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第十八話 人として

 階下からすさまじい破壊音が響くと、防火シャッターが波打つように揺れ出した。


「まさか登ってくる気!?」

「な、何が起きてるんですか!?」

「シッ。静かに」


 喚く鈴鹿と珠子を引き寄せ、いつでも逃げられるようにしておく。

 あまり大声で騒いで、下に居るナニカを刺激してしまうのは良くない。

 二人は無言で首を縦に振った。


 エスカレーターの防火シャッターは手すり部分に連結している。

 そのシャッターが揺れているということは、手すり部分まで崩落しているということだ。

 であるならば、この後何が起きるか想像がつく。


「少し離れるぞ」


 俺たちが距離を置いてすぐに、轟音と共にシャッターが剥がれ落ちていった。

 息を呑み、その様子を見る。


『ブギイイイイ!!』


 獣の咆哮が響いた。

 二人をその場に留め、エスカレーターが崩落した穴から階下を覗く。

 シャッターやエスカレーターの残骸の下から軽自動車くらいはある猪が現れた。

 天を穿(うが)つような四本の巨大な牙を振り回し、辺りの物をなぎ払っている。


 猪はエスカレーターの残骸へ執拗に攻撃を仕掛けていた。

 牙で突き、かち上げて、(ひづめ)で踏みつける。

 自分の上に落ちてきたことがそうとう許せなかったようで、怒りの声を上げながらの攻撃はしばらく続いた。


 数分もするとようやく怒りが収まったのか、猪は『ブゴ』と短く何度か鳴き、トンネルのある方へと戻っていった。


「今の猪? 私初めて見た」

「あんなに大きいんですね……」


 いつのまにか俺の横に来て穴の下の様子を見ていた二人がそう述べた。

 俺も猪を見るのは初めてだが、あんなに大きいはずがない。

 なにかしらの原因があって、あそこまでの巨体を手に入れたのだろう。

 鈴鹿の言っていた三階建てと同じくらい大きい熊の話も、あながち間違いではないのかもしれない。


「そういえば野犬も乗用車くらいの大きさがあったな」

「ええ! そんな大きいの?」

「ああ。遠くで見ているだけでこちらには来なかったが。不思議と敵意は感じなかったな」

「でも噛まれたら危ないですよね……?」

「まあ危ないというか、死ぬだろうな」

「し、死ぬ……」


 出会えば即死しかねない獣が外をうろついているのだ。

 珠子の顔が蒼白になってしまうのも仕方がない。


「とりあえずここは安全だろう。さっきのヤツが五メートルくらい垂直ジャンプができたら話は別だが」

「流石にそれは無理でしょ。ていうか早く片付けないと。暖房効いてるから冷凍のやつ溶けちゃうよ」

「せっかく集めた物がダメになるのは悲しいしな。片付けるか」


 百はくだらない数の籠がエスカレーターの周辺に並べられている。

 さっきの猪に荒らされる前に集めることができて本当に良かった。

 これだけあれば、ハーレム要員が増えても余裕で養っていける。


「あ、じゃあ私と恭平で片付けするからさ、たまちゃんはご飯作っといてよ。私お腹空いた」

「そうだな。珠子、任せても良いか?」

「は、はい! 任せてください!」


 珠子がはりきった表情で頷いた。

 料理学校に通っていたのなら、さぞかし美味い飯が食えそうだ。


 エレベーターにはカートが四つ乗る。

 一往復で籠が十二個は片付けられる。

 十往復もすればすぐに片付きそうだ。

 

