ケーラ・N・Hル卍への道
・鋼の足並みが揃えられた屋敷がある。
数百年前から日常でありふれた景色と文明の一部と化している空中車両の製造本社であるKYMグループと肩を並べる大企業・Hル卍グループの総帥であるステメラ・I・Hル卍の住居だ。
1000年以上前のとある一族が生み出した生体人形が由来とされる機械人形の製造メーカーであり、人工の使用人としても、義肢としても有用でやはり文明の一部と化しているモノの製造メーカー総帥の住居と言うだけあって並のマンモス団地の合計面積よりも広い敷地を有している。きっと無理に詰め込めば1000人は住めるだけの敷地に、しかし実際に住んでいる人間は一人だけだった。
「……で、あたしに何の用だい?」
背もたれの長い椅子に座るステメラの正面に立つのは巨漢と見紛う程に筋骨隆々で長身の女性だった。
ステメラの娘、長女であるミネルヴァ・M・Hル卍である。魔法格闘技で若干20歳にして全国を制覇し、現状唯一のタイトルホルダーであるユイム・M・X是無ハルトや先代ホルダーであり彼女の姉であるキリエ・R・X是無ハルトよりも強いのではないかと噂されている程の強者だ。普段は住み込みの実業団で過ごしているためこうして実家に戻り、父の顔を見るのは高校時代以来だ。たった2年ほどだがその2年間一度も面会していないしこの家に帰ったこともないため非常に久しく思える。しかし、出来ればその感動は永遠に生まれて欲しくはなかった。
父の英才教育によって自分は世界を手に取れたのだから。だが、その道程は非常に険しく厳しく、幾度心身を削ぎ落とした事か。それに、国家という制度が崩れて久しい現代の世界をまとめている議会の一員にして事実上のトップであるとは言え、その権力を使って何やら裏で手回しをしているのは何年も前から知っていた。別にそれを使って貶めてやろうなど考えてはいないがだからと言ってこの父親が好きになれるかと言われれば大声で拒めるだろうし、踏絵だって地割れが起きるくらい全力でやれる。
しかし全く親子の情がないわけではない。だからこうして休日に父親からの呼び出しに答えて来てやったのだ。
「……ふ、つっけんどんだな。それが実業団で学んだ態度か?」
「あたしは何の用かって聞いたんだが?」
「……先月の泉湯王国の事件は知っているか?」
「ああ、本当はもうとっくに非常事態で滅んでいたって言うのにあんたが必死になって何年もそれを隠していた国だろう? よくあんた無事だったな」
「それくらいの手回しはいくらでも出来る。それよりだ。私がお遊びで泉湯王国の状態を隠していたとでも思えるか?」
「……何が言いたい?」
「X是無ハルトは人間ではない怪物を匿っている。泉湯王国が滅んだ理由はそこにある」
「……いきなり何を言ってるんだ。怪物? もはや犬っころすら絶滅して数百年経っているのにか?」
「その怪物は数百年どころか数千年以上前にはこの地上にはいたよ。……ナイトメアカードを覚えているか?」
「……昔言ってた、パラレルカードの元になった魔法のカードだっけ? 確か400年前に地上を焼き払った最後の戦争・聖騎士戦争の原因と主戦力になったって言う、」
「そう。先月の事件はそのナイトメアカードと、X是無ハルトの怪物が密接に関わっている。私は外務省大臣としてこれらのことを善意で隠したかったのだよ。せめて解決の糸口が見つかるまではね」
「で、何さ。あたしにX是無ハルトと戦ってこいとでも?」
「そうだ。正確に言うなれば、ユイム・M・X是無ハルトに化けた怪物をここまで連れてきて欲しい」
「政府議会の勅命で出来ないのか?」
「ソースが話せない相手なのでね。しかし相手がどうであれ物的証拠を見せれば議会は動かざるを得ない」
「……」
「……とりあえずお前には奴が潜伏している山TO氏の高校パラレル部の臨時コーチとして数日程出向く事になる。既に手配もしてある」
「……あたしを呼ぶ前からもう決まっているってわけだな。だが、X是無ハルトのお嬢さんを誘拐なんてしたらあんただけじゃない。あたしまで犯罪者になっちまう。それはどうしてくれる気だ? まさかただあたしに上手い事やれって言うだけじゃないだろうな?」
「当然だ。お前には奴と戦ってもらう。当然お前が勝つだろう。だが、ギリギリまで追い詰めれば奴はナイトメアカードを使うだろう。奴はマサムネからナイトメアカードの所持と使用が許可されているが、しかし民間人相手への使用は許可されていない。だからそれを誘発させればいい」
「……口では簡単に言ってくれるが、それでも簡単じゃないよ? あたしがどんなに追い詰めようがナイトメアを使わないかもしれない。そりゃあたしが、大臣の娘がナイトメアカードとやらの餌食になればあんたが直々に調査するための口実にはなるかも知れないがね。それにわざわざ戦わなくとも何だかんだ言ってここに連れ込むのはだめなのか?」
「ここで奴を暴れさせろと? お前には戦いで奴を消耗させてもらいたい。パラレル同士なら間違いなく勝てるのだからな」
「……いや、やっぱり成功率が高いとは思えない。やり方はあたしの好きなようにさせてもらいたい」
「……いいだろう。これが奴のデータだ」
ステメラは電子ホチキスで留めた書類の束を投げ渡す。気だるそうに片手で受け取ったミネルヴァはとりあえず斜め読みをする。と、やがてその視線が鋭くなる。
「……ここに書いてある事に嘘はないんだな?」
「ああ。最後のページに政府議会大臣としてのサインをしてある。少しでも嘘の情報があれば訴えてくれて構わない」
「……」
書類を握り、ミネルヴァは父の視線の先を背中にしてこの家を後にした。
・山TO氏学園。30世紀のこの世の中における首都・山TO氏の中心部にあるエスカレータ式の女子校だ。
パラレルカードの歴代タイトルホルダーの家系であるX是無ハルトの少女が通うだけあってこの学校のパラレル部は毎年必ず全国大会に出場している程の強豪である。
毎年数多くの生徒が入部を希望する。しかし、ここ数年は違った。
2年前に起きたある事件によって一時は5人しか部員がいない状態にまで落ち込んだ。顧問のMMも自棄にすらなれずに放置することを決めていた。しかし、ある少女が起こした事件によって転機は訪れた。
ユイム・M・X是無ハルト。
現在のタイトルホルダーであり、先代ホルダーのキリエ・R・X是無ハルトの妹。
そして半年前に起きたと言うX是無ハルトの海上エキシビジョンの舞台だった客船の沈没事故を起こした張本人だと言われている少女。
しかし実は今いるユイムとは別人だ。
「ユイムちゃーん。おっはよー!」
「相変わらず朝が早いね、ユイム」
「ティラさん、ラモンさん。おはようございます」
友人と挨拶をするこの少女は姿こそユイム・M・X是無ハルトだが、中身はライランド・円cryンと言う別人だ。
半年前にエキシビジョンでユイムと戦った少年が、その舞台となった客船を沈めた後にユイムによって自分の体と入れ替えられてしまった被害者の少年。
交換と言うカードで姿を入れ替えられた後も度々本人同士は再会している。
しかし、政府議会からの勅命により、その事実は伏せられていた。混乱を抑えるためだ。
「……それがあの子か」
職員室。昇降口に向かうライラ含む3人の少女を見やるミネルヴァの姿があった。
「ミネルヴァさん? ユイムさんがどうかなさいましたか?」
「いんや、何でもないですよMM先生。ただ、現在のタイトルホルダーがどんなものか見ていただけさ」
