第十六話 大掃除
メスの名前は細川珠子。兄妹でここを拠点にしているコミュニティに参加したそうだ。
年齢は十九歳。安産型のどっしりとした尻が魅力的だ。
「それで、男の人たちが暴れ出して……こ、殺し合いがおきて……」
「なるほど、だからお兄ちゃんがここに入れて守ってくれてたんだ。良いお兄ちゃんだね」
「はい……うう……お兄ちゃん……」
ひとしきり泣いて落ち着いた珠子から、ここで何が起きたかを詳しく聞けた。
このコミュニティが作られたのはゾンビ発生から二カ月後の八月中旬。
防火シャッターの下りた百貨店は略奪にあうこともなく、綺麗なものだったそうだ。
コミュニティの人数は六十人ほどで、九階にあるレストラン街の食料で食いつないでいたらしい。
そこに別のコミュニティ数十人が避難してきたことからおかしくなっていった。
新参者の人間は軽んじられ、食料が少なくなったのはお前らのせいだ、と外へと物資を漁りに行かされていた。
この百貨店の地下にある食料品売り場は大量のゾンビに占拠されているため、シャッターを閉めて閉鎖していたらしい。
ある時、新参者のうちの一グループが、外ではなく地下街へと物資を漁りに行き、失敗。
シャッターの開いた地下街からゾンビが溢れ出し、百貨店の低層は占拠され、生き残った人々は追い詰められていった。
恐慌状態に陥った人々がお互いに罵り、やがて殺し合いに発展し、そこへゾンビが現れて地獄のようになってしまった。
防火シャッターでも下ろしておけばゾンビはあがってこなかっただろうに。そんな余裕も無かったのだろうか。
珠子は兄にこの部屋に閉じ込められ、四日が過ぎた頃に俺と鈴鹿がやってきたそうだ。
幸いなことに、量は少ないが食料も水も部屋にあったらしい。
俺たちは、珠子の閉じ込められた部屋で向かい合って座り、話をしていた。
「さて、それで珠子はこれからどうするんだ?」
「……わかりません。どうしたら良いのでしょうか?」
「どうにかして生きていくしかないよね。恭平はどうすんの? そもそもなんで百貨店を目指してたの?」
「そうだな。まあ堅牢な拠点が欲しいのはあった。ここは良いと思う」
「ですが、もうゾンビに占領されてしまっています。もの凄い量のゾンビがいたんです」
「ああ、その辺は心配ないよ。恭平はゾンビを追い払えるから」
「えっと……? どういうことですか?」
不思議そうにこちらを見る珠子、隣では何故か鈴鹿が得意げな顔をしている。
「俺はゾンビに噛まれないし、ゾンビは俺を避けようと離れていくんだよ」
「それは、何故ですか?」
「知らん。気付いたらそうなっていた。あって便利なものなんだ。それでいいだろ」
「そうそう。恭平といたら安全だし食べ物に困ることなさそうだしねえ。あ、恭平、お腹空いた。食べていい?」
「好きに食え。足りなければもっと持ってくるぞ」
「いや、充分。これ全部食べたらお腹壊しちゃうよ」
鈴鹿がバッグからミカンとパインの缶詰を取り出す。
「他にもあるぞ。それだけで良いのか?」
「うん。やきとりとかは温めたほうが美味しいし」
「ああ、たしかにそうだ」
サバも温めた方が美味いしな。
スパムやコンビーフも焼いた方が美味い。
鈴鹿が割り箸を使い、ミカンを一房ずつ口に入れては幸せそうに笑っている。
果物が好きなのかもしれない。
「あ、あの」
「なんだ?」
なにやらもじもじした様子の珠子が話しかけてきた。
「その、恭平さん、はゾンビに嫌われているんですよね?」
「ああ、そうだ」
「外に出ても襲われないんですよね?」
「そうだな」
「えっと、あの、非常に申し訳ないのですがお願いが……」
「なんだ? だいたいのことは叶えてやれるぞ」
「その、えっと……。お……」
「お?」
「お手洗いに、行きたいです……」
珠子は顔を真っ赤にして俯いた。
まあそれくらいならすぐにでも叶えてやれるだろう。
このフロアにもトイレはあったように思う。
鈴鹿が「ああ、そっかあ」と言った。
「四日も閉じ込められてたもんねえ。でもその間はどうしてたの?」
「ロ、ロッカーに掃除用の布切れがあったので、紙袋にそれを敷いて……」
「ああ、この並んでる紙袋ってそれかあ。あは、ごめんごめん。ゆっくりしておいで」
「うう……」
「あまりいじめるな。デリカシーがないぞ」
「あはっ。つい、ねえ」
羞恥に染まった表情で唸るだけになってしまった珠子を連れて部屋を出る。