 九階にあるイタリアンレストランの大型冷凍庫は二つあり、一つは既にいっぱいになっていた。

 レンジ調理のものや冷凍野菜、アイスやピザやうどんにそばなど。

 冷凍食品がこれだけあれば、一年は余裕で食べていけそうだ。


 レストランの厨房は作業台やカウンターの下にも冷蔵庫があり、収納スペースは多そうだった。

 珠子が手際よくなにやら料理を作っている横で、俺たちはひたすら運搬作業をした。


 ある程度冷凍肉や冷凍魚が集まると、今度は収納をしなければいかなくなり、分担して作業をすることに。

 冷凍庫に詰める作業を鈴鹿に任せ、俺は籠の運搬をする。

 冷凍肉や冷凍魚は全部で四十籠近くあり、かなりの量になった。


 運搬の途中で九階にある中華レストランの冷凍庫へ寄り、冷凍ホールケーキを隠しておく。

 あとでサプライズをするのだ。

 チーズケーキは食後のデザートですぐに食べられるように、冷凍庫から出して解凍しておく。

 鈴鹿は喜んでくれるだろうか。


 冷凍品の運搬が終われば、次は米や小麦などの冷蔵庫に入れない物だ。

 一階にはまだまだ籠が残っている。

 とりあえず全て運んでしまおう。

 カートに乗せたままの状態でレストランの外側に並べておけば、あとは自由にやってくれるだろう。


 それにしても、もの凄い量の物資だ。

 まだまだバックヤードに物資はある。

 きっとまた集めるのは大変だと思うが、とてもありがたいのも事実だ。

 あの猪が居ない隙に集めてしまいたいが、そう簡単にはいかないか?


