6 エルフ
エルフってお話。
久しぶりに雨が止んだ。
八雲は洞穴から出ると雨が上がった後の独特な匂いがまだ残ってる空気を吸い込んで、深呼吸をする。
『お腹空いたな』
八雲達は、取り置きしてた果物や肉で雨の日を過ごしていた。
『食べ物採りにいくか』
洞穴から兄貴肌の兄弟が、すっかり空になったリュックを口に咥えて出てくる。
『お前らはどうする?』
兄弟が他の2頭に聞くと『眠いから行かな~い』『ワタシも止めとく~』と雨の気だるさに負けていた。
八雲と兄貴肌の兄弟はお互い顔を見合わせて、肩を竦める。
八雲がリュックから水筒を取り出し、ほんの少し残ってた水を捨てて、リュックを兄弟の背に置き、自分も背中に乗る。
出掛けがけら、母熊が『川に気をつけなよ』と注意され頷くと、眠そうにしていた兄弟が『お土産は木苺がいいなぁ』と言う。
八雲は『気が向いたら』と適当に返事をし、川へ出掛けた。
『足元滑るぞ、気を付けろよ』
兄弟に言われて、八雲は慎重に川辺へ近づいていく。
連日の雨で川はすっかり増水していた。
足腰の強い八雲でも足を滑らすと流されかねない。
水筒の蓋を外し水を汲んでいると、横で兄弟が直接喉を潤す。
その時、八雲達の視界の隅っこに何か流れて行くのが見えた。
『っ~~~~~~な~~~~の~~~~~~ぉぉぉぉ』
八雲達はお互いの顔を見る。
『もしかして……』
『いやいや、それはナイナイ。だいたい飛べるじゃないか』
先ほど視界の端にチラッと写ったオレンジの頭と、透明の羽。
見なかった事にする。
あれよあれよという間に流れていった何かに向かって、とりあえず飛べよと心の中で八雲はつっこんだ。
◇◇◇
八雲達は湖の方に向かう途中で、果物と木の実を食べていた。
既にリュックはパンパンで、今は自分たちの空腹を満たしている。
もちろん八雲は、こっそり木苺をリュックに忍ばせてあるが、兄弟はその事を見て見ぬふりをしてやる。
八雲が今食べている黄色い果物は《マーレ》と呼ばれるもの。
一番食べていた果物で、甘酸っぱい味がとても好きだった。
実はこの《マーレ》ヒト族には毒性があり、食べると腹をこわす。
八雲には《胃腸強化》のスキルがあり平気だったが、その事には、まだ気づいていない。
◇◇◇
空腹が満たされ、八雲達は帰る事にする。
兄弟が父が母がお腹を空かせている、そう考えると自然と足が早くなる。
川沿いを歩き、いつもの川辺へと戻って来た時、急に兄弟が何かの匂い嗅ぎだした。
『エルフがいる……』
八雲も周りを警戒する。
『いや、この辺りじゃない。家の方こ…………えっ!?』
兄弟の顔色が明らかに変わる。
『血の……におい……』
八雲はリュックを川辺に投げ捨て、兄弟の背に飛び乗り、全力で洞穴の方角へ向かった。
ようやく洞穴が見え始めると兄弟の足が止まる。
そこで二人が見たのは、確実に10人以上いるエルフとそれらを相手に暴れる父熊と母熊、そして父熊の足元でグッタリとして全く動かない2頭の兄弟だった。
八雲達はその光景を見た瞬間、ほんの一瞬固まってしまう。
しかし、その躊躇が、見たくない光景を見せつけられる事になる。
1人のエルフが母熊に右手を向けると、その手のひらの前の空間に緑色の光が何かを描いていく。
(まさか………魔法!?)
八雲がそう思った時、無数の緑色の光の刃がエルフの手の先の魔法陣みたいなものから飛び出した。
咄嗟に父熊が手を伸ばして母熊を突き飛ばす。
向かって来ていた無数の光の刃は、父熊の伸ばした腕を容赦なく切り飛ばし、粉々にした。
いつも、八雲の頭を顔を撫でてくれた父熊の大きく優しい手が一瞬で無くなる。
八雲と兄弟は声も出せず体も動かせず、ただ立ちすくしていた。
しかし、残酷な瞬間はまだ続く。
手を吹き飛ばした光の刃は、方向を急に変えて父熊を取り囲むように回りだすと、あっという間に光の竜巻となり父熊の姿を隠してしまった。
ガァァァァァァァァァアアアァァァッ……!!!!!!!