「そうですか。でも、コーチになるからと言って本気で試合をしたりしないでくださいね? 世界でもトップクラス同士の選手の戦いが本気で試合をしてそれに耐えられるほどここのコートは頑丈じゃありませんから」
「あはは! あたしの全力の一撃は家だって消し飛びますよ? まあ、それは置いといて彼女、学校じゃどうなんです?」
「ええ、少し前までは粗暴な優等生と言う感じでしたが今では普通に大人しい優等生ですよ。半年前に事故で記憶を失ったみたいでして」
「……そう言っているのか」
「はい?」
「いや、何でもないですよ」
ミネルヴァは校内の地図を見やりながら自分の上司となるMMに返した。
・放課後。数百年前に行われた聖騎士戦争と呼ばれる大きな戦争の影響で地球上は季節を忘れた。
よって本来ならば残暑と秋の始まりが交わる9月と言う季節であっても風にはどちらの色も乗ってもいない。
色を忘れた風が吹く中、屋外練習場。
パラレル部のメンバーが更衣室で専用服に着替えてウォーミングアップに臨んでいる。
その中にはユイムと呼ばれる少女も混じっていた。
「……」
「どうしました? ケーラさん」
ライラは近くでキョロキョロと視線を揺らす少女ケーラ・ナッ津ミLクを見た。彼女はこのパラレル部の部長でもある。
「いえ、どこか違和感のようなあるいは既視感のようなものを感じたので……」
「この前のラットンと言う人でしょうか?」
「……いえ、あんな無機質ではありません。そしてそれ故におぞましいこの気配は、やはり……」
「おぞましいとは随分じゃないかケーラ」
そしてケーラが探る主の声がコートに響いた。
顧問のMMの隣に立つのは巨漢と見紛う筋骨隆々な女性であり、少なからずその姿を見た少女の中で悲鳴や驚愕の声が挙がるのを彼女は見捨て、ケーラとライラの前にやってきた。
「……ミネルヴァ姉さま」
「久しぶりだね、ケーラ」
「ケーラさん? お知り合いですか?」
「……私の義理の姉です」
「そして今日から少しの間だけこの部活の臨時コーチになったミネルヴァ・M・Hル卍だ」
告げられたその名前と改めて確認したその姿から多くの部員は先程までとは別の声を上げた。
「え!? まさか実業団でも活躍しているミネルヴァさん!?」
「高校時代は3年連続で個人戦全国優勝したあの!?」
「部長のお姉さんだったんですか!?」
「へえ、よくあたしを知っているよ。まだ中学生がほとんどだってのに」
「はいはい、皆さんお静かに! 今彼女が仰ったように今日から一週間、臨時でコーチをして下さる事となったミネルヴァ・M・Hル卍さんです。私も知らなかった話ですが部長のケーラ・ナッ津ミLクさんのお姉さんだそうです。皆さん、失礼の無いように」
「よろしく」
気さくにその大木の枝のような右手で挨拶するミネルヴァ。
それから中学部のメンバーは今までどおりの練習が始められ、高等部の5人はミネルヴァの前に集められた。
「これより実戦形式で組手を行う。一人ずつ掛かってこい」
「いやいや!! いきなり全国三冠王とタイマンなんて無理だよ!」
「何かハンデをくれませんか?」
「じゃあ自信のない奴はタッグでもいい。確かあんたらはタッグだったな。ならそれでいいや」
ミネルヴァの声にティラとラモンは一度顔を見合わせ、頷いた。
「壁・行使!」
ラモンが発動したカードによって両者の間に石畳が出現してしかもそれなりの速度で動き始めた。
「チャージ!!」
同時にティラはカードの効力で自身の魔力を1段階底上げする。
ついこの前手に入れたばかりのあのカードを使うための手段だ。本来なら大会で使う予定だったが全国覇者が相手なら申し分ないだろう。
しかし、
「ラァ!!」
ミネルヴァはカードを発動させないただの拳の一撃で動く石畳を粉砕して距離を詰めてきた。
「くっ!!」
ラモンが新たな石畳を生成させようとしたがそれより早くカードを持った腕を掴まれ、そのまま持ち上げられては投げ飛ばされた。
「ひっ!!」
投げ飛ばしたラモンを見ないままミネルヴァはティラに一歩で接近して拳骨するように頭を小突くとそのままティラは膝を折り、前のめりに倒れて気絶してしまった。
「おいおい、確かあんたらは珍しく体術が得意なチームなんだろう? それなのにカードすら使っていない相手に徒手空拳で負けちまうのかい」
「なら私が!!」
シュトライクス@・イグレットワールドが前に出た。
「エルブレイド・行使!!」
肘を中心とした両腕に刃のついた篭手を纏い、地を蹴って距離を詰める。
「たぁぁぁぁぁっ!!」
着地した足で自分の体を蹴飛ばし、跳躍。高度をミネルヴァの視線よりやや高い位置に上げ、肘の刃を振るう。パラレルカードによるダメージをほぼ無力化するライフ装置の範囲内のためたとえ斬撃であっても打撲以上の傷はそうそう与えられないだろう。そして、結果としてそれは叶った。
「な!?」
「ふん、威勢はいいが……この程度だな」
シュトラの放った一撃はミネルヴァの2本の指で受け止められていた。指だけの白刃取りだ。しかも受け止めているのは攻撃だけでなく、シュトラの体重全ても含まれていた。つまり、今シュトラの体はミネルヴァの指2本によって持ち上げられて滞空されていた。そして次の瞬間、その高度はさらに上がった。
「ぐっ……!!」
回し蹴りだ。ミネルヴァの右足が放った一撃がシュトラの脇腹を穿ち、地上4メートルの高さまで蹴り上げられ、そして頭から地面に落下……しなかった。
「へえ、」
「……少し乱暴だと思います」
シュトラの体はライラによって受け止められていた。そして、それと並行して懐からカードが抜かれていて、
「ステップ・行使!」
発動。シュトラが己の足で立ち上がると同時にライラは強化した両足で走り出した。5メートルの距離を一瞬で縮め、しかも正面からではなくミネルヴァの背後に回り込み、その右足に回し蹴りを放った。
が、ミネルヴァは右足の膝を曲げ筋肉を収縮させて防御力を上げて受け止めた。
「!」
「いい速さだ。威力も申し分ない。聞いたとおりの実力だ。だが、それ以上じゃないね!」
足を下ろしたミネルヴァはいつの間にか手にしていたカードを発動させた。
「ストリーム・行使!!」
「!」
ミネルヴァが発動したのはかつて妹も使用していた魔力をビームのように直接攻撃に転用するカードだ。ミネルヴァは見ての通りの近接戦闘型だがそれでも全国で3冠するからにはそれなり以上の魔力の持ち主だろう。直撃すれば自分でも耐えられるかどうか分からない攻撃だ。
しかし、砲撃と言ってもいい攻撃を高速で移動する自分との接近戦で使用すると言うのはどうしたことか。
その答えは、現実が証明した。
「ウラァァァッ!!」
ミネルヴァは右手から発射したビームで真上に上昇した。その巨体を空高くまで上げるにはかなりの魔力が必要だろう。だが、彼女が発射した魔力はその巨体を上げるだけに留まらなかった。
地上を打った魔力はやがて衝撃波を周囲にばらまき始めた。
「っ!!」
衝撃波から逃げるようにライラは距離を取るが、上からのビームは的確な動きでこちらを追撃してくる。
このままでは横移動でだけではいずれ追いつかれて終わりだろう。かと言って跳躍してミネルヴァ本人を叩こうにもどうしたって相手の射線に入る。そうなればやはり直撃を、しかも無防備な空中で受けてしまい、終わりだ。
……このままじゃ、どうしよう……!?
思考する。きっとこのままでは10秒は持たないだろう。限界に近い速度と反応で動かし続けている両足はそろそろ限界に達する。ジリ貧だ。少なくとも回避はもはや不可能。だったら防御か、敵の攻撃を上回る攻撃で突破するかだ。
……ストリーム……そう言えば過去に確か……あれなら行けるか……!!
