第二十話 苦しみ
私は、大急ぎでリビングに向かった。
ドダダッと階段を下りる私を見て、悠矢は化け物でも見るかのような顔をしている。
悠矢はきっと、バレてない、とでも思っていたんだろうか。
それは大間違いだ。
私は、荒い息を押さえて、言った。
「悠矢、貴方、さっき、コンビニで……」
私がそこまで言うと、悠矢は目を見開いた。
「悠矢……」
「姉ちゃん、見てたんだ?」
私も、ハッとした。
私がそれを言ったということは、さっきコンビニで貴方の万引きを見ましたよ、と言っているのと同じだ。
「そうだよ。……でも、悠矢、何で万引きなんか」
いつの間にか、すっかり息も普通に戻ってきている。
逆にこの空気が冷静すぎて、私も、「何であのときいきなり言っちゃったんだろう……」と無駄に考え込むような視線になった。
「…………」
悲しかったのもそうだが、悔しかったりもした。
悠矢が万引きしたのは、大事だと思った。何でお小遣い沢山あるのにって、ショックを受けた。
でも、悠矢が万引きをしたのは、自分の育て方が間違ってたかもしれないって思って、それが、悔しかったんだ。
「悠矢、教えて……? 何で万引きなんかしたの?」
悠矢は、黙ったままだった。
バッグについている、アニメのキャラクターのキーホルダーを、握ったり、離したりを繰り返している。
「……葵って、知ってるか?」
「え?」
悠矢が口走ったその言葉に、私は耳を疑う。
葵って、誰だ?
「覚えてない? 家の前で俺を問い詰めた女だよ」
「あぁ、あの人」
思い出した。中学生のあの人だ。弟が悠矢に殴られたと言って悠矢に文句を言っていたあの人だ。
「図書館に行こうと思って出掛けたら、あの人と、偶然会っちゃって……。で、「あの時姉ちゃんに助けられたから、今日こそはちゃんと謝ってもらうよ」って言われて」
悠矢はそう言い続ける。
「俺、どうしていいか分かんなくって。……葵が、「じゃあ、あそこのコンビニでパン万引きしてくれる?」って笑顔で言って、それで……」
「……」
私は、驚きざるを得なかった。
何で悠矢は、こんな目に遭わなければいけないのだろうか。
悠矢は葵さんの弟の目を殴った。それは本当に悪いことだし、私は悠矢を叱り飛ばすくらいの覚悟が出来ている。でも、万引きをさせるなんて、流石に私もどうかと思う。
「もう、俺、「嫌だ」って反抗したんだけど、……葵が「やらなきゃ、お前の姉ちゃん骨折させてやる」って脅してきて。
それが本気のように思えてきちゃって……」
悠矢は、次第に涙声になっていった。
「俺、姉ちゃんに傷ついてほしくなかったから、万引きしたんだ」
そんな……。
「何で私の為に? 私なんか、全然大丈夫だよ? 断ったって別に全然良いんだよ? むしろそっちの方が良いのに……何でそんなことを?」
私も、掠れた声になってしまう。
「俺だって、嫌だった。……でも、支えてくれるのは、姉気取ってる姉ちゃんしかいない。……父さんと母さんは、いつだって俺らのこと心配してる……。そんな人達が、俺のことで困ってほしくなんかないんだ」
「万引きしたら、更に困らせちゃうよ。……私、葵さんに襲われたって、骨折はしないよ。だから、しなくてもよかったんだよ?」
悠矢がしたという事実が明確に伝わってきた。
もう、後悔しても遅い。でも、「何であの時止めてやれなかったんだ」という気持ちが、頭の中をぐるぐる駆け巡る。
「でも、姉ちゃん、いっつも、俺のこと心配して、笑ってくれて。……俺の恋まで応援してくれて。そんな姉ちゃんが、怪我して、「悠矢、ごめんね」って言ってる姿想像して、……耐えられなかった。
……俺、姉ちゃんにそのまんまの姉ちゃんでいてほしかったんだ」
「悠矢……」
そんなこと、考えなくても良いんだよ?
