第十一話 目覚め
人の声がする。
「ミカ、コレ持ってきたヨ」
「ありがとう、マキシーン。この点滴って病院にあったの?」
「小さい『hospital』探しマシタらあったデス」
「ごめんね、一人で危ないことさせちゃって」
「That's just fine.もう慣れっこデスね」
美香とマキシーンの声だ。
起き上がろうとするが、体が動かず目も開かない。
「これ、やり方どうするんだろう。静脈に刺すんだよね」
「ワタシわからないデス。コレとコレを一緒にするマス?」
「あー、このチューブとこの変な筒が繋がってるの見たことあるかも。たしか上に吊るしてた」
「やってみるマス」
「恭平ごめんねー。腕チクッとしますよー、っと。うわっ!? 血! 血が吹き出てきた!」
「ヘイ、ミカ! 押さえるヨ! それから出てるマス!」
「うわ、うわ、ごめん、恭平、ごめんね! うわわわ!」
意識が遠くなっていく。
腹が減った。
「えー! じゃあマキシーンがあの本の作者だったの!?」
「Yah. Isn't this cool?」
「うん、クールクール! 私あの本持ってるよ! サイン貰っちゃおっかな」
「Oh. Thank you for that!! ワタシ、嬉しいデス」
良い匂いがする。
「でも実際にゾンビだらけになってどう? あの本の内容通用する?」
「『It depends』デスね。日本は銃がないデス。ワタシの国はそこらにあるマス。だからコレは音しないだったね」
「クロスボウが? 結構大きい音するけど?」
「それデス。日本静か過ぎるマス。銃声に比べるマスと音はないだったデス」
「銃社会の弊害ってヤツかな」
新鮮な、肉がいる。
「あれ? 恭平動いた?」
「んー、動いてないデスネ。それより、ミカ」
「え? なに?」
「ワタシ『friend』助けるしに行くマス」
「一人で? 友達は危ないところにいるんじゃないの?」
「だからネ。ミカはキョーヘイから離れるできないデス。『friend』は早くしないと死ぬマス」
食いたい。
「……うん、ごめん。そうだね。私も行ってあげたいけど、恭平を放っては行けない」
「Don't worry, it's alright」
「気にするなってこと?」
「ワタシはヘーキなのデスから、ミカ元気なるネ」
「うん、ありがとう。危なくなったら逃げるんだよ?」
「ワタシ『Zombie survival』の『specialist』ネ。誰よりも強いヨ」
「あはは。確かにスペシャリストでプロフェッショナルでエキスパートだよ」
「Yeah! I'm tough!! Zには負けるないデス」
肉。
食いたい。
「恭平、マキシーン行っちゃうよ。ほら、挨拶しないと。起きてよ」
「ミカ、寝てていいネ。じゃあ準備したらワタシ行くマス。必要なものあったら今持ってくるマス?」
「ううん、平気だよ。ここまで良くしてもらっちゃったし、これ以上は悪いもん。あとは自分で何とかするから」
「ミカ、『I hope to see you again』。また生きて会うネ」
「うん、約束する」
肉……違う、美香だ。
何を、考えているんだ。
美香……。
美香、食う。
違う。
しっかりしろ。
ゾンビになりたくない。
腹が減った。
美香……。
何かが体を触っている。
「恭平、綺麗にしようねー。布団かけすぎちゃったかな。汗凄いや」
暖かいものが体に触れている。
「もう十月だから寒いかなって思ったけど、まだまだあたたかいね」
美香の声がする。
「マキシーン帰ってこないね。生きてるといいけど」
マキシーンって誰だ。
「恭平、いつ起きるの? もう二週間も寝てるよ。早く起きてよ」
思考が、まとまらない。
音がする。
「ちょっと! ここではやめてよ!」
「ヘッヘヘ。旦那の前でってのも興奮するなあ~。良いっしょ、美香さ~ん」
「ダメ。早く服を着て」
「チェ。ま、いっか。じゃあ俺の部屋行こうぜ~」
男の声と、美香の声だ。
「つーか生きてんの? これ。もう何ヶ月寝てんの?」
「……いいから早く行きましょ。あんたの部屋」
「う~い。久々だからめっちゃ出ちゃうよ、俺~」
誰だ。
美香、そいつは、誰なんだ。
痛い。
体がもの凄く痛い。
なんだこれは。
俺に何が起きた?
