第十一話 ショッピングモールにて
それから月日が流れ、六月十五日のこと。
私は、衣織ちゃん、美玖さんと共に、ショッピングモールに出掛けることになった。
◆◇
事の発端は、一週間前だった。
いじめも終わって、やっと美玖さんと普通に話せるようになった時だった。
突然、美玖さんに、何かを渡された。
可愛い紙袋に包まれた、小さな何かだった。
恐らく小物か何かだろう。
でも、何で……?
放課後、私は女子トイレで紙袋を開けてみた。
中から出てきたのは、リップクリーム。
「わっ!」
思いもよらないサプライズに、私は、目を輝かせた。
私が美玖さんに壊されてしまったリップクリームと、全く同じ、色も香りもおんなじだった。
嬉しくって嬉しくって、早速その場で使ってみた。
「うん。やっぱ、これだよね」
壊されてしまってから、中々味わえなかった、唇に広がる葡萄の味。
鏡を見て、ほんのりピンクになった唇を見た瞬間、私の顔に笑みが広がった。
「あのさ、ホント、ごめんねっ!」
「え?」
トイレの扉の方から、美玖さんの声がした。
そこには、頭を下げている美玖さんと、美玖さんの背中に手を置いている衣織ちゃんがいた。
「……本当に、ごめんなさい! 私、晴樹にかばわれてる遥乃が、羨ましかったの!」
「……そんな、何も、頭を下げなくても……」
「ごめんねっ!」
美玖さんは、私に必死に謝ってくれている。
謝ってくれなくてもいいんだよ。
このリップクリームに、その思いが詰まっているから。
「全然平気だよ。……今度、三人でどこかに遊びに行かない?」
私は、仲直りの言葉で、そんなことを言ってみた。
すると、それまで黙っていた衣織ちゃんが、いきなり熱を帯びて喋りだした。
「じゃあさ、今度の日曜日、三人でショッピングモール行こっ?」
「「え?」」
◇◆
キラキラと光る衣織ちゃんの目には、人の反対意見を寄せ付けない、ものすごいパワーを放っていた。
『そのショッピングモールの中にすっごい可愛い文房具が売っているお店があってね? 私も、そこで文房具買ってるんだ。……ホント、香り付きの消しゴムとか、可愛い鉛筆とか、方眼ノートとか、とにかく沢山売ってるんだ! 絶対気に入るものあるから、見に行かない?』
あの言葉の並べようは、凄まじかった。
これが、本当の「可愛い」を全力で推す女の子なんだなぁ、と思った。
そして、今日、六月十五日、土曜日。
土曜の昼は、この目の前にそびえたつショッピングモールの中に、沢山の人がいる。
私も、今日は珍しくお洒落をしてみたのだ。
私が「明日ショッピングモールで買い物するから、お洒落していきたいんだ」と言うと、おばさんが、「そういうかと思ってた」と、戸棚からこれでもかってくらいの可愛い服装を引っ張り出してきた。
シャツにキャミソールがくっ付いているやつとか、花柄のスカートとか、沢山。
中には絶対私には似合わないと思う、おとぎ話のお姫様のような服もあった。
悠矢にも、少し聞いてみたのだ。
「ねぇねぇ、この服、似合うかな」
私は、自分の部屋でゲームを熱心にやっている悠矢に、声をかけた。
「は? 姉ちゃんなんて、不細工だから、どんな可愛い服も似合わないに決まってんじゃん」
ゲームを見る目をこちらに向けようともせず、悠矢は言った。
やっぱり、いつものキツイ言葉を平気で放ってくる。
でも、実際私もそんなに可愛いと思っていない。どちらかと言うなら無難な服装で、柄物とかではなかった。
だけど、私は派手な花柄が沢山プリントされている服よりも、シンプルなものの方が、似合うと思うから。
それに、私がこんなに派手で、私が着るのはもったいない服なんか着ちゃったら、逆に、可愛い服装が似合う衣織ちゃんや美玖さんに、申しわけない。
「……そんなこと、言わずに、……ほら、少しはゲームから目を離しなさい」
私は、つかつかと悠矢の方に歩み寄り、悠矢の前髪をそっと上げてみる。
「何、姉ちゃん、キモ……」
ゲームから顔を上げた悠矢は、言葉を止めた。
ちょっと待って。何で止めたの?
「え、っと、悠矢? この服、どう、思う?」
私の言葉に我に返った悠矢は、ハッとした様子で、私の服装を改めて見つめている。
そして、ボソッと言った。
「良いんじゃねぇの? か……いし……」
最後の方はうまく聞き取れなかったけど、でも。
今、良いんじゃないって、言ってくれた!
