492 お風呂場もちょっと変わってたんだよ
階段がある入口のお部屋を抜けるとね、そこにはお客さんを案内する豪華なお部屋とか、みんなでダンスを踊るお部屋があるんだよ。
でもそこははじめっからきれいなお部屋になってたもんだから、何にも工事をしてないんだよね。
って事でそこは素通りして、もっと奥へ。
そしたらその先には、こないだからよく来てるお料理をするとこと、おっきなお風呂があるんだ。
「調理場の視察はこの間済んでおるからよいとして、ルディーン君。工事が終わった後の風呂場は、もう見たのかな?」
「ううん。井戸からお水を汲み上げる魔道具を付けに来てからは見てないよ。だってこないだまで、ほこりがお家の中に入ってきたらダメだからって、入口んとこにおっきな布が貼ってあったもん」
調理場では工事をしてる人たちのご飯を作ったり、僕たちがクレイイールにはどんな味があってるのかなぁって研究とかをしてたでしょ?
なのにお風呂場から工事のほこりが出てきちゃったら、料理人の人たちが困っちゃうもん。
だから通路側のドアにはおっきな布が貼ってあって、そこからほこりが外に出てこないようにしてあったんだよね。
「ふむ。ならば風呂場も視察せねばなるまいて」
という訳で、早速お風呂場の中へ。
「わぁ、服を脱ぐとこがきれいになってる」
そしたらね、お風呂の手前っ側にあったお部屋が、壁や床の板をはりなおして、すっごくきれいになってたんだよ。
それに前来た時はふちっこの方に脱いだ服を入れるかごが何個か置いてあっただけだったのに、今は脱いだ服を入れる棚やクローゼットまで作ってあったもんだから、僕はすっごくびっくりしたんだ。
「ここはメイド見習いや使用人見習いが貴族の入浴を手伝うための勉強にも使うと聞いておったからな、少々手狭ではあるがわしの本宅に近い造りに作り替えさせたのじゃよ」
そっか、ここはロルフさんちとおんなじになってるんだね。
あっ! って事はもしかして、お風呂の中もすっごい事になってるのかも?
そう思った僕は、タッタッタッて走ってお風呂の中を見に行ったんだよ。
「あれ? ここは何にも変わってないや」
でもね、お風呂場の方は前に魔道ボイラーをくっつけた時と変わってなかったもんだから、僕はしょんぼりしちゃったんだ。
だってさ、お金持ちのロルフさんちとおんなじなら、お口からじゃばじゃばお水が出てくるライオンのお顔とかがあるのかなぁなんてって思ったのに。
「どうしたのじゃ、ルディーン君。そんながっかりしたような顔をして」
「あのね、僕、お風呂の中もすっごい事になってるのかなぁって思ったんだ。なのに前に見た時と、何にも変わってなかったんだもん」
「なるほどのぉ。じゃが、ここの風呂は元々広くて立派であったからな。わしらから見ても、特に手直しをする場所が無かったのじゃよ」
そういえば初めてこのお家に来た時、このお風呂は広くて立派だねってロルフさんたちも言ってたっけ。
だったらそのまんまでもいっかって思ったって、全然おかしくないよね。
「それとな、前に訪れた時とはちと変わっておるところもあるのじゃぞ。ほれ、もう一度風呂の中をよく見てごらん」
「変わってるとこ?」
ロルフさんにそう言われた僕は、もういっぺんお風呂の中を見渡したんだよ。
でもね、お外につながってるドアとか魔道ボイラーとかが新しくついてはいたけど、その他は何にも変わってないんだよね。
だから僕、何処が変わってるんだろう? って頭をこてんって倒したんだ。
そしたらさ、そんな僕を見たロルフさんが、見るとこが違うよって。
「先ほども申したではないか。洗い場ではない。風呂の中をよく見てみるのじゃ」
「お風呂の中?」
そう言われてお風呂の中を覗き込んでみたらね、前は全部おんなじ深さだったはずなのに、ちょこっとだけ浅いとこが作ってあったんだ。
「ロルフさん、浅いとこがあるよ!」
「うむ。前のままでは君が湯につかろうと思うと、立ったままか腰をかがめたようにするしかなかったからのぉ。じゃがそれではゆったりと入る事ができぬから、風呂の一部を底上げして浅い場所を作らせたのじゃよ」
そういえば僕たちの村のお風呂や今泊まってる宿屋さんのお風呂も、大人の人が入るように作ってあるから僕はしゃがむようにして肩までつかってるんだよね。
でもそれだと疲れちゃうから、ゆっくりと入っていられないでしょ?
だからロルフさんは、僕んちのお風呂なんだからちゃんと座って入れるようにって浅いとこを作ってくれたんだってさ。
「それにこのような浅い場所があるとな、大人が入る時にも重宝するのじゃぞ」
「大人の人でも?」
「うむ。いきなり深くなっておる風呂とは違い、このような段差があると入るのが楽になるのじゃ」
初めて入るとこのだと、お風呂が思ったより深かったりしたら足を突っ込んだ時にずぼってなってびっくりしちゃう事があるんだって。
でもこんな風に浅いとこがあれば、まずそこに入ってから深いとこに入ればずぼってなってびっくりする事無いもん。
それにね、こういう浅いとこがあるとロルフさんみたいなお爺さんにもいいんだって。
「わしの本宅の風呂にもな、ここほど広くはないが浅い所が作ってあるのじゃよ。そこがあれば、風呂の出入りが楽になるからな」
お爺さんになるとね、足が弱ってくるから深いお風呂に出たり入ったりするのが大変なんだって。
それにね、ロルフさんちのお風呂はつるつるした、すっごく高い石で作ってあるそうなんだよね。
だからお風呂の中に足をかけるとこが無いと、若い人でも滑ってすてーんって転んじゃうかもしれないでしょ?