喉が張り付き、息がしにくい。
「……ぐ、が、は」
「えっ!? 恭平!?」
「み、か……」
「恭平! 嘘! 恭平!!」
喉が痛い。
というより全身痛い。
目開けると美香がいた。
何が起きた。
ここはどこだ?
「こ、こは?」
「ちょっと待って! まず水飲んで!」
「あ、あ」
美香に支えられて体を起こす。
ここが誰の部屋かはわからないが、いつの間にか布団で寝ていたようだ。
差し出されたコップを受け取る。
飲み込もうとしたが喉がうまく機能せずむせ込んだ。
「恭平、慌てないで。ゆっくり飲まないと」
「わか、った」
返事をするも掠れた声しかでなかった。
ゆっくりと喉の動きを意識して水を飲み込む。
水の温度もぬるめで飲みやすい。
体に染み渡るようだ。
「ふう……。ありが、とう、美香」
「ああ、恭平……良かった……」
抱きついて来る美香の背に手を回すも全く力が入らない。
俺の腕が、枯れ枝のように細くなっていた。
抱きついている美香の肩を掴み体を離し、その泣きはらした顔を見つめる。
ガラガラになった声でゆっくりと「美香、説明してくれ」と尋ねる。
「俺に、何が、起きた? ここはどこだ?」
「……わかった、驚かないで聞いてね」
「ああ、努力する。ただ、ごめん。もう一杯水を貰っても良いかな」
「いっぱい飲んで」
美香から貰った二杯目のコップを飲み干す頃には、声の調子も戻ってきていた。
この痩せ細った腕がどうしてこうなったのかをはやく聞きたい。
どうにも記憶が曖昧だ。
「ゾンビに噛まれたのは覚えてる?」
「ああ、腕を噛まれたな。あれ、傷が治ってる?」
「うん。じゃあマキシーンは覚えてる?」
「マキシーン? ……ああ。覚えているよ。薬をくれた。その辺りからの記憶があやふやみたいだ」
頭の中の記憶がミキサーをかけられたみたいにバラバラになっていて、うまく繋がらない。
「ああ、そうだ。試薬段階とか言っていたけど、ゾンビになっていないから薬はちゃんと効いたみたいだな」
「うん。それで、安全地帯を探してマンションを探索したのは覚えてる?」
「いや、その辺はあまり記憶にない。ということはここはそのマンションの一室?」
「うん、そうだよ。ここに辿り着いてすぐに、恭平は寝ちゃったの」
薬の副作用か。
ゾンビから治ることのできる薬なんだから、それくらいの副作用があってもおかしくないか。
むしろその程度で済んで良かった。
「それで、恭平はその日から、四ヶ月くらい眠ってたの」
「は?」
「今は二〇一九年、一月二十日だよ」
「え?」
理解が追いつかない。
俺たちが避難所に移動をしたのが九月二十何日かだ。
それから四ヶ月以上が経っている?