「ありがとっ、悠矢!」
いつもより数倍上機嫌な私に、悠矢は驚いたのか、「な、何笑ってんの、気持ち悪っ」と後ずさりした。
「ひどいなぁ、悠矢は」
でも、今の言葉、すっごく嬉しかったよ。
◇◆
「わぁ、めっちゃ広い!」
大きな自動ドアが開いて、涼しげな空気が、私達を包み込んだ。
「……はしゃぎすぎだよ、遥乃ちゃん」
私はショッピングモールの人の多さにも、冷気にも感動していた。
「衣織ちゃんと美玖さんは、来たことあるの?」
私は、さも当然かのように振る舞っている二人に、尋ねた。
「うん。来たことあるよ、月に一回ぐらい」
「よくみくちゃんと来てるんだ。服とか見て回ってる」
この二人は、すごい。ちゃんと可愛さのことを考えている。
「へぇ、……じゃあ、どこにどんなお店があるのかも、知ってるの?」
私が尋ねてみると、美玖さんは急に熱を帯び出したように身を乗り出して言った。
「うん。そりゃあもちろん。えーっと、確か五階になんだっけ、シャーペンの超可愛いのが売ってる、あのお店」
「うんと、確か、五階にもう一つ、文房具店があったんだよね。あと、ユニクロが三階で」
衣織ちゃんと美玖さんは、まるで本物の女子のように(いや、女子なんだけど)騒ぎ始めた。
「にしても遥乃。今日の服、可愛いじゃん」
美玖さんが、気付いたように、私に向かって言う。
「え、そ、そうかな?」
私は、褒められることに慣れてなくて、妙に驚いてしまう。
もちろんこれはおばさんのチョイス。だからそうかな、なんて返事は、少し失礼なのだけれど、でも、私もお気に入りだし、悠矢のお墨付きだから、……まぁ、可愛いなって思ってたんだ。
それを褒められると、なんだか、おばさんと悠矢まで褒められた気がして、すっごく良い気分だし。
「本当だよ、ちょっとシンプル系だけど、少し柄物を取り入れれば、遥乃はあんまりスタイル悪くないんだし、似合うんじゃないかな」
美玖さんの的確なアドバイスに、衣織ちゃんも頷く。
「今日、服も少しだけ見てく? 今度ネットで買いなよ」
衣織ちゃんの言葉に、私は少し頷く。
今から、楽しいショッピングの始まりだ。
◇◆
「ねぇねぇ、こんなのどうかな、可愛くない?」
服屋の試着室のカーテンを開けたのは、脚長ジーンズを履いた衣織ちゃん。
スタイルもよくて足の長い衣織ちゃんは、更にスタイルの良さが引き立っていて、すごくお洒落。
「可愛い、衣織ちゃん!」
「わぁ、めちゃくちゃ似合ってんじゃん! 可愛い、衣織」
美玖さんは、私とほぼ同時にそんなことを言った。
「えへへ、じゃあ今度買ってみようかな」
照れくさそうに笑う衣織ちゃん。そんな姿もまた可愛らしかった。
◆◇
「ねぇ、見て、このシャーペン、めっちゃ可愛くない!? 推すところが月の形になってるの!」
衣織ちゃんは、文房具店で、可愛らしいシャーペンを見付けていた。
推すところが、繊細な月の形をしている。繊細だからこそ、すぐ壊れそうな感じがしている……。
「あ、ホントだ! 可愛いね。……ねぇ、この消しゴム、パイナップルの香りなんだって!」
美玖さんが、消しゴムを差し出す。黄色い色をした消しゴムで、ビニール越しから香りが伝わってくるんだとか。
当の私は、キラキラと輝く文房具の数々に目を奪われ、あちこちの物を手に取っていた。
ソーダの香りの消しゴム、大人っぽいパンや目玉焼きが描かれている鉛筆キャップ。無地で可愛いペンポーチ、0,2mmのシャーペン。
とにかくつい先ほどまでの私とは無縁だった世界が目の前に広がってたもんだから、私は魅了されて、しばらくそこに突っ立っていた。
◆◇
私がそこの文房具店から名残惜しく出た時は、もう空が夕焼けに染まる頃だった。
衣織ちゃんと美玖さんの二人が住んでるマンションの前で解散し、私は自分の家までの道を歩く。
右手には文房具、左手にはポーチ。
やっと女の子らしくなったな、と思う。
悠矢、私の文房具見てどう思うかな。
きっと、姉ちゃん女子みたいなもん買って、ブスなのにキモっ、って思われそうだけどね。
私がそう思って、家の前の通りに足を踏み入れた瞬間。
「はぁ? あんた、何、クソ生意気なんだけど!」
事件は、起きた。