184 ある旅商人のお話
俺の名はダリル・ポートマン。
アトルナジア帝国内でも、主に東地区の町や村を周っている旅商人だ。
そんな俺が久しぶりにこの帝国最東の都市であるイーノックカウに立ち寄った時、いつもひいきにしている商会である不可思議な話を聞いた。
それがどんな内容かと言うと、グランリル村の住人が、何故か大樽単位で植物油と穀物酢を買って行ったというもの。
いや、この話だけ聞けば不思議でもなんでも無いかもしれない。酢も油も生活には必要な物だからな。
だが、買っていったのがグランリルの村の者だったというのが、商人である俺やこの話を教えてくれた商会の連中にとっては謎でしかないんだ。
と言うのも、あの村は近くに強い魔物が沸く森があるおかげで裕福ではあるけど、人口そのものはそれ程多くない。
だからこそ、イーノックカウに訪れた時は毎回麦や芋などの主食や野菜類、それに嗜好品である酒を大量に買い込んでいくが、その他の物を大量に仕入れて行った事など今までに一度も無かったからなんだ。
それにだ、穀物酢はまぁ解る。だがなぜ植物油を?
あれは調理の際に脂身を煮出して油を作る手間が省けるからと揚げ物を売る店では重宝されているけど、搾るには大量の農作物が必要となるために動物の脂よりもかなり高い。
それにグランリルの村では毎日何かしらの魔物を森から得ているからその脂を使っているはずで、その味は植物油など比較にならないほど美味いはずなんだ。
かく言う俺もあの村に行商で訪れた時には肉や毛皮だけじゃなく、必ずその脂も仕入れて来て欲しいと各地の商会から頼まれているほどだからね。
それなのに、魔物を狩るのを生業としているグランリルの村人が何故味が落ちる上に値段が高い植物油をそれ程の量、買い求めたのか。
その話に興味を引かれた俺は、グランリルの村で売れるであろう物を仕入れた次の日の朝、門が開くのを待ってイーノックカウを後にしたんだ。
馬車の御者席で揺られること6時間ほど。俺はグランリルの村の入り口へとたどり着いた。
「ここまでの感じだと、前に来た時と何も変わっていないように見えるんだがなぁ」
野生動物や森の魔物から村を守る為の防護柵の外に広がる畑は前回来た時と同じ様子で、何か新しい作物を作り始めた様子はなかった。
と言う事はだ、新たに作付けした収穫物の保存の為に酢や油が必要になったと言う訳ではなさそうだ。
しかし、そうなるとますます解らない。
もしグランリルの村近くの森の魔力溜まりが活性化して新たな魔物が発生したと言うのなら、その魔物を食べたり保存するのに今まで必要としなかった物が必要になるなんて事もありえるのだろう。
けれど、普段から強い魔物が生まれる魔力溜りが活性化したとなれば一大事だけに、もしそんな事になっていたとしたら商人たちの耳に入らないはずが無いんだ。
そして何より、もしそんな事になっていたらこの辺りももっと物々しい雰囲気になっているだろうからね。
だからこそ、この線も正直言ってありえ無いだろう。
グランリルの村の入り口には一応木で作られた門が付いてはいるのだが、この時間は人の出入りが多いためか、今日は開かれたままだった。
こう言うと少々無用心に思えるかもしれないけど、ここの場合は中にいる村人の殆どが武器を携帯してる上にその実力も皆が冒険者ギルドの中級以上と言う特殊な村だからなぁ。
その為か道行く村人たちは皆、誰一人見張りも居ない開いたままの門を気にする様子は無い。
そんな村人たちを横目に、俺はいつものように中央広場まで馬車を進め……られなかった。
と言うのも、馬が何かに怯えて先に進まなかったからなんだ。