そんなバカな。
「四ヶ月も寝たきり? 嘘だろ?」
「ううん、嘘じゃないよ」
「病院でもないのに、生きられるわけがないよ。四週間の間違いじゃなくて?」
「うん、間違いじゃない」
「栄養とかは水分は……この点滴か」
手の甲に刺さった点滴の針を撫でた。
ふと気になったので下腹部を触る。
ゴワゴワとした感触。
「え、嘘だろ。まさか、俺、美香にオムツ替えてもらってたの?」
「うん。別に平気だったよ」
「俺が平気じゃないよ……。ごめん、そんなことまでやらせて……」
「ううん。私の方こそごめん。点滴じゃ栄養が足りないみたいで、恭平がどんどん痩せていっちゃって……」
点滴の中身はスポーツドリンクとほぼ一緒だと聞いたことがある。
一日に二リットル飲んだとしても、基礎代謝よりかは確実にカロリーが少ない。
「俺、良く生きてたな。ありがとう、美香。たぶん美香がいなきゃ死んでた」
「私の方こそありがとう……! 生きててくれて、ありがとう……!」
再度抱きついて来る美香を受け止めるだけの力はなく、そのまま倒れてしまった。
美香の頭をポンポンと撫でていると、インターホンがなった。
「誰だ? 俺たちのほかに人が?」
「えっと、あ、たぶんマキシーンかな。ちょっと約束してたから。出てくるね」
「ああ、そっか。いってらっしゃい」
慌てて出て行く美香を見送る。
マキシーンにもお礼を言わないとな。
俺がゾンビにならずにすんだのはマキシーンのくれた薬のおかげだ。
そんな貴重なものをくれるなんて、いくら感謝をしてもし足りない。
座って待っていたが一向に美香が戻ってこないので横になる。
窓の外はどんよりと曇っていて一雨降りそうだ。
「遅いな、美香」
マキシーンの部屋に何かを取りに行ったのかもしれない。
少し疲れたので目を閉じると、だんだん意識がまどろんでいった。
「ん……? いい匂いがする……」
「あ、恭平、起きた?」
「美香……。ごめん、また寝てたみたいだ」
なんとか布団から体を起こす。
外は既に暗くなっており、部屋には電気がついている。
さあさあと雨の降る音が聞こえた。
美香はテーブルに手に持っていたお盆を置いた。
いい匂いがする。
「寝てても大丈夫だよ。それよりお腹減ってるよね。ご飯用意したけど食べられそう?」
「ああ、ありがたい。お腹と背中がくっつきそうだよ」
本当にそれくらいぺたんこになってしまっている。
美香が用意してくれたのは、柔らかく煮られた魚と米。
この匂いはサバかな。俺の大好物だ。
「レトルトのお米とサバ缶を一緒に煮た特製おかゆだよ。恭平、普通のおかゆ嫌いだから」
「味のしない米は食べられないんだ」
梅を入れようが塩を入れようが卵を入れようが、あれは食べられない。
「食べさせてあげよっか?」
「いや、大丈夫だよ。茶碗くらいは持てるって」
「遠慮しないでよ。ほら、あーん」
「はは。じゃあ、あーん」
美香の差し出したれんげを口に含むと、瞬間的に美味いという感情が脳みそに走る。
しょっぱい、少し甘い、サバのコクに味噌の香り。
これは、臭い消しで生姜が使われているのか。
「美味い……。体中に染みていくよ、サバが」
「たんぱく質を取らないとね。ゆっくりちゃんと噛んで食べてね。胃がびっくりしちゃうから」
「わかった。もう一口ください」
「ふふ、はい、あーん」
「あーん」
いくらでも食べられるな、これは。
なんて思っていたが、たったの八口でお腹がいっぱいになってしまった。
「くそ、もっと食べたいのに食べられない」
「また後で食べればいいよ。お腹が空いたら暖めなおしてあげるから」
「ああ、ありがとう。助かる。それと、お願いがひとつあるんだが」
「なに?」
「トイレに連れて行ってくれないか。とても歩けそうにない」
さすがに意識があるのに美香にオムツを変えられるのは、ツラい。
美香の献身的な介護を受けて一週間が経った。
俺の体は足りなかった栄養を貪欲に吸収しているらしく、だいぶ肉付きが良くなった。
こんなに早く肉がつくなんて、人間ってのは不思議だ。
生存本能のようなものが失ったものを補おうとしているのだろうか?