電気の思考が決着を生んだ。
ライラは足を止め、ステップを解除して新たなカードを出した。
それは他のカードを劣化コピーして発動する、
「フェイク・行使!!」
そのカードの力でミネルヴァが発動しているストリームを半分の能力で複製発動する。だが、出力までは半分じゃない。
「はあああああああああああ……!!」
ライラが右手から発射した魔力はミネルヴァのそれと激突すると、少しずつだが押し返し始めた。
「ん!? そうか、確かユイム・M・X是無ハルトの肉体は魔力暴走体質! 常人の数十倍の魔力があるんだったな! 本人じゃないが使ってる体がそれだから利用出来るのか!」
「……!!」
激突する二つの魔力の流れに合わせてミネルヴァが何か違和感のある言葉を言っていたような気がする。
しかし、その言葉を再認識するより先に二人の間で、激突する魔力が臨界点を超えて爆発を遂げた。
ビームは消え、ミネルヴァは推力を失い、空から戻ってきて着地。
一瞬の後に構えを取るライラとミネルヴァは相手の手首から僅かな出血を確認した。
全身の血管を流れる魔力は、過剰に使用すると筋肉痛の要領で少量から多量の血管破裂を起こす。
今回二人の手首に起きたのはその予兆のようなものだ。これ以上魔力を酷使すれば血管が破裂しかねないと言う印。
「……まあ、こんなものかな」
やがて、ミネルヴァは構えを下ろし、ズボンのポケットから出したハンカチで手首を絞める。
「え?」
「これ以上やると流石のあたしも無事じゃ済まなさそうなんでね。一応タイトルホルダーが相手だしな。それにこのまま万一勝ち進めてもまだ一人残ってるわけだ」
「……」
ケーラは流れてきた義姉の視線をそのまま受け止める。
「それに、ひょっとしたら別の意味でもうひとり相手しなきゃいけなくなりそうだしな」
「へ?」
ライラがミネルヴァの視線の先を見る。そこには眉間にシワを寄せたMMの姿があった。
最初は意味が分からなかったが足場を見れば理由は分かった。整地されたコートは今の戦いですっかり穴だらけの荒地となっていた。
「ケーラ、手伝えよ」
「……まあ、これはこれで体を鍛えられますので悪くはないですね」
「あ、僕も手伝います」
それからは高等部メンバー全員とミネルヴァでコートの整地が行われ、それが終わる頃には部活の終了時刻となっていたためその日は解散となった。
・湯気と少女達の姦しい声が挙がるのは運動部用に作られたシャワー室だ。
パラレル名門校におけるパラレル部の練習は断じて易しい物ではない。時間にしてみれば2時間半程度しかないがその150分を汗1つかかずにいられるのはせいぜい顧問のMMくらいなものだ。
多くの部員は全身から湧き上がる汗の滝を流すために喜々としてシャワーを浴びる。この時間は至福だろう。
しかし今日この時ばかりはそれに同調しない少女が3名いた。ティラ、ラモン、シュトラの3人だ。
いずれもミネルヴァとの組手で攻撃を受けた場所の痛みが残っているためか適当にシャワーを浴びるとすぐに上がってしまった。よって高等部で残っているのはライラとケーラだけとなる。
「……」
「……」
沈黙が二人の間にはあった。
現在ユイム・M・X是無ハルトを名乗っているこの少女の正体がライランド・円cryンだと知っているのは政府議会の上役を除けば3名。
一人はユイムの姉であり、ライラを保護したキリエ・R・X是無ハルト。
一人は諸事情からライラ自らが事情を話した少女シュトライクス@・イグレットワールド。
そして、先日の泉湯王国への臨海学校前に助言なしで自ら気付いたこのケーラ・ナッ津ミLクだ。つまり、今隣にいるケーラはライラの素性をある程度は知っているのだ。
ケーラは本来の姿のライランド・円cryンを知らない。ただ、かつて正気でなかったとは言え本物のユイムに勝利したことのある同い年の少年と言う事は知っている。
外見は少女であっても中身は少年だと理解しているのだ。そしてその理解を意識しないはずもない。
況してや今は互いに裸体を晒すシャワー室だ。いつもなら他の同級生がいて空気を和らいでくれるのだが今はそうはいかない。自分達しかいないのだ。
確かに自分は年頃なのにおしゃれなどほとんどしない色気のない女かもしれないが、性的羞恥心が全くないわけではない。
「……」
「……ユイムさん。怪しまれるのであまり見ないでください」
「え、わ、っと、その、ご、ごめんなさい!」
仕切り越しにチラチラと視線を送るライラに言葉を送る。ライラの事情は他言無用だ。自分がライラの事を知っていると言う事実はキリエやシュトラにも話していない。当然今この場の人口密度の9割以上を占める中等部メンバーにもだ。だからケーラは飽くまでも同性の同級生相手に注意をしなくてはならない。
そしてそれは何も知らない第三者が聞けば、女の子同士なのだから硬くならないでいいだろうと言われてしまう可能性もある。そしてそう言われてしまえば意見は出来ない。
……そう言えば以前プール掃除の際にシュトラさんがやけに水着に着替えるのを渋っていましたね。あれはこう言う気持ちだったのでしょうか。
無心になろうと思いつつももし、自分の胸や股間が見られているとしたら……どうしてもそういうことを意識してしまう。その羞恥に自分の体はおかしな反応をしていないかどうか。
ケーラは今色々と冷静ではなかった。そんな時だ。
「よう、ケーラ。珍しく表情が多彩じゃないか」
ミネルヴァがそこへやってきた。もちろん場所が場所だから裸体だ。
筋骨隆々とは言え女なら裸になれば女らしく見えるのではないか?
しかし、事実は違う。彼女に胸囲はほとんどない。顔と股間を見なければ普通にマッチョマンにしか見えない。そのアンバランスにライラは悪い意味で表情を変えた。
「ケーラ、隣いいかい?」
「……どうぞ」
答えを聞くより前にミネルヴァはケーラの隣のシャワーを使う。その水音が周囲の注意と音を奪う。そして、
「ケーラ、よく聞け。お前の隣にいるのは男だ」
「……!」
滝のように流れ出る水の向こうから出た小さな言葉を一瞬理解できなかった。が、次の瞬間には回路はつながった。
「なるほど。お姉さまがここへ来たのもそれが理由ですか」
「何だ、知っていたのか? それで体見せてるとは我が妹ながら随分だな」
「同じ条件のあなたに言われたくありません。……それで彼をどうするつもりですか?」
「同じ条件、か。だったらその先の事実をお前は知らないようだな」
「その先の事実?」
「ああ。これこそ本当に他言無用だ。実はな、」
ケーラはその先に続いた言葉達を今度こそ理解できなかった。
・ナッ津ミLクの家は今では珍しい戦前の習慣が残った家だった。
かつては華道と呼んだその技術も今では名も無き慣習に落ち着いている。しかしそれでもその腕前はかつてのものと比べても相違ない。また、華道だけでなく柔道や棒術、合気道と言ったものを嗜んでもいる。だが、時代が進みすぎ、歴史が埋もれすぎて、それらの文化が日本という国にあった事実は今の世の中には確かめられない。それはそれらを嗜んでいるナッ津ミLク家でも例外ではなかった。
「……」
夜。夕食後にケーラは道場でひとり、正座で黙想をしていた。
……まさか、自分が最初に彼を確かめたのが間違っていなかったとは……。
しかし、それ以降の約半年。クラスが違うこともあって部活以外ではあまり接する機会はなかったがそれでも毎日の部活や、泉湯王国での経験からライラに対する信頼は間違いなく育まれている。その信頼の中で彼が幽かに見せる含みも気付いている。最初は性別やユイムについてだと思っていたが。
「私は明日から一体どのような顔で会えばいいのでしょうか……?」
小さく放った言葉は沈黙な空気の中に消えていった。
・翌日。昼休み。ライラはケーラに呼び出され、コートに向かった。
「どうしたんですかケーラさん?」
「……ライランドさん」
その呼びかけにライラは僅かに身構えた。ケーラは自分の正体を知っているがしかしその正体で見ることはたとえ1対1でもほとんどない。シュトラと違っていつ会話を聞かれてもいいように誤魔化しが効くようになるべく迂闊を見せないタイプだ。
「ケーラさん、何かあったんですか?」
「……私や、ミネルヴァ姉さまの父親は政府議会の大臣ステメラ・I・Hル卍なのです」
「……え?」
「それで昨日はあなたの事を聞かされました。あなたの体に眠る本当の姿の事も」
「……」
「……人型猛禽類・天死。それがあなたの本当の姿で合っていますか?」
問いかけ。しかしそれに返答はない。ライラは何かを言いたそうに口を開いては沈黙に飲まれ躊躇に押しつぶされている。だが、そこに焦燥の色がないのをケーラは見た。
……慌てているわけではない。いや、衝撃が重すぎてそこまで至っていないというところでしょうか?
