第十七話 好き
「わぁ、美玖さんの家、広~い!」
美玖さんの家のリビングには、群青色のソファがある。その上に、ストライプ柄のクッションが隅っこに置かれていた。
テレビとソファの間に、丸い机が設置されている。
美玖さんは、そこに白いお皿を置いて、袋の中に入っているクッキーを取り出して、ばっとお皿に乗せた。
「遠慮しなくていいからね?」
「わーい」
衣織ちゃんは、早速クッキーを食べた。クッキーの下に手を添えている。こぼれないようにしているんだとすぐ分かる。女の子らしいな。
でも私は、こう、人の家に来たことがあんまりなくって、だから、この対応にも、少しだけ遠慮してしまうんだ。
「あーもう。遥乃ったら、遠慮しないでって言ったじゃん」
美玖さんは腰に手を当てて、呆れたように言った。
「……え、でも、こういうことに、慣れてなくって……」
私がぶんぶん両手を顔の前で振ると、美玖さんはため息をついた。
すると、衣織ちゃんが自分の水筒の水を飲んで、言った。
「でも、そういう奥ゆかしい控えめな子って、モテるよ? ほら、男を立てる女は良いって、この前藤沢が言ってたじゃん」
衣織ちゃんは、美玖さんの方に顔を向ける。
すると美玖さんは、もう一回ため息をつく。
「それは多分、衣織に対して言ったんだと思うよ? 衣織は目立つけど、男の子を褒めるのが上手でしょ?」
「えー違うって。みくちゃんったら、そんなお世辞ばっかり」
でも、それは本当だと思うな。
だって、衣織ちゃんは服も顔も性格も可愛い、典型的なモテる子だもん。褒めるのは上手だよ。
「あ、そういえば恋バナ、始めちゃいましょ」
美玖さんの一言で、恋バナは開始した。
◆◇
「まず衣織。衣織はどうして晴樹を好きになったの?」
「えぇ……」
頬に両手を当てて、赤くなっている衣織ちゃん。そんな姿もあざとくて可愛い。
「……何かね。私が塾の授業中に、先生に当てられて。その問題がどうしても分からなくてね。
困って、一人で悩んでたの。皆が『早くしろよ』ってヒソヒソ話してて、怖かったんだ。涙も出そうだった。
だけど、晴樹君が、『東さん、ちょっと困ってるようなので、僕が言います』って答えてくれたの。それだけでも嬉しかったのに、授業が終わった後、『ここはこうやってやれば分かりやすいよ』って丁寧に教えてくれて……。それで……私の、初恋、だったんだよね……」
話していくにつれて、どんどん顔が赤くなっている衣織ちゃん。
「へぇ、可愛いねぇ」
美玖さんはニヤニヤしている。
「私って、意外とコロッと行っちゃう人なのかなって思って……」
衣織ちゃんが「てへへ……」と苦笑いすると、美玖さんは「いやいやぁ~」と手をひらひら振った。
「衣織みたいに純粋でピュアな子には、それぐらいの出会いがちょうどいいって」
「え、いや、ピュアじゃないよ!!」
美玖さんは「あははっ」と笑っている。照れて首をぶんぶん振る衣織ちゃんも、また可愛い。
「じゃあ次、みくちゃんね」
「あぁ、はいはい、私ね……」
美玖さんは、「ゴホン!」と咳払いして、話し始めた。
「私もね、実は初恋なのよ。
私さ、恥ずかしながら、五年の頃、一人の子をいじめてたのね。それを見付けた衣織が、『やめようよ!』って言ってくれたの。
晴樹も、その時、いたんだよね。それで、『いじめなんかしたら、絶対駄目だ』って説得されて。
その時、失礼かもだけど、ドキッってしたんだよね」
美玖さんの言葉に、衣織ちゃんは頷いた。
「確かに。あの時、睫毛長いなって思ったし、顔綺麗だったよね。私も思わず見とれちゃった」
二人とも、恋する乙女って感じで、可愛い。
「それで、偶然、デパートに行ったら、会ったのね、晴樹と。それでその時、私がよろけて壁に立てかけてあった雑貨を、バラバラって落としちゃったの。心臓が止まりそうなほど恥ずかしくって、皆見てて、もう、どうにかなりそうだったの。涙まで出てきて、あぁもうどうしようって、心底思ったんだ。
そんな時、晴樹が、黙々と座り込んで床に散らばった雑貨を壁に立てかけて、片付けてくれたの。
『大丈夫だよ。心配しないで良いから』って言われて、私、今度こそ、泣いちゃったんだよね。
……そっからだよねぇ。晴樹を好きになったのは……」
「きゃっ、みくちゃん、可愛い出会いね!」
「そ、そんなことないって」
美玖さんと衣織ちゃんは、「キャーキャー」と騒いでいる。
「でも、遥乃は、初恋未経験なんだね。ホント、出会いが会っても不思議じゃないのに」
美玖さんは、お茶を飲みながら、私に言った。
「えっ、ほら、私なんか、四年まで地味で目立たなくって、皆から遠巻きにされてたからさ……。優しくしてくれる男子とか一人もいなくって……」
「そんなことなかったと思うなぁ。遥乃ちゃんって大人しかったんでしょ? だったら、それに惹かれる男子もいると思うけどな」
衣織ちゃんがフォローをくれる。
「……ねぇ、恋する気持ちって、どんな感じなの?」
私は、美玖さんに尋ねてみた。
もし、男子を見て、恋する気持ち、に当てはまっているのなら、その人のことが好きってことだもん。
「ん? ……うぅ~ん……。
何か、その人を見たら、嬉しいって思ったり、その人と会えたら楽しいって思うこととか、話したら、楽しいなって思えることとか、後は……。
その人を見ると、胸がドキッてなったりすることかな。
私はそうだから」
それを聞いて、一瞬私は、停止した。
その人と会えたら嬉しい……。
その人と話すと、楽しい……。
胸がドキッてなる……。
頭の中に、あの人の顔が浮かぶ。
大人っぽくて、私に寄り添って、心強い一言を、皆の前で言ってくれた……。
平野晴樹君……。
ダンッ!!