まだフラつくが一人でも歩けるようになっている。
一人でトイレに行ける幸せなんてものがあるとは知らなかった。
美香は、一人で探索に行っている。
俺もついて行きたかったが、まず間違いなく足手まといになるだろう。
なので大人しく部屋で待っている。
マキシーンにも会いたかったが、ここ一週間はこちらに現れず会えていない。
ここからマキシーンの部屋に行くには、他の部屋の鍵が四つは必要だから、こちらからは会いにいけない。
目覚めてから、腹が異様に減るようになっている。
今も美香が探索で持って帰ってきてくれたコンビーフを焼いて食べている。
一日に何食食うんだと怒られないかヒヤヒヤしているが、美香は体が栄養を求めているんだと納得してくれた。
早く俺も探索に出て、自分の食う分くらいは見つけないとだ。
夜、美香が探索を終えて帰ってきた。
「恭平、ただいま。これ見つけてきたよ」
「おかえり。これってなんだ?」
美香がリュックからビールを取り出した。
テーブルの上に並べられていくそれらを見て、喉がごくりと鳴った。
「なんてこった、美香、これは凄いぞ」
「えへへ、恭平が喜ぶかなって思って持ってきたんだ」
「うん、凄く嬉しいけど、病み上がりで飲んでいいものなのか?」
「良いんじゃない?」
美香の許可がでたのでビールの蓋をあける。
カシュッと小気味良い音がして魅力的な匂いが漂う。
美香も同じようにビールを持っていたので、軽くコンと当てて「乾杯」と言う。
「恭平が目覚めたことに乾杯だね」
「美香が今日も無事帰ってきてくれたことにかな」
笑いながら一口飲む。
が、一口じゃ止まらない。
これは、まさにビールだ! おビール様だ!
「やっば、一気に飲んじゃった」
「私も。あー、やっぱ美味しいなあ」
アスパラの缶詰とタコのアヒージョがあったのであたためて肴にする。
俺はともかく美香はすきっ腹に酒だから、胃に良くない。
俺と美香の晩酌は続き、いつの間にかビール十本が消え去っていた。
ボヤーッとする頭で、そういえばと思い出したことを美香に聞く。
「俺さ、たぶんずっと寝てた時に何回かおきてるっぽいんだ」
「へー。記憶にあるの?」
「なんとなくね」
マキシーンと美香が仲良さげに話しているのを覚えている気がする。
「腹が減ったって記憶と、二人が仲良さそうに話してるのがセットになっていてさ」
「んー、恭平がお腹空かして起きるかもってマキシーンと二人で匂い嗅がせてたからかな?」
「そんなことしてたの? じゃあそれだな」
このビールの匂いと缶を開ける音を聞かせれば飛び起きたんじゃないか?
さすがにそれじゃアホか。
「あとさ、なんか知らない男の声がした気がしてさ。誰か来てたりした?」
「ううん。来てないし知らない。夢でも見てたのかもよ」
「そっか。なんか誰だこいつって記憶があってさ。夢だったのかな」
「うん。うなされたりしてたから。その時かも」
夢だったのか。
だったらそれはそうとうな悪夢だな。
「美香がそいつの部屋に行くとか言ってたような気がしてさ。夢で良かったというか、とんだ悪夢だというか」
「うん。他には? 何か覚えてることは無いの?」
「そんなものかなー? 最近になって少しずつ、そういえばって思い出してる感じでさ」
「……そう。そっか、わかった」
美香がビールの缶を見て固まっていた。
どうしたんだ?
「……あのさ、恭平がもう少し良くなったら、駐屯地か避難所に行ってみない?」
「ああ、そうだな。恵理奈ちゃんと優子ちゃん、佐藤くんが無事なら良いけど」
「うん。愛理に結愛もあんなんだから心配だし、様子を見に行って、もし駐屯地に住めるんなら住もう。もう恭平は感染してないんだから、駐屯地にも入れてもらえるよ」
「そっか。行ってみるか。なら早く動けるようにならないとな」
「うん。もうすぐ雪が降りそうだし、できるだけ早くここを出よう」
そう言う美香は、どこか焦ったような顔をしていた。