 俺が集めた物資の籠は、合計で三百を超えるほどあった。

 午前中から夕方までひたすら籠に詰める作業をやっていたのだから、それくらいの量にはなるか。


 籠を全部運び終えたタイミングで、珠子から「ご飯ができましたよ」と声がかかった。

 イタリアンレストランのソファ席には、白米に味噌汁、サバの味噌煮に豚のしょうが焼きがあった。

 いっそのこと暴力的とも言えるくらい良い匂いが、俺の鼻と脳と胃をガツンと殴りつけてくる。


「お、おお、これは、すごい」

「でっしょー! たまちゃんの料理の腕はプロだよ、プロ。味見したけどめちゃくちゃ美味しかったもん」

「あ、味見? ずるいぞ……」

「至近距離で良い匂い嗅がされるだけとか、なんの拷問だよって。あ、でもメイン料理は食べてないよ? 味噌汁だけ」

「ほら、お二人とも、冷める前に食べてしまいましょう。今日はお肉とお魚どちらが良いのかわからなくて両方作っちゃいました」

「ありがたい、これはありがたい……。いただきます」

「いただきまーす! 久しぶりの、お肉!」


 サバは柔らかく煮込まれており、箸で簡単に身がほぐれた。

 白米の上に乗せ、その純白を味噌の茶色で染めていく。

 サバの身だけを口に入れれば、甘じょっぱい味が広がり、生姜や酒の風味が微かにしつつ、濃厚な旨みが広がっていく。

 そこへ汁を吸って茶色く染まった米をかきこめば「ああ、これだよ」と勝手に言葉が出てくる。


「美味い。美味いとしか言えない。珠子、手を」

「手? 手ですか? こうで良いですか?」


 出された右手をしっかりと両手で握る。

 尊いものを壊さないように優しく握り、神仏を拝むかのように頭を下げる。

 神さま、仏さま、珠子さま、だ。


「ありがとう。本当にありがとう。食事をこんなに美味いと感じたのは本当に久しぶりだ」

「そんな、大げさですよ。それにこの食料は恭平さんが集めてくれたんですから」

「いや、料理を作ってくれた珠子のおかげだ。見ろ、鈴鹿を」

「え? 鈴鹿さんですか? ってどうしたんですか!?」


 鈴鹿は目を閉じ、涙を流しながら咀嚼をしていた。

 手には豚のしょうが焼きの入った皿が持たれている。


「う、うう……。美味しい……美味しいよお……」

「鈴鹿さん、ほら、泣かないで食べましょう?」

「食べてるよお……美味しいよお……! お肉美味しいいい……!」


 泣きながらも鈴鹿の箸は止まらない。

 そんなにがっついてバクバク食べるとは、なんて勿体無い真似を。

 俺はサバを大事に大事に食べていく。

 一口ずつ噛み締めて食べるのだ。


「うう、足りないよお……。恭平お肉食べてないから私が食べるね……」

「おい待てこら。鈴鹿お前それをやったら戦争だぞ」

「食べてないんだから良いじゃん! 冷める前に食べてってお肉ちゃんが言ってるんだよ! いただき!」

「ああ! お前! なんてことすんだ! 二枚も持っていきやがって! 返せ!」

「あはっ、美味しーい!」

「ちくしょう! 戦争開始だ! 俺はサバを貰うからな!」

「あ、うん。食べて。私サバ苦手なんだ」

「ええ? こんなに美味いのに。サバを食べないなんて、人生の半分は損してると言っても過言じゃないぞ」

「損してないから大丈夫」


 サバは完全栄養食品なのに。

 これさえ食べていれば健康優良児間違い無しだというのに。

 まったく、理解に苦しむ。


「お二人とも、食事中は静かに行儀良く食べましょうね」

「あっはい」

「すません」


 笑顔で圧力をかけてくる珠子に諭され、俺と鈴鹿は大人しく食事を再開した。

 鈴鹿がサバを皿ごとくれたので、俺もしょうが焼きを全部あげることで戦争は終結した。


 少しは食べたいと思っていたしょうが焼きは、珠子が一切れくれたのでありがたくいただいた。

 こちらもサバと同様もの凄く美味しく、ご飯に良く合う素晴らしい味だった。

 味噌汁も具が乾燥わかめと()だけだったが、出汁のとり方が上手いのかとても美味しくいただけた。


 食事を終え食器を片したあと、珠子の注いでくれた緑茶を飲みつつまったりとしていた。

 サプライズのチーズケーキを取りに行くため、二人に待っていてくれと告げ中華レストランへ向かった。

 ケーキは紙箱の中に入っているのでどうなっているのかはわからないが、常温で二時間も放置しておけば解凍されているだろう。

 

「ほら、鈴鹿。食べたいって言ってたものだ」

「ん? なにこれ……って、『OTL』のチーズケーキじゃん! 恭平、どうしたの、これ!?」

「下で見つけたんだ。驚かそうと思ってな。隠してた」

「なんで隠してたの! 開けて良い?」

「ああ、好きにしろ」


 鈴鹿が割れ物でも触るかのように、丁寧に紙箱を開けていく。

 ホールのチーズケーキは上下で違う色をしていた。


「ドゥーブルフロマージュだあ!」

「わあ、美味しそうです。飲み物は紅茶で良いですかね?」

「あ、俺の分はいい。二人で分けてくれ」

「恭平! なんで食べないの!? チーズケーキだよ!?」


 わかっているけど、チーズケーキだからなんなんだろう?


「俺は甘いものはそこまで得意じゃないから。美味しいものは美味しいと思える人が食べれば良いんだ」

「でも、私が美味しいと思うものを、恭平にも美味しいと思ってもらいたいよ?」

「じゃあ鈴鹿、お前サバ食うか? 俺が美味しいと思っているものだぞ」

「ああ、うん、無理。じゃあチーズケーキ食べるね。たまちゃん! 一緒に食べよう!」

「ふふ、わかりました。私、紅茶用意してきますね」

「ゆっくり食べると良い。俺は風呂に入る」

「いてらー。チーズケーキ、チーズケーキ!」


 きっと俺にとってのサバが、鈴鹿にとってのチーズケーキなのだろう。



 珠子から軽く説明を受け、風呂へと向かう。

 先に四階の紳士服売り場で下着や寝間着を回収していく。

 新品の物も多くあり、まだまだ洋服には余裕がありそうだった。


 六階のショールームの一つに風呂はあった。

 風呂と言っても目隠しで囲われた浴槽が二つ並んでいるだけの物だ。

 一つはお湯が張られていて、もう一つにはお湯が張られておらず、ホテルなどにある防水カーテンが取り付けられていた。

 この空の浴槽で体を洗い、それからお湯の張られている方に浸かるのだと珠子から教わった。


 浴槽は少し高いところへ設置されていて、その下から出ている排水管がトイレまで延びていたので、床が水浸しになることはなさそうだった。

 体と髪を洗い、お湯の張られている浴槽へ体を沈める。

 浴槽脇には電気給湯器が設置されていて、浴槽内の湯は常に温かい温度に設定されている。

 湯に浸かっていると、体から疲れがじんわりと溶け出ていくような錯覚を覚える。

 

 いろいろな考えが頭の中に浮かんでくる。

 それは今日の出来事が大半を占めていた。


 あの猪は邪魔だ。

 地下にはまだまだ物資がある。

 それらの回収作業中にアレと遭遇したら死にかねない。

 何とかして排除がしたい。


 ではどうするか?

 エスカレーターの穴を使った地の利を活用するべきだ。

 上から物を落とす?

 エスカレーターやシャッターの下敷きになっても平気だったんだ。

 俺が投げ落とせる物程度じゃ傷一つ付きやしないだろう。


 鋭利な刃物を落とす、とかか?

 マキシーンの持っていたクロスボウが欲しい。

 あれはハンティング用だと言っていたし、猪くらいは狩れそうだ。

 通常サイズに限るが……。


 では、矢も大きいサイズにしてしまえばどうだ?

 むしろ、槍……。投げ槍?

 投げ槍で上から一方的に攻撃してしまえば良いんじゃないか?