「こいつは何度もこの村へ来てるはずなんだが……こんな風に怯えるって事は、誰かが大物でもしとめたかな?」
馬は人より危険に敏感だから、多分いつもよりも強い魔物の気配でも感じ取ったのだろう。
だけど実はこれ、俺にとっていい知らせであると言えるんだ。
と言うのも、このタイミングでこの村に来たおかげで、普段は仕入れる事ができないような高く売れる強い魔物の肉や素材を買い取る事ができると言う事なのだから。
「すみません。馬が怯えてしまっているので、入り口近くで店を開かせてもらってもいいでしょうか?」
「馬が? ああそうか、数日前にカールフェルトんとこの末っ子がまたやらかして祭りになってたからなぁ。その時の血の匂いでも嗅ぎ取ったんだろう。構わんから入り口横の馬止めにでも止めるといい。村の連中には行商人が来たと俺が伝えておくから」
しかしこれではいつも市を開かせてもらっている中央広場へ行くことができないからと、近くにいた村人に声をかけるとこんな答えが帰って来た。
と言うわけで了解を得た俺は馬車を入り口まで戻して馬車から馬を外すと、村人に言われた通り馬止めにつなぎながら先ほどの言葉を思い出していたんだ。
「カールフェルトさんの末っ子がやらかしたって言ってたけど、あそこの一番下の子供って、まだ小さかったんじゃなかったか?」
何度もこの村に来てる俺は、カールフェルトさんやその家族とは面識がある。
記憶ではあの家の末っ子は確かまだ7~8歳の男の子だったはずで、そんな小さな子が祭りと言われる程の事をしでかす事ができるなんて、俺にはどうしても思えないんだよなぁ。
ところが俺の考えは根底から覆される事になる。
なんだ、この雲のお菓子ってのは?
先ほど話をした人が声をかけてくれたおかげで、村の中から買い物をするために多くの村人たちが集まってくれた。
そしてその中には先ほど話題に上がったカールフェルトさんの奥さんの姿もあり、
「遠くからわざわざご苦労様です。これ、息子のルディーンが作った雲のお菓子です。甘いので食べると疲れが取れますよ」
彼女がそう言って渡してくれたのは一見すると木の棒に巻きつけたコットンのようなもので、とても食べ物とは思えなかった。
しかし勧められるまま口にした俺は、次の瞬間かなりの衝撃に襲われたんだ。
これはもしかして飴菓子か!? こんな凄いもの、見た事も聞いたことも無いぞ。
これは絶対に金になる! そう確信した俺は、どうやって作っているのか教えて欲しいと奥さんに頼んだのだが、
「それはイーノックカウの領主から広めるのを止められておるのじゃよ」
その最中にこんな言葉を掛けられたんだ。
その声の主は、この村に赴任している年老いた司祭様。
彼の話によると、このお菓子はすでに伯爵様の目に止まって次の社交シーズンの武器にするつもりだと言うんだ。
くそう、もう伯爵家の耳に入ってるのか。
まぁ、確かにこれ程の菓子なら貴族の目に止まってもおかしくは無いし、それを黙ってほかの地に情報を流せば間違いなく伯爵家の恨みを買うだろう。
いや、恨みどころじゃないか。
この菓子の話を伯爵の耳に入れた相手がもし下級貴族だった場合は、殺される事もありえるんだよなぁ。
それも出世の邪魔をしたって事で、下手すると治癒魔法で回復しながら続ける拷問フルコース付きでだ。
いやだぜ、殺してくださいって拷問官に懇願するのなんて。てな訳で、これは断念。
そんな訳で折角の金儲けのネタが転がってたのになぁと、意気消沈しながらこの村で唯一宿泊と食事ができる場所へ。
そしてそこで出された食事に添えられたものを一口食べて、俺はもう一度驚く事になる。
なんだ? このソース。異常に美味いんだけど……ってこれ、もしかして卵のビネガーソースか!?