まさか、の出来事で私は頭がどうにかなってしまいそうだった。
思いっきり、机に手をついて、立ち上がった。
「わっ、何、遥乃」
美玖さんはびっくりした様子。
「……もしかして、好きな人、出来たの?」
衣織ちゃんの言葉に、頷く私。
「「ええぇっっ!! 誰誰!?」」
目をキラキラさせて、こちらに近付いてくる二人。
言っちゃって……、いいのかなぁ。
だってそしたら。
私達三人、完全に、ライバルってことになっちゃうから……。
でも、良いのかなぁ……。
私の頭の中で、二択を巡った、戦いが始まった。
◆◇
~脳内討論会~ (茶番)
「では、好きな人を二人に言う側のAさん、意見をどうぞ」
眼鏡をかけた議長が、「好きな人を言う側」のAさんに問いかける。
途端にAさんは立ち上がって、大声で説明した。
「はい。……先ほど、松宮美玖さんが言っていました。それは、親友三人ライバルでいることで、更にお互いを高めあう努力をして、誰かの恋が実ったら、その人を応援する。それが、親友なのではないでしょうか。
こんな優しい親友に、隠し事はNGですよ!」
一通り話し終えたAさんは、席に座った。
議長が、今度は反対のBさんに向き直って、言った。
「では、好きな人を二人に言わない側のBさん、意見をどうぞ」
Bさんは、Aさんとは反対に、スッと立ち上がって、冷ややかに言った。
「はい。……もし、好きな人を言ってしまうと、ただでさえ平野晴樹は遥乃が好き、という噂が流れているのに、遥乃が言ってしまうと、噂話に強力な尾を付けることになります。
三人ライバルで親友だなんて、気まずくなります。幼馴染の二人がライバルならまだしも、六年で出来た人が同じ人を好きだなんて知ったら、突き放してしまうのではないのでしょうか」
Bさんは、大人しく席に座った。
「そんなことはない!」
Aさんは、Bさんの言葉に激しく反論した。
「美玖さんと東衣織さんの目線を見てください! キラキラしている目ですよ! 恐らく二人は遥乃が平野晴樹君を好きだということを予測しているんだと思います! 予想通りの反応をして何が悪いのですか!
親友三人全員ライバルだなんて、青春真っ盛りじゃないですか! 五年までまともに友達が出来なかった遥乃には、素晴らしい青春が訪れたと思いませんか!」
「あぁ、……まぁまぁ、座ってください、Aさん」
議長がAさんを座るようになだめる。そう言えば、Aさんは議長の許可を貰わないで話していたんだった。
「すいません、少し良いですか」
Bさんはスッと手を挙げた。
「はい、どうぞ」
議長はAさんをなだめるのをやめて、Bさんの話を聞くことにしたようだ。
「もしかしたら、青春が訪れない可能性だってあります。気まずい雰囲気になるに決まっています。……期待を裏切ってしまうようで悪いのですが、ここで『何でもない』と乗り切ってしまった方がいいのではないでしょうか」
「だから、違うって言ってんだろうがぁぁあぁ!!」
AさんはBさんの冷ややかな態度が癪に障ったのか、Bさんに殴りこもうとした。
議長が慌ててAさんを押さえる。
「良いか! 好きって疑惑が流れてるなら、良いじゃねぇかそんなこと言ったって! 五年の頃までクラスでは空気と同等の存在だった遥乃が、青春迎えようとしてんだぞ! それに、初恋を無駄に押し殺しちゃうことなんかしなくていいだろぉぉぉおぉ!?」
Aさんはよく分からない叫びをしている。
「だから、その想いを自分の心の中に秘めておけば良いのです。そしたら初恋を無駄にせずに済むでしょう」
「お前っ。せっかくずっとクソみたいなぼっち生活送ってきた空気と同等かそれ以下の存在だった遥乃が恋してるんだぜ!? 恋愛小説に出てくる初恋しても良いじゃないか!」
Bさんは冷静に判断して話しているが、もうAさんを止めることは出来ない。
流石にこれはヤバいと判断したのだろうか、議長はパァン!! と手を叩いて、叫んだ。
「討論会、終了!」
◇◆
脳内激戦討論会、終了。
にしても、本当に、どうしようか。
Bさんの言うことも一理ある。せっかくのこの関係を壊したくないなら言わないし、初恋を燃え上がらせたいならAさんの言うことに従うことにする。
私はAさんの方に賛成するが、それにしてもAさんは「クソみたいなぼっち生活」だの「空気と同等かそれ以下の存在」だのと悪口にもほどがある悪口を言っていたのだが。
悩んだ末、私は決断した。
よし、言ってやるぞ!
「私の好きな人は……。
平野晴樹君……です……」
そして、美玖さんの家には、悲鳴が轟いた。