の後を追っていく。
くそ、俺も後を追わなければ。
百貨店入り口に置いてあった投げ槍を取りに向かい、中で待っていた鈴鹿にシャッターを閉めておくように伝えて走り出す。
遠くの方で猪と犬の声が聞こえる。
だいぶ距離が開いてしまった。
道には猪の血のあとが点々とついている。
犬の吠え声や匂いを追って猪を追いかけるが、距離は開く一方だ。
犬や猪の走る速度に人がついて行けるわけがないのはわかっていたが、それでも追いかけるしかない。
何キロ走ったかわからないが、しばらく経つと犬のけたたましく吠える声と、聞いたこともない鳴き声が聞こえた。
なんだか胸騒ぎがする。
数分して俺が犬たちへ追いつくと、辺りには血の匂いと嫌な臭いが漂っていた。
大きな血溜まりがひとつあり、猪の姿はなかった。
犬たちは舌を出し、浅い呼吸を繰り返している。
一方を皆で見て、耳をピンと立てて警戒している。
「何が起きた?」
「グルルル……」 (ヤツだ……。獲物を横取りされてしまった)
「ヤツ?」
「ガルル……」 (巨大な熊だ。ヤツは我らが獲物を追い込むのを知ってここで待ち伏せていた。我らのことなど気にも留めず猪を食していた)
「マジかよ……」
「グウウゥ」 (我らが一斉に飛び掛かるとさすがに食すのをやめたが、残りはきっちり持って逃げていきよった)
「まあ熊の執着心は凄いって言うから、それで良かったのかもな。それよりも全員無事か?」
「ガウウ……」 (怪我をした者はいないが食すものが無い……。これでは子が飢えてしまう……)
シロも他の犬たちも、しょんぼりとした様子でうな垂れていた。
犬たちは猪がいなくなったらもう食べ物がないと思っているようだが、そんなことはない。
百貨店に入っていたペット用品のコーナーに、大量のドッグフードがあったのだ。
バックヤードにも何種類ものドッグフードやおやつが置いてあり、この群れが一ヶ月は持ちそうな量があるのだ。
猪は残念だが、他に食べるものはあるなら諦めもつくだろう。
「シロ、実は俺の住処に食料は大量にあるんだ」
「グウウ……」 (本当か? それを分けて貰えるのか?)
「ああ。というより俺たち人間は食べないからな。お前たちで食べてくれ。飼われていたならわかるだろ? ドッグフードだ」
「ワオーン!」 (おお! あれは素晴らしいものだ! 缶詰のやつが好きだった!)
「お、おう。そうか」
尻尾をぱたぱたと振るシロを見て、図体はでかいがやはり犬なのだなと再認識できた。