「本当にゾンビがいないんですね……」
「下の階にはうじゃうじゃいるだろうけどな。まだ隠れている奴がいるかもしれない。俺にくっついて離れるなよ」
「はい……!」
珠子が左腕にしがみつくせいで若干歩きにくい。
女子トイレの個室ひとつひとつを覗きゾンビがいないかの確認をする。
「よし、大丈夫だな。じゃあ俺は外で待ってるから」
「は、はい。すみません。ありがとうございます……」
待っている間、フロア内の状態を見つつ考える。
ここをより良い空間に変えるのが今後の目標だろう。
メスの居心地を良くし、ここにいたいと思わせるような、そんな住処にしなければいけない。
今の状態は決して良いとは言えない。
大量の血、汚物、人の死体にゾンビの死体。血で汚れていたり壊れていたりする家具。
これらの掃除をしなければ、新たなメスは迎え入れられない。
下の階に逃げていったゾンビも追い出さなければ。
やることはたくさんある。
腕時計を見れば短針が一二の数字を指している。
今からじゃ明日の朝までかかっても終わらない。
ゆっくりと寝て、明日の朝一で始めれば良いだろう。
今日はいろいろなことがありすぎた。
「お待たせしました……。ありがとうございます。助かりました」
「いや、いい。明日には俺が付き添わなくてもいいようにしておくから、少し待っててくれ」
「え? あ、はい」
不思議そうに見てくる珠子が、何故そのような顔をするのかがわからない。
何かおかしなことを言ったのだろうか?
「なんだ?」
「いえ、あの、私、ここに居ても良いのでしょうか?」
「ん? 居たくないのか?」
「いえ、違います。そうじゃなくてですね」
珠子は手をぶんぶんと横に振る。
ハーレム要員として数えていたが、まさか珠子は俺に魅力を感じていない?
それはまずいな。
俺はメスを集めなければいけないのだ。
明日、ゾンビを追い出すついでに俺のアドバンテージを理解してもらうしかないな。
とりあえず珠子にはすぐにここを出て行こうという気にならないように気を使わなくては。
「俺はお前に無理強いはしない。ここに居たくないなら出て行っても構わない。だが、ここに居ると言うのならば、俺はお前を全力で守り、決して危険な目にはあわせないと誓う。ここに居てくれるか?」
「あ、あの、あの、はい。不束者ですが、よろしくお願いします……」
珠子が顔を赤くしてもじもじとしている。
なんでそうなる?
何か勘違いしているだろう、これ。
まあ、都合は良いか。このままにしておこう。
ふわりと強烈な芳しい匂いが珠子のスカートの裾から流れ出てくる。
この布をめくり上げ、直接匂いを嗅ぎたくなる衝動を必死に抑える。
俺は獣じゃないんだ。
「よし、じゃあ戻るぞ」
「はい! よろしくお願いします!」
俺の腕をギュッと抱きしめる珠子。
柔らかい感触を腕に感じ……なかった。
俺の着ているプロテクタースーツは、ちょっとやそっとの衝撃は通さない。
それは、固くても柔らかくても同じだ。
珠子を帰し、その辺にあった比較的綺麗なマットレスを三つほど部屋へと運び入れる。
邪魔な紙袋を窓から投げ捨ててやったら、珠子が「ああ……!」と悲痛な叫びを上げた。
下のことは気にするな。
俺は外で寝ても良かったが、寝ている間に万が一のこともある、と二人から部屋内で寝ろと言われたのでそれに従った。
部屋はマットレスを三つ並べるだけで精一杯な広さだった。
ドアのすぐの場所に俺、真ん中に鈴鹿、窓際に珠子の順で並び、寝ることになった。
「あー、お風呂入りたい。ねえ、たまちゃん。お風呂入りたいよ」
「私もです……。六階にいくつもショールームが入っていて、そこのお風呂を改造してもらって私たちは使っていました」
「え、嘘。ほんとに? 恭平、明日ゾンビ追い出すよね? 私お風呂入りたいんだけど」
「……追い出すから……はやく寝ろ……」
「やった。約束だよ? 私もう三日お風呂入ってなくてヤバイんだから」
「約束する……。良い匂いだから、寝ろ……」
「え、うん。わかった」
明日はいろいろとやらなければいけないのだ。
まだ鈴鹿が何かを言っているが、もはや何と返しているのかもわからない。
意識がだんだんとまどろんでいく……。
腹をもぞもぞと何かが這う感触で目が覚めた。
まさかゾンビかと目を開くと、鈴鹿が俺の上に重なるようにして寝ていた。