「おい主人。これって……」
「ああ、これはカールフェルトさんとこの末っ子が作ったマヨネーズって言うソースですよ。今、これが村では大ブームでね。でも材料がなくて中々手に入らなかったんですが、先日街から仕入れる事ができて、やっと我々の口に入るようになったんですよ」
そうか。これが植物油と穀物酢が必要になった理由か。
だけどちょっと待て。確かこのソースは作るのが大変で、一部の料理人しか作れないはずでは?
それにここでもカールフェルトさんの末っ子か。と言う事は、その子に何か大きな秘密があるのかもしれないな。
「もし。あなたがダリル・ポートマンさんで間違いないですか?」
そう思った俺が明日の朝になったら一度カールフェルトさんの家を訪ねようなどと考えながら食事を続けていると、後ろからこう声をかけられたんだ。
それに応じる為に振り向くと、そこにいたのはシスター姿の女性。
「はい、そうです。あなたは?」
「申し遅れました。私はこの村の司祭様のお手伝いをさせて頂いている者です。実は司祭様から、あなたにお話があるので御呼びする様にと申し付かりまして」
司祭様が、俺みたいな旅商人に話?
よくは解らないが、小さな村に出向しているとは言え、相手は司祭様だ。
神殿に連なる者に、それも神官や助祭ではなく司祭と言う高い位の人に悪い印象をもたれると後々商売に関わる事態になりかねないと言う事で、俺は食事が終わるとそのシスターの案内で司祭様の下へと赴いた。
そして次の日、俺は昼過ぎまで市を開き、昼メシを食べるとそのままグランリルの村を後にした。
そう、噂のカールフェルトさんのところの末っ子に会うことなく。
「まさか、作ったものだけじゃなく、その末っ子そのものが、か。伯爵家と子爵家を敵に回してまで深入りなんかできないわな」
昨日の話を思い出しながら俺は昨日見たものを全て忘れる事にして、次の村を目指して馬車を走らせるのだった。
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「物分りのいいお人で良かったですわね」
「うむ。まぁ相手は商人じゃからのぉ。利益と身の危険を天秤にかければ誰でもそう考えるじゃろうて」
しかし、フランセン様も無茶を言う。
もし、我々が知らぬ来客が来たらどうするつもりなのじゃろうか。
旧知の仲である元伯爵の顔を思い浮かべながら、年老いた司祭は苦笑いを浮かべるのだった。
読んで頂いてありがとうございます。
今回は後書きがちょっと長めです。
実はロルフさんとお爺さん司祭様は知り合いなんですが、それはバーリマンさんさえ知りません。
と言うか、そのロルフさんも調べるまでグランリルに知り合いの司祭が派遣されていることを知らなかったんですけどね。
グランリルの村は設定回で書いてある通り帝国直轄なので、そこに派遣されている司祭様は実を言うと結構偉い人なんです。
それはそうですよね。彼は神父どころか助祭ですらなく、その上の位である司祭なのですから。
普通ならこんな小さな村に派遣されるような立場では当然ありません。
因みにこの世界での教会の位は司教、司祭、助祭、神官で、司教は必ず何かしらの役職(教皇や大司教など)に付く事になっており、この為歳を取って役を降りると位は司祭に戻ますが、教会内の地位は同じままです。
この村のお爺さん司祭様の場合、危険な魔物を多く排出する森の近くにあるグランリルの村で何かが起こった時に治療ができるものが誰もいなければその魔物が拡散して国に被害が出るということで、歳を取って自ら役職から身を引いた司祭様が帝国や中央神殿から依頼されて此方に移り住みました。
まぁそれ以外にも、ここなら毎日魔物の肉や魔力を多く含んだ森で採れる野草を口にできるので、帝都で隠居してるより長生きできると言う理由もあるんですけどね。
彼は中央から派遣されたと言う立場ではありますが、村にずっといるので自分が赴任してきてから生まれた子供たちには愛着があり、それを権力者の横暴から守ろうとしているロルフさんの考えに賛同して、ルディーン君を守っていると言う訳です。
まぁそのせいで、ルディーン君が何かやらかすたびに胃に穴が開く思いをしているのですがw