やがて、ライラはやっと口を開いた。
「……はい。そうです。僕が今ユイムさんに預けている体は怪物の体です。僕の父親が純血の天死で、母親が人間なので僕はハーフです。ですが天死の血はどれだけ純粋さを失っても濃度に変化はないそうで、ハーフであっても僕は天死に変わりはありません」
「……ユイムさんやキリエさんはこの事を?」
「……いえ、話していません。でも、言い訳かもしれませんがいつか話すつもりでした」
「……」
ケーラは思う。自分は今、彼を攻撃しているのだと。そんな彼の姿は自分達を騙そうとしている物ではない。むしろひどく心を痛めている。……言われるまでもなく思い出すまでもなく今までの彼はどうかと思うほど誠実な少年だった。それは演技とはとても思えない。
今の、いや、今までの彼は騙していたのがバレて焦っているという色は全くなく、むしろ結果的に騙してしまっていた事に対してひどく心を痛めている状態だ。時折見せる陰りもそこにあるのだろう。
その表情は自分の問いかけに十分な返答となっていた。
「……ライランドさん。ごめんなさい。私があなたを騙していたのかもしれません」
「え?」
「私はあなたに真実を問いたかった。私はあなたを信じていたかったから。でも、私はあなたを何も見ていなかった。あなたが私達を騙しているはずがない事など私が一番良く知っているのに。私は勝手に私達が信じ合っている仲間だと思い込んでいながらもあなたの事を信じきっていなかった。……それは私を信じてくれていたあなたを裏切ったも同じ。……ごめんなさい、ごめんなさい、ライランドさん……」
「……ケーラさん。あなたは強い人です。だからどうかそんな表情をなさらないでください。僕はあなたほどの強さを持っていない。きっと、さっきの言い訳も本当に理由にならなかった。きっといつか話すと言っていながらもまだ僕がライランド・円cryンだと言う事すら話していない僕が、みんなにちゃんと説明出来たかどうか。あなたは僕に勇気をくれた。あなたの強さが僕を強くしてくれたんです」
「……ライランドさん……」
視線を合わせる二人。その時だ。ライラの電子端末P3が緊急通信のメロディーを発した。これはキリエか妹のリイラしか知らない番号だ。
ライラが慌てて手に取ると耳に響くのは後者の声。
「リイラ!?」
「お兄ちゃん! 大変よ! ユイムが……!!」
「ユイムさんが!? どうかしたの!?」
「機械人形達に連れられて行っちゃったの!! その中にはあの世界王者もいたわ!」
「世界王者……ミネルヴァさんが!?」
「……!」
「ユイムは戦ったんだけど、全然勝てなくて……!!」
「……分かった! すぐに行くから、リイラはキリエさんに連絡を!」
電話を切り、コールのカードを発動するライラ。
「ライランドさん、父の実家は機械人形の製造会社です。だからもしかしたら……!!」
「……ユイムさんを、僕の体を危険と判断したステメラ大臣が行動を……!?」
「……行きましょう、私が父の実家に案内します」
「……ありがとうございます!」
「ちょっと待ったー!!」
と、そこでドアを蹴破ってシュトラが突入してきた。
「事情はよく分からないけどユイムさんがピンチなら私も行くわよ!」
「シュトラさん……」
「……私達一人一人ならお姉さまに勝てなくとも3人でなら勝てるかもしれません」
ケーラが言うと同時にスカイカーが飛来した。
・Hル卍家。ミネルヴァは気絶したユイムを担いでそこにやってきた。
「はいよ、これでいいんだろう?」
「十分だ。気絶しているのか。……今の内にDNAを採取しろ」
「はっ、」
命令を受けた機械人形がユイムを受け取り、どこかへと運んでいく。
「これでもういいだろう? あたしは帰らせてもらう。まさか二日で終わるとは思っていなかったけどね」
「何だ、コーチ生活を楽しんだらどうだ?」
「冗談。来週末には宇宙山象のヴォーギル・Xanミル斗ンとの試合が待っているんだ。今からでも練習を再開させたいね」
「何を言う。そんな田舎の選手などお前なら徒手空拳だけで十分じゃないか?」
「あたしは妥協はしない主義なんだ。特に勝負事に関してはね。……だけどまあ、戦って面白い相手ならもっと面白くするための努力ならするかもしれないけどね」
「……まあいい、私が手塩にかけて育てたのだ。決して敗北を見せてくれるなよ」
「へいへい、胸糞悪い仕事はこれっきりにしてくれよ」
ミネルヴァが父から背を向けた瞬間だ。彼女の正面のドアから1体の機械人形がやってきた。
「マスター、こちらに向かってくるスカイカーが1台あります」
「所属は?」
「X是無ハルトです」
「……ミネルヴァ、貴様何かしたのではないだろうな?」
「あたしは何もしていないさ。……心当たりはあるけどね。まあいい、あたしが出てくるよ。どうせ来る奴は決まってるんだ」
「ライランド・円cryンか。殺すなよ? 殺せばチェンジで交代したユイム・M・X是無ハルトも死ぬ。そうなれば研究が出来ない」
「はいはい。どのみちパラレルで人が死ぬものかよ」
表情を変えたミネルヴァが正面の機械人形を片手でどかし、ドアの向こうに去っていった。
長い廊下。窓の外にはこちらに向かってくる小さな一点があった。
「なるほど。X是無ハルトのスカイカーは特別製だと聞いたが一般流通のに比べてあれほど速いのか。そう言えばあの中にはKYMのお嬢さん方もいたな。だったら足に関しては困らないどころかむしろこちらが困るかもしれないか」
ミネルヴァが口角を上げながら足早に巨体を進めた。
・Hル卍邸。駐車場にスカイカーが着陸し、ライラ、ケーラ、シュトラが降りる。
「ここが、Hル卍の……」
「……来た覚えは無いはずですがどこか懐かしい気がしますね」
「それより早くユイムさんを助けに行くわよ!」
3人が正面玄関へと足を進めると、自動ドアのようにドアが開かれた。そして中から3人の機械人形が姿を見せた。
「ライランド・円cryン様、ケーラお嬢様、シュトライクス@・イグレットワールド様でいらっしゃいますね?」
「申し訳ありませんがここから先に行かせるわけにはいきません」
「どうしてもと言うのでしたら私達を破壊してからにしてください」
3人は言うや否や電子箒を手に取る。柄から出る電気の塊を使って掃き掃除をする道具だが今、放たれている電気の出力は通常の5倍に達していた。こうなればスタンロッドの類と大差ない。そして3体の人形は足裏からジェットエンジンを噴射して一気に距離を詰める。だが、それらは何一つ届かなかった。
「ステップ!」
「レンゲル!」
「エレキ!!」
3人はそれぞれカードを発動して行動に移す。
ライラは敵の突進を側面に回り込んで回避し、横蹴上げで柄を蹴ることで電子箒を掴む手首ごと切り離した。
ケーラは電流が流れていない柄を杖で打ち、叩き落す。
シュトラは左手から電気を放って相手の電子箒の出力を過剰に上げてショートさせる。
3人は最初の行動を終えると、相手が次の動きを起こすより前に距離を詰め、それぞれ体術の一撃でその場に崩れ伏させた。
「先へ行きましょう」
3人は開いたままのドアから中に入る。と、入ってすぐの廊下にまた3体の機械人形が並んでいた。
「ミネルヴァお嬢様がお待ちしております」
「私達がご案内しますので付いてきてください」
言葉だけを残して3体は踵を返して廊下を左に進み始めた。ライラ達は顔を見合わせ、カードを発動したまま機械人形についていくことにした。ライラとシュトラは警戒を、ケーラは既視感を備えながら歩みを進める。
やがて、アリーナのような場所に到着した。その入口で機械人形は足を止め、3人に道を開ける。
ドアのない入口を抜けた3人はだだっ広い空間とその中央に佇む巨体を見た。
「……逆家庭訪問ってところかな? それともあたしと決着をつけたいかい?」
「ミネルヴァさん、ユイムさんはどこですか?」
「おいおい、それはあんたじゃないのか? ここは病院じゃないんだけどねぇ」
「ミネルヴァ姉さま、その問答は不要です。ユイムさんをお返しください」
「ケーラ、あんたには言ったはずだよ。そこの女はとんでもない怪物を他人となった体に隠していると」