悠矢は力が強くて、他の同級生よりも大人びているけど、それでもまだまだ小学三年生。子供真っ盛りだ。
そんな年齢にも関わらず、姉のことをこんなに心配させて……。
私は、本当に、悠矢の姉なんかで、よかったのだろうか。
それでこそ、優しい衣織ちゃんや、面倒見の良い美玖さんの方が、私よりもっと、いや、ずっと、悠矢の姉に相応しいのではないか。
悠矢が陰でこんなに辛い思いをして万引きをしていたのにも関わらず、私はその時「楽しい」とただひたすらに思っていた。
大切な人が苦しんでいるのに、私は楽しく過ごしている。
そんな自分が、情けなくて。
鈍感で、人見知りで、友達も少ない。
人のことを簡単に疑って、簡単に人が傷つくような言葉を言ったり。
美玖さんがいじめをやめて、衣織ちゃんや美玖さんと友達になったとき、私も、人として、何か成長できたかな、なんて思っていた。
自分は、誰か一人、守れるのかなって思っていた。
でも、それは違った。
たった一人の、大切な弟さえ、守れなかったんだ。
弟がこんなに苦しいほど辛い思いをしていたのに、私ったら、見向きもせず、自分だけ見つめていたんだ。
友達のこと、恋のこと、水泳のこと、お洒落のこと。
本当は、もっと前から、悠矢は苦しんでいたかもしれないのに、私は「何でも相談して」と言いながら、「自分で聞く」ということをしていなかった。
その行動は、本当に、姉失格そのものだった。
「返しに、行こうよ……」
私の言葉に、悠矢は顔をあげて、「でも」と反論した。
「そしたら、父さんや母さんに迷惑かけちゃう……。せっかくお小遣いあげてるのに、何で万引きなんかしてるんだって」
そんなことを言われたって、万引きって犯罪なんだよ?
「何でお小遣いで買わなかったの? 葵さんだってそこまで見てたわけじゃないでしょ?」
「でも、姉ちゃんを怪我させるって思ったら、怖くなって、「嫌だよ」って言うことすらままならなくって……」
悠矢の目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
「そんな……」
悠矢、もしかして、私を守ろうとしてたの?
だから、万引きなんかに……?
「ちょっと待って。……ってことは、悠矢はもしかして、私が骨折するのが怖かったってこと?」
頷く悠矢。
「!」
私は、驚きで動揺が隠せなかった。
何で? 悠矢は、おせっかいな私を、嫌っていたんじゃないの?
ぶっきらぼうで、他人にも優しくなくて、「姉気取ってんじゃねぇ」って言ってた悠矢が?
私を、守ろうとした?
何で?
「悠矢、何で私なんかを守ろうとしたの? 私のこと、嫌いなんでしょ? なら、骨折させたって、いいじゃない? 何で自分が犯罪を犯さないことを優先させないの……?」
「それは……」
悠矢は、それっきり黙ってしまった。
「あ……」
私が質問攻めしたのが悪かったのだろう。
「ご、ごめんね悠矢! 問い詰めて、ごめんね!」
途端に、悠矢の目から、大粒の涙があふれ出した。
「何で……?」
悠矢の口からこぼれる言葉。
「何で姉ちゃんばっかりそんな顔すんの!? 全部自分が悪いみたいな顔して!」
「え?」
何で悠矢がそんなに怒っているのだろうか。
「な、何言ってるの、悠矢。……さ、返しに行こう? 学校には言わないように、って言えば、皆から仲間はずれにされないで……」
「姉ちゃん、俺の気持ちなんか何にも分かってないくせに!」
「っ……」
私は、言われた言葉がショックで、言い返すことも出来なくなっていた。
悠矢は、涙声になりながら、涙を目にいっぱい溜めながら、叫んだ。
「姉なんか気取っても、本当は俺の気持ち、何一つ分かっちゃくれない! 俺が姉ちゃんのことどう思ってるか、姉ちゃんは勝手に考えてそうだって決め込んでるし! 姉ちゃんが自分で返しに行ってよ!」
「なっ、それは流石に違うよ! 悠矢、それは全然!」
やっと言葉が出た。
でもそれは、悠矢を非難する言葉。
私は、傍から見れば弟を更生させるように仕向けているとしか思えないだろう。
本当、それはそうだった。
私は、今、悠矢に汚名がふっかかれば、いずれは私も「万引きした弟を持った姉」として、またクラス内で目立たない存在になって、衣織ちゃんと美玖さんも離れて、一人ぼっちになってしまう。それだけは避けたかった。
そんな最低のことを、考えてしまう、悠矢のことを何も考えてない、姉失格の人間といえば、人間なんだけど……。
でも、私は今、悠矢の言動の半分が理解できなかった。
万引きにそんな抵抗があるなら、走って逃げだせばいい。葵さんが「待てよ」と言ったって、悠矢が殴ればすぐに家に帰ることが出来るはずだ。