その手は俺の着ているシャツの下に潜り、腹を撫でている。
「あ、起きちゃった? 寝ているうちにお礼しようかと思ってたんだけど」
「お礼? ああ、別にいいって言ったろ」
「ええ、でも悪いからさ。感謝の気持ち的な」
「気持ちだけで充分だ。ほら自分とこ戻って寝ろ」
「ええー。せっかく人がしてあげようかと思ったのに。なんか怪しくない?」
「気分じゃないんだよ。寝てくれ」
「へーい。なんだよなんだよ。本当はインポなんだろー」
「聞こえてるぞ。はやく寝ろ……」
「ちぇー、まったく、乙女心を傷付けやがって。たまちゃんもそう思うだろー。起きてんのはわかってんだからなー!」
「ええ、ちょっと鈴鹿さん、やめてください……! 私寝てました!」
「うるせー! このムッツリ娘が!」
「ム、ムッツリ!? 訂正してください!」
頼むから静かにしてくれ……。
あれからなにごとも無く朝を迎えることができた。
二月の朝はとても寒いが、幸いなことにこの百貨店の空調は生きているらしく暖かい。
窓の外は白く染まっている。どうやら雪が降ったようだ。
静かに部屋のドアを開け外へ行く。
このフロアにゾンビは戻ってきていないようだ。
足音も下の方の階からしか聞こえない。
使えそうな物資がまとまっていたので漁る。
新品のタオルに歯ブラシ、髭剃りもあるのはありがたい。
三人分のタオルと歯ブラシを持ち部屋へと戻る。
ドアの音に気がついたのか、二人がもたもたと起き上がった。
「ううん、うん? あ、おはよう……。恭平、早いね……」
「おはようございます……」
「ああ、おはよう。窓の外見てみろ。すごいぞ」
「ええ? 外? うわ、寒そう……」
「雪ですね……」
そこまで嬉しそうじゃない。
おかしいな。雪ってこの場所じゃ降るのが珍しいのに。
テンション上がりそうなものだけど、俺と二人じゃ感性が違うのか。
「顔洗って歯を磨いたら飯にしよう。ほら、起きた」
「うええ、もっと寝てたいよお」
「起きますよ、鈴鹿さん。ほら、立って」
「うえええ」
鈴鹿は朝に弱いようだ。
それに引き換え珠子は起きたばかりだというのにしゃきしゃきと動く。
この違いはなんなんだろうな。
最終的に珠子が嫌がる鈴鹿を引きずるようにしてトイレへと向かった。
ゾンビの姿も見えないので大丈夫だとは思うが、万が一があるといけないので俺も一緒に女子トイレの洗面所で顔を洗い歯を磨く。
無精髭が生えていたので全て剃ると、だいぶスッキリした。
髭の似合う男になりたい。
以前髭を伸ばしたときには似合わないと……。
髭のことはいい。朝食を何にするか考えよう。
「うわ、恭平、爽やかイケメンになったね」
「怖い感じがなくなりました」
チンピラ時代は髭を生やしていたからな。
無精髭が生えているとチンピラのように見えてしまうのだろう。
朝食はカセットコンロとフライパンがあったので缶詰を温めることにした。
というよりも缶詰とつまみ以外食うものがなかった。
缶詰の鶏レバー、ベーコン、やきとり、ひよこ豆、グリーンピースをフライパンに全部入れる。
これにチキンタイカレーをいれて弱火で混ぜる。
カレー風味の炒め豆だ。
「うわあ、良い匂いだけど、本当に美味しいの、それ?」
「見事に缶詰ばかりですね」
「美味いかは知らん。味の系統的になんとなく合うだろ」
「あ、この豆私知ってる。ガンバルゾでしょ?」
「頑張るぞ?」
「これ、この鳥みたいなの。ガンバルゾーっていうんでしょ?」
「鈴鹿さん、ガルバンゾですよ」
「そうそれ。ガンバルゾー」
「ガルバンゾです」
「今日も一日ガンバールーゾー」
鈴鹿が変な音程をつけて言い出した。
「何でも良いから早く食え。意外とイケるぞ。口直しにフルーツ缶もある。デコポンと不知火だ」
「描いてある絵、一緒じゃん」
わかってないな。
デコポンのほうが甘く、不知火の方が酸味が強い。
俺は不知火の方が好きだ。
騒がしい朝食を終えると、いよいよ掃除の始まりだ。
二人には部屋に残ってもらい、俺一人で行く。
この百貨店には上下の移動手段が、エレベーター、中央エスカレーター、西階段、東階段と四つある。
ゾンビを残らず追い出すためにそのうちの三つをまずは潰す。
屋上十階のエレベーターホールの防火シャッターを下ろす。
次にエレベーターで九階に下り防火シャッターを下ろす。
これを一階まで繰り返す。