だからそういう石で作ってあるお風呂のお家はみんな、中に浅いとこが作ってあるんだよってロルフさんは教えてくれたんだ。
「そっか。ロルフさんちのお風呂にそんなのがあるから、僕んちのお風呂にも浅いとこを作ろうって思ったんだね」
「あ~いや、そうじゃと自慢したいところなのじゃが、実を言うとこれを進言してきたのはストールでな」
「ストールさんが?」
それを聞いた僕がストールさんの方を見ると、うんって頷いてからこう教えてくれたんだよ。
「はい。帝都のように大きな都市ではお金さえ払えば誰でも入る事の出来る大きな浴場があるのです。そしてそのような浴場ですから、当然小さな子供を連れた家族づれもおりますの」
ストールさんがいうにはね、そういう人たちが安全に過ごせるようにって、深いのとは別にわざわざこんな浅いお風呂を作ってあるんだってさ。
「安全のため?」
「はい。多くの人が利用するのですから、中にはつい子供から目を放してしまう方もいらっしゃりますでしょ。そのような時、深いお風呂だと溺れてしまう危険性があるので、このような浅いお風呂が作られているのです」
そっか! 子供でも座って入れるくらいの浅いお風呂だったら、深いとこみたいに溺れる心配ないよね。
それにさ、ちっちゃな子が座って入れるお風呂だったら、それくらいの子を連れてるお父さんやお母さんがそこにはいっぱいいるって事だもん。
みんなが入りに来るとこならきっと大人が入るお風呂はとっても広いだろうから、もしかすると近くに誰もいないなんて事があるかもしれないよね?
でも、そういうとこだったら転んで溺れそうになってもきっと、そんな大人の人たちが絶対に助けてくれるからすっごく安全だよねって僕、思うんだ。
っと、そこまで考えたところで、僕はある事に気が付いたんだ。
「あっ! じゃあさ、ストールさんはもしかして、僕がお風呂で溺れちゃうかも? って思ったから浅いとこ作ってくれたの?」
「いえ。この館でルディーン様が入浴なさいます時には必ず誰かがつきますから、そのような心配はしておりません」
「そうなの? でも僕、ひとりで入れるよ? 村でも、お父さんやお兄ちゃんたちがいなくったって、ひとりでお風呂行けるもん」
僕、まだちっさいけど村だとちゃんと一人でお風呂入ってるんだよね。
だからそんな心配しなくってもいいのにっと思ったんだけど、それを言ったらストールさんはそれは違うよって。
「はい、それも存じておりますが、ルディーン様。ここはメイド見習いたちの勉強の場でもございますでしょう?」
「うん」
「今現在、旦那様のご家族には小さなお子様は一人もいらっしゃいません。ですが、いずれはどなたかのお子様が生まれる日が訪れる事でしょう」
「あっ、そっか。その時の練習を僕でするんだね」
「はい。もし御不快でなければ、そうさせて頂けるとありがたいのですが」
ここでお勉強するメイドさんたちはみんな若い人たちばっかりだから、子供なんているはずないもんね。
そりゃあ、中には弟や妹がいる人もいると思うんだよ?
でもそんな人ばっかりじゃないからきっと、そういう人たちの練習を僕でさせてってストールさんは言ってるんだね。
「そっか。僕、ひとりでも入れるけど、それだったら他の人が一緒にいても大丈夫だよ」
村のお風呂に入る時もね、絶対村の誰かが一緒に入ってて一人だけなんて事、絶対ないもん。
だからお風呂に入る時に誰かがいても、その御不快? ってのにはなんないから、僕はいいよって言ったんだよ。
そしたらそれを聞いたストールさんはにっこり笑いながら頭を下げて、僕にありがとうって言ってくれたんだ。
読んで頂いてありがとうございます。
ストールさんは勉強の為なんて言っていますが、本当はルディーン君が言った通り広いお風呂で溺れたら大変だと思っています。
ですがそれを素直に言うと、もしかしたらメイドを置くことを許してはくれないかもしれませんよね?
なので建前として、メイドたちに勉強をさせてくださいと言ったわけです。
ルディーン君、愛されてますねぇ。
さて、イーノックカウにはありませんが、帝都や一部の都市には多くの人たちが利用する大きな風呂屋、いわゆるテルマエがあります。
これはそこに住む人たちの衛生面を考えてという側面もありますが、どちらかというと各々の家が風呂を持つと、それを沸かすために薪を消費しすぎるという理由で造られているんですよ。
これがイーノックカウのように魔力溜まりがある森が近くにある場所なら、たとえ多めに伐採してもその魔力ですぐに森は再生します。
でも普通の森では切れば切っただけ森は小さくなっていくし、そもそも帝都のような巨大都市だと人が住む場所を確保するために近くに森自体がありません。
ですから大貴族以外は自宅に風呂を持たず、金持ちの商人たちもそのような風呂を利用する事を推奨しているという訳です。