「聞きました。ですが、どうしてこんな拉致まがいの事をするのですか? 政府議会を通して正式にユイムさんの調査や管理をすればいいはずです。そもそも、夏にユイムさんもライランドさんも政府議会に調査を受けています。異常があったのならそこで判明しているはずです。ならどうしてこのタイミングで?」
「さあね。あたしは知らないよそんな事。まあ、あれだ。あたしが言いたいのは、せっかく来たんだからゆっくりじっくりやり合おうじゃないかって事さ。タイトルホルダーを倒した人物に、あたしの妹。どうしてかお荷物もいるみたいだがまあいい。あんたら3人が相手ならさぞ楽しめるだろうね」
「それだけのためにこんなことに手を貸したのですか!?」
「あたしはやり合おうって言ったんだよ? 姉の言う事は聞くもんだ。……掛かってこい」
ミネルヴァがカードを懐から出す。と、同時にライラが地を蹴った。
「ユイムさんを返してください!」
20メートルの距離を1秒で詰め、その勢いを殺さぬままの前蹴りを繰り出し、しかしそれは岩塊のような脚に止められる。
「滅多な事を言うじゃないか。逮捕された殺人犯に武器を返せと言われて誰が返すんだい?」
「僕の体が危険だというのならせめてユイムさんにこの体を返してからにしてください!」
「もろともに抑えた方が早いだろう?」
ミネルヴァはカードを発動、両手に2本のトマホークを召喚して眼下の少女をなぎ払う。
「ぐっ!!」
「オラオラオラオラオラァ!!」
地を離れ、滞空のライラに接近して次々とトマホークで攻撃を加えていく。ライフの影響下では刃物であっても切り傷は発生せずただの打撃武器としてしか効果を成さない。しかしそれでもミネルヴァの筋力で左右から連続で打撃を浴びせられたらどうなるか。
「ぐううううう!!」
防御も回避も出来ずにライラは何度も地面を跳ね回り、石畳の上を無様に転がっていく。
「ライラくん!!」
シュトラが両手から電撃を放つ。が、それはミネルヴァにはカスリもしなかった。
「そんな、」
「言ったろ? 威勢はいいが、それだけだってな!」
シュトラの攻撃を回避しながらミネルヴァは立とうと足掻いているライラに詰め寄ってサッカーボールのように蹴り飛ばす。
「がはっ!!」
「ライラくん!!」
「お姉さま、もうおやめください……!!」
ケーラが地を蹴り、握ったレンゲルをミネルヴァに繰り出す。右下部からの払い上げだ。が、それをトマホークの石突で受け止めながらミネルヴァは嗤う。
「部長だって言うならもう少しいい動きをしたらどうだい?」
ケーラの体重移動が終わるのと同時にミネルヴァが前蹴りを放ち、彼女の体を正面に飛ばす。
「ぐっ!!」
空中で体勢を立て直し、正面からの攻撃に備えつつ着地したケーラは迫り来るトマホークの振り下ろしをレンゲルで受け流しつつ姉の側面を奪った。
「へえ、やるじゃないか! あたしの攻撃を捌けるとは、エイト以来だよ!!」
「何を余裕しているのですか?」
「何!?」
ミネルヴァが上体を起こした時だ。彼女は気付いた。自分が、相手3人と言う三つの点と線で作られた三角形の中央に居ることに。
「「「サンダー!!!」」」
3人は同時に3枚のカードを発動して、作り出した100万ボルトの電撃を三方向からミネルヴァに向けて発射する。
「ちいいっ!!」
咄嗟の判断だ。ミネルヴァは両手のトマホークを左右に投げる。金属で作られた2本は避雷針のように電撃を誘導して一撃ずつその軌道をずらす。が、ケーラが正面から放った一撃だけは対処が出来なかった。
「ぐうううううううううううううう!!!」
景色が青く変わった。全身が沸騰しそうなほど熱くなり、神経が踊り狂う。命中を確認したケーラは電撃に込める魔力を集中して威力を上げる。姉が膝を折り、全身から煙を上げるのを見てから声を飛ばす。「今です!!」
電撃が支配する空気に彼女の声が混ざると、ライラとシュトラが新たなカードを懐から出す。
「「噴!!」」
2枚同時にカードが発動され、電撃を浴びるミネルヴァの足元から爆炎が噴き上がり、炎が天井を貫く。
130万ボルトの電撃と2000度の爆炎二つの中に押しつぶされたミネルヴァは、その意識を摩耗され、10秒間の攻撃が終わった末にその巨体を石畳の上に倒した。
「……やったか」
ライラがカードをしまい、倒れて動かない巨体を見やる。10秒ほど見やってから動いてこないのを確認して他二人と合流した。
「大丈夫でしょうか……?」
「姉さまは怪物以上に頑丈ですのでしばらくしたら目を覚ますでしょう。お望み通りに激闘を演じてあげたのですから妨害もしてこないでしょう。今の内にユイムさんを探しましょう」
3人が背後を警戒しながらアリーナを後にする。と、入口で待機していたものとは別の機械人形が正面の廊下からやってきた。彼女は一人の少年をその腕に抱えていた。
「ユイムさん!!」
「ユイム・M・X是無ハルト様をお返し致しするようにとのご命令です」
「……お父様は?」
「会議のため先ほど出発なされました」
「……そうですか」
「ちょっと!! 事件起こしておきながら雲隠れってどういう事よ!?」
「いや、そのシュトラさん? きっとその事件の説明のために政府議会に行ったのだと思いますよ?」
自分の体で眠るユイムを背負ったライラはその感触を確かめてから、
「キリエさんも心配していると思うので一度X是無ハルトの家に行きましょう」
そう提案して駐車場に向かった。シュトラは腑に落ちない怒りを、ケーラは疑心を表情の色に加えながら。
・空を飛ぶスカイカー。中に乗っているのはステメラだ。しかしその車内の存在は1つではなかった。
「お望みのものが手に入ったぞ」
ステメラが試験管を手に取る。中には血液が入っている。
「天死の血液か。これがあれば天死を複製出来る」
声はステメラの正面に不気味に浮かぶ闇の中からだ。
「いよいよだ。いよいよ、私がこの星を統べる時が訪れた。……そういう事でいいのだな? ブランチ」
「うむ。我が理想に基づいた行動をしていればこの星の支配者など誰がなっても同じ。都合のいい立場を持っている貴様であれば何も文句はない」
「力の持った少数が無力で愚かな民草を選別して人類全体の質を上げる。そしてその中で私はブランチによって永遠の命をもたらされ、頂に立てると言う。くくくく……あははははは!!!」
醜悪な笑い声を乗せたスカイカーが空を飛んでいく。
・X是無ハルト邸。首都山TO氏の最北にある豪邸だ。流石にステメラのHル卍邸には及ばないがそれでもホテルの数倍程の面積を有し、私有地の面積は小学校から高校まで一貫である山TO氏学園の3倍もある。
半年前の事件でX是無ハルトの両親が死んでしまったため今は長女のキリエ・R・X是無ハルトが代表となっている。まだ18歳の彼女だが政府議会の魔法省の大臣でもある。そんな彼女は先月起きたばかりの泉湯王国での事件の後処理や書類管理、人員配備などの仕事に追われていた。最近は忙しく、本日は久々にゆっくり出来たと思った日だった。
そんな矢先にリイラからの緊急通信だ。思わず中身が入ったままのコーヒーカップを床に叩きつけてしまった。
制服に着替えたキリエがスカイカーで政府議会へ行くも、他の大臣は事態にすら気付いていなかったと言う有様だった。
スタッフを派遣して調査をしようとしたり、ステメラ本人を呼び出したりで忙しかった。
ステメラを呼び寄せて事情聴取をしようと準備をしていたのだがしかし呼び出しから1時間が過ぎても来る気配はなかった。
その1時間で何度もキリエはライラやユイムに連絡をしたがその間はミネルヴァと戦闘をしていたため一度たりとも応じる事は出来なかった。
そのミネルヴァを破り、ユイムを回収してスカイカーに乗ったところでライラ達はキリエからの連絡があったことに気付き、こちら側からキリエに連絡をするが応答はなかった。
「……キリエさん……もう政府議会に行かれたのでしょうか?」
「どちらにせよ、ユイムさんを休めないと……」
「リイラちゃんにメールを送った?」
「あ、じゃあ家に着いてからします。あいつも何だかんだでユイムさんの事を気に掛けていたはずですから」
「……お兄ちゃんだねぇ、ライラくんは」