 原始時代では投げ槍であの猪より大きなマンモスを狩っていたのだ。

 きっと俺にもできる。


 そうとなれば投げ槍作りか。

 固い木を削る? どう作れば良いんだ?

 確か下の階に本屋が入っていた。

 作り方の載った本でも探してみるか。



 風呂からあがり寝間着に着替えて本屋へ向かう。

 今まで着ていた服は籠に入れておいて置けば、明日珠子が洗ってくれるらしい。

 珠子はなんでもできて、本当に偉いと思った。

 俺は洗濯機の使い方すらもわからないから。


 本屋では『原始的武器の作りかた!』なる、俺のニーズにばっちり応えてくれそうな本が見つかった。

 これを持ち九階へ戻る。

 レストランでは鈴鹿と珠子が仲良く話している声が聞こえた。

 二人のもとへむかうと「おかえり」と迎えられたので「ただいま」と返しておく。


「物資の片付けはまた明日にして今日はもう寝るまで自由時間にしても良いか?」

「え、まだ片付ける気でいたの? 私は夕飯までで終わりかと思ってた」

「自由時間で良いと思いますよ」

「そうか。あ、そういえばまだ寝るところを用意してなかったな」

「もう終わらせてありますよ。ベッドを仕切りで囲っただけですけど、でもお布団とかのベッドメイキングは終わらせてありますので」

「そ、そうか。何から何まですまない。助かる」


 珠子の家事能力はとても高くて頼りになる。

 鈴鹿と珠子はもうしばらくここに居るそうなので、先に八階へと戻った。

 安楽椅子とサイドテーブルをベランダに出し、物資の中にあったスコッチウイスキーとグラスをテーブルに置く。

 寝間着だけじゃ寒いだろうから毛布を用意してくつろぎスペースの完成だ。

 

 スコッチをグラスに注ぎ、ストレートで一口。

 スモーキーな香りが鼻から抜けていく。

 煙草が吸いたくなる酒だ。

 初めて飲んだが嫌いじゃない。


 安楽椅子に深く腰かけ本を開く。

 毛布は下半身を覆うようにしている。

 オットマンに足を乗せ、片手で本を開き、もう片方の手でスコッチを飲む。

 なんだか、とても優雅なことをしている気分になる。


 半月だが月明かりはそれなりにある。

 月の光を浴びていると、とてもリラックスできるような気がした。

 酒に酔っているのか、この状況に酔っているのかはわからないが、リラックスができているのだからそれで良いのだ。


 月明かり程度の明るさでも俺の眼なら本の文字が読める。

 投げ槍は投げ槍器というもの使うと、より安定して強く飛ばすことができるそうだ。

 見た目は返しの付いた木の棒で、この返しに投げ槍の尻にあけた窪みを引っ掛けて投げる。

 これは練習しないと当てるのは難しいだろう。


 ベランダから見える景色は暗く、そして静かだった。

 人がこの地球の支配者じゃなくなるだけで、こうも変わってしまうものなのか。

 闇と静寂に包まれた世界は、人間を拒んでいるのだろうか。

 酒と月のせいで、そんなセンチメンタルなことを考えてしまう。


 遠くから野犬の遠吠えが聞こえた。

 たくさんの遠吠えの声は、なんだかもの悲しく聞こえる。

 まるで「どこにいるの? 帰っておいで」と言っているような声だった。

 仲間に訴えかけるようなその声を聞いていると、物悲しい反面、心地よくも感じた。


 野犬の群れにも家族や絆という物があるのだろうか。

 あの白く巨大な犬も、妻や子が居て、それを守ろうとしているのだろうか。


 猪だってそうだ。

 子供が居ないとも限らない。

 ただ邪魔だからと殺そうとして良いのか?


 スコッチをグラス一杯飲み干す頃には結論が出た。

 世界の(ことわり)は弱肉強食へと変わってしまった。

 殺せるものが殺し、殺されたものは食われるだけだ。


 だから俺が猪を殺すことは変わらない。

 俺を殺そうとしたのだ。

 殺されても文句は言えないだろう。


 酒のせいか、頭の中が物騒な考えに支配されていく。

 ただ、この世界ではこの考え方のほうが生きやすいのは間違いない。

 しかし沸々と湧き上がる獣性に身も心も委ねてしまっては、それこそただの獣に成り下がってしまうだろう。

 喧嘩を売られたから殺すなんて、そんなものは獣以下の何かだ。


 俺は人間で、決して化け物では無い。

 だから俺は人として生きるために猪を狩らなければいけない。

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