第十八話 夜桜公園で。
夜桜公園、と聞くと、周りの人は皆、「あー、良いよね、あそこの桜」とはしゃぐ。
悠矢は、そんな所無関心といった様子で、「夜桜公園って、どうせ、春過ぎたら誰も来なくなるんだろ?」と、見抜いた言葉を言ってきた。
でも私は、夜桜公園のどこが好きかって聞かれたら、迷わず「桜」とは答えないんだよなぁ。
一番好きなのは、お花見ピークが過ぎた後は、沢山遊べること。
二年生の頃、私は、夜桜公園に遊びに来ていた。
友達も誰もいなくって、もちろん、遊んでいる同級生とかはいたけど、その子達は、何も私に言ってくれたなかった。誘ってくれもしなかったし、私からその輪に入ることもなかった。
友達と接すること、全部が全部、苦手だったんだ、私は。
その時の私は、夜桜公園にある、鉄棒の前に立った。
夜桜公園は、学校の校庭ぐらいの広さがあって、とっても広かった。
ベンチにカップルがイチャイチャしながら座っていたり、四年生ぐらいの人達が、黙々とゲームをしていたり、かと思えば、三年生が「チョウチョ捕ったどー!」と大声で友達に叫んでいるのも見える。
周りが騒がしければ騒がしいほど、私の心は、どんどんしぼんでいってしまうのだけれど。
そんな私は、練習していた逆上がりに挑戦するべく、鉄棒を掴み、思いっきり体を上へと押しやった。
でも、すぐ落ちてしまう。
ばたっ、ざざざざっ、と音がする。
誰も振り返らない。
誰も自分が逆上がりをしようとして失敗したことなんて気にもしてないのに、何故か私は無性に恥ずかしくなって、人がいなくなった後、一生懸命練習した。
そして、やっと出来るようになった時は、夕暮れ時で、手に大量の肉刺がついた頃だった。
「やったぁぁぁっっ!!」と思わず叫んでしまうほど、胸が高鳴って、緊張してもいないのに、胸がドキドキし始めた。
嬉しかった。ただ純粋に嬉しかったのだ。
肉刺が痛いことなんて、もう気にも留めてなかったのだ。
逆上がりが難しい、出来ないなんて言ってたあの時が嘘のように、私は軽やかに逆上がりが出来るようになっていたのだ。
それから私は、この夜桜公園が思い出の場所になった。
だから、「夜桜公園の思い出の場所は?」と聞かれたら、「満開の桜の下」とか「夜の桜」とかじゃなくて、迷わず「鉄棒」と答えようと心に決めている。
◆◇
八月五日。
鉄棒が心に残っている私は、今、夜桜公園に、悠矢と一緒に来ていた。
お花見ピークなどもうとっくのとうに過ぎ去った、夏の日。
近くに住んでる二年生の男の子や女の子が、中学生ぐらいの背の高い女の子と、もう一人、背の小さな男の子と一緒にはしゃいでいる。
空は藍色に染まっているが、大丈夫なのだろうか。
そんなことを心配している私も、藍色の空の下、弟とブランコに座っているのだけれど。
おじさんとおばさんは、いつもの通り仕事が長引き、帰りが遅い。
悠矢が「しばらく外へ出よう」とか何とか言って、おばさんが作ってくれたおにぎりを持って、私の手を掴んで外へ飛び出した。
でも、何でこんな夜に、ここに来るわけ?