父熊の断末魔が辺り一面に響きわたる。
八雲達は目を背けることも出来ず、光の竜巻が消え、中から出てきた父熊……だったものが倒れ込む光景が目に入ってきた。
母熊は頭に血が登り、ガァァァァ!! と咆哮し周りにいたエルフを薙ぎ払う。
しかし、魔法を使ったエルフに飛び掛かろうとした時、自分の探知範囲内に八雲達がいるのに気付き、冷静さを取り戻す。
一方、八雲と一緒にいた兄弟は、母熊とは逆に冷静さを失っていた。
目を大きく見開き物凄い形相で茂みから飛び出そうとするが、何かが自分の動きを妨げる。
それは小さな体で、自分を必死に止めようとする八雲だった。
『な……何で止める!』
兄弟には八雲の行動が理解出来ずにいる。
『母さんをよく見ろ!』
八雲がそう兄弟に告げると、兄弟は母熊に視線を向けた。
母熊は、既に頭の中を切り替えていた。
もう助からないであろう父熊と2頭の兄弟には目もくれず、エルフ達と共に徐々に八雲達から離れていく。
離れながらも、エルフに気付かれないように、八雲達にたまに視線を送る。
初めに八雲がその視線に気付き、そして今度は兄弟が母熊の意図を理解した。
───逃げなさい───
兄弟は再び八雲を見る。
八雲の小さな体は小刻み震えていた。
血が滲んだ唇を更に噛みしめ、目には大粒の涙が今にも零れ落ちそうになるくらい溜まっている。
(クソ……! オレはバカか!!)
兄弟は落ち着きを取り戻す。
(オレまで飛び込んだら、コイツはどうなる。オレの役目は家族を守ることじゃないか!!)
一か八かではなく、確実に家族を守る。
助けに飛び込んで全滅より、母熊を見捨て、八雲と兄弟が生き残る。
サイレントベアーにとっては当たり前のことだった。
兄弟はゆっくり茂みに伏せると、八雲のマントを引っ張り背中へ促す。
八雲が何も言わず背中にしがみつくと、兄弟はそのまま、ジリジリと後退し森の中へ消えていった。
◇◇◇
母熊は、八雲達が自分の探知範囲内から遠のいていくのに心の中で安堵する。
そして、再度頭の中を切り替える。
今度は、自分が生き残り逃げるために。
母熊は、あの光の刃は周りにエルフがいれば巻き込んでしまうので、打ってこないと予想していた。
あのエルフは先ほどから母熊に対して手を向けているが、打つ気配がない。
母熊は、障害の多い森の中に逃げ込む隙を伺う。
そして、そのチャンスが訪れた。
自分の前が大きく開かれる。
(空いた!)
母熊が、それに気付いた時、既に遅かった。
エルフ達は母熊を取り囲んでいたが、全員が統率の取れた軍隊のように一斉にバックステップして、母熊と距離を取る。
直ぐにエルフから放たれた無数の光の刃が、母熊を取り囲み光の竜巻になる。
光の竜巻が消え、中にいた母熊は、倒れ──なかった。
1人のエルフが母熊を倒そうと無防備に近づいた瞬間、ガァァッ! と唸り声を出し、そのエルフを吹き飛ばす。
エルフの首が180度回っていた。
すぐさま、周りのエルフは警戒する。
(ダメだったか……あの父ちゃんの敵のエルフが近づいてくれると思ったのだけど……)
母熊は、いつ意識が途切れてもおかしくない状態で考える。
(……フフ、あの子がどんな成長するのか楽しみだったのだけど……)
エルフが近づいてくる。
母熊が思い浮かべるのは二人の子供の顔。
(………父ちゃん達とずっと見ているからね。だから──)
ガアアアアアアアアァァァァァァァァァァァッッッッッッッ!!!!!
────生きて────
父熊の断末魔以上の咆哮が森中に木霊する。
耳のいいエルフは咄嗟に耳を塞ぐ。
エルフにとっては、ただの咆哮。
しかしそれは八雲達への届くかわからないメッセージだった。
直後母熊は、倒れた……
◇◇◇
八雲達は、完全に母熊の探知範囲内から離れて、大木の根元の窪みと茂みとの間で身を隠していた。
八雲は兄弟に抱きつきながら、消え入りそうな小声で『ごめんなさい…ごめんなさい…』と繰り返し謝っている。
兄弟は、なぜ弟が謝っているのかはわからなかった。
しかし、弟の前で泣く訳にはいかないと八雲を抱きしめて、ギリギリ我慢している。
弟が何故謝っているのか聞こうとしたが、口を開くと泣いてしまいそうになる。
──────生きて──────
その声が、八雲達の耳に届く。
母熊とはかなりの距離があり、本来届く距離ではない。
奇跡なのか母の愛情なのかはわからないがハッキリと二人には聞こえた。
『う……う……ううう……うわあああああぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!』
周りにエルフがいるかもしれない。
八雲は声を抑えたかったが、母熊の声を聞くと、もう限界だった。
既に涙が目に溜まっていたものはボロボロと零れ落ち、後から後から涙が止まらない。
兄弟もとうとう我慢出来ずに涙が零れだす。
意地なのだろうか声を出すことはなかったが、兄弟は顔を天に向け、涙を止めようとする。
しかし、次から次へとやはり流れてきた。
日はすっかり落ちて、辺りが真っ暗な森の中。
ただ、二人の泣き声だけが一晩中響き渡った。
長いので、2話に分けました。次で第1章は終わりです。
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