一階に下りたら正面玄関のシャッターを一箇所開ける。
それからエレベーターまで戻り防火シャッターを下ろし屋上へ。
屋上のエレベーターホールの防火シャッターも下ろせば、もうここは進入経路にならない。
次に西階段。
これもフロアごとにある踊り場の防火シャッターを下ろしながら一階まで行き屋上へ戻る。
結構ハードな運動だが全然苦じゃない。
階段を二段飛ばし三段飛ばしで駆け上がったが息も切れなかった。
とんでもなく体力が増えている。
東階段も同じように終わらせてから、二人の居る部屋まで戻る。
「あ、おかえり。終わったの?」
「ああ。あとは屋上から追い込めば勝手に玄関から出て行くだろう。多少は出て行ったみたいだが、まだ残っているからな」
「あの、本当に私たちも行かないとダメなんですか?」
「そうだな。万全を期すなら二人は一緒の方が良い。ここに二人が居るとゾンビが変則的な動きをして上手く追い出せないかもしれないからな」
本当は二人に俺の力を見せつけて、俺の魅力を伝えるためだが、そんなことを正直に言う必要は無い。
両手に花の状態で屋上を歩く。
屋上は半分にソーラーパネルが設置され、もう半分が庭園になっていた。
池まであり、果樹なども植えてある。
ただ、今は雪で覆われており、一面真っ白だ。
雪は好きだ。わくわくする。
二人には不評なようだが。
太陽が出ていれば溶けて無くなるんだろうけど、あいにくの曇りだ。
「へえ、屋上は初めて来たけどすげえな。ここで養殖できるんじゃないか? 鯉とか」
「鯉なんて泥臭くて食べられなさそう。レンコンとかの方が良いんじゃない?」
「ハスだっけ? 本でも読んで育てる方法探してみるか」
「あそこの一角には畑を作ったんですよ。私も参加しました」
「へえ、畑か。田んぼでも作る?」
「作り方わかんないでしょ」
いろいろと喋りながら屋上を歩く。
ゾンビが潜んでいそうなところは、どんな死角でもチェックしていく。
屋上の売店のロッカーや、ベンチの下、水の中も。
「屋上は大丈夫そうだな」
「早く下に行こう。ここ寒い」
「そうですね。冷えてきました」
そう言って二人は身震いをした。
俺はそこまで寒さを感じなかったが、男女では体感温度が違うのだろう。
止まっているエスカレーターを下りて九階へ。
「これエスカレーターって閉鎖できないよ。どうすんの?」
「こうすんだよ」
エスカレーター脇にあるパネルを開きボタンを操作する。
すると屋上のフロアの床からシャッターが伸び、エスカレーターを包み込んでふさいだ。
これで上下のエスカレーター両方ともがふさがった。
「す、すごー。なにこれ。エスカレーターってシャッターあるの?」
「ここの東部百貨店はな。西部は知らん」
前に市の広報だかなんだかで見た気がする。
適当にパネルをいじったが閉じることができて良かった。
やり方なんて知らなかったが、緊急時に動かないんじゃ防火シャッターの意味は無いしな。
九階もゾンビを隅々まで探すが見当たらなかった。
トイレの個室から冷蔵庫の中、従業員のロッカーまで漏れなく探したから大丈夫だろう。
八、七、六階と何もなし。
ゾンビは相当俺のことが嫌いなようで、遥か下の階に逃げてしまったようだ。
ちなみに七階はスポーツ用品店とアウトドア用品店で、六階には家電やショールームなどの店が多くあった。
五階につくとゾンビが数匹ウロウロしていた。
しかし俺の姿を確認すると、エスカレーターをすごすごと降りていった。
「す、すごい。本当に逃げて行きました」
「でしょー? 信じてなかったの?」
何故か鈴鹿が得意げだった。
「このまま残さず追い出すぞ」
だんだんとフロアにいるゾンビは増えていくが、残りの階も全て終わらせた。
五階に生活雑貨と本屋、四階は紳士服と婦人服、三階は一フロア丸々婦人服、二階がバッグや貴金属などのアクセサリーがメインで、一階が化粧品売り場だった。
一階の正面玄関は、ゾンビが列を成して退店していく姿が見れた。
まるで、バーゲンセールが終わったあとのようだ。
二人もそんなゾンビをなんとも言えない表情で見ている。
「私恭平と出会えて本当に良かった。何も怖いもの無いじゃん」
「そうですね……。ゾンビに襲われないというだけで、こんなに安心できるなんて……」
よしよし。俺の魅力は充分に伝わったようだ。
これで二人が俺のハーレム要員になるのは間違いないな。




