第七話 何で……?
それから、私は、本当に辛い日々が続いた。
今までは普通に話してくれた同級生が、急に私を避けたのだ。
それに気付いたのは、みくさんに宣言されてから次の日のことだった。
「……おはようございます、衣織ちゃん」
「あ、おっはよ、遥乃ちゃん!」
ランドセルを持って登校してきた私は、みくさんと話していた衣織ちゃんに話しかけた。
その瞬間、みくさんと目が合った。
私は一瞬固まってしまった。
だって、その目が、凍りつくような冷めた目だったから。
「……え、っと……」
私が戸惑っていると、みくさんは目を逸らした。
「……」
私は、昨日笑って帰ってしまったみくさんを黙って見ていた。
「ねぇねぇ、昨日うちの妹がねっ」
衣織ちゃんは、そんな私の様子など気にも留めず、楽しそうな様子で、私に話しかけた。
「……あ、あぁ、うん……。何?」
事件は中休みに起きた。
私は、トイレに行った。唇がガサガサしてきたため、リップクリームを塗りに行くのだ。
早速鏡の前に行き、リップクリームをポケットから取り出した。
グレープ味のリップクリーム。私がドラッグストアでお小遣いで買ったものだ。……結構可愛いから気に入ったのだ。
塗り終わると、私はトイレから出るために、リップクリームをポケットにしまい、ドアを開けた。口の周りから微かに葡萄の香りがする。
そこに、みくさん達がいた。
「ぁ…………」
少しだけ悲鳴をあげてしまう。
そこに立ち止まっていると、みくさんはいきなり舌打ちした。
「そこに突っ立ってないで? ホント目障り。邪魔。消えて?」
「あ……はい……」
頷いて立ち去ろうとすると、急にみくさんの近くにいる女の子が言った。
「こいつ、自分が目障りだって認めた~」
「!!」
「お前、自分が目障りだと思ってるんだ? 自覚してるんだ? マジ、そういう子ってモテないよ~。根暗でさ~」
みくさんは、笑った。上品に。……でもそこに、気品は全く感じられない。
私は、動揺して、ポケットからリップクリームを落としてしまう。
カランカラン、と乾いたような音がして、みくさんの足元にリップクリームが転がる。
それに気付いたみくさんは、「は? 何これ?」と言って足元のリップクリームを拾い上げる。
「は? 遥乃、こんなもん使ってんの?」
「えっ……!」
私は、動揺した表情で、みくさんを見つめた。
どうする気なの?
「これで晴樹に色気を出そうとしたわけ? リップクリームで? キモっ」
みくさんは、急にリップクリームのキャップを開けた。
何をするの?
やめてよ、勝手に開けないで。
「……こんなもん、遥乃が使うにはまだ良いんじゃない? だって初恋未経験でしょ~?」
そう言って、みくさんはリップクリームの中身を取り出した。
「!!」
やめてっ!
「こんなもん、必要ないから、捨ててあげる!」
みくさんは、中身をゴミ箱の中に捨てた。
「っっっ!!」
ショックで涙が出そうだった。
「なん、で……?」
そんな私のショックにおかまいなく、みくさん達はそれぞれ個室に入ろうとする。
まだ、買ったばっかりだったのに。
新品だから、洗面台に、大切に保管しておいたのに。
なんで……?
「な、何でこんなことするの!?」
私は、微かに涙声になりながらもみくさんに言った。
すると、みくさんは笑いながら振り返った。
「晴樹に近付くから……だよ? 分かる?」
最後は、本当に涙が出そうだった。
「……私達の晴樹を奪われたショックは、こんなもんじゃないからね……?」
そう高らかに笑いながら。
中休みの終わり。
みくさん達がトイレから出ていってから十分経つ。
ゴミ箱に入れられた、新品のリップクリームの残骸を、私はじっと見つめていた。
涙も既に、枯れかけていた。
さっきまで声を押し殺して泣いていたのだ。
「……もう、いいや」
私は、トイレから出ようと、のろのろと立ち上がった。
また、新しく買えば良いんだ。
そうしよう。お小遣いはまだ沢山あるから。
トイレのドアを開けて、電気を消す。
もう、いいや。
私は大丈夫なんだ。
そう思っていたら、また涙が浮かんできた。
廊下を歩く。
周りを歩くクラスメートが、私を見た瞬間、していた話を止めた原因は、その時は分からなかった。
「あ、遥乃」
背後から声がした。
振り向くと、後ろに悠矢がいた。
何でここの廊下にいるわけ? 三年生は二階でしょ?
そう思って、口を開いた。
「あん、た、何でこ、こに……?」
涙が出てきて、おどけた口調になってしまう。
「……は? ちょっ、大丈夫、遥乃。泣いてるけど……」
何で、今、暴力面した悠矢に心配されているんだろう。
姉を心配する気持ち、なのだろうか。
「……何でもないよ、悠矢。私は大丈夫だから」
にっこり笑う。こういうのは、こうやってすませた方が良い。
「……何でもないって感じじゃ……」
悠矢は私の涙を見て、更に何か言いかけた様子だった。
だが、私は廊下を走り出した。
悠矢に、弟に涙を見られた。
こんなんじゃ、また悠矢に「キモい」って言われちゃうよ……。
教室に戻って、自分の席に座り、机に突っ伏した。
教室が、居心地悪く感じる。
あぁ、何て嫌な人なんだろう。私は。
リップクリームを壊された上に、立ち向かう勇気もなくて。
弟に助けられたのにもかかわらず、弟が珍しく見せた優しさを振り払って。
でも、何でみくさんは……。
平野君は、私のこと、好きじゃないのに。
あのことだって、多分私が変に重く事を伝えたからだよ。
「……はぁ」
ため息をつくと同時に、涙がぽろぽろと溢れ出す。
駄目じゃん。こんなので泣いちゃ。
もっと強くならなきゃいけない。