でも、それをせずに万引きしたのは、ただ単に「姉気取ってる」姉の為だとは、どうしても理解しがたいのだ。
「いくらなんでも、自分で返しに行かないと!」
「うるせぇ!」
急に、悠矢が本気で怒った。
「もう、知らねぇっ!」
私は、悠矢にドンッ! と突き飛ばされた。
そして、階段を駆け上がっていく。バタン、と扉を閉める音がした。恐らく、自分の部屋に入っていったのだろう。
「待って、悠矢!」
続いて私も階段を駆け上がる。
と。
私は、階段に足を引っ掛けて、転んでしまった。
鼻に角が当たる。
鼻にじーん、と何かが来る。……続いて、涙が込み上げてきた。
鼻は、痛いのかどうか、分からない。ただ、どうしようもなく、苦しいものはある。
それは、私の心だった。
しばらく階段で泣いた後、私は、外へ出た。
パンを持って、コンビニに戻るつもりだった。一瞬、こっそり戻そうかとも思ったけど、すぐその考えを消した。万引きをしたことを謝らないと、いけない、と思っていた。
あぁ、私って意外と正義感強いんだな。そう思って、コンビニの自動ドアから中へ入った。
中には、衣織ちゃんと美玖さんがいる、わけではない。もう帰ってしまったのだろう。
そう言えば、さっきは忘れていたけど、コンビニの前で葵さんらしき人は見かけなかった。きっと、もう帰ってしまったのだろう。
「あ……」
入口で、店員さんに、「あの」と言いかけた時、急に得体の知れない何かが込み上げてきた。
どうしよう。
私は立ちすくんでしまった。
このまま、こっそり戻した方が良かったのかもしれない。
ふいに、店員さんがこちらを向いて、「いらっしゃいませー」とはきはきした声で言った。
私は飛び跳ねて、「は、はい……」と返してしまった。
私は、これ以上店員さんを見ていたら流石にマズそうだな、と感じて、あっちこっちへ目を逸らした。
すると、思いがけないことが起こった。
「邪魔、どいて」
急に誰かに後ろから肩を押されたのだ。
そこで、ハッと思い出した。
私、入口で立ちすくんでいたんだって。
どこかで聞いたことのある声。でも、そんな頻繁に聞いてない気がする。
「あ、す、すみません」
私は、思わず振り返って謝る。
「あっ」
私は、その人の顔に、恐怖を覚えた。
葵さんだ。
派手な柄のワンピースに、レギンス。ネイルが施された手には、ラメ入りストーンで装飾されているスマホ。
私は、恐怖を覚えて、俯いた。
すると、葵さんの「あ~」という猫撫で声が聞こえた。
そして、葵さんは、店内に響き渡る大声で、私を責めた。
「あの時の弟助けたお姉ちゃん~? あれ~? その手に持ってるパンは何かな~? そして何で入口で立ってるの~? ……あ、もしかして、万引きしようとしてた~?」
私は、万引き、という単語に、目を見開いた。
悠矢と重なる。
私は、パンをギュッと握って、その場に座り込んだ。パンの入った袋が、がさっと鳴る。
ちょっと待って。
動作が考えていることと全然一致しない。これじゃあ万引きしたと認めたも同然だよ。
「やっぱりぃ?」
葵さんが、ニヤリ、と微笑んだような気がした。
「皆さ~ん。この人、万引きしようとしてま~す。いけないことだと思いますよね~? 店員さん、この人取り押さえちゃってくださ~い」
やめてっ!
叫びたかった。でも、叫べなかった。
叫ぼうと思っても、口が開いても、出てくる言葉はなかった。
おまけに私は、俯いてしまっている。顔を上げようと思った瞬間、葵さんに押さえられてしまった。
途端に、お客さんの声が聞こえる。
「マジ? あの子万引きしようとしたの?」
「うわ~今の小学生怖ぇ~」
「あの子も可哀想ね~、万引きするほど生活が行き詰ってたってことでしょ?」
私に関する推測の声。私を非難する声。
皆に虫を入れられた、と言われて責められた時よりも、もっと深く、私の胸に突き刺さってくる。
「っ……!!」
私は、更に俯いた。
もう駄目だ。私は、犯罪者になる。
おじさんとおばさんも困らせて、また学校では浮いて、ずっといじめられる。
中学に入っても、そのことは出回る。
転校したいと言ったって、おじさんやおばさんを困らせるわけにはいかないし、悠矢の生活もある。
「あぁ……」
私の人生って、もう、ここで終わるのかもしれないな。
そう思って、目を閉じる。
「君、ちょっとこっちへ来てくれるかな?」
店員さんの声。
「……はい」
私は、立ち上がって、奥の部屋へと進もうとした。
その時だった。
「待ってください、遥乃さんは、やってません」
聡明な声が、店内に響き渡った。