今日は、大気不安定だとニュースで言っていた。なるほど、今朝は涼しいを通り越して寒かったし、夕方は霧雨が降り、今は降った雨の影響で、すごく涼しい。
今日は一枚、何か羽織って行こうかな、と思って、カーディガンを引っ張り出してきたのだ。
悠矢は、全く口を開かない。
もしかして、悠矢はただ単に、夜の空気を味わいたかっただけなのかもしれない。
悠矢は結構同年代の人とは違う、大人びた感じって言うのが伝わってくるんだよね。暴力を振るうことはまだまだ子供っぽくて呆れるけど。
「……夜って、綺麗だね」
私は、悠矢にそう言った。
星空が視野いっぱいに広がる……って思ったら、木が邪魔して見えなくなってしまう。
「……こんな日ってさ、何か起こりそうな予感がするよね」
「……そう、だな……」
やっと言葉を発した悠矢は、そう言いながら下を見つめているばっかりで、星空なんか全然見ていなかった。
「……なぁ」
下を向いたまま喋り続ける悠矢。私は「ん?」と首をかしげた。
「姉ちゃんはさ、もしもさ、『この人は私のこと、絶対好きじゃないだろう』って思った人が、実は自分のことが好きだったら、どうする?」
はぁ? と一瞬言ってしまいそうになった。
何で弟からそんな言葉が出てくるのか分からない。
もしかして悠矢、誰かに告白でもされたのかな。
「え~? 人から好きになられたことなんてないから、分からないよ。……悠矢、誰かに告白されたんでしょ? そんなこと聞くんだったら」
私の言葉に、悠矢はぶんぶんと首を横に振った。
「え? 告白されたんじゃないの?」
だったら、初めっから、ちょっと不思議に思って尋ねただけってこと?
そう考えたら、結構私の「告白されたの発言」は勘違いが生み出した恥ずかしいものだってことになるんだけど……。
「告白されてなんか、ない」
ぽつり、と悠矢が口にした言葉。
それは、切なさを感じさせるような、小さな、小さな言葉だった。
「告白されてなんかない……けど」
「けど?」
悠矢の言葉の真意が知りたくなって、思わず追いかけてしまう。
「俺、そんな立場になってるんだ」
「そんな立場? どういうこと?」
また尋ねてしまう。
そんな立場とはまた意味深な。
「……俺、好きな人がいるんだ」
「えぇっ!!」
唐突な爆弾投下に、私は聞いた人達が大爆笑ものの声を出してしまった。
「嘘っ? 誰? 誰? 三年の女子って誰がいたっけ……。あっ、佐藤り……」
「違う!」
私が必死で推測をしていると、悠矢は私を遮るようにして叫んだ。
「違う。……姉ちゃんなんかには教えない。……でも、相談させてほしいんだ」
「相談? 良いけど……」
私は、姉ちゃんには教えない、と言われたことに軽くショックを受けたけど、気にせず答えた。
「……その人、俺がその人のことを好きだって、絶対に思わないような人なんだ。……優しくて大人しくて、でもいざって時は俺を守ってくれるような、そんな人なんだ」
「へぇ、優しくて大人しくて、それでいざって時は悠矢を守る……どちらかというなら、暴力振るって問題起こした悠矢の方がその子を守る側じゃないの?」
「うるさい。……でもその人、俺のこと、欠片さえ意識なんてしてなくて、本当に、絶対に、俺が自分のこと意識してるなんて、絶対思わない、夢にも思わない人なんだ」
「絶対が多いよ。……それにその人、そんなに悠矢のこと守っているくせに、意識しないんだ?」
「うん。っていうか、多分、その人は俺のことなんか、完全恋愛対象外、下手すりゃ論外だと思っているから」
「いや、それは言いすぎなんじゃないのかな。少なくともその人は守っている時点で悠矢のことを特別だと思ってるはずだと思うんだけど」
「そんなわけないよ」
いつになく怯えている悠矢を見て、私は、何故か、瞬間的に、こう思った。
何か隠しているなって。
何を隠しているか分からなかったけど、私は、言った。
「そんなにその人は自分のことを意識してないなって思うなら、告白しちゃえば良いじゃない。
そうすればその人は嫌でも悠矢のこと気にするはずだから」
すると、悠矢の目に、輝きが宿っているのが見えた。
「ほ、本当に?」
「うん。本当だよ。……人間って、そういうものなのよ。自分に好意を向けているという人がいると分かったら、その人を守りたくなるようなもんだから」
私が微笑みながらそう言うと、悠矢は、決意を固めた顔で言った。
「姉ちゃんがそう言うんなら、俺、頑張るから」
「おう、頑張れ! 恋、実らせるんだよ?」
私は、悠矢の好きな人が誰なのかを知りもしなかった。
だから、一生懸命応援することにしたのだ。