第十五話 何が言いたいの?
夏休みが始まった。
夏休み中、おじさんやおばさんは勤めている旅行会社は仕事が忙しいそうだ。だから日中の今は家にはいない。
私は、夏休みという長い休みが好きだけど、嫌いだ。
好きだと思う理由とかは、長い休みだから旅行行けたりする、とかだけど。
嫌いだと思う理由は、宿題の自由研究にある。
自由に調べて良いって言われても、何を調べれば良いのか分かんないから。
星座を調べようと思っても、夏と冬の大三角とオリオン座の星座しか分からないし、工作をしてみようと思ったらぐちゃぐちゃになるし。
「虫の生態について調べてください」とか、お題が指定されたものはとことんやれるけど、「何でも自由にしてください」って言われたら、途端にアイディアが浮かんでこないのだ。
だから、自由研究って言うのは苦手だ。
だが隣に座って黙々とゲームをしている弟はそうではないらしい。今年は時計を作るとおじさんおばさんに話していた。図画工作のアイディアのひらめきや創造力が豊かな弟は、図工の成績はオール「よくできる」だった。
つまり、私とは正反対なわけだ。
さて今年は何をしようかな、どうせ思いついてもすぐやめるけどなぁ、と悩んでいると、突然悠矢がゲーム機を閉じた。
カチャン。
何事かと私は悠矢の方を向く。
ゲームを机に置くと、悠矢は私に向かって言った。
「姉ちゃん。アイス、買いに行こう」
ア、アイス……?
「な、何で……」
「いいからっ!」
悠矢が私の手を掴んだ。
流石は暴力男と呼ばれる男だ。私よりも体が小さいのに、椅子に座っていた私をあっという間に玄関まで引きずっていった。
「靴履いて。……お金はあるから」
「ねぇ、悠矢? 急に何で?」
訳が分からないまま靴を履くことを強要された私は、悠矢に尋ねた。
しかし悠矢は、私をキッと睨みつけて、叫ぶように言った。
「いいから!!」
私の腕を掴んで、思いっきり玄関のドアを開ける。
◇◆
夏の午後一時。蝉の音が鳴り響いている。
じんわりと私達を溶けさせるような、蒸し暑い日だった。
「ねぇ、悠矢っ」
無言のまま、私の手を引いて走り続ける悠矢に尋ねた。
「何で、いきなり!?」
「…………」
その問いにも、悠矢は答えない。
なんだか、悠矢が突然私とは違う生き物に見えて、何でか知らないけど、涙が出そうになった。
と、前方にコンビニが見えた。
悠矢のお目当てのアイスはここにあるはずだ。
「ねぇ悠矢。コンビニが見えたよ!」
私は、汗だくになった顔を、掴まれていない方の腕で拭いながら、悠矢に言った。
「……!」
その途端、悠矢は、くるっと方向転換した。
「え? ちょっと、悠矢、何で?」
アイスを買うんじゃなかったの?
「ねぇ、悠矢!」
「うるせぇ!」
悠矢の言葉に、私はグッと黙り込んだ。
表情が、真剣そのものだったから。
「…………」
私は仕方なく、黙ることにした。
◆◇
連れてこられたのは、路地裏。
大人がやっと入れるくらいの小さな隙間の中に入ると、悠矢と私は、水泳の後みたいに、「ぜぇぜぇ」と息を切らしていた。
「ね、ねぇ、悠矢。もう喋っても良い!?」
「……あ、あぁ」
はぁ、はぁ、と息を荒らげている悠矢。
しばらくして、悠矢の息が正常になるまで、私は黙っていた。
悠矢の息が正常に戻った頃、私は、やっと尋ねることが出来た。
「悠矢、何で私を無理矢理連れて行ったの? 何でこんな所に立ち寄ったの?」
「……………」
尋ねても、悠矢は黙ったままだった。
沈黙が続く。
それは恐らく数秒だったと思うが、私には一分に感じられた。
もう一度、口を開く。
「ねぇ」
「俺は」
言葉が重なる。
「……」
悠矢が喋ったので、私は黙っていることにした。
「俺は、アイスを買いに行きたかったんじゃないんだ。
姉ちゃんに、言いたいことがあるから、誘ったんだ」
「え、言いたいこと?」
何だろう。思い当たる節が全然見当たらない。悠矢の分のクッキーを食べてしまったのは私と真城家が同居する前の話だし、図書館から本借りてきてって悠矢に言われて、私がそのことを忘れたときも、閉館前の図書館にダッシュで借りてったし……。
「姉ちゃんが同居するって話になったとき、本当、びっくりした。……でも、仲良くしていこうって決めたんだ。
でも、段々、姉ちゃんの笑顔とか、おせっかいなところとか、妙に引っ掛かるようになってきて……」
妙に引っ掛かるって……。やっぱ、気持ち悪かったのかな?
もしかして、そのことを言いに?
「姉ちゃんが、何でも相談してって言った日に、その妙に引っ掛かることの正体を、確信したんだ」
え、ちょっと待って、何で……?
私が何でも相談してって言った日に、私のこと、嫌いになっちゃったの?
もう笑うなって、言いたいのかな……?
「俺は、姉ちゃんが…………」
悠矢がそう言いかけた時。
「あーーっ。遥乃ちゃん!」
明るい声がした。
「……い、衣織ちゃんに、美玖さん!」
そこには、アイスを片手に手を振っている衣織ちゃんと美玖さんがいた。
「どうしたの、……男の子と二人で路地裏にいるなんて」
衣織ちゃんがニヤニヤしながら尋ねる。
「い、いや、……この子は、弟だから」
私は、衣織ちゃんがあらぬ誤解を突き進めてしまわないよう、慌てて言った。
「あ、じゃあ貴方が噂の悠矢君?」
美玖さんが悠矢に顔を近付けて、言った。
「……はい」
悠矢は、俯きながら頷いた。
「へぇ、お姉ちゃんここに連れ出して、何してるの」
衣織ちゃんが、少し笑う。
「……別に」
相変わらずぶっきらぼうだけど、悠矢は、少しだけ頬が赤くなっていた。
「あ、じゃあ私達、市民プール行くから。またね」
美玖さんが、手をひらひらと振って、衣織ちゃんと手を繋いで、歩いて行った。
ホント、あの二人は仲良しだな。
衣織ちゃんと美玖さんの関係のような、そんな親友が出来たらいいな。
◇◆
私達は、家に帰ることにした。
悠矢が買いたがっていたアイスも、ちゃんと買って帰ることにした。
そこで私は、聞いてみた。
悠矢が、何を言いたかったのかを。
「ねぇ悠矢」
「ん?」
珍しく優しげな声をした悠矢。不思議と、顔も、優しそうになっている。
「あの時、何て言おうとしたの?」
その言葉を聞いて、途端に、悠矢の顔は、優しそうな顔から、恥ずかしそうな表情に変わっていった。
「……な、何でもない」
悠矢は、恥ずかしさを隠すようにして、アイスキャンディをガリっと噛んだ。
そして、おぞましい表情を浮かべる。冷たさが歯から全身に伝わったんだろうな。
私は、悠矢を見て、笑う。
更に恥ずかしくなったのか、悠矢はそっぽを向いて、アイスを黙々と食べ始めた。
でもあの時。
『俺は、姉ちゃんが…………』
あの時、言いかけてた言葉は。
私が、嫌いで、言ったのだろうか。
でも、そしたら路地裏に連れて行かなくてもいいはずだ。
何で……?
答えは見付からず、私はその後、一時間ほど悩んでいた。