それからわずかな空の旅の果てに会話が終わり、3人と乗せたスカイカーはX是無ハルト邸に到着する。メイドに出迎えられながら3人は家の中に入る。やはりキリエの姿はなかった。
「キリエ様からのご命令でこのまま家で待機してくださいとの事です」
「分かりました、ありがとうございます」
廊下を渡り、3人はユイムの部屋に到着した。ベッドにユイムを下ろすと、3人はそれぞれ椅子やベッドに座る。
「流石に疲れたよね。どう? ライラくん。今からここで一発やらない?」
「え? あ、あの、その……」
シュトラの誘い。ライラは表情を柔らかくしつつも目尻でケーラを見やる。
「……私は別室に行きましょうか? それともまさかご一緒したいとかお思いで?」
「え? いや、それはその……け、ケーラさんはお綺麗な方ですしドキっとすることはありますがその……」
「ケーラさん、よかったら私が手とり足とり仕込んであげましょうか?」
「……私も疲れています。そして私も乙女です。初めてを失うようなことがなければ戯れてみるだけの怠惰はあります」
「……ケーラさん……」
ケーラはユイムの眠るベッドの傍らに襟元のリボンを解きながら倒れた。だらしなく弛んだスカートの裾にシュトラとライラが上半身を埋めるように彼女の下半身の侵略に入った。
・ヘルマン邸。飛び出す1台のスカイカーがあった。
機械人形が操縦する旧式の、しかし速度は通常のモノより遥かに優れた戦闘機。常人では、況してやスカイビハイクル以外に空を飛ぶ機械を知らないこの時代の人間では技術的にも体質的にも扱えない。だが、旧時代に作られた機械人形ならば一度きりの使い捨てではあるが制御可能だ。
そしてその旧時代の翼の中には一人の人間もいた。それは気絶したままのミネルヴァだ。
機械人形達が徐々に自身を残骸へと変えていきながら走らせた翼の先にはステメラとブランチが乗ったスカイカーが止まっていた。
「……しかし、いいものなのか?」
闇が問うた。問われたステメラは鼻からの吐息で返す。
「どうせもはや我が手駒にはなれぬ身。ならば都合のいい実験台にちょうどいいだろう」
「……今まで6000年ほどこの世界を見てきたが好んで娘を怪物に仕立て上げる奴は初めて見る」
「それは何よりだ。しかし所詮地上の全ては私にとって玩具も同然。たとえ我が娘であっても」
嗤うステメラ。そのドアのすぐ隣に戦闘機が飛来してキャノピーが開く。
「ど……うぞ……」
二人掛かりでミネルヴァを抱えて差し出す機械人形は既に全身から火花を散らしている。
ブランチが闇から不定形の腕を伸ばし、ミネルヴァを受け取ると機械人形は機能停止して戦闘機は落下を始めた。それを尻目にステメラは血液の入った注射器をミネルヴァの頚動脈に刺し、そこへブランチが己の闇を入れてミネルヴァのDNAに天死のモノを尋常でない速度で混ぜ合わせていく。それに合わせてミネルヴァの姿形が変化を遂げていく。
「……っ!!」
「さあ、せっかく招待されたのだ。全力を以てパーティに応じようじゃないか」
ドアを閉め、闇に封じられたミネルヴァを背にステメラはスカイカーを空に走らせた。目的地は政府議会。
ブランチによってありえないほどの出力を得たスカイカーは通常の10倍の速度で進路を辿る。
レーダーの圏外から一気に現れたステメラのスカイカーの存在は政府議会のスタッフ達を驚かせた。
懐疑に思い、大臣達に報告しようとした時だ。空から何かが降ってきて議事堂の天井を貫通した。その異音には先に通例会議をしていた大臣達も気付き、スタッフを走らせながらカードを構える。
「まさか……!?」
キリエがブルーを握った時だ。正面に巻き起こった煙から何かが伸びて、キリエの両腕の義手は肘から先を奪われた。
「!」
キリエが姿勢を低く構えると、自分を見下ろす巨体が居ることに気付いた。それは、
「ミネルヴァ・M・Hル卍!?」
世界王者で何回か会ったことのある年上の女性。しかし今、その姿は異形へと変わっていた。
ただでさえはち切れんばかりの太い腕がさらに太く長くなり、手首から先は龍の頭を象る形状となっていた。そしてそれは2本ではなく、肩と脇からも生えていて合計で腕は6本。さらに背中からは大木のような形状の翼が4枚生えていた。
「これは……何なんですの!?」
疑問のキリエは、しかし一瞬で彼女の景色は走馬灯のように過ぎて行き、背中に強い衝撃を感じて彼女は意識を閉じた。
「……あれが天死か」
議事堂の上を飛ぶスカイカーからステメラが見下ろす。
「そうだ。しかもDNAの移植元が優れた素材だったからか通常の天死ではない。言ってみれば戦闘に特化した戦天死とでも呼ぼうか」
「戦天死か。あれが私の作品だと思えばなるほど、愉快じゃないか」
「ステメラ・I・Hル卍よ。お前の作品はあれ1つではない」
声と共に闇の中から1枚のカードを出した。
「これは?」
「如何に素晴らしき手駒を用意出来たと言えど貴様本人はひどく脆弱。ならばこれを使って貴様自身も頑強になるといいだろう」
ステメラがカードを受け取る。と、その瞬間からステメラの意識が消え、そのカードを発動させた。
「呼応・行使」
魔力がほとんどないステメラでもそれは発動出来た。そしてそれを発動した途端にステメラは娘とは別の形状で人間の体を捨てた。全身が白い金属に覆われ、背中からはウニのように角が何本も生え滾り、肘と膝からは刃のような突起物が生えてくる。
「ふむ。これがかつての人間どもが遺した悪夢に対する決戦兵器・オメガ。そのプロトタイプにして最強の1号機か。空を飛べない分、天死に比ぶれば一歩劣るが悪くはないな」
我を失い異形に変貌したステメラを見てブランチは呟いた。そしてその体を構成する闇がスカイカー全体に広がると、まるで馬車のような姿になった。しかしそれを率いるのは馬ではなく全長10メートルほどの魔竜だった。
「……」
馬車が率いる玉座には異形と化したステメラが座り、無貌の瞳で世界を見下ろしている。見下す世界の中心では彼の娘が同じく怪物の姿で世界を率いて管理する政府議会を蹂躙している。
「くくく……、本来天死は理性のないもの、だが我ならば制御は可能だ。天死にオメガ。この二つがある限り我に敗北はない。だが、もしも敗北を喫することがあったならばそれこそ我が理想と言うものだ……」
鋼と翼の怪物の背後となった炎を帯びた空でブランチは嗤う。
・夜。表情を紅潮させたケーラが自分のスカイカーを呼ぶため、ライラに見送られて玄関まで来ていた。
「……今日は色々すごい経験をしてしまいました」
「あの……色々ごめんなさい。僕、つい……」
「……いえ、約束そのものは守られたのですからお気になさらず。それより、キリエさんからの連絡はまだなのですか?」
「はい……。もう6時間以上経っているのですが……」
「……それにユイムさんが目を覚まさないのも気になりますね」
「はい……。お医者さんによれば特に外傷は見当たらないそうなのですが……」
俯く二人。と、そこへ飛来する物体があった。スカイカーかと思ったケーラが夜空を見上げる。だが、それは違った。
「あれは……!?」
それは黄金の翼を持った4つ足の獣だった。即座に脳裏をよぎった近似値はグリフォンだろうか。その獣はまっすぐこちらに飛来して着地した。
「ライランド・円cryンってのはどっちだ?」
「ぼ、僕ですが……あなたは?」
「剣人が呼んでいる。政府議会に飛ぶぞ!!」
「え!? 政府議会!? と言うかあなたは!?」
「俺はキマイラ! 剣人が持つ召喚系ナイトメアカードの1体だ。剣人に言われてお前を迎えに来た。大至急の案件でな!」
「……政府議会、もしやキリエさんに何か……、ライランドさん。私も行ってよろしいでしょうか?」
「え!?」
「お父様が関わっているかもしれません」
「……キマイラさん……」
「さんはいらない。どっちでもいいから早くしろ! 剣人でも一人じゃ限界がある!」
「……だったら行きましょう、ケーラさん!」
「……はい、ライランドさん!」
二人はキマイラの背中の上に乗って夜のX是無ハルト邸を後にした。
・政府議会議事堂。そこを中心とした政府議会の私有地は尽くが炎の海となっていた。
「……ちっ!!」
その炎の中で剣戟の音が満たされた場所がある。そこには一人の青年がいた。風行剣人である。
剣人は愛用の刀を使って迫り来る翼の怪物と真正面から戦っていた。
「ブランチめ……!! よりにもよってパラレルの世界王者を天死にしやがって……!!」
一本一本が剣人の持つ刀に匹敵する太さと長さを持つミネルヴァの爪。それが30本となってあらゆる方向から凄まじい速度で剣人に迫り来る。
「風行流・緋扇!!」
剣人は刀の鋒を真正面に据えてそこから迫り来る攻撃に対して鋒だけを動かして内側から外側に受け流していく。そして左手に持った鞘でミネルヴァの右足を殴る。オリハルコン鉱石で作られた鞘の一撃はかつてあった
電柱すらへし折る威力を持っていた。が、それを以てしてもミネルヴァは軽く体勢を崩すだけに留まった。
が、1秒の時間は稼がれていた。その1秒に剣人は、
「神速・サブマリン!」
カードを発動して数百メートルの距離を稼いだ。
着地した剣人は左手を前に、一歩退いた右半身の手で刀を握り、鋒を前方数百メートルにいる標的に定める。
「風行流・星轟砲天!!」
鼓動を放つ心臓から右肩、右腕、肘と手首を貫き、剣人の魔力が刀身に流れていく。現代人とは大幅に異なる質の魔力は一瞬で刀身を包み込み、
「せやああああああああああっ!!」
眼前の空中に右の刺突を放つと、刀身を包み込んで凝縮していた大量の魔力がまるで砲撃のように正面に飛ぶ。音を超えた速度の砲撃は過ぎ去った後の炎の海に横薙ぎの竜巻を起こし、炎や瓦礫を吸い込んでさらにその規模や貫通力を増強していく。
「!」
一瞬で目の前に飛来した未知で強大な衝撃を前にミネルヴァはしっかりと足腰を構え、6つの両腕でその砲撃を真正面から受け止めた。最初にぶつかったのは魔力の鋒。次に音の塊が、最後に炎と瓦礫の雨が彼女を襲う。常人の20倍以上はあるであろう今の彼女のパワーでも2秒しか持ちこたえられずにその異形となった巨体を夜空へと弾き飛ばす。そして尚砲撃や竜巻は収まらずに夜空を貫く。
「……やはり伝説の聖騎士と呼ばれた男。最強の天死が相手であっても尚互角以上に戦えるか」
夜空の闇と一体化したブランチは戦いを見下ろしていた。
「……仕方ない。貴様も行くといい」
「……」
ブランチの声に、無言のステメラは魔竜を空に走らせた。
「!」
砲撃中の剣人は自分に迫り来る飛来物を見た。最初はキマイラかと思ったがそれは違った。
「ザッハムートだと!? 聖騎士戦争で絶滅したはずだ……!! ブランチめ、そこまでするのか……! しかも乗ってるのはオメガだと!?」
砲撃を中断してバックステップで距離を取り、体勢を立て直す。その剣人にまっすぐステメラが乗る魔竜ザッハムートは迫り来る。全長16メートル程の魔竜が大きな口を開け、その内部から無数の触手を伸ばして剣人の手足を狙う。
剣人は再び緋扇を放って迫り来る数十本を全て受け流していく。が、敵は足を止めて攻撃をしているのではない。むしろ突撃中だ。
「ぐっ!!」
魔竜が翼を羽ばたかせば、その風圧で剣人の体は空を舞う。その無防備に空から迫り来る物体があった。
先ほど飛ばしたミネルヴァが翼を以てこちらに迫り来る。しかも直線的な突撃ではなく、UFOのように物理法則を無視した軌道で、30本の爪の狙いを定めてきている。
さらに地上では魔竜がこちらを見やって口の中で火炎弾を生成していた。
「ちっ……!!」
剣人がカードを出した時だ。後方の夜空からそれを貫いて迫り来るいくつかの物体があった。
それは4発の銃弾だった。4発の銃弾は夜空を切り裂き、空を舞うミネルヴァの両翼を貫き、それを消滅させた。
「……やっと来たか」
落ちていくミネルヴァを尻目に剣人は背後の夜空を見た。その中には闇の甲冑と拳銃を装ったライラとケーラ、そして二人を背に飛行するキマイラの姿があった。
「剣人さん!」
「ライランド……来てくれたか!」
言葉を投げ、しかし視線は下部の魔竜の炎に向ける。
「爆撃・サブマリン!!」
出したカードから爆発性の高い魔力弾を発射する。直径は1メートルほど。剣人の爆撃と魔竜のブレスは同時に発射され、中間点で激突を果たす。爆発を遂げ、再び戻った夜空には剣人の姿はなかった。
「悪いな、」
声。議事堂跡の空を飛ぶキマイラの上に剣人がいた。
「見ての通り非常事態だ」
「一体何があったんですか!? それにあれは……」
「説明は後だ。ただあれらは全てブランチの刺客だと思え」
「……あの、あれはもしやミネルヴァ姉さまとステメラ父様では……?」
「……あの二人の関係者か!? キマイラ、どうして連れてきたんだ!?」
「そんなの俺が知るか!!」
「……どのみち、諦めろ。もうああなったら元には戻せない。せめて倒してやる事が唯一の救いだ」
「……分かりました」
「ライラ、スライトだけでは少々分が悪い。新しい希望のカードをやる。今ここで新しい力を作れ」
「え!? あ、はい!」
受け取った白紙のカードにライラは乱雑になっていた脳裏を働かせてイメージを作る。
脳裏に浮かぶのは仲間達の姿だ。
ユイムの大規模な攻撃性、シュトラの格闘戦、そして、先ほど自分のベッドに横たわったケーラの裸体……の後に想起された彼女の汎用性。
これら3つを1つにしたい。そんな力をライラは望む。
「……よし、」
ライラの手の中でカード名の希の部分が絶に変わり、絵柄が変わる。
「絶望・行使!!」
「絶望だって!?」
驚く剣人の横で闇色に輝いたカードは1つの形をとる。それまで纏っていた闇色の装甲はまるでスーツの様な相貌となり、髪の一部が尻尾のように細長く伸び、両手に虎の爪を象ったトンファーのような武器・タルパナが装備される。そして全身を霧のように黒い魔力が覆っている。
「ライランド、それは……!?」
「すみません。希望という言葉を聞くとまだ僕にはマイナスなイメージしか過ぎりません。ですが、性能はお墨付きですのでご安心を……!」
言って、ライラは地を蹴った。まるでラケットにはじかれたバドミントンのシャトルのように軽々と宙を舞い、しかし稲妻のように鋭く夜空を貫く。
「!?」
起き上がったばかりのミネルヴァの眼前に着地。と、突然にミネルヴァが体を仰け反らせた。まるで殴られたかのように。しかし、ライラの手足に動きは見られない。だが、次の瞬間にはまたミネルヴァが殴られたように妙な体勢で空を舞う。
「……同じだ……!! キングの奴の使った絶望と同じだ……!!」
「剣人さんと言いましたね。一体どう言う事ですか?」
「キングってのは昔俺が戦った奴の事で、ヴァインってのはそいつが得意としていたカードだ。発動中はまるで動いていないように見える。だが、実際本人からしたら普通に行動している。
分かりやすく言うなら、時間の経過にも満たされない超スピードながら普通に行動して、結果を残してからそれまでの経過を無くしているんだ。今の奴は、攻撃も防御も回避も一瞬すら必要とせず行動出来る。単純な一騎打ちの戦闘ならば俺でも相手取るのは厳しいだろうな」
「……まるで私のクイックのようだ……」
「へえ、あんたがパラレルになったクイックの使い手なのか」
「私の家に代々伝わるカードです」
「……名前を聞いても?」
「ケーラです。ケーラ・ナッ津ミLク」
「ナッ津ミLク……ああ、なるほど。あいつの実家か。……ちゃんと遺してくれていたのか」
「え?」
「何でもない。それより俺達はあれをやるぞ」
剣人が刀を構える。その鋒の先には魔竜とそれに乗ったステメラがいる。
「……お父様……」
「はっきり言うぞ? ああなった以上俺でも戻せない。だから……」
「迷いの真似事などする余裕は私にはありません。ただ、全力で叩くだけです」
「その意気や良し!」
ケーラがレンゲルを構えると、敵がこちらに突進を始めた。
「魔砲・サブマリン!!」
剣人が空いた左手から魔力の塊を砲撃として放ち、放たれた魔力の塊は真正面から魔竜に激突。2秒で突破されるが、その間に二人はキマイラの上に乗って飛翔。魔竜の側面を奪い、剣人がキマイラの背を蹴って跳躍した。
「風行流・大倒天!!」
大きく振りかぶった刀に特大の魔力を集中して鉄槌のように魔竜の延髄に叩き込んだ。
ギャオオオオオ……!!
魔竜は大きな咆哮を残して夜空が照らす地上に吸い込まれていく。
「……」
ステメラは落ちる前に魔竜から飛び降りると左手を刃物に変形させる。そしてその刃物を空中で無防備の剣人目掛けて凄まじい速度で延長させた。
剣人は刀の鋒を正面に防御の姿勢を取る。相手攻撃の速度はあるが、動きは単純だ。これならば食らってやる必要はない。そう思った。
「っ!」
だが、落ちた魔竜が起こした大爆発が一瞬、剣人の視界を遮った。その間隙が変化を許した。
「!?」
延長の刃は直角を複数産んで大きく軌道を変えた。そして目を開けた剣人の両足を側面から貫いた。
「ぐううっ!!」
「剣人ォォォ!!」
キマイラが鋼の刃を噛みちぎり、剣人を背に回収する。
「大丈夫か!?」
「ああ、だがこれじゃ普通に歩くのは出来ないな。跳躍のカードの応用で距離を詰めて奇襲は出来るだろうが、一方向の単純な軌道しか出来ない。それにオメガの装甲だ。八又轟閃でもなければ突破は無理だろうな」
「御託はいい。出来るのか……っ!?」
「やろうと思えば無理ではないだろう。だが、手がいる。……ケーラ、やってくれるか?」
「え?」
「奴と一騎打ちの接近戦をして1秒でもいい、隙を作ってくれ」
「……分かりました」
「簡単に言うな? 自信あるのか?」
「ライランドさんが信じて下さる程度には。そしてミネルヴァ姉さま以外の……いえ、姉さまも含めた全てに負けぬ程度には」
「……いい返事だ。なら、やってくれ」
「はい!」
キマイラから飛び降りたケーラはステメラの正面に着地した。
「……」
「……お父様、あなたを父と思った事は一度もありませんがそれでもこうしてこんな形で見える形になるとは思いませんでした。……手合わせ願います」
……あの子、剣一と同類かもな。
心の中でそう呟いた剣人の前でケーラはレンゲルを握り、走り出した。3歩地を駆けたところでレンゲルをわずかに延長させ、逆袈裟状に振るう。その一撃は真っ直ぐに素早くステメラの刃となった左手に放たれる。
しかし、それ故にステメラが刃で防ぐのは容易だった。が、ケーラはステメラの左側面に回り込み、レンゲルを湾曲して伸ばしてステメラの左腕を中心にして全身を襷掛けのように縛った。
「……」
「はっ!!」
無造作に振り向いたステメラの正面に臨み、2本目のレンゲルで臍にあたる部分を打ち、延長。
「ううううっ!!」
ケーラの全ての魔力を注いだ延長はどんどん加速していき、数秒で大気圏を突破。摩擦熱で全身を白熱化させて、重力に惹かれ地上に燃えながら引かれていくステメラ。
「……今です!」
「……恐ろしい子だぜ全くよ……!! 神速、煌牙、転回、灼熱、
風華、狼牙、魂刃、穿矢!!」
8枚のカードを発動してその効果の連鎖で生まれた膨大なエネルギーを刀身に込める。
「跳躍・サブマリン!!」
そして、新たに発動したカードの力で地を蹴ってミサイルのように夜空を貫き、剣人が突き進んでいく。
白熱化して落下するステメラの左腕目掛けて、剣人は居合の要領で逆胴を放った。
「八又轟閃!!!」
今、奥義となる一撃がステメラの左腕に命中。己の両足を貫く強度の刃をものともせずに両断し、そのまま剣人の刃はステメラの胴体をも両断して地面に叩きつけ、断面からその鋼の肉体を蝕むように消し去っていく。
「……」
ケーラがそれを最後まで見届け、ステメラの肉体は完全に消えた。
「……因果応報ですよ、お父様」
・炎に燃える夜空の下で戦う二人。ライラとミネルヴァだ。
ライラの攻撃を見切れないミネルヴァは、しかし徐々に防御を捨てて攻撃へと転じてきた。その30本の刀爪を嵐のように振る舞い、それをライラはタルパナで受け流しては徐々に己の息切れを感じてきた。
「そろそろ限界かな……? だったら!!」
距離をとったライラはポニーテールでミネルヴァの足を払ってからタルパナを変形させる。
全身を纏う魔力も併用する事で全長4メートルの銃剣へと変化させた。それを魔力で強化した右手で握り、ミネルヴァ向けて振り下ろした。
ミネルヴァは回避行動を取るが、それに合わせて銃剣の刀身はいくつにも枝分かれて範囲を広げ、結果ミネルヴァの左翼と左腕全てを切断。
「がああああああああああああっ!!!」
悲鳴を上げたミネルヴァに、ライラは走り、銃剣をさらに変化。大きさそのままの巨大な腕へと変形させ、ミネルヴァを掴み上げ、1トンを越える握力で押しつぶす。
「天死は……死ぬるしかないんだ!!」
紅い視線を浴びながらライラは吠え、駆けつけたケーラ達の前でミネルヴァは粉々に砕け散った。
「はあ……はあ……」
「……ライランド、お前、天死を知っているのか……?」
「……それは、」
「……まあいい、今は保留でいい。それより、これをどうするかだな」
剣人に促され、ライラは周囲を見やった。既に明けつつある夜空の下、今のこの世界を管理する政府議会の本拠地は廃墟と炎が支配する地平となっていた。
・それから、戦線は終結した事でやっと救援部隊が駆けつけ、死傷者の回収が行われた。
表に出たくないと言っていた剣人も場合が場合のためか仕方なく、救援部隊などの指揮を行い、作業は滞りなく終わった。キリエも重傷ながら助かり、病院に運ばれていった。
それから剣人が仕切る仮の政府議会チームにライラ達パラレル部が呼び出された。
何も事情を知らないティラとラモンにも剣人の口からライラの素性が明らかにされた。
「……これからブランチは本格的に行動を起こしてくれるだろう。お前達の力を借りていたい」
剣人が言う。また、空いた大臣の座を埋めるためにケーラが剣人から任命された。
名前もケーラ・N・Hル卍と改名された。
その日の夕暮れ。ティラとラモンとの釈明を済ました後、一人きりで私有地の歩道を歩いていると、
「ライランドさん」
ケーラが正面に現れた。
「ケーラさん……何だか大変な事になってしまいましたね」
「……ええ。ですが此度の件で私は一歩前に進めたと思います。あなたには感謝をしていますよ、ライラ」
「……ケーラ……さん」
「これからはケーラとお呼び下さい。もう、ただの部員という関係でもないのですから」
「……あの、えっと、責任は取るので……その、これからもよろしくお願いします、ケーラ」
握手の二人は夕陽を背に互いの名を呼んだ。来るべき決戦のために。
3章のifでありケーラルート且つ最後のifの前座。
なお、3章でのライラとユイム、シュトラの絡みや4章での物語はほぼそのまま行われる予定。
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また、このルート及びその延長ではライラの2枚目の希望はヴァインになっていてシプレックは登